第十三話 私が、最初の読者さんになります!
「うん。だよな。そうだよな」
アルフィエルのストレートで的を射た問いに、トールは何度も何度もうなずいた。
別に、マンガを普及させたいとか、そういう使命感があるわけではない。
生活の糧にしなければならないわけでもない。
では、なぜ描くのか。
好きだから。
趣味だ。
好きだから描く、趣味なのだ。
「俺が、好きに描いていいんだよな」
トールにも、もちろん承認欲求はあるので、多くの人に読んでもらいたい。
そして、評価されたい。褒められたい。
できれば、余裕でさらりと描いて、それがすごいすごいとちやほやされるのがベストだ。
だからといって、定かではない大きな想定読者向けに描いても意味はない。コンセプトがとっちらかって、どっちつかずになるだけ。
「それから、あくまでも自分の印象だが、最初から成功させたいと意気込みすぎという気がしたぞ」
「……あるかも」
もちろん、失敗作を描きたいわけではない。それでも、気負いがあったのは否定できない。
プロの漫画家が描き、プロの編集者が認めた作品だって、10週で打ち切られたりするのだ。成功するに越したことはないが、最初から成功しなければならないわけではないし、できるかどうかも分からない。
「編集会議を通るまで、何十本もネームを描いたりするって言うしな……」
「希望としては、毎日根を詰めて描くよりは、周辺を散歩したり他のこともしながら、進めていくのがいいと思う。自分のお世話を受けながらな」
「文豪かなにかかよ」
苦笑を浮かべながらも、せっかく時間ができたんだから描かなければ……という焦燥感や義務感のようなものが溶けていくのを感じていた。
「まあ、最初は4コマみたいなのからでもいいかな……。描いたことないけどな」
一方、リンはいつの間にか土下座していた。
「うう……。今回、私、役立たずですね。いえ、これでは私がなにかに役立つ存在であることが前提!? なんという、思い上がり! やはり、お金か地位でどうにかすべきだったのに、調子に乗った私が悪いんです。ああっ、トールさんのことならなんでも分かると思っていた不遜にして自信過剰な罪深い私という存在っ!?」
「え? リン、俺のことなんでも分かると思ってたのかよ」
「違う、ご主人。そこじゃないぞ」
「ああ、分かっている」
アドバイスができなかったと嘆くリンへと膝立ちのまま近づき、トールは、そっと頭を上げさせる。
「トールさん……」
「あー、なんだ。聞いてくれただけで、充分だから。こっちこそ、わけの分かんない話しちゃって、ごめんな」
「え? トールさん。こんな私に対して、生きてるだけでそれでいいって赦しを与えてくれるなんてっ。なんて、お優しいっっ。神、神ですか!?」
「そう解釈しちゃうかー。というか、リンがいてくれないと寂しいのは確かだけど。あと、神じゃない」
「トールさん!?」
きらきらと目を輝かせ、リンは土下座の姿勢から立ち上がった。身体能力の高さを示す、流麗な身のこなし。
「良かったな、トゥイリンドウェン姫……」
なぜか、感極まったアルフィエルが目元を抑えていた。
カオスだった。
同時に、いつも通りでもあった。
「とりあえず、リンの土下座のバッステを解除できただけ良しとするか」
マンガと同じく、一気に成果を求めてはならないのだ。
「それで、ご主人。迷いは晴れたということでいいのだろうか」
「ああ。でも、完全に自分のために……っていうのも、張り合いがないよな」
できる範囲でできることをやる。
そう決めたトールだったが、自分のためだけではモチベーションが続かないことも分かっていた。
腕を組み、目をつぶって考える。
完全な自由は、単に無秩序なだけ。やはり、なんらかの指針は必要だ……。
「ん?」
視線を感じて、ふと顔を上げると……。
「ご主人、ご主人」
「トールさん、トールさん」
なにかに期待するかのように、ぴこぴこと耳を動かしていた。
枝と蔦のソファに座ったダブルエルフが、そろって。
「ああ、そうか」
白と黒のエルフを目にし、トールはぽんっと手を叩いた。
エルフの末姫とダークエルフのメイドが、希望と期待に瞳を輝かす。
「ウルをひれ伏せさせるようなマンガを描こう」
「ウルヒア兄さまを……」
「ひれ伏させる……?」
なぜそこでウルヒアがと、怒りや驚きを通り越して不思議そうにする二人の様子に、トールは気付かない。
目を細め、口元を歪めて苦々しく言う。
「よくよく考えたら、最初に越えるべき壁はアイツだった。ふふふ……。最初の作品を酷評された恨みは忘れないぜ」
「いえ、あれは。かなり気に入っていたと思いますが……。ウルヒア兄さまは、論評の価値なしと判断したら、時間の無駄だって完全に無視しますから」
「ほう。トゥイリンドウェン姫はウルヒア王子のことをよく理解しているのだな」
「17年も兄妹やってますから!」
「兄妹の絆は素晴らしいな……ん?」
うなずきかけて、アルフィエルは固まった。
「17年? つまり、トゥイリンドウェン姫は17歳なのか?」
「はい」
「実は、リンって俺よりも年下なんだよなぁ」
エルフの寿命は数百年から千年程度とされているが、肉体的には15~18歳程度で成人する。17歳のリンは、肉体面では大人だとして学校に通っていた時期もあったが、実のところエルフ社会的には赤子同然だ。
エルフの王宮が、妙にリンに甘い理由が分かったような気がするアルフィエルだった。
「そうなると、85歳の自分が、一番年上だったのか。いや、年上なのは最初から分かっていたが……」
「85……。まあ、エルフなんだし、そんなもんなんだろうけど」
妙にリアルな数字だった。
それならいっそ、ウルヒアのように200歳越えのほうがファンタジーっぽくて受け入れやすい。
そんなことを考えていたトールの目の前で、リンが唐突に立ち上がった。
「はっ、そうです。トールさん! 私が、最初の読者さんになります!」
「リンが?」
「私が! 最初の読者さん、です!」
「落ち着け。情報量がまったく増えてないぞ」
「はい! こう、甘いものを食べてぐぐっと集中すると、ウルヒア兄さまが言いたいことをトレースできたりしますから」
「いきなり、変な特技が生えてきたな」
理論派のウルヒアと、感覚派のリン。
正反対だが、案外近いのかもしれない。
「それに、私でも理解できるマンガなら、それはきっとみんなにも通じるはずです」
「なるほど……? いや、納得していいのか、そこ」
「ご主人、自分よりは適任だとは思うぞ。山奥育ちで、友人もいない自分に比べたらな」
「それ引っ張るのかよ」
正直、どうなのかと思わなくもないが、有は無に勝る。最悪、参考にならなければ反映させなければいいだけの話。
最終的な判断は、トール自身が行わなければならないことなのだから。
「というわけで、進み具合を確認するためにお伺いしますね。毎日」
「あ、大義名分ができてる」
土下座と同じように、いつの間にか隠れ家を訪れる理由が生まれていた。
一番得をしたのは、リンなのかもしれなかった。
次回から、編集姫リンになり……ません。




