第九話 この子のお名前は、なんていうんです?
「はうあっ。まさか、聖樹さまの苗木にお目にかかれるとはっ」
聖樹の苗木を抱いたまま、トールは椅子ごと体を背後に向けた。
そこには、予想通りと言うべきか、土下座するリンの姿があった。
「それもこれも、トールさんのお陰です。ありがとうございます。ありがとうございます。本当に、なんとお礼を言ったらいいのか。やはり、お金っ。お金で誠意を示すべきではっ」
「いや、俺はなにもしていないんだが……。というか、お金で誠意を示すのはやめよう?」
困惑するトールとは対照的に、聖樹の苗木は楽しそうに頭頂部からぴょんと生えた葉や茎のようにも見える髪をぴこぴこ動かしている。
「リアルアホ毛かよ。さすがファンタジー……」
「か、かわいいっ。可愛いですよ、トールさんッ!」
「聖樹の苗木? 聖樹の妖精なのか? どちらにしろ、確かに可愛らしいな」
「とりあえず、こっちきたら?」
トールの言葉に従い、アルフィエルは小走りで。リンは膝立ちで、トールの足下へと近付いてきた。
「というか。いたんだな、二人とも……」
「いましたよ! お母様に口出しを止められていただけです!」
「抱きつかれていたのだ……」
紅茶を淹れた後、シアディス王妃は趣味と実益を兼ねていたらしかった。王と王妃による、計画的犯行だったようだ。
「ところで、二人とも。聖樹の苗木が、こういうものだって知ってた?」
「らー?」
トールが正面から抱きついている聖樹の苗木をくるりと回転させると、なにが起こったのかと、聖樹の苗木が不思議そうな声をあげた。ついでに、ぴこぴこアホ毛も動く。
赤ちゃんと似たような反応だなと、トールは頭の片隅で思う。だから、《翻訳》のルーンが働かないのだろうか、とも。
「いや、母からも聞いたことはなかったな。まあ、聖樹の苗木などという存在が知れたら、性根の悪い者がなにをするか分からない。秘匿するのは当然のことだ」
「私も、全然! 知りません! でした!」
「そうか。誰も本当に聖樹の苗木かは証明できないわけだな」
「アー!」
自分が聖樹の苗木で間違いないと、緑色の髪の少女が主張した。トールの膝の上で、両手を伸ばして。
その愛らしさに、リンとアルフィエルは揃って相好を崩す。アホ毛だけでなく、ダブルエルフの耳もぴくぴく動いている。
かわいいは増殖するらしいなと、二人の笑顔を見て感心するトール。
「まあとりあえず、普通に接していいんじゃないか? 一緒に育てるのに、変にかしこまるのも良くないだろ」
「……さすがご主人だな。度量が違う」
「トールさんが仰るのなら、はい!」
アルフィエルはふむふむと感心し、リンは土下座のままジャンプして聖樹の枝に着地した。
そのアクションを見て、聖樹の苗木のアホ毛が楽しそうに揺れる。
「そういえば、トールさん、トールさん」
「ん?」
「この子のお名前は、なんていうんです?」
「らー……?」
「もしかしたら、名前がないのでしょうか。そんな、私にトゥイリンドウェンという分不相応な名前があるというのに、聖樹様の苗木にないだなんてっ。ごめんなさい、生意気にも名付けられてしまってごめんなしああ」
最後のほうはミスタイプしたような叫びとともに、リンが再び土下座した。止める止めないという判断すら発生させない早業。
日々の積み重ねを感じさせる、円熟の土下座だった。
「あー!」
それを初めて見た聖樹の苗木が、嬉しそうに手を叩く。
動きに反応しただけだろう。言葉が通じていたら、とんだ暴君だ。危ないところだった。
「まあ、そりゃ、誰が名付けるんだよって話だよな……」
神託を下すらしいので聖樹そのものが命名する可能性も考えられたが、そもそも、聖樹に名前という概念があるのか疑問だ。
つまり、名前はない。
「なら、トールさん。名前を決めましょう」
「そうだな。聖樹の苗木とはいえ、自分たちが育てるのだ。もはや、我々の子供と言ってもいいのではないからな」
