第十五話 まあ、家に着けば分かるよ。お楽しみに
「それにしても、なんとかなりそうで良かったねぇ」
「その点に関しては、感謝しています」
家畜を返し、ウルヒアからの土産物を積み替えたトールたちは、馬車を北へと走らせていた。
すでに王都は見えなくなり、忠実なユニコーンたちは休むことなく猛烈なスピードで街道を駆け抜けていく。
なんとなく、ゆっくり走らせるほうがストレスになるような気がして、トールは彼らの意思に任せていた。
「そうじゃなきゃ、トールくんを自由にできる券なんてもらえないしね」
「ある程度自由にね。ある程度だからね?」
「はっはっは」
エイルフィード神は、トールの念押しをあっさりと聞き流す。
当然だ。有名無実化した条件など、ないも同然。
「なに言ってるのさ、トールくんったら」
「普通の注意だけど!?」
激しいツッコミに御者台が揺れる……ことはなかった。膝に乗せていた、日記帳が入った箱も無事。
直前で、ユニコーンが調整したのだ。あまりにも自然すぎてトールも気付かない。無駄に高度な技だった。
「だってさ。トールくんのことだから、命に関わること以外は許すに決まってるじゃない?」
「決まってないよ! 対抗して、エイルさんに言うことを聞かせるチケットを使って無効化するぞ」
「あれ? でも、新しい命を宿すための行為も命に関わることになっちゃう? あれ? あれ?」
「人の話に耳を傾けよう?」
まるっきり無視は、神としていかがなものか。
「あと、ちょっと可愛く戸惑ってるけど、可愛くないから」
「可愛くないのに可愛いとは、一体どういうことなの?」
「仕草は可愛いけど、エイルさんだと思うと可愛くない」
「辛辣ぅ」
相当酷いことを言われているはずだが、エイルフィード神はからからと笑った。そのまま、後方へ笑い声が流れていく。むしろ、喜んでいるまであるだろう。
その証拠に、まったく気にした様子もなく話を変える。
「今思ったんだけど、あのメイドさんにトールくんに命令できるチケットをあげちゃっても良かったかも」
いや、微妙に変わっていなかった。商品の内容は変わっていたが。
「それは絶対に拒否するけど、お礼を受け取ってもらえなかったのは、確かにそうなんだよなぁ……」
完全に業務外の家畜の返却を手伝ってもらった……というよりは、ほとんどやってもらってしまった。
それなのに、お礼のひとつもできなかったのはトールとしても忸怩たるものがある。
手元に現金ぐらいしかなかったのが痛かった。かといって、いきなり彼女の持ち物にルーンを刻印するのもはばかられる。
「今度ウルに言って、ボーナスを弾んでもらわないと」
「どうかなぁ。むしろ、手伝わせていただきありがとうございますって、トールくんの貯金が増えているんじゃない?」
「この世界の人って、ちょっとおかしくない?」
事実上の主神がこんなだから、なのだろうか。
触れてはいけない深淵に遭遇したような気分になり、今度はトールから話題を変える。
「この分なら、夕飯までには間に合いそうだ」
太陽は中天を過ぎているが、まだ高い。
隠れ家までは数時間かかるものの、なんとか沈みきる前に戻れるだろう。
「意外と早く片付いたねえ」
「その点も感謝だな。リンとアルフィエルは俺たちが戻るまで、ご飯食べずに待ってそうだし」
「なんなら、家に着くまで太陽を出しっぱにしてもいいけど?」
「気軽に天変地異を起こそうとするのは止めようか」
しかも、理由がくだらない。
「地球なら、スマホから電話かメッセージをするだけで済むんだけど……って、そうか」
話の途中で、同じことができたことに気付いた。
「……ウルのところで、通信の魔具を使えば良かった」
「あ……」
「そのリアクションはなに?」
「な、なんでもないよ。その可能性は見落としてたなって。おかしいね。神サマなのにね」
「俺的には、神だからおかしいという認識なんだけど」
「またまた、冗談ばっかり」
「そう言えちゃう神経は、まさに神話だな」
地球でも、神様はわりとおかしいのが多い。
