第一話 カヤノちゃん、トールさんにお願いがあるんですよね?
再開です。
「その後、様子はどうだ?」
「平和だよ。というか、なんでそんなに気にするんだよ」
居間のテーブルに乗せられた通信の魔具。
その向こうにいるウルヒアへ、トールは軽い調子で聞き返す。
「まさか、師匠が脱走したとか。そんなわけじゃないだろ?」
「もしそうなら、僕はこんなに安穏としていない。それに詳しくは言えないが、逃がすことはないな」
レアニルの騒動から早くも一週間が経った。
状況確認のために通信の魔具で連絡をしてきたウルヒアは、すっかり落ち着きを取り戻したトールの返答を聞いて冷ややかな微笑を浮かべた。
死を連想するように冷たく、それでいて魅力的な表情だった。
「……俺からだってことは秘密にして、今度甘い物でも差し入れしといてくれ」
弟子にできるのはこれだけだ。
これ以上やると、逆に突っかかってくるので。
「師匠は関係ないとなると、リンか? そんなに心配しなくても大丈夫だぞ」
リンを心配するのはある意味当然だとは思うが、平和なのがそんなに意外だろうか。いくらリンでも、四六時中土下座しているわけではない。ちゃんとトールが止めている。
「いや、そっちの話でもない。それに、リンはトールの管轄だからな」
「この前から、リンを俺に任せようという圧が強くない?」
「気のせいだ」
「それでごまかせると思うなよ」
「気のせいだ」
こうなると、なにを言っても無駄。トールは、追及を諦めた。
その気配を察したウルヒアが、おもむろに本題を切り出す。
「それで、トール」
「なんだよ?」
「聖樹の苗木だが、成長は順調か?」
「そういえば、聖樹の苗木を育てるって話なんだったっけ……」
久しぶりに元の依頼を聞いて、トールは軽いアハ体験を味わった。同時に、最初のリアクションの意味も理解する。
言うまでもなく聖樹の苗木――カヤノのことを聞いたつもりだったのに、見当違いな答えを返されて、ウルヒアは驚いたのだ。
しかし、トールにも言い分はある。
カヤノはカヤノだ。
それ以上でも、それ以下でもない。いや、それ以下でないが、それ以上であるというべきかもしれない。
とにかく、カヤノはカヤノだ。
アマルセル=ダエアの国そのものとでも言うべき聖樹。その苗木を預かっているという意識は、もはやない。もし今から返せと言われたら、全力で抵抗するだろう。
「思い出してくれて、重畳だ。それで、どうなんだ?」
「どうって……」
雑な問いに、トールは少し考えてから答える。
「かわいいぞ」
「……かわいいのか」
「ああ。とてつもなく」
「とてつもなくか」
ウルヒアは真顔で、同じ言葉を繰り返した。
まさか、こんな子煩悩になっているなど予想も想像もできるはずもない。
あれは、本当にトールなのか。
思わず疑惑の視線で見つめてしまうが、ウルヒアは軽く頭を振って冷静さを取り戻した。
とりあえずは、害にはならない。
それに、まだ言葉も通じる。
「……まあ、順調に育っているのであれば、僕としてはそれで構わないのだが」
「そっちは、最近は控えめだなぁ」
当初はリンがびっくりするほどの成長を見せたカヤノだったが、身体的な成長はとても緩やかになっていた。
理由はいろいろ考えられるが、エイルフィード神もなにも言わないので自然に任せている。
実際、あっという間に育ってリンを追い抜きでもしたら、祝福する気持ちよりも哀しむ気持ちのほうが大きいだろう。いろいろな意味で。
「そこは自然に任せるしかないか……」
「その分、感受性は育ってると思うけど」
「……情緒面で成長しているのなら構わないだろう」
ウルヒアは、思わず「こいつ大丈夫か?」という視線を向けてしまったが、言葉はなんとか取りつくろうことに成功した。
「長い目で見ればいい。人間ではなく、エルフの目でな」
「ああ。そうだな」
トールにも同じぐらいの時間は残されている。それは、幸せなことだと言っていいはずだ。
「必要なものがあれば言え。可能な限り善処する」
「分かってるよ。それより、費用は俺の貯金から引けよ」
「――ではな」
言質を取らせることはせず、ウルヒアは通信を切った。
「まったく……。なんで、兄妹揃って俺に金を出させないんだ」
「あ、トールさん! ウルヒア兄さまとのお話は終わったんですね!」
「ちょうど今な」
そのお金を出したがるリンが、カヤノを伴って外から帰ってきた。
しかし、カヤノの様子が少しおかしい。
「どうしたんだ?」
恥ずかしがるようにもじもじと指を絡ませ、トールとリンの顔を交互に見る。頭のアホ毛も、盛大に揺れていた。
「カヤノちゃん、トールさんにお願いがあるんですよね?」
「うー。リン!」
「ダメですよ。自分でお願いしないと」
代わりに言わせようとしたカヤノを、リンがそっと諭した。エルフの末姫のそんな姿に、トールは新鮮な喜びを憶える。
「なかなかお姉さんしているじゃないか」
「妹経験、豊富ですから!」
「そういう見方もあるか」
確かに、リンにはいろんな姉がいるのでサンプルは充分と言えた。
「で、俺にお願いってなんだ?」
アルフィエルやエイルフィード神であれば、ある程度推測できる。その想像を遥かに超えていくだろうことも。
リンの場合は、逆に分からない。
それがカヤノとなると……正直なところ、分かるようで分からない。
だが、どうするかは決まっている。
「カヤノのお願いなら、なんでも聞くぞ?」
トールは、もじもじとするカヤノを抱き上げた。
カヤノは、なおも恥ずかしそうにしながら、トールの耳に口を寄せる。
「かーの……えーかーたい……」
カヤノ、絵を描きたい。
そして、まるで内緒話をするみたいに告げた。
カヤノがメインのお話です。
成長編としましたが、変わるかもしれません。




