第三話 あとは、トールさんがなんとかしてくれます
「トゥイリンドウェン姫、先ほどは大変申し訳なかった」
トールとフミノが家へと移動する後ろ姿を見守っていたキリク王子が、リンたちへと向き直り深々と頭を下げた。
「だが、正直なところ、十全に理解はしていないと思う。不明は恥じ入るばかりだが、なにが悪かったのか教えてはくれまいか」
「謝罪を要求を通す代価にしては、いけません」
リンは間髪入れず答えた。
「謝罪を、代価に……」
やはり心から納得しているとは言いがたい状態だったが、それでもキリク王子はある程度理解したようだった。
「こちらは譲ったのだから……と迫るのは、脅迫と変わらないということか……」
「リン! なーか、すご!」
真剣に考え込むキリク王子は置き去りに、なんだかよく分からないけどすごいとカヤノが両手を挙げて喝采を送った。
今度は、アルフィエルの膝の上で。
「カヤノちゃん、それほどでもありませんよ。えへへ」
実際のところはかなり微妙なラインではあったが、
「トゥイリンドウェン姫、そろそろ本題に入ってはどうだ?」
「そうですね。トールさんのためにお仕事を進めましょう」
「ラー!」
端から見ると不安しかない光景だったが、そのまま解釈してはならない。
先ほど軽く自己紹介を交わした限りでは、北の超大国アマルセル=ダエアの次期王位継承者と、それに極めて近い立場の存在だという。
キリク王子たちは、野外でも関係なくすっと背筋を伸ばす。もっとも、つまらなさそうに口をとがらせ椅子を前後させている少年だけは例外だったが。
「……ミスト、無礼を働くのであれば帰ってもらうぞ」
「いいよ? なら、フミノのほうに行くもんね」
「いい加減にしろ」
顔に傷のある寡黙な男のげんこつが、ミストと呼ばれた少年の頭へ飛んだ。
「あいたっ」
涙目で頭を抑えるが、抗議はしなかった。ぶつくさ文句は言っても、その辺の分別はあるらしい。
「失礼をした。小官は、ヘルメインと申します。このミストのことは責任を持ちますゆえ、平にご容赦を願いたい」
「せっかく追いかけてきた相手がいなくなってしまったのだから、仕方ないことだと思います」
「ナー! こーも!」
カヤノから子供と言われ……たことまでは分からなかっただろうが、馬鹿にされたことは分かったのだろう。ミストが椅子をがたりとさせた――瞬間、ヘルメインが実力行使で黙らせた。
「ダメですよ、カヤノちゃん。人は本当のことを言われたほうが傷つくんですからね」
「アー!」
「フォローになってないだろ」
ミストのツッコミなど、リンたちには通用しない。
「ふっ。自分たちが、ご主人を射止めるため、どれだけ苦労したかという話だ。一朝一夕でどうにかなるはずもない。絶対にだ」
アルフィエルの若干ずれたフォローで場は収まったが、それはトールたちが不在だったからだろう。
客人たちがいたら、「それって完全にフラグ……」と言っていたに違いないが、現実はそんなことにはならなかった。二重の意味で。
「それでは改めて、あの客人さんと結婚したい理由を教えてもらえますか?」
「彼女の知識は、我が国にとって、いや、民にとって絶対に欠かせぬものとなるからだ」
「それなら、結婚の必要はないのでは?」
「……フミノは地方の教会で保護されたのだが、そこの老司祭から連絡を受けて客人の人となりを確かめに行ったところ――」
「なるほど。そこで、キリク王子とは知らないフミノさんから気安く接してもらってやられたんですね?」
「な、なぜそれを……」
分かりますと、リンは静かにうなずいた。
経験者だ。面構えが違う。
「いや、それだけではないぞ。聖女の魔力でアンデッドのスタンピードを鎮め、私の妹も救われたのだ」
簡単に惚れたわけではないと金髪碧眼の貴公子は言うが、リンやアルフィエルだけでなく、一緒にフミノを追ってきた同志たちからまで生暖かい視線を向けられてしまった。
「僕は、もう少し打算的です」
キリク王子はさて置きと、学士風のローブを着た眼鏡の青年が小さく手を上げてから発言する。
「彼女の知識は素晴らしい。特に数学の見識は何世代も先に進んでいます。僕としては、一番近いところで議論をしたいと思っています」
