第五話 軽い気持ちでやったことが、こんな影響を与えているとは……
パステルカラーの世界が揺れ、さらに世界の鮮明さが上がる。
巨大な聖樹の幹を背景に、聖樹の枝にはガーデンテーブルが設えられ、そこにはエルフと人間が座っていた。
はっきりしていなかった顔が、次第にトールとアグロノール王のものへと変わっていく。
周囲は幼児がクレヨンで書き殴ったような淡い色なのに、その一角だけはっきりと描かれている。
「これ……」
トールには、心当たりしかなかった。
カヤノと初めて会った、あの時に間違いない。だとしたら、ここはカヤノの夢の中なのだろうか?
そう疑問を抱いた瞬間、トールの体と意識が引っ張られた。
あり得ない。
だが、夢なのだからあり得るのかもしれない。
さっきまで外からガーデンテーブルの自分たちを眺めていた目線は、気付けばかなり低くなっていた。
(俺の足じゃねえか)
それどころか、自分の足が見えている。それで、ガーデンテーブルの下に移動したのだと気付く。
続けて、愉快だとか楽しいだとか。どこからともなく、そんな感情が伝わってくる。
(……これ、カヤノの視点だ)
この時点では、まだカヤノという名前ではなかったが。
その瞬間、視界が飛び跳ねた。
テーブルクロスをはね除けて、目の前の男――トールへと抱きつく。
めちゃくちゃ驚いたトールの顔がまた愉快で楽しくて、トールのテンションが上がっていった。視点どころか、感情まで同調しているらしい。
なにを気に入ったのか、トールへの好感度は最初から高かった。
(自分が自分を好きって……)
戸惑いを余所に、またしても視点が動く。
トールに抱きついたまま、くるりと後ろへ向けられると、そこには土下座するエルフがいた。
リンだった。
早口でなにか言いながら、土下座している。背景は不明瞭なパステルカラーなのに、そこだけは明瞭。印象度の差だろうか。
実際、その動きが楽しくて、きゃっきゃと喜んでいる。
やはり、この時点では話の内容をきちんと把握できていなかったらしい。なんとなく、好悪を判断できる程度。
セーフだ。
続けてアルフィエルが現れ、不思議そうに観察する。褐色と白い髪が珍しかったのだろうか? 詳しいところは、トールにもよく分からなかった。
その一方で、リンはやっぱりリアクションを気に入ったようだ。王女への評価ではないが、赤ん坊同然だったこの当時のカヤノでは仕方がない。
今の妙な仲の良さの理由が分かる気がした。
納得したところで、ページがめくられたようにシーンが切り替わる。
次は買い物だったはずだが、そこは終わっていた。
(名前をつけるところか……)
「カヤノという名前は、どうだろう?」
他ならぬ、トール自身の言葉。
今までの好悪を判断するだけではなく、ここははっきりと聞こえた。意味も、大ざっぱではあるが理解できた。
「ラー!」
だから、大喜びでアホ毛を揺らす。
(名前をつけた時点で、ちょっと成長した……のか……?)
外からは分からなかったが、内面はちょっとだけ成長していたらしい。冷静に考えれば、自分の名前をしっかり理解しているということは、きちんと知性がある証拠でもある。
またしても、シーンが変わる。アニメだったら、アイキャッチが挿入されているところだ。
次いで、そば屋で食事をしている場面になった。
相変わらずのパステルカラーだが緑の割合が多いのは、畳が印象的だったからだろうか。
乾杯はしたものの、トールのワイングラスから視線が動かない。
それを受け取り、一気に中身を飲み干した。やはり、自分自身を見ながら食べるのは不思議な感覚だ。
けれど、カヤノ自身は、いい気分だった。
そのまま卵焼きを口にし、喜びが爆発する。
感動が、トールの。そして、カヤノの深いところを貫いていった。
「では、自分のを半分食べさせてやろう」
そんな美味しいものを、分けてくれたのがアルフィエル。嬉しさと感謝が、今までなにも知らなかった無垢なカヤノを染め上げていく。
「アー!」
「分かった、身をほぐしてやろう」
催促をしても怒ることなく、手羽先も食べさせてくれた。
トールも含めて、本能的にアルフィエルへの好感度が上がっていく。
後にアルフィエルをママと呼ぶ芽は、この時点ですでに芽吹いていたようだ。
初めて、食べるということを憶えたカヤノ。
それを教えてくれたトールたちへの好きという感情が溢れる。幼い心と体では、持ちきれないほどに。
また、ページをめくるように場面が変わった。
ルフに倉ごと運ばれ、初めてこの隠れ家へ到着したところだ。
ウルヒアの登場でやや沈静化したものの、新しい刺激にうずうずしている。
そこに、住みやすそうな家……ではなく、畑が現れたらどうなるか。
我慢などできるはずがなかった。
実際、隠れ家はパステルカラーで書き殴られているだけだが、畑は比較にならないほど解像度が高い。
カヤノは一目散に駆けだし――ずぼっと畑に埋まった。
「おっと」
そこで、トールはカヤノの中から追い出された。少し高い位置から、カヤノを追いかける自分たちの姿を目にしている。
「軽い気持ちでやったことが、こんな影響を与えているとは……」
子育ては怖い。
そう実感するトールの横に、別の人影が現れた。
人というか、神だが。
「やあ、トールくん。どうだった?」
「どうもこうもないですよ。ナルシストになりかけました」
「それはそれで面白い。面白くない?」
「無理、無理」
無茶を言うなと、エイルフィード神へ首を振る。
それを楽しそうに眺めていた天空神だったが、不意に笑顔を消した。
「あのスケッチブックはね、カヤノちゃんの日記帳だったんだよ」
「それはまあ、今なら分かりますけど」
カヤノが描いた絵の世界に紛れ混んだ。
それだけでなく、カヤノの感情まで追体験して。
そこまでは、いいとしよう。
分からないのは、なぜ、夢としてそれを体験することになったのか。その原因だった。
初めて体験した食べるという経験が鮮烈で、感動したのです。元々、食いしん坊だったということではないです(結果は一緒)。