「こどもっっ!? 私たちのっっっ!?」
土下座をしながら顔を上げて提案していたリンが、アルフィエルの発言を聞いて畏れ多いと、また平伏した。
「そそそっそそ、そんなっ。私たちの子供なんてまだ早い……」
だが、その途中で昂然と顔を上げる。
まるで、敗北から立ち上がる勇者のように。
「いえ、早いということは、いずれ来る明日。そう学んだはずです、トゥイリンドウェン・アマルセル=ダエア!」
「その通りだぞ、トゥイリンドウェン姫」
クラシカルなメイド服を身につけたダークエルフの美少女が、恭しくエルフの姫君の手を取った。
まるで、英雄に付き従う介添人のように。
聖樹の苗木は、そのコントにきゃっきゃと喜んでいる。
「というわけで、ご主人が名前を決めてくれ」
「なんで俺!?」
「家長が子供の名前を決めるのものだろう?」
「いや、家長って……ん? 言われてみれば、そうなるのか……。父さん、母さん。遠野家は異世界で永遠に残るみたいです」
しかし、トールの両親も、妖精のような存在が息子の養女になるとは思いもしなかっただろう。
「自分としては、ご主人の世界の言葉を付けるのもいいと思うぞ」
「あっ、それは素敵ですね! 私たちの架け橋という感じがします!」
「でも、地球には聖樹も妖精もいないからな……」
空想上の存在にちなんだ、名付けになるだろうか。けれど、例えばユグドラシルでユグ……などするのは、あまりにも安易すぎる。
「そう言って、なにかアイディアがあるのだろう?」
「そうだな、木花咲耶姫……は、必ずしも植物の女神とは言えないような……。植物の神は、ククノチだったけ?」
確か、ククノチに娘がいたような。
そこまで考えたところで、トールは我に返った。
「って、それは今すぐ決めなくてもいいだろ」
それよりも、はっきりさせなければならないことがいくつもある。
例えば……。
「だいたい、聖樹の苗木ってどうやって育てるんだよ? 埋めるのか?」
山の中。場所を見繕って、穴を掘って、少女を埋める。
縦に。
「犯罪の臭いしかしねえ……」
その光景を思い浮かべたトールは、げんなりとため息をついた。その状態で成長して、この聖樹と同じ物になっていくのだろうか?
いや、やはり、埋めるのは壁が高い。高すぎる。ハードルと違って、くぐることもできそうにない。
「王様、その辺、どうなんで……」
いなかった。
背後に座っていたはずの、アグロノール王はいなかった。そういえば、アルフィエルたちに抱きついていたという、シアディス王妃も同様に姿が見えない。
辺りを見回しても、誰もいない。いるのは、三人と一本だけだ。
「いつの間に……」
「ご主人、置き手紙があるようだぞ?」
ガーデンテーブルの中央に目をやれば、見るからに高そうな。透かしの入った紙が、ひっそりと置かれていた。
「置き手紙って……」
手にとって見れば、そこには『あとは若い人にお任せするよ』と書かれていた。無駄に流麗な筆致で。
「なるほど。そういうことか……」
「らー?」
若い人とは、つまりウルヒア。
詳しい話は、あのエルフの貴公子としろということ。
「つまり、これはウルを詰問してもいいよという許可証か」
「え?」
「え?」
「あー?」
なぜか、リンとアルフィエルがきょとんとする。一緒に聖樹の苗木が首を傾げ、アホ毛がぴこぴこ動いた。
「トールさん。これはあくまでも私の主観で、間違っている可能性が高いと言いますか、あの勝手な願望混じりだと思われると思うと言いますか、いえ、確実に思われると思うんですが……ッッ!」
「ご主人、これはデートをしてこいということではないだろうか?」
「そんなことは……あっ……」
トールは、思い出した。
王都を案内すると宣言していた事実を。
このサブタイで名前が決まらないという暴挙。
しかも、次回から、このままデート回です。




