第九話 トールくん自身がプレゼントになることだ
「というわけで、トールくんは市場へやって来たのでした」
「状況解説、ありがとうございます」
ユニコーンと馬車を入り口で預け、身軽になったトールとエイルフィード神は市場の喧騒へと飛び込んでいた。
様々な商品を求めてエルフたちが行き交い、かと思えば芸や歌を披露するアーティストの前で足を止めている。
「そうだ。トールくんから、カヤノちゃんに歌をプレゼントとかどうかな?」
「いきなり無茶振りを」
「客人くん世界の歌で、いい感じのがあったりしないの?」
「人に黒歴史作らせようとするのやめよう?」
常設の商店と、月替わりの露店から発せられる呼び込みの声が入り交じる、日常の非日常。そこを、リンでもアルフィエルでもない女性と進んでいく。
数メートル幅のブースが左右にいくつも立ち並び、生鮮食料品や加工品がディスプレイされているのは、いつも通り。
ドリアードの核根やスプリガンの外骨格といった、素材・触媒が並んでいるのも。
「うんうん。人々の日々の営みという感じだねぇ。雑多で、こういうの大好き」
「お忍びで城下に遊びに来たお姫さまかな?」
言ってから、大枠では似たようなものかもしれないと思い直す。スケールはまったく違うので、お姫さまも一緒にされたら困るだろうが。
特に、リンは。
「でも、この辺の食べ物とかはカヤノちゃんどころか、アルフィちゃんにもいまいちかな」
「リンにもな」
「……神サマ、嘘はつけないんだよね」
「腹芸は憶えよう?」
確かに、馬車でも話していたとおりリンならなんでも喜ぶのは間違いない。
ただ、やはり問題がある。
食べずに、そのまま取っておこうとするから。
「お、トールくん。これ、カニだよ。この辺じゃ珍しいね?」
「ああ、ほんとだ……っていうか、でかいな」
海産物を扱う店の前ではしゃぐエイルフィード神の背後から、トールは店先をのぞき込んだ。
カニ。
まだうねうねと足を動かし生きており、しかも、トールが両腕を広げたよりも大きい。モンスターと見紛うばかりのサイズだ。
「茹でて、焼いて、鍋で。コロッケにサラダもいいね」
「まあ、この大きさならなんでもできそうではある」
「北の海から、河便で生きたまま運んで来た特大タルパだよ」
「タルパ? タラバガニのパチモンかな?」
もちろん、こちらからすればタラバガニのほうがまがい物ということになるのだろうが。
脈ありと見たのか。店先にいた中年のエルフが、プッシュしてくる。
「高いけど、その価値はある美味さだよ」
「トールくん、買って帰ろう?」
「荷物になるから、あとで」
「じゃあ、この場で食べて行く!」
それがいけなかった。
「はおわっ、タルパたちが桶を飛び出して、自分から火へ飛び込もうと!?」
「あちゃあ……」
「ごめんなさい。行きますよ!」
自主的に食べられようとするカニを、止めることはできない。というよりは、エイルフィード神がいる限り、彼らは止まらないだろう。
トールにできるのは、天空神を連れてこの場を後にすることだけ。
「いやぁ、失敗失敗」
「予想しておくべきだった……」
人並みを抜けて一息ついたところで、トールは手を離した。
「あれ? 今のって、無意識に手をつないだままで、誰かに指摘されて弾かれたように離れて恥ずかしがるところじゃない?」
「注文が多すぎる」
少なかったとしても応じるとは限らないが、というか、応じないだろうが。
とりあえず、二の舞を演じないよう注意しつつ市場散策を再開する。
「しかし、意外と俺たち目立ってないな……」
「そこはもちろん、神サマがちょっとね」
「助かります。たとえ、他の神様の監視を逃れるためのついでだとしても」
「ふふり。トールくん、神サマのことよく理解しているね」
どう答えてもエイルフィード神を喜ばすだけなので、トールは黙って周囲を見回す。
食料品のゾーンは抜け、この辺りは布や古着が多いようだ。
「そういえば、カヤノちゃんっておしゃれに興味がない娘だよねえ」
「ほんと。せっかく、簡単に着せ替えができるのに、動きにくいのは嫌らしくて」
結局、いつもの白いワンピースに落ち着くのだ。
ただの服ではないようで、特に洗濯をする必要がないのも、その傾向に拍車をかけている。
「リンちゃんもアルフィちゃんもそうだけど、なんというか、あげたら喜んでくれるだろうけど、本当に必要な物ってあんまりなさそうなのが困る。困らない?」
「言われてみると、確かにそんな傾向が……」
「というか、トールくんさえいれば、それで構わない……?」
なんだか怖いことを言って、エイルフィード神が唐突に立ち止まった。
聞きたくない。
続きを聞いたら、酷いことになる。
「あ、思いついちゃった」
「それって……」
確信同然の予感が、逆にトールの足を止めた。
「トールくん自身がプレゼントになることだ」
「今、いろいろと根本的なものが崩れ去ってない!?」
「トールくんがなんでもする券をプレゼントしたら、一番喜びそうだよね。10枚綴りぐらいで」
「多いよ!? リンなんか、まだひとつ目を消費してないし」
師であるレアニルとの勝負が終わったら、リンの言うことを聞くという約束は、現在も大絶賛保留中だ。
「もしくは、トールくんになんでもしていい券とか」
「俺の人権にも配慮して?」
主体が変わるだけで、これほど恐ろしいものになるのか。
トールは、天空神の行いに恐怖した……。
「ぬ。弟子!」
「げっ、師匠!?」
そのとき、人並みを縫って見慣れた小さなエルフが姿を現した。
「まさか、カヤノに嫌われたショックで、師匠なんかの幻覚を見るとは……」
「幻覚ではないわ。なにを言うとるんじゃ、たわけぃ!」
唐突で脈絡のなさすぎる登場に幻覚を疑ったものの、どうやら本物のようだ。その証拠に、エイルフィード神がわくわくと事態を見守っている。
「ええいっ。今はどうでも、ええわ。弟子、今日はどうやって王都に来たんじゃ?」
「あー。ユニコーンの馬車だけど?」
「ちょうど良い。乗せよ」
市場の入り口に止めていると判断したのだろう。トールの返事も待たず、そちらへ駆けだしていく。無駄に勘がいい。
そのレアニルの首根っこを、トールは無造作に掴んだ。
「ゲハァっ」
少女が出してはいけない声で悶える。エイルフィード神も、別の意味で悶えている。
「な、な、な。なにするんじゃワレェーー!」
「だって、師匠。ウルのところで働いてるんだろ?」
どう見ても、脱走。
この時間がないのに、面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。
カヤノと師匠。
どちらを優先するべきかは、火を見るより明らかだった。
まさかの、師匠再登場。
作者もビックリ。




