第三話 人間は、本質的に生野菜が好きじゃないんだ
「確か、この辺りに……」
鍬を持って家に戻るなり、トールは家捜しを始めた。
対象は、居間の周囲に置かれた棚。引っ越し当初から乱雑に荷物が詰め込まれ、周囲にまで進出している状況は変わっていなかった。
下手に手を出すと、混沌を招くことになりかねない。
そのため、アルフィエルとリンは、荷物をひっくり返すトールを見ていることしかできないでいた。
「くっ、屈辱だ……」
無念そうに唇を噛みながら、アルフィエルが瞳に炎を宿す。
「いずれ、あの辺りも掃除しなければならないな」
「アルフィエルさんが燃えてます……」
メイドの本能に目覚めたダークエルフの少女を、エルフの末姫はおののきながら見上げた。
もちろんというべきか、リンは片付けの経験などない。身分的にも、適材適所的にも。
「ああ、やっと見つけた」
「探していたのは眼鏡だったのか」
服でレンズの汚れを拭きながら、トールはうなずいた。
「眼鏡は眼鏡でも、片眼鏡だけどな」
「そこは重要なのか?」
「重要だよ。執事が使ってそうだろ?」
「そうですか?」
リンが、こてんと首を傾げる。
異世界では、特にそういうイメージはないらしい。
少しだけ意気消沈したトールだったが、別に地球でも普遍的なイメージではなかったと思い直す。
それに、なければ植え付ければいいのだ。
トールは、マンガに執事キャラを投入しようと、心に決める。
「というわけで、こいつに《鑑定》のルーンを刻む」
「……元々、そういう機能がある眼鏡なのではないのか?」
「いや、ただの片眼鏡だけど。師匠が老眼気味っぽかったんでプレゼントしたら、健康茶を一気飲みしたみたいな顔してたな」
「そのまま使われることなく、死蔵したんですね……」
コメントに困りすぎる曰くだった。
「これからも使うだろうから、あとで火鉢に放り込んで素材のレベルを上げておこう」
「ご主人、相変わらずのルーン扱いだな」
あきれを通り越して感心したように、アルフィエルが言った。
実際、ここまで有り難みを感じさせないのも逆にすごい。
「まあ、今は鍬だろ、鍬」
気を取り直して、というほど反省はしていないが、トールはGペンで片眼鏡にルーンを刻んだ。いつも通りの手際の良さ。
一瞬で、片眼鏡が《鑑定》能力を備えたアイテムへと変貌する。
「《知識》のルーンじゃ、モンスターとか妖精のことしか分からないからな」
今後のことも考えれば、《鑑定》能力は必須だった。そう誰にともなく言い訳しつつ、トールはグリーンスライムガチャから出てきた鍬を手に取る。
「とりあえず、分かってたけど軽量化はかかってるのか……って、素材はアダマンティンかよ」
「アダマンティン! って、あのアダマンティンですか!?」
「《鑑定》が正常に働いていたら、そうらしい」
片眼鏡を外して顔を上げながら、トールは言った。
アダマンティン。地上で最硬と呼ばれる金属。
鎧として優秀なのは、当然。武器として用いれば、その硬度により敵の防護を容易く破壊する。
その希少さは、エルフの姫が驚いたことで容易に察せられた。
「岩でも木の根でも、なんでも砕いちゃうな」
「他には、なにか能力はないのか?」
「もちろん、ある。こいつで耕した土地は連作障害が起きず、病気にもならず、作物が育つのも早くなるみたいだ」
「聖樹様のご加護を抜き出したような、鍬ですね」
「そうだな。素人でも」
農業に関心のなかったトールですらも、絶賛する。
「そしてなにより、他に余計な能力がないのが素晴らしい」
トールは、心の底からの賞賛を鍬に注いだ。農業特化、理想的な鍬だ。
グリーンスライムもやれば、できる子だった。つまり、惚れ薬×2に関しては、故意だったことになるわけだが……。
「そこは残念だが、見事なことには変わりないな。この鍬は、豊穣の鍬と名付けよう」
「いいですね。エルフの魂を具現化したような名前ですよ!」
