第九話 うちの国で食べ過ぎて絶滅寸前になってな
「トールさん、お待たせしました!」
「どうだ、ご主人。味だけでなく、見た目にもこだわったぞ」
「頑張りました!」
木製の大皿に盛られた、おにぎり。どうやら、具は二種類のようだ。ひとつは具が中に隠されているが、もうひとつは炒り卵が混ぜられているのが見て分かった。
具とは別に、誰が握ったのかも一目で分かる。
アルフィエルが握ったであろうそれは綺麗な三角になっているが、リンお手製のおにぎりは小さく形もやや歪んでいた。
だが、些細なことだ。問題ですらない。
「おお、すげーじゃん。初めてなのに、やるな、リン」
「えへ。うえへへへ……。真心と愛と勇気と希望を誠心誠意握りました!」
「それちょっと詰め込みすぎだろ。世界でも救うのかよ」
「トゥイリンドウェン姫にとってご主人は世界そのものであるからして、そのご主人が口にするものを作る行為は、それこそ救世につながるのではないか?」
「重てえ……」
ただのおにぎりが、とんでもないことになっている。お友達料(月払い)の話から、なんかとんでもないことになっている気がする。
トールは心を落ち着けるため、リンからのきらきら輝く無邪気な視線を意識の外に追いやりつつ、一緒に運ばれてきたスープから口を付けることにした。
タマネギっぽい野菜やキノコ、それにまた狩りをしてきたのか。鶏肉も入っている、かなり具だくさんのスープだった。
見るからに、食欲をそそる。
「あ、これ……」
一口目で、トールは予想外だったとトールは顔を上げた。
和風の味付けに驚いて張本人を見れば、アルフィエルがしてやったりと笑っている。
昆布とかつお節の出汁の取り方も、もう、言うことはない。味付けはしょうゆだろう。お吸い物に近いような気がするが、実際口にするとスープとしか言えない。
「優しい味だな」
「気に入ってくれてなによりだ」
毎朝どころか、毎食工夫を凝らしてくれるアルフィエルには感謝しかない。
「ところで、そろそろおにぎりを食べてくれないとトゥイリンドウェン姫がひっくり返ってしまうぞ」
「いえ、私のことはお気になさらず」
しかし、テーブルの縁を掴んだままトールの一挙手一投足に目をこらしているリンは……正直、食べにくいにもほどがある。
「そうだな。じゃあ、これから」
トールは、一目でリンのものと分かるおにぎりを手にし――
「あう、あわわ。や、やっぱり!」
「覚悟を決めるのだ、トゥイリンドウェン姫」
――なにを食べさせられようとしているのか疑問に思いつつも、一口で全部口に入れた。
ちょっと固かったり、しょっぱかったりしたが、特に問題はない。具の昆布も、ちょっと濃いめで良い塩梅だった。
「美味しいぞ、リン」
「よ、よかったです……」
へなへなと、リンが椅子の上で崩れ落ちる。どれだけ緊張していたのかとツッコみたくなるが、微笑ましいので黙っておく。
口にしたのは、別のこと。
「これ、出汁を取った昆布か」
「うむ。捨てるのはもったいないので、しょうゆで煮てみたのだ。ご主人のおにぎりメモにも記載されていたからな」
「沼のスライムが喜んで食べただろうに」
「ご主人に喜んでもらうのが第一だ」
「んぐっ」
そうストレートに言われると、トールでなくても照れてしまう。ごまかすようにスープで胸のつかえを取ってから、もう一種類のおにぎりに手を伸ばした。
「そして、こっちはおかかだな」
今度はアルフィエル作のおにぎりを口にし、トールは深々とうなずいた。
やはり、出汁を取ったかつお節を使ったのだろう。しっかり味付けされたおかかは、日本人の本能に訴えかけるものがあった。
さらに、ほんのりと甘い炒り卵が、おにぎりをランクアップさせている。
「たった二日でこれかよ。アルフィは料理の天才だな」
「ですです。美味しいですよ、アルフィエルさん」
ぱくぱくぱくとおにぎりを食べていたリンも、心の底から賛同する。
そう賛辞を呈されたアルフィエルは、おもむろに立ち上がり、台所へと姿を消した。
照れたからではない。
「ふふふ。前にも言っただろう、褒めても美味しい食事ぐらいしか出てこないと」
朝食としては、これで充分だと思っていたが、違った。
