第七話 ご主人も、エルフ魂が分かってきたようだな
聖樹は王都の中心に存在する……というよりは、聖樹を中心に王都が形成されたというべきだろう。
大地と豊穣の女神マルファがエルフにもたらした最大の恩寵である聖樹。
その周囲に広がっているのは、旧市街。アマルセル=ダエア王国が成立する以前の、古いエルフの生活様式が色濃く残っている。
そこに広がっているのは、一切の先入観を抜きして見れば、森でしかなかった。
聖樹は一本の巨大な樹木ではあるが、単独で存在しているわけでもない。聖樹ほどではなくとも充分に巨木と呼べる広葉樹や針葉樹が、植生や気候の区別なく生い茂っている。
古くからのエルフたち。いわゆるエルフ貴族は、今でもそれら虚や樹上に住居を設け、自然とともに生活していた。
一方、新市街は人間が作り上げた中原の大都市と遜色ない。
街路は石畳で覆われ、落ち着いた様式の住居や商店が立ち並んでおり、そこを行き交うエルフたちは笑顔。巨大なルフが通り過ぎても、空を仰ぎはしても驚いている様子はない。
常設の市場にも、物があふれている。ほんの少し前に、モンスターの襲撃を受けたとは想像もできない。
人間の都市との違いは、比較的木造の建物が多く、至る所に緑があふれていることだろうか。また、いわゆるスラムも存在しない。隅々まで、アマルセル=ダエア王家の威光が届いている証拠といえた。
そんな新市街は、枝で編まれた城壁でぐるりと囲まれている。
ゆで卵の断面に例えれば、黄身の部分が旧市街。それを覆う白身が新市街と表現することもできるだろう。
その境目に存在するのが、アマルセル=ダエアの王族が住まう王宮だ。
エルフの住居の例に漏れず木々に囲まれた、優雅な白亜の城。
旧市街と新市街。つまり、北と南に尖塔を備えた城門が設けられ、いくつかの城郭が巨大だが優美な橋で結ばれている。
うっすらと霧に囲まれ、それが陽光を受けて幻想的に浮かび上がるエルフの王宮。幽玄の美を象徴するかのような、エルフ文化の代表ともいえる存在。
ルフは、その王宮に降り立た……なかった。
「通過していくなぁ」
「この子も、聖樹さまが大好きなんですね」
「いや、そういう牧歌的な話ではなく」
この世の善意を煮詰めたようなリンはともかく、このまま王宮をスルーするのは問題しかないのではないか。
「このままだと、聖樹に衝突するぞ?」
飛行籠から身を乗り出しながら、刻印術師とその忠実なメイドが疑問に顔を見合す。さわやかな風が、髪と耳につけたイヤリングを揺らした。
「この子でも降りられる枝はあるので、ぶつかることはないはずですよ」
「まあ、そこはちゃんと考えているよな……」
ルフを派遣したのはウルヒア。
つまり、行き先を指定したのも、エルフの貴公子だ。手抜かりはないはず。
「王宮へ行くと、いろいろ面倒だから配慮してくれた……可能性もあるような、ないような……?」
「ウルヒア王子のやることだから、ご主人やトゥイリンドウェン姫の不利益になるようなことはしないだろう」
「そこは信頼してるけど、あいつはギリギリのところを見極めてくるからな……」
「な、なんだかすまない……」
そうこうしているうちに、聖樹の中ほどにある大振りな枝へと降りようとしていた。
「というか、ルフが着陸できるとか聖樹マジでけぇ」
「父さまに聞いた話ですと、聖樹さまに街を作る計画があったそうですよ」
「パネェな」
「他に住める場所はあるんだから不敬だろうということで、立ち消えたそうですが」
「それ以前に、不便だから止めたんじゃねえかな」
富士山を愛していても、富士山に住もうとは普通は考えないだろう。
「それに、聖樹に住んだら聖樹を眺められないだろ」
「そう、きっとそうですよ! エルフ的にポイント高いです!」
「ご主人も、エルフ魂が分かってきたようだな」
ほめられているはずなのに、まったくうれしくなかった。
どうしたものかと思っていると、軽く飛行籠が揺れた。どうやら、到着したらしい。
「エルフ魂はともかく、とりあえず降りるか」
順番に飛行籠から降りると、ルフが飛び立っていった。よく躾けられていると感心していると、入れ替わりにふたつの人影が現れた。
「やあ、トールくん。久しぶりだね。それから、そっちの娘が――」
「――あなたが、アルフィエルちゃんね!」
「なにごとっ!?」
音もなく近づいてきた淑女が、アルフィエルを正面から抱きしめた。ドレスの裾をはためかすことなく、それでいて、ダークエルフのメイドが反応できないほど速い。
