第三話 まず、飽きずに最後まで描けたのが偉い
トールくんが、親バカになると思った?
「できー!」
一心不乱にスケッチブックと格闘していたカヤノ。唐突に両手を挙げて万歳し、その手からこぼれた鉛筆が切り株のテーブルの上を転がった。
それを合図に、固唾を飲んで見守っていたトールとモデルとして動くに動けなかったリンの緊張が解ける。
「完成か?」
「ラー!」
膝に乗せていたので、カヤノの背中越しにトールは絵をしげしげと眺めた。
カヤノの絵は、幼稚園から小学校低学年ぐらいのレベルだろうか。技術もなにもない、乱雑で平面的な絵ではあった……が。
「これは……」
見る者によっては、傑作と呼べるものだった。少なくとも、今のトールにとってはそうだ。もちろん、親の欲目は抜きにして。
「……天才だな」
褒めるべきポイントはいろいろあるが、トールが言ったことをきちんと聞き、特徴を掴んで描いているのが偉い。
その証拠に、技術はまだまだではあるが、この絵はきちんとリンだと分かる。
父の日や母の日に、コンビニや公共施設に貼られている十把一絡げなお父さんやお母さんの絵とは、まずそこからして違った。
しかも、初めてでだ。
これを天才と呼ばずして、なんと言おう。
やはり、蛙の子は蛙であり、門前の小僧は習わぬ経を読むのだ。
「もしかしたら、俺より上手くなるかもな……」
「え? 本当ですか? それはすごいです! カヤノちゃん、私も見ていいですか?」
「ラー!」
カヤノはトールの膝の上でふんぞり返りつつ、スケッチブックを差し出す。
「ははぁ……。ありがたき幸せです」
許しを得たリンが、土下座しつつ恭しく受け取った。
聖樹の苗木とエルフの末姫というファンタジーな組み合わせのはず。それなのに、まるで時代劇の1シーンのようだった。
「あれ? この土下座は立場的には正しい……のか?」
リンの正しい土下座。
唐突な論理矛盾に、トールは自己矛盾で混乱するAIのようにフリーズしてしまった。
その間に、リンがフクロウのようにホウホウと言いつつ何度もうなずく。
「これがカヤノちゃんの絵ですね! ははあ……これは私ですよね! 確かに私ですね!」
と、興奮気味だったリンから、不意に笑顔が消えた。
「……正直なところ、アルフィエルさんよりも上手なのでは?」
「アルフィの絵は、何百年後に評価されるタイプだから」
なお、エルフ時間を加味したら、さらに時間がかかるのではないかという疑問は考えないこととする。
「よし、カヤノ」
「ラー?」
トールが膝の上のカヤノをくるっと回して、目を合わす。
「まず、飽きずに最後まで描けたのが偉い」
極めて基本的なところからカヤノを褒め、頭を撫でてやった。
そんなトールに、リンは疑問を呈す。
「トールさん、トールさん。最後まで描くのって、当たり前のことなんじゃないですか?」
「それができないのが、人間なんだよなぁ」
誰でもとは言わないが、やる気を出すのはできる。
しかし、それを最後まで持続することは難しい。
絵に限っても、まず、人間である限り頭の中の理想像をそのまま紙に写し取ることはできない。
つまり、理想とは異なっていく絵を時間と手間を掛けて描き続けていかねばならないのだ。
これを苦行と言わずして、なんと言おう。
トールも、何度首筋にUSBケーブルをぶっさして、脳内イメージを出力したいと妄想。いや、熱望したことか。
「そして、ちゃんと俺たちに見せることができたのも偉い」
「それも、当たり前のことなのでは?」
「そうでもないさ。だって、カヤノはこの絵に納得いってないだろ?」
「…………」
肯定も否定もせず、珍しく黙りこくるカヤノ。
それがなにより雄弁に肯定していた。
「それでいいんだよ」
そんなカヤノの頬を、トールが優しく撫でる。
「上手くなってから見せたいなんて言ってたら、永遠に完成しないんだからな」
「そういうものですか……」
「剣でも同じじゃないかな? 練習は必要だけど、上手くなってから実戦に出たいと言っても通らないだろ?」
「なるほど。そう言われてみると、そうですね」
自分の分野で例えられ、リンは納得した。
けれど、それは本題ではない。本題はカヤノだ。
「だから、まあ、どれくらい上手くなりたいかにもよるけど……。描こう。とにかく、描こう」
「……ラー!」
その日以来、カヤノはスケッチブックを手放すことがなくなった。
居間、台所、風呂場など場所を選ばず、トールがウルヒアに依頼したクレヨンを持って、外で描くこともあった。
単に恥ずかしかっただけで、絵を描くこと自体を秘密にしなければならなかった理由はなかったらしい。
しかし。
「カヤノ。そろそろ、なにを描いているのか見せてくれてもいいのではないか? ん? 自分も、モデルとして協力しているだろう?」
「マー。めー!」
決して、その中身を見せようとはしなかった。
モップを持ってポーズを取ってたアルフィエルが撃沈する様を居間のテーブルから眺めていたトールも、断られた経験者だ。
「ねえねえ、トールくん」
「……それ、聞かなきゃダメなヤツ?」
そんなトールの背後に、つつつっと忍び寄り誘惑を試みる悪魔……ではなく、エイルフィード神。
「えー? 塩対応。トールくん、好き」
「相変わらず無敵だ、この人」
冷たくすれば喜ぶが、逆に歩み寄ったら詰められるだけ。二択が二択になっていないエイルフィード神だった。
しかも、ピンポイントに弱点を突いてくる。
「カヤノちゃんが、どんな絵を描いてるか。見たい? 見たくない?」
「それは……」
気にならないと言ったら嘘になる。
「でも、本人が嫌だと言ってるのを無理矢理はちょっと」
「本音じゃないでしょう? もっと正直になって」
「ほんとに悪魔みたいな誘いするのかよっ」
「ははは。なにせ、神と悪魔なんて、紙一重……おっと、これ言っちゃいけないやつだった。トールくん、忘れて忘れて」
「はあぁっ!? 消して、記憶消してっ」
「神サマ、地上の民にそういう干渉できないから」
「ウルも巻き込みたい……」
カヤノの絵を見る。
その目的は、予想よりも早く叶えられることになった。
想像とは、まったく違う方法で。
元々、親バカだったよ……。
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