主に、ギリシャ方面で。インドも入れていいかもしれない。
「……で、一体なにを隠しているのかな?」
「まあ、家に着けば分かるよ。お楽しみに」
「心配しかない」
トールが不安を吐露するが、答えるつもりはないようだ。
エイルフィード神は、左手で流れる風を握るように動かした。
「行きもやってたけど、その仕草になにか意味が?」
「ん~? 大したことじゃないんだけど」
もう一回、確かめるようにぎゅっぎゅっと握ってから横のトールを見る。
「ワイヴァーンに乗ってるとき手を出すと、風圧がおっぱいの感触になるっていう噂の検証をしてるだけだよ」
「その都市伝説、こっちにもあるの!?」
「でも、やっぱりユニコーンじゃ速度が足りないのかなぁ。正直、よく分からないね」
「ユニコーン、スピード上げないで!」
形だけ握っていた手綱を引いて、必死に制止する。お陰で、膝に乗せていた日記帳の箱がずれ落ちそうになり、これまた必死に抱え込んだ。
なんだろう、この茶番は。本当に下らない。あまりにもあまり。真っ当な信者がいたら、泣き崩れているのではないだろうか。
「というか、それってバカな男子中学生あたりがやることなのでは?」
「えー? じゃあ、トールくんが神サマの揉む?」
「揉まねえよ!」
「なるほど。例の券を使えと?」
「雑なマンガの導入みたいなことヤメテ」
と、道中も退屈することはなく、馬車はトラブルなく進む。
予定通りというか、期待したとおりに日が沈む前に隠れ家に到着した。
「ご主人! エイル様!」
「トールさん! エイル様!」
「…………」
しかし、様子がおかしい。
まるで帰る時間が分かっていたように、厩舎の前で待ち構えていた……のはいいとしても、妙に一生懸命だ。
「あー。やっぱり、そうなんだねえ……」
「あれ? 俺だけ話が分かっていない雰囲気じゃない?」
ただ帰りを待っていたとのは、空気が違う。
リンなど、今にも土下座せんばかりの勢い。
「ただいま」
馬車が完全に止まる前に、トールは日記帳が入った箱を抱えて御者台から飛び下りた。
「ご主人、よく戻ってきてくれた」
「お待ちしていました、トールさん! ああ、トールさんが、トールさんがいない間……ッッ」
「なにがあったんだ?」
カヤノが目を合わせてくれない事実に軽いショックを受けつつ、トールはリンとアルフィエルへ事情を尋ねた。
しかし、まったく要領を得ない。
「トールさん、事件ですよ。大事件です!」
「二回目? いや、三回目なのか?」
「騒がしてすまぬな。星辰の位置が揃うのが、今日この日しかなかったゆえ許して欲しい」
「……は? はい?」
真相が判明したのは、どこからともなく完全武装の女騎士が姿を現したから。
「初めてという気がしませんね、異邦の刻印術師よ。私はヴァランティーヌと言います」
「ヴァランティーヌって……」
同名の人物は、過去現在未来にいくらでもいるだろう。
だが、この場にいるのは一人。否、一柱しかいない。
星と秩序の女神ヴァランティーヌ。
法の守護者であり、戦神の側面も併せ持つ。剣と盾を構え、プレートメイルを身にまとった美女の姿で描かれる英雄神。
公平にして苛烈なる五大神の第五位が降臨していた。
いつの間にか。
「姉に用事があったゆえ、待たせてもらっていました。追いかけるわけにもいかなかったので、平にご容赦を」
「あ、もう、ご自由にどうぞ」
「感謝します」
「ノータイムで神サマ売られちゃった!?」
そもそも、売り物にした憶えはない。その辺の石を持っていっていいか聞かれたようなものだ。
「よし。それはそれ、これはこれだ」
トールは、即座に心に棚を作った。
今やるべきことは、ひとつ。
「カヤノ、ごめん!」
トールは、目を合わせてくれない。だけど、この場から去ろうとともしないカヤノの正面に回って頭を下げた。
「俺と交換日記をしてください!」
「らー?」
そして、日記帳の入った箱を愛娘に差し出した。
最初から読まれていた気がする展開ですが、別神までは分からなかったはず。
というわけで、次回かその次にエイルさん編は終わりです。