第七話 俺は脳をやられたから、もうだめだ
「朝か……」
干し草のベッドで、トールはぱちりと目を開いた。すでに見慣れた、森の木々が視界に入ってくる。
眠ったという感覚はあった。それも、ぐっすりと。
同時に、絵日記の夢からエイルフィード神との邂逅も、しっかりと憶えていた。
もちろん、最後に突きつけられた難問もだ。
叶うことなら、このままもう一度眠ってなかったことにしたかったが、目覚めはさわやか。試しに目を閉じてみたが、眠気はやってこない。
「よく眠れたか、ご主人」
諦めて起きよう……と観念したところで、声が聞こえてきた。
すぐ横から。
「……アルフィ?」
そちらを向けば、同じベッドに寝ているアルフィエルの端正で秀麗な相貌がすぐ近くにあった。そうするときめたら、すぐにキスができるぐらいの距離に。
静かな吐息が、寝起きのトールの顔を撫でる。
「そうだ。ご主人のメイドであり、魂の奴隷であるアルフィエルだぞ」
「後ろ半分は初耳なんだけど……って、それどころじゃねえっ」
起きたら、すでに二限が始まる時間だった。
それくらいの慌てようで、トールはがばりと起き上がる。もちろん、一限に授業は入れていない。
「いや、大学は関係ないけど。アルフィ! なんでこっちで寝てるんだよっ」
「……そこに、ご主人がいたから……だな」
「全然、名言になってないからな!? いや、名言でも許さないけど」
けだるそうに、ダークエルフのメイドも起き上がる。
傾国とか、女スパイとか、そんなフレーズがよぎる色っぽさ。
「より正確には、トゥイリンドウェン姫の付き添いだな」
「は? リン?」
言われて、やっと気付いた。
アルフィエルの反対側に、リンが寝ていることに。
頬と言わず顔全体が幸せそうに崩れ、それでいて寝姿自体は美しいエルフの末姫。《安眠》のルーンがなくとも、ぐっすりと眠っていた。
「そうか……リンか……」
「ひゃい……トールさん……おひゃよ……トールさん!? トールさんが、なぜ私のベッドに!?」
「逆だ、逆。リンが入ってきたんだろ」
冷静なトールの正論。
しかし、当然と言うべきか、それが届くことはない。いつも通りに。
「なるほど。起きたと思ったら、これはまだ夢。隙を生じぬ二段構えですね」
「ああ、そうだ。夢だぞ。もう一回、寝ろ」
「はい! そうします。おやすみなさい……」
目をこすりながら半身を起こしていたリンが、再び干し草のベッドに横たわる。
穏やかな寝息が聞こえてくるまで、長い時間はかからなかった。
「さすが、ご主人。手慣れているな」
「人聞きが悪いな。これはあきらかに、リンが素直なだけだろ」
「そうだな。こちらのベッドへ運んだときも、特に抵抗はなかったな」
「やっぱりか!」
一緒に寝ていたのは、偶然でも事故でもなく、故意。しかも、犯人がすぐそこにいた。
「うむ。既成事実は大事。そうは思わないか?」
「それ、俺が肯定したら大事になるやつじゃない?」
というよりも、人としてどうかというレベルだ。
「でもな、ご主人も悪いのだぞ?」
「なんでだよ」
「ぐっすり眠って、自分が近づいてもまったく気付かないのだからな。それは、魔も差すというものだろう?」
「あー」
カヤノの夢日記と、エイルフィード神との対話。
そのせいで、表面的には熟睡していると思われていたらしい。
「いやー。朝から、面白いねっ」
「ラー!」
ハンモック組からの、からかうような声。
それで、トールの危機感が閾値を超えてしまった。
「これ、日記に書くのは止めてくれよ?」
「日記? 誰か日記を……?」
アルフィエルが訝しげに森の部屋を見回し……消去法で気付いた。
「そうか……。そういうことか」
「あ、やべ……」
トールは、思わず頭を抱えた。
しかし、もう手遅れだ。
「パー!」
「いや、カヤノ……ごめん……」
「うー! きらい!」
いつもの舌っ足らずな口調ではない。
やけにはっきりとした、声にトールは致命傷を負った。
「……彗星かな。いや違う。彗星はもっとぱぁって」
「はっ!? 今、トールさんになにか……って、トールさん!? トールさんが、私みたいになってますよ!? 」
「トゥイリンドウェン姫、自覚はあるのだな……」
トールの危機に反応し、即座に目覚めたリン。
干し草のベッドに仰臥する刻印術師へ、慌てて駆け寄っていった。
「トールさん、しっかりしてください! 傷は浅いですよ!」
「俺は脳をやられたから、もうだめだ」
襲撃を受けた幕末の志士のように、トールが息を引き取る……寸前。
「そうだ、トールくん」
エイルフィード神が救いの手をさしのべた。
「王都へ行こうか」
「…………」
返事はない。
「トールくん、カヤノちゃんへのお詫びの品を買いに、一緒に王都へ行こうか」
「行きます」
「トールさんが、トールさんが生き返りました。さすが、エイルフィード神です!」
ハンモックで、楽しそうに足をばたつかせるエイルフィード神。
その神へ一心不乱に祈りを捧げるリン。
目の色が変わったどころか、ちょっと目が血走っているトール。
ぷいっと、誰とも視線を合わせずに頬を膨らますカヤノ。
そして、一人冷静なアルフィエル。
「とりあえず、自分は朝食の準備をしてこよう」
ごゆっくりと、ダークエルフのメイドはその場を後にした。
前話はちょっと切ない話でしたが、感想・評価ありがとうございました。
でも、この作品は終わりまでこんな感じです。




