間章 自分だけ? 自分だけか?
久々のトールくんが出てこない間章です。
「いやー。やっぱり、我が家が一番だねぇ」
ヴァランティーヌ神が天上へと帰還した直後。
地上に残ったエイルフィード神は居間のテーブルに陣取って、トールから激しいツッコミを入れられそうな台詞を口にした。
しかし、家主である刻印術師の姿はない。
諸々に関してリンとアルフィエルから追及を受けるところ、多少は恩を感じるところがあったのか。エイルフィード神が、自室へと直行させたのだ。カヤノも、トールから渡された新しい日記帳を抱えて一緒について行った。
王都から連れて来たニワトリたちは、グリフォンが自主的に引き取っていった。もちろん、餌にするわけではなく先輩として指導するつもりだろう。
つまり、この場には妙齢の女性しかいないということになる。
「食事がまだなら、用意します……するが?」
「それも魅力的だけど……」
だらしなくテーブルに肘をついていたエイルフィード神は、唇に手を当てるような仕草をして蠱惑的に微笑んだ。
「それよりも、神サマに聞きたいことがあるんでしょう?」
「そそそそそそ、そんな畏れ多いことです」
素早く後退りながら土下座するリンだったが、顔だけはしっかり上げており好奇心は隠しきれない。
トールと二人きりで王都に行って、なにがあったのか。
気にならないと言えば嘘になる……というか、気になって仕方がなかった。
「でも、教えて頂けるというのに聞かないというのは、逆に失礼に当たりますよね!?」
「ふふっふ。神サマとトールくんになにがあったか、超気になるって感じだね」
「いやまあ、言うほどのことはないとは思うのだが」
「アルフィちゃん、冷静!?」
「しかし、ご主人は、こう。いろいろと脇が甘いところがあるだろう? いろいろと」
「分かります!」
土下座から超高速で復帰したリンが、飛び上がりながら残像ができるほど首を縦に振った。
「トールさんは自己評価が低すぎて、ご自分のやったことの意味を客観的に把握されていない傾向があって心配になるんです!」
「自己評価に関しては、ご主人もトゥイリンドウェン姫に言われたくはないと思うが……」
若干素に戻ったアルフィエルだったが、共通の認識を持つ者として、やはり言わずにはいられない。
「自己評価の話にも通じるが、相手が誰だろうと気にせず、ご主人は自身ができることをやってしまうからな。それ自体は素晴らしいことだが、された相手がどう思うかという視点に欠けているのだ」
ただし、言っている内容はほぼ同一だった。
「でも、二人ともそういうところにほだされたんでしょ?」
「…………」
「…………」
ダブルエルフは、揃ってあらぬ方を向いて口笛を吹いていた。いや、リンは吹けていなかった。
「それはそれ」
「これはこれとしてですよ!」
「仲いいねぇ」
そんな二人を、慈愛に満ちた表情で見つめるエイルフィード神。まるで、飼っている犬と猫を愛でるように。
「でも、トールくんの鈍感アタックもさすがに神サマには通用しないんじゃないかなぁ」
「ヴァランティーヌ神の解釈が、まあ、あれなのは自分も分かっているが……」
「おそ、おそ、畏れ多いですが!」
心配することはないと言われても、やはり、それはそれこれはこれ。気になるものは気になるようだ。
リンとアルフィエルの二人は、なにかを求めるように悠然を通り越して泰然自若とする天空神をじっと見つめる。
「う~ん。どうしようかな……」
しかし、エイルフィード神は、まだ年若いエルフとダークエルフを手玉に取るように、艶然と微笑むだけ。獲物を前にした、肉食獣の雰囲気を醸し出している。
「少し待ってくれ」
業を煮やした……というわけではないだろうが、アルフィエルはそう言い置いて台所へと姿を消した。
「出すのを忘れていた」
……という態で運ばれてきたのは、グラスが結露するほどキンキンに冷やされた琥珀色の液体。
――ビールだった。
自然と、エイルフィード神の顔がほころぶ。ヴァランティーヌ神のお説教など、まったく気にした様子もない。
「はっ」
リンが弾かれたように、容量拡張されたポーチから油紙に包まれた塊を取り出した。
