第十六話 受け取って、もらえるかな
「トゥイリンドウェン姫……。夢を……夢を見ていた……」
覚醒と微睡みの中間。
最も幸せな状態で、最高だったと語るアルフィエル。
「素敵な夢だったよ……」
「現実! 現実なんですよ、アルフィエルさん!」
「ははははは。まったく、夢はもう終わったのだぞ」
椅子で作った即席ベッドから身を起こし、黒いドレスを身にまとったアルフィエルが、いたずらをたしなめるように笑った。
カラノルウェンの影響を受けたかのような、大らかな笑い。
「あまり冗談を言うものではないぞ、トゥイリンドウェン姫」
素晴らしい夢を見たせいで緩んでいた表情をきりりと引き締め、真剣な視線をリンへ向けるアルフィエル。
「夢じゃないですから! これって、私のときにもう、やってるやり取りですよね!?」
「あれが夢でなかったら、とんでもない大事になってしまうではないか」
「だから、大変なことになっているんですよ!」
ドレスのまま両手両足を振り乱し、どうにかアルフィエルに現実を理解してもらおうとするリンだった……が。
「わ、私には不可能です……」
あまりにも無理難題過ぎて、早々に挫けてしまった。
人間にもエルフにも向き不向きというものがある。致し方ない……では、済まない。
アルフィエルがこのままでは、いろいろな意味で問題だ。特に、リンへの的確なフォローがないという意味で。
なんとかしなければと、リンは不屈の闘志で立ち上がった。
「本当に、トールさんが、わ、わた、私たちに結婚を申し込むって宣言したんですよ!」
「……む? どうして、トゥイリンドウェン姫が自分の夢の内容を知っているのだ?」
「現実だったからですよ!」
リンにしては理論的な返しだったが、残念ながらアルフィエルには感銘を与えなかったようだ。
「寝言でも言っていたのか? 第一、ご主人の姿も見えないぞ」
「トールさんなら、やることがあるって出て行ったんですよ! ……そうだっ。ノームさんたちを見てください!」
リンが一歩横に移動すると、その向こうに円陣を組むノームたちの姿がアルフィエルの視界に入ってきた。
心なしか、白い煙にも似たオーラのようなものが立ち上っている。
「このままだと、どれすがう゛ぇーるにくらいまけするのです」
「それはぜったいそしなのです」
「のーむのほこりにかけて」
「えい!」
「えい!」
「おー!」
「えい!」
「えい!」
「おー!」
と、気合いを入れるノームたち。
可愛らしく、微笑ましい光景。
「……なるほど」
ようやく事態を飲み込んだアルフィエルが、腕を組み何度もうなずく。
「目が覚めたら、やっぱり夢の続きだったというパターンだな」
「そんなパターンはありませんよ!」
「だって、自分たちが攻め落とすならともかく、ご主人から打って出るなどありえるはずがないではないか」
「だって、て……」
アルフィエルらしからぬ言葉と態度に、リンは再び絶望しかける。
だが、諦めたら終わりだ。ここが、運命の分かれ道。
このままでは、この先リン一人でどうにかできる気がしない。
もっとも、なにかしなければならないことも特にないはずなのだが。
「しっかりしてください、アルフィエルさん! 本番は、まだこれからなんですよ!」
「そうだな。結婚式イベントの本番は、これからだな」
「それがイベントじゃなくなるっていう話をしているんですよ!」
「そこまで言うのであれば、本当……なのか?」
リンの訴えで、なんとかアルフィエルを半信半疑まで持って行くことができた。
しかし、それ以上には至らない。
プロポーズ予告という実質的なプロポーズを行ってから、トールはリンやアルフィエルとまともに顔を合わせなかったのだ。
オリハルコンを繊維化するのは、トールにとっても困難な事業だったらしい。
そのため、ダブルエルフは悶々としながら結婚式の準備を続けることになる。
そして、四日後。
トールに呼び出され、リンとアルフィエルは結婚式の会場となる礼拝堂を訪れた。
豪快な笑顔のカラノルウェンに見送られ、ノームも誰も付いてこない。
「来てくれてありがとう」
トールと、三人だけだ。
「なんとかできあがったから、試着して欲しくてさ。まあ、時間がかかったのは、他のこともやってたからなんだけど」
紙の箱からトールが取り出したのは、繊細で、雲のように柔らかなヴェール。思わず、はっと息を飲むような美しさ。
もちろん、二人分ある。
二人分、だけだ。
「本当に……夢ではなかったのだな……」
「ですね……」
リンまで懐疑派になっていて、トールは思わず苦笑する。
ただし、目はどこまでも優しい。
「受け取って、もらえるかな」
「も、もちろんだ」
「は、はい!」
二人とも緊張の面持ちで。
それでも、はっきりと意思表示をした。
してくれた。
「ありがとう」
トールは後ろに回り、オリハルコンで作ったヴェールを順番につけていく。
「良かった。似合ってる」
光で透ける様は、オリハルコンと知らずとも、神々しさを感じずにはいられない。悪魔など、裸足で逃げ出すはずだ。
「うん。綺麗だ」
それよりもなによりも。
まだウェディングドレスを身につけていないにもかかわらず、二人はこの上なく花嫁だった。
思わず、絵にしたくなるほどに。
だが、今はそれよりもやるべきことがある。
「アルフィ」
「ひゃい!」
噛んだ。思いっきり。
「……やり直させてくれ」
これはあんまりだと、アルフィエルは両手で顔を覆った。ヴェールが、優しく波打つ。
その優雅さとは対照的に、まるで余裕がない。
「アルフィ」
「…………」
やり直したが、言葉にはせず。力強くうなずくことで答えた。
「リン」
「…………」
リンも、それに倣った。
「いろいろと言うべきことも、言いたいこともあるけど……。そこはまたの機会にして」
「ありがとうございます、トールさん! 助かります!」
「う、うん。やっぱりか……」
元気よく答えているように見えるが、実のところいっぱいいっぱい。足は生まれたての小鹿のように震え、笑顔も引きつっていた。
「ああ。心臓がばくばく言って、喉もカラカラに乾いている」
緊張度合いでは、アルフィエルも変わらない。
もちろん、トールも緊張している。足の裏の感覚がなく、真っ直ぐに立っているのか自信がない。
だから、ストレートに気持ちを伝えることにした。
「好きだよ。ずっと一緒に、家庭を作っていこう」
「……はい!」
「……喜んで」
礼拝堂に、三つの笑顔の花が咲いた。
――そのとき。
「ラー!」
「カヤノ!?」
見上げると、緑色の少女がトール目がけて落下していた。
「トールさん!?」
リンがヴェールを着けたまま地面を蹴り、空中でカヤノをキャッチ。
そのまま、危なげなく着地した。
「カヤノ……」
驚きと安心と。
そして、久々に愛娘に出会えた喜びが、トールの胸に去来する。
だが、それに浸っているわけにもいかない。
「神サマは、もうちょっと待ったほうがいいって言ったんだよ?」
なぜなら、いつの間にかトールの背後にエイルフィード神が出現したから。
余りにも唐突だが、それに驚くほどトールも柔ではない。
聞くべきことは、聞かなければ。
「でも、エイルさん。のぞきはしてたんだね?」
「まあね。だって、ここはカヤノちゃんが絵日記に描かなくちゃいけない場面でしょ?」
むしろ当然だと、エイルフィード神は真面目にうなずいた。
「……まったく」
余韻に浸ることはできなかったが、いつも通りでなんだか安心する。
素直な気持ちに気付いたトールは、心からの笑みを浮かべていた。
もうちょっとだけ続くんじゃ。