第三話 ならば、妻だろうか?
「ご主人にとって、自分は一体なんなのだろうか?」
風が、さあっと馬車の中に入ってくる。
さわやかな風が、アルフィエルの白い髪を踊らせた。
「……そんなことを考えていたら、気もそぞろになってしまってな。すまない」
アルフィエルは頭を下げると、踵を返して馬車を出て行こうとする。片方だけ着けたイヤリングが踊った。
「アルフィ」
気付いたら、トールはアルフィエルの腕を掴んでいた。後先考えず、ただ、このまま行かせてはならないと感じた衝動的な行動。
「ご主人……?」
「ああ、いや……。なんというか……」
体が勝手に動いたので、かけるべき言葉など用意していない。
それでも、アルフィエルの手は離さない。
「ちょっと考えるから待ってくれ」
「今、とてつもない不安な気持ちになったのだが!?」
気持ちは分かる。
分かるが、ノイズとして無視させてもらう。
実際、とてつもない難問だ。
アルフィエルは、トール。遠野冬流にとって、どんな存在なのか。
カヤノなら、娘だと即答できる。
エイルフィード神は近所のはた迷惑なお姉さんと表現していい。百歩譲って。
しかし、リンと同じくアルフィエルは一言で簡単には言い表すことができなかった。
「もちろん、アルフィは俺のメイド――」
「うんうん、やはり……」
「――と答えられれば、簡単だったんだけど」
「違うのかっ!?」
ショックを受けて、アルフィエルがらしくない大声をあげた。一緒に床板を踏んだことで、馬車が揺れる。
「まあ、確かにメイドと言えばメイドなんだけど……」
トールがデザインした、クラシカルなメイド服を身につけている。
家事全般、完璧にこなしてくれている。
トールのことを、しっかり主人として立ててくれている。
これでメイドでなければ、なにがメイドなのか。
それは確かにそうなのだが……。
「自分に足りないところがあったら言ってくれ。早急に改善する」
「そういうことじゃなくて……」
アルフィエルに不足などない。足りない部分があるとしたら、それはトールに起因する問題だ。
彼女との関係をはっきりと口にできず不安を与えてしまったのも。
原因は分からないが、トールが引き起こした屈託であるならば、責任を持ってどうにかするしかない。
「あれだ、もう、メイド以上というか……」
それは間違いない。
では、それを言葉にすれば――
「――家族、かな?」
「家族……」
アルフィエルにとって家族とは神聖で、空に浮かぶ星のようなもの。光輝くけれど、決して手は届かない。
それが、突然、目の前に出現した。
「まあ、カヤノからはパパとママって呼ばれてるから今さらかもしれないけど」
「そんなことは……そんなことはない……」
そう呼ばれて心躍る物がなかったと言えば嘘になるが、便宜上のものだとわきまえてもいた。
だから、トールに認められると重みが違う。
「そうか。自分たちは家族か」
カヤノは娘で、リンは……同志だろうか? いや、家族というくくりならば、畏れ多いことだが、妹だ。
例えるなら、リンは正妻の娘で、アルフィエルは妾の娘。表立って妹として接することはできないが、影ながら支えるのだ。
これだ。今度、トールにマンガにしてもらおう。
「メイドさんは家族同然かもしれないけど、家族じゃないからな。だから即答できなかったんだと思う」
「ご主人、家族にもいろいろあると思うが?」
アルフィエルは、さらに一歩踏み込んできた。
「ええ……?」
踏み込まれた分、トールは引いた。
そこまで食いつかれるとは、思ってもいなかったのだ。元々、なにかの展開や着地点を想定した言葉ではないので、当然と言えば当然なのだが。
「自分は、母親なのだろうか?」
「カヤノにとってはそうかもしれないけど……」
アルフィエルが年上だというのは重々承知しているが、同年代にしか見えない美貌のダークエルフを母親と呼ぶほど業は高くないつもりだ。
「では、姉か妹だろうか?」
「妹ではないよな。姉も……って、はっ!?」
誘導されている。袋小路へ。
そしてその行き止まりには……。
「ならば、妻だろうか?」
「あ、うん……」
アルフィエルは自身で口にしておきながら、体の前で指を組んで恥ずかしそうにしていた。
もう、それでいいかな……と、トールの知能が低下する。実際、ここで否定する理由は、天と地の間を探してもどこにも無いように思えた。
リンだって、カヤノだって祝福してくれるだろう。エイルフィード神だって、言うまでもない。
ウルヒアは渋い顔をするかも知れないが、結局は祝福してくれるはず。祝福という意味では、沼のグリーンスライムからも、なにかお祝いが……。
「はっ!? 危ないところだった……」
トールを正気に戻したのは、グリーンスライムが感知しているかもしれないと気付いたから。その意味では、エイルフィード神だってニヤニヤしているかもしれない
「むむむ。後一押しだったのに……」
「まあ、今は家族ってことで納得して欲しい」
「そうだな。一歩だが、確実な前進だ。それに、自分としたことが焦ってしまっていたようだ。まずは、トゥイリンドウェン姫が先なのにな」
「それは別に決まってるわけじゃないからね?」
ほぼ観念しつつも、既成事実には抗いたいトールだった。
「ところで、一体どうしてこうなったんだっけ?」
「それは、もういいのではないか?」
「この際だから、はっきりさせたいんだけど」
トールの懇願と哀願の中間ぐらいのお願いに、アルフィエルは簡単に折れた。
「まあ、今となっては大したことではないのだが」
「そうでないと困る」
ほぼプロポーズより重大な問題がないのは、自明の理だろう。
「今回、エイル様にご主人がなんでもする券を渡したらしいではないか」
「ある程度な」
「そして、トゥイリンドウェン姫にも同じことを言ったと聞いてな」
「あー」
それでトールは察した。
仲間外れにしたわけではないのだが、そう感じてしまったということらしい。
悪いとは思いつつも、トールとしては別の言い分がある。
「そもそも、気軽に発行するもんじゃないんだけど」
「でも、ずるいではないか……」
アルフィエルにも、立場というものがある。おいそれと、要求できるようなものではない。
だから、トールになにかしてもらいたいと言うよりは、自分だけが仲間外れにされたようで拗ねたということだろうか。
その代わりが、実質的なプロポーズ。
これなら、なにか知っているようだったリンを追及したほうが良かったかもしれない……と思いを巡らせていたトールは、唐突に頭を振った。
「いや……」
アルフィエルになんでもする券を渡したら、その瞬間にピンクに染まる可能性が高い。というよりも、受ける受けないは別にして狙ってくるだろう。
「……結果オーライか」
ある意味、命拾いしたのかもしれなかった。
作者も驚く速さで、トールくんの投了です。
おかしいな。認めるにしても、もっと最後の最後でという予定だったのに……。