干し肉。いわゆるビーフジャーキーだった。
それを手刀ですぱっと切り分け、エイルフィード神に捧げる。
もちろん、ただの干し肉ではない。
エルフの宮廷に出入りの商人が誇りをかけた至高の逸品だ。まさか、神の口に入る機会があるとは想像もしていないだろうが、それでも自信を持って送り出したことだろう。
「催促したみたいで、悪いねぇ」
「どうぞお収めください」
ははぁと土下座して、リンが神へ供物を献上した。
一切の誇張がないところが、なんとも言えなかった。なにか言うべきトールは、幸か不幸かこの場にいない。
「じゃあ、遠慮なくいただきまーす」
無造作にグラスを掴み、その勢いで一気に傾ける。ごくりごくりと喉が鳴り、それに合わせてビールが加速度的に減っていく。
途中でグラスから口を離し、無言でジャーキーを咀嚼。
そして、残ったビールを一気に飲み干した。
「ぷはぁっ。この一杯のために生きてるね」
口を拭い、息を吐き出す。
トールがいないので、わりとやりたい放題だ。
「おまけに、舌も滑らかになって口も緩んじゃう」
「じゃあ……」
「まあ、こんな賄賂がなくてもちゃんと話するつもりだったけどね」
エイルフィード神は名残惜しそうにグラスを眺めながら、信憑性の欠片も感じられない言葉を口にした。
「では、これはおもてなしということで」
「ふふふ。最高だね、OMOTENASHI」
残ったビーフジャーキーを、タバコやストローのようにくわえるエイルフィード神。
「今、おかわりを」
催促したわけではないが、以心伝心でアルフィエルが二杯目を注いで戻って来る。素晴らしいと言わんばかりに、天空神は手を叩いた。
「ランちゃんにも、こうしておもてなししてくれたんだね?」
「あう……」
ヴァランティーヌ神の来訪。
誇らしくも緊張感に溢れていた半日を思い出して、リンは意識を飛ばしかけた。
それほどまでに、リンの精神へ負荷がかかっていたようだ。
「それよりも、エイル様」
「分かってるって」
先ほどとまったく同じペースでビールとつまみをやっつけてから、エイルフィード神はようやく本題に入る。
「きっかけは、トールくんが今回のお礼をしたいって言い出したことかな」
「ご主人らしいといえば、らしいのだが……」
「トールさぁん……」
ダブルエルフの嘆きは置いて、さらに続ける。
「でも神サマになにをあげていいか分からないってことで、トールくんがなんでも言うことを聞いてくれる券をもらうことになったんだけど」
意図してか否か、『ある程度』の部分は綺麗に除外された。
こうして、過去は歴史となっていくのだろう。
「もう、トールさんは私だけじゃなくて、気軽にそういうこと言うんですから」
「だから、お返しに、神サマがなんでもしてあげる券をプレゼントすることになったんだよ」
「はい。……はい?」
肯定の返事をしつつも、リンはわけが分からなかった。
トールがなんでも言うことを聞いてくれる券を発行したのは、いろいろと思うところもあるが、分かる。
だが、エイルフィード神が代わりに言うことを聞くのは、分からない。
「分からない?」
「はい。皆目見当も……」
「神サマも、話してておかしな話の流れだなって思ったよ」
「えええええーーーー!?」
だから、妹がわざわざ地上に降臨するような事態になるのだ。
と、ツッコミを入れるトールはいない。
もう一人、比較的常識をわきまえているアルフィエルもなにも言わない……のは、おかしな話だ。
「アルフィエルさん? さっきから静かですけど、どうした――」
リンの言葉は途中で止まった。止まらざるを得なかった。
「ちょっと待って欲しい」
トールからの信頼の証を与えられていないのは、自分だけだった。
片手を突き出し、もう片方の手で顔を覆いながらアルフィエルは苦しげにうめいた。
「自分だけ? 自分だけか?」
その表情にタイトルを付けるとしたら……。
絶望。
センスの欠片もないが、それ以外には存在しなかった。
次回から本編最終章となる繰返編となります。
いつも通り、トールくんがアルフィとリンに攻められます。