「そして、これが美味しいもの……メインディッシュだ」
もうひとつの木皿に乗せられ運ばれたのは、昨日作った炊き込みご飯のおにぎりに似ていたが……違った。
「これ、うなぎか」
ひつまぶし風とでも言えばいいだろうか。たれをまぶしたご飯に、細切りにされたウナギの身が混ぜ込まれていた。
「そうだ。外の川にいたので、一匹捕まえてきた」
「へええ……」
思ったよりも遥かに豊かな自然に、トールは驚きを隠せない。もはや、ひつまぶし風のウナギのおにぎりに目が釘付けだ。
「作っているときも思ったんですけど……」
そんなトールと違って、リンのテンションは低めだ。
「うなぎって、ゼリー寄せで食べるヤツですよね?」
「いやいや、アルフィみたいに蒲焼っぽくするのが正解だよ。というか、前の客人は、蒲焼きとか伝えなかったのかよ」
となると、アルフィエルは自力で作り出したことになる。
恐らく、醤油やみりんという新しい調味料を研究してたどり着いたのだろうが、この選択には感謝してもしたりない。
トールがリンだったら、この時点で土下座だ。
「なに、煮卵の存在は教えられていたし、たれを塗って焼くのは難しいことではない」
「あとで、俺が知る蒲焼きの知識を伝えよう。ウナギ以外に、白身の魚とか豚肉も似たように調理できるしな」
「トールさんの食いつきが、過去最高じゃないです?」
リンに言われ、トールは遠い目をした。
「俺の故郷じゃ、ウナギは高くなって、滅多に食べられなくてなぁ」
「なるほどー。高級品だったんですか」
「ああ。昔は庶民にも手が出る値段だったんだが、うちの国で食べ過ぎて絶滅寸前になってな」
「それ、食べ過ぎですよ!?」
「うちの国でということは、ご主人の国だけで喰らい尽くしたと?」
そう言われるととんでもないことに聞こえるが、事実だけにトールとしてはうなずくことしかできない。
今はどうなっているのか。ウナギたちは、日本から逃げ切れただろうか。無理か。
そう思いを馳せながら、ひつまぶし握りへ手を伸ばす。
トールは、少しだけ緊張していた。なにしろ、天然のウナギなど、食べたことはない。
「いや、天然だから美味いってわけじゃないんだろうけど……」
そう言いながら口に運び、たった一口で認識を改めさせられることになる。
「うめぇ……」
香ばしい皮目、ふっくらとした身、そして蕩ける脂。
それがふっくら炊かれた米と、渾然一体となって、快楽すらもたらしてくれる。それでいて、わさびの粉が混ぜ込まれているようで、後味はすっきりしている。
つまり、いくらでも食べられるということだ。
「ご主人、トゥイリンドウェン姫。おかわりもいいぞ」
「これがウナギですか。美味しいです。びっくりです」
しみじみと感動するトールと、むしゃむしゃ食べるリンというコントラストに、アルフィエルの顔は自然とほころぶ。
それでいて、食べ尽くされないようにトールの分を確保しているのは使用人の鏡と言っていいかもしれない。
「これ、わざびもいいけど、山椒にも欲しかったな」
「むっ。それは思いつかなかったが、確かに……」
山椒で通じるらしい。《翻訳》のルーンの有能さに、トールは改めて驚かされる……が、今はウナギだ。
二個目を手にしながら、トールは思い出話を語り始める。ウナギの味が記憶を刺激した結果だ。
「魚のすり身で、ウナギの代用品を作った企業があったんだが」
「ちょっと、想像もつかないですけど……。トールさんの国って、やっぱりたまにおかしいですよね……」
「それを買って食べてみた結論としては、たれの味と山椒の風味があれば、脳が勝手にウナギを食べていると判断することが分かった」
「ご主人、いつの間にか幻覚の話に変わっているぞ……?」
「お魚さんのすり身が、いなくなってますよ!?」
「まあ要するに」
リンに負けない勢いで二個目を食べ終えたトールが言った。
「ウナギうめぇ、ってことだな」
こっちの世界に来ていろいろあったが、天然のウナギを気兼ねなく食べられると思えば悪くない。
マンガの悩みも、一時的に吹き飛んでいた。
安西先生……。美味しいうなぎが食べたい……です……。