「う~ん。うちの娘たちにない柔らかなふくらみを感じるわ」
「こ、これはご主人のものなので、ご遠慮いただけると……」
言うまでもなく、エルフの王妃。リンの母、シアディスだ。
「やあ、トールくん。久しぶりだね」
「何事もなかったかのように、やり直した……だと……?」
さすが王様だと、トールは戦慄した。
「それにしても、おっぱい大きいわね。あ、あと私はシアディス。リンの母親よ」
「自己紹介よりも、自分のおっぱいが先に来るのか!?」
なお、アルフィエルは、そのまま人柱になってもらうこととする。
「今日は、内々で悪いけど感謝を伝えようと思ってね」
エルフの王、アグロノール・アマルセル=ダエア。
優美なエルフらしくスマートな体つきだが、どことなく福福しさを憶える。
血のつながりは感じるものの、何百年経ってもウルヒアがこうなれるとは思えない。大樹の余裕を感じさせた。
「感謝? リンの面倒見てることですか?」
「はっはっは。うん。キミは相変わらずだなぁ」
うんうんと、嬉しそうに楽しそうに無邪気に笑うエルフの王。
そのタイミングで、王妃はアルフィエルを解放した。
ふるふると震えるダークエルフが、聖樹の枝に座り込む。
「これが噂の、抱きつき魔……」
「もちろん、リンのことも感謝しなくてはならないですけれど。それから、あとでまた抱っこしますね」
「ひゃうっ」
「感謝というのは、この街。いや、この国を救ってくれた英雄にだよ」
「英雄? 誰が?」
「なにを言っているんだい」
ごほんと咳払いをしたが、ずずっと近づいてくる。パーソナルスペースが狭い。近い。
「すばらしい、トールくん。キミは英雄だ。大変な功績だ!」
「そのあとに、撃たれそうな気がする台詞だなぁ」
トールに、天空の城を発見した記憶はない。
「で、俺、なにやったんです?」
トールは本気で言っていた。
流れがここまで進んでも、まったく気づかない。
「ご主人、それはないぞ。さすがに、それはない」
「でも、そこがトールさんらしいですよ!」
首を振るダークエルフと、とりあえず賞賛するエルフの末姫。
「ほら、モンスターをね?」
「モンスター?」
「この前のあれだよ、あれ」
「ああ、あれ。あれか……。いや、別にその分の給料はもらってるからなぁ……」
メルギリスが起こした、モンスターの大侵攻。
それを実質的に食い止めた王都防衛機構サリオンは、トールの作品と言っていい。つまり、トールの功績で間違いないのだが……。
トール本人としては、終わった話。というよりも、あまり思い出したくないというのが本音だった。
「デモニック・ドラゴンの素材を放出したので、今年の税収増も見込めるしね?」
「だいたい、あれの主犯はウルですよ?」
「はっはっは。あの子と、同じことを言うんだねぇ」
トールは、露骨な渋面を浮かべた。
一緒にされたくないという本音が、隠すことなく表に出てきた状態だ。
「まあ、そういうわけだからさ。感謝の品を受け取ってくれるね?」
「そこまで言われたら……。まあ、はい」
この流れからすると、ウルヒアにも話は通っているはず。
いわば事前に検閲が入っているわけで、逆に安心できる。
「で、感謝の品ってなんでしょう? まさか、リンとか言わないでしょうね?」
「はうわっ。そそそそ、そんな!? 私などが感謝の品なんて、むしろ私を受け取ってもらえるお礼に感謝の品をお渡ししなければならないのでは!? あうばばばっっ、ごめんなさい、ごめんなさい。つまらないものでごめんなさいっ。つまらないものですが、受け取っていただけるとうれしく思います」
土下座をしても、さりげなく押しの強いリンだった。
「トゥイリンドウェン姫は、ご両親の前でも一緒なのか……」
ようやく復活しつつあるアルフィエルが、いつも通りのリンを見て少しだけ安心した。
そんなダブルエルフをよそに、王が話を進める。
「感謝の品というのはね、苗木だよ」
「ああ。ウルから話を聞いていたんですね?」
ちょうどいい落としどころだ。
トールたちは気兼ねなく種苗を受け取れ、エルフの王宮としても感謝の念を示すことができる。
「そう。苗木なのよ、聖樹さまの」
「はぁ……」
苗木。
聖樹の苗木……。
「はあぁっっ!?」
驚きの声を通り越して、悲鳴となった絶叫が聖樹の枝で木霊する。
ルフが、聖樹の上空を旋回していた。
この展開、ほぼ読まれている気がする……。
ところで、風邪で書けなくてストックが尽きました。
感想とか評価ください(直球)。