「ウォレスは、いっつもそればっかりだな」
「教会の聖女認定など、彼女の本質ではないのですよ。誰も気付いていないようですが」
落ち着きのない少年――ミストから言われても、ウォレスの表情は小揺るぎもしない。
「それって、万が一フラれても、『別に本気で好きだったわけじゃなかったし』って自分を慰められるからですよね?」
悪意なしの言葉が、学士風の優男を襲った。
ウォレスの眼鏡がずれ、知性を誇りとする人間とは思えない間の抜けた表情を披露する。
「そういうものなのか、トゥイリンドウェン姫?」
「はい。私もそう思い込もうとした時期がありましたから分かります」
「そうだったのか。出会ってからのことを考えると、とてもそうは思えないのだが……」
「でも、気付いたんです。『あ、ちょっとダメージを減らしても即死だ』って。それ以来、なにがなんでもトールさんと添い遂げようとですね、はい、私のような者では大変ご迷惑なのは重々承知なのですが、精一杯頑張らせていただきました。一生懸命です、文字通り」
「ラー! リン、かーこい!」
賢いとほめられ、リンはてれりこてれりこと照れた。
しかし、言われたほうはたまったものではない。
ずり落ちた眼鏡を直す余裕もなく、ウォレスはできる限りさりげなく話題を変えようとする。
「ま、まあ、とにかく僕としてもフミノと別れるつもりはありません」
「へへっ。だっせー」
ミストがウォレスを煽るが、今回はキリク王子も止めようとはしなかった。
「別に、俺はフミノと子供が欲しいとか、そういうんじゃねえよ」
「そうなんですか?」
「でも、離れるつもりねーし」
愛嬌のある顔に剣呑な表情を浮かべて、ミストは鋭い視線で周囲を見回した。
「教会の暗部になんて戻る気もないし、戻れもしねえ。俺の居場所は、フミノのところにしかないね」
「暗部?」
「このミストは、教会の特殊な部門に属していたのだが、静かに怒り狂ったフミノがそこを解体させてな……」
キリク王子は曖昧な表現を選んだが、ミストは教会に所属する元暗殺者だった。フミノの聖女就任に反対する一派が孤児として送り込んだのだ。
ミスト自身も彼女の分け隔てない優しさを見せつけられ逆に激昂し一度は刃を振るったのだが、キリク王子とヘルメインにより失敗。
自刃して果てようとしたところをフミノの魔法で助けられ、彼女に言われてウォリスが立案した暗部の解体作戦に協力。それ以来、盲目的な忠誠を誓っている。
トールがこの事実を知ったら、「ある意味一番始末が悪い……」と頭を抱えていたかもしれない。
「ところで、その教会というのは、どんな組織ですか?」
「無論、大地と豊穣の女神マルファの教会だが?」
「ああ、そちらでは一柱ずつ信仰や組織が別になっているんですね」
「こちらは、五大神を区別せず祀っているのだ」
「それは興味深い話ですね」
知識欲は相当なものらしいウォレスが、くいっと眼鏡を上げる。中原の人間諸国では、それぞれの神格ごとに神殿も別れているのが主流なのだ。
しかし、シャレーレル王国の国教にして守護神と定める女神マルファの眷属が、目の前のカヤノであることには気付きようがなかった。
「聖女様には救われた、命と名誉と大事なものを」
話が一段落したタイミングで、顔に傷のあるヘルメインがイメージ通りの落ち着いた表情と声で言った。
「小官に残っているのは命だけだ。ゆえに、恩は命で返さねばならない」
武人の誓いのように見えるが、内容はミストと大差なかった。妥協しているようで、まったく引いていない。
「つまり、政治的にも心情的にも彼女は手放せないということか……」
聞く前から分かっていたことと言えばそうだが、これでは妥協点が全くない。
どうしたものかと、アルフィエルは腕を組む……が。
「お話は分かりました。あとは、トールさんがなんとかしてくれます」
「ラー! ぱー! おまかしぇる!」
トールに任せる……というよりも、丸投げだ。
「そうだな。ご主人だものな」
しかし、アルフィエルにもまったく異論はない。
トールは「期待が重たすぎる」と言うだろうが、彼の配偶者と娘にとっては、ごくごく自然で当たり前の結論だった。
作者も驚いているんですが、リンがまだ土下座してません。