第四話 ふふふ。いても立ってもいられなくってしまってな
翌朝。
トールは、自らの認識の甘さを思い知った。
「ご主人、今日は早起きだな。できれば、自分とトゥイリンドウェン姫が起こしに行くまで眠っていて欲しかったんだが」
「いや、いやいや、いやいやいや」
家の中にアルフィエルがいなかったので、様子を見に外へ出たトール。
そこで目にしたのは、一汗かいて爽快そうな笑顔を浮かべるアルフィエルと、開墾された土地だった。
ルーンで守られたトールが見間違いを起こすことも、幻覚に騙されることもない。
ということはつまり、家の前の土地。ピザパーティをやったときには広がっていた野原が、すっかり掘り返されているこの光景は現実だということ。
「早い」
「思い立ったが吉日というだろう?」
「こっちでも言うのかよ!」
グリーンスライムガチャで豊穣の鍬を得てから、まだ丸一日経っていない。それなのに、農村もかくやという光景が広がっていた。
いくらなんでも作物は育っていないが、土は掘り返され、畝もきちんとできている。
しかも、広さはグラウンド一面ほど。
少し前に、グリフォンがモンスターと戦い、メルギリスがあれやこれやされた場所と同じとは思えない。
その意味では、農地への転用は悪くないアイディアだったと言えるが……。
「どんだけ、楽しみにしてたんだ」
「ふふふ。いても立ってもいられなくってしまってな。白々とし始めた頃に、目が覚めてしまったのだ」
「まさか、《安眠》のルーンに打ち勝つとは」
本当に、どれだけ楽しみだったんだと、トールは驚きを隠せない。
一方のアルフィエルは、クラシカルなメイド服のまま、胸を強調するように背を反らす。いや、誇らしげに胸を張る。
「少しだけのつもりが、随分捗ってしまった」
「その気持ちは、分からないでもないけどさ……」
トールも、続きが気になるマンガやゲームがあると食事や睡眠を忘れる性質だ。熱中して我を忘れる気持ちは、理解できる。
それにしても、畑をひとつ作ってしまうのは驚き……を通り越して、呆然としてしまう。
そこに、がたりと窓が開く音がした。
「あっ、アルフィエルさん! ずるいですよ!」
「……ずるい?」
最後に姿を現したリンが、窓から半ば体を乗り出して抗議する。
「私も、畑作りしたかったです!」
トールが思っていたのとは違う方向性で。
リンは窓から機敏に飛び下り――
「リン、落ちるなよ?」
「大丈夫です!」
――そのまま、普通に落下した。
「全然、大丈夫じゃねえじゃねえか……」
やっぱりそうなったか……と、トールはリンに駆け寄って抱き上げた。
「大丈夫ですよ。トールさんが助けてくれますし、服はルーンのお陰で汚れませんし!」
「俺のことを当てにしすぎる……」
「それよりも、私も豊穣の鍬を使ってみたかったです!」
「でも、この近辺は、だいたい畑になっちゃったろ」
アルフィエルが一晩でやり過ぎた。
今さらながら罪悪感を抱いたのか、ダークエルフのメイドがわずかにうろたえる。
「むむ。トゥイリンドウェン姫なら、好きに開墾できるのではないか?」
「王族が、そういういうことをやると、しがらみがいろいろあるので……」
「そうなのか。それは申し訳ないことをした」
「あれ? なんなの? エルフ的に農業って、そんな人気なの?」
リンの顔を拭いてやりながら、トールは首を傾げた。
ずっと王都暮らしだったので、エルフの風習には疎いところがある。
確かに、どの家にも家庭菜園があって、エルフらしいなとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。
「聖樹様とのつながりを、一番身近で感じられますから!」
「ダークエルフの場合は霊樹様となるが、概ね同じ理由だな」
「それなら、遠慮せずに作れば良かったのに」
知らなければ、許可の出しようもない。
そこまでやりたかったのであえば、言ってくれれば良かったのにと水を向けると――
「試用期間と言われていたしな……」
「住むわけでもないのに、さすがにそれは言えないですよぅ」
――思いっきり、正論が返ってきた。
「うん。俺が悪かった」
そこまで悪いわけでない気もしたが、トールは即座に謝った。処世術ですらない。単純な危機対処だ。
「お詫びじゃないが、この畑の管理は二人に任すから。好きに野菜を植えてくれ」
「そうだな。そこは、トゥイリンドウェン姫も相談しよう」
「私は、トマトがいいです! 庭で取れたトマトでピザですよ! ピザ!」
「庭……? まあ、庭か」
トールの基準では庭と言える広さではなかったが、リンがエルフのお姫さまだったことを思い出し、納得した。
思い出さなくてはならなかったことに関しては、忘却した。
「トマトの他にも、少量だが、種類は多く植えていきたいな。キャベツやレタス、リーキ。タマネギにジャガイモも欲しいところだ」
まだなにも植えられていない畑の予定地で、スカートの裾をぶわっとさせてくるりと回る。一緒に、アルフィエルの耳に付けられたイヤリングが踊った。
「できれば、イチゴとかメロンも欲しいですね。う~ん。夢が広がります」
「夢はいいけど、季節がめちゃくちゃじゃないか?」
どう考えても、季節が合わない。それに、露地栽培で簡単に育つものなのか。
その疑問は、リンやアルフィエルにとっては疑問ですらなかった。
「あれ? 知らなかったですか?」
「え? 二年も住んでるのに、新設定かよ」
「聖樹様のご加護があれば、いつ植えても育ちますよ? トールさんも、今まで疑問に思わず食べてたじゃないですか」
「温室栽培とか、魔法で保存とかじゃなかったのか……」
消費者でしかなかったトールは、そこまで非常識だとは知らなかった。
植物に関しては、聖樹と霊樹は本当にチートだ。中原にあるという人間諸国をまとめて圧倒できるはずだと、トールはあきれながら納得する。
「今回は俺のルーンの出番はなさそうだな」
……ということには、ならない。
その未来を、トールはまだ知らなかった。
「そうです、トールさん。せっかくですから、一度、王都へ行きませんか?」
「話の流れからすると、種とか苗を買いに、か……」
「はい! ウルヒア兄さまに、その道のプロを紹介してもらいましょう!」
「王都まで行かなくとも、その辺りの村で分けてもらえればいいのではないか?」
「ふふふ。甘いですね、アルフィエルさん」
アルフィエルの常識的な判断は、リンの熱意に跳ね返された。
「王都で存分にお目にかけましょう。エルフ自慢の種苗というものを」
「くっ、なんだこのプレッシャーは!? トゥイリンドウェン姫から、かつてない自信を感じるぞ」
エルフ自慢というよりは、エルフが自慢したいだけになっていないだろうか。
そう思わないでもなかったが、必要なことではあるので、トールはなにも言わなかった。
そのことを、少しだけ後悔することになる。
アルフィエルが一晩でやっちゃいました。