「若干、大げさな気がするけど、まあ、名前がないのも不便だしな」
「そんなことはないぞ」
トールから豊穣の鍬を受け取りながら、アルフィエルが力説する。
「この鍬さえあれば、なにもない土地を一から開墾できる。それを豊穣と言わずして、なにを言おうか」
「まあ、それはそうだけど……」
先ほどまで絶賛していた割に、トールは歯切れが悪い。
その態度に気付かない、トールの専門家ではなかった。
「トールさん、なんか隠し事していません?」
「リンが鋭いな」
「それはもちろん、ご主人のことだからな」
「あぶわぁっ。いえ、そんな。トールさんのことなら、なんでも知っているなんて、そんなことはありませんよ? ただ、知っていることしか知らないです」
「それ、普通のことだからな? 特に言い訳になってないからな?」
そう言いつつも、想定しているよりも知られている気がして落ち着かないトールだった。
「つまり、隠し事があるのは認めるのだな?」
「認めるというか、まあ、ルーンで似たようなことはできるなぁって」
ぱっと思いつくだけでも、地面を耕しやすくする《軟化》。植物の育成を早める《生長》。それに、害虫を寄せ付けなくなる《殺虫》あたりだろうか。
ついでに、自動で耕す機能や雑草が生えなくする工夫を追加するのもいいだろう。
「なんだ。そんなことか」
トールが空気を読んで言わなかった話を聞いても、アルフィエルが気を悪くした様子はない。
「ご主人がすごいのは、当然の話だからな」
「それで納得しちゃうのかよ」
「うむ。むしろ、できないと言われたほうがびっくりする」
「確かに……」
その絶大な信頼感は、どこから来ているのか。
過大評価に肩をすくめつつ、トールは話題を変える。
「で、畑ってなにを作るんだ? やっぱ、薬草園が欲しいとか?」
「それもあるが、メインはもちろん、ご主人とトゥイリンドウェン姫に美味しい野菜を食べて欲しいからだ」
「クラテール便だと、どうしても、もぎたてというわけにはいかないですもんね」
同居が確定したからか、王都からの食料品輸送の欠点も直視できるようになったリンがそこにいた。
成長と言えるのかは、判断に苦しむところだが……。
「別に、そこまで新鮮さにこだわる必要はないと思うんだが……」
「そう。自分は気付いたのだ」
豊穣の鍬を持ったまま、トールを糾弾するかのように、アルフィエルは距離を詰めた。
「ご主人、野菜があまり好きではないな?」
「人間は、本質的に生野菜が好きじゃないんだ」
偉大な美食家の言葉を借り、トールは即座に反論した。堂々として、悪びれた様子は微塵もない。いっそ、清々しいほどに。
「だ、ダメですよ。トールさん。そんな野菜を食べないと大きくなれませんよ」
「俺の成長期はとっくに終わってるんだが」
「それに、野菜を食べないと病気になったり、長生きできなかったり……。あうばあっ、と、トールさんが死ぬ? 野菜を食べないと死ぬ? 死んじゃいます!? ど、どどどっどどっど、どうしたら? 私も一緒に死ねば!?」
「野菜原理主義過ぎるだろ、エルフ」
逆よりはいいのだが、それを人間に当てはめられても困る。
「ご主人」
土下座しつつ右往左往するリンからトールへ視線を移し、アルフィエルはさらに一歩詰め寄った。
背後は、乱雑に荷物が詰め込まれた棚。
メイドからは、逃げられない。
「食べてくれるな、自分が作った野菜を」
「アルフィエルが作ったかどうかは、べ、別に、今までだって食べてないわけじゃ……」
それは確かに事実だったが、悪い夢を見て目覚めた直後のようなリンの前では、あまりにも説得力に欠けていた。
「食べてくれるな?」
「あ、はい」
そんな腰の引けた状態で、アルフィエルの押しに抗うことなど、できるはずもなかった。
今回のサブタイトルは、海原雄山の中でも屈指の名言だと思うんだ。




