第十三話 この原稿も一緒に
「バー?」
「そうだな。エイルさんとは違った意味で、カヤノのおばあちゃんだな」
「健やかに育っているようですね、カヤノ」
穏やかに微笑みかけられて、カヤノは指をもじもじと絡ませ不規則にアホ毛を揺らす。
しかし、照れていたのも少しの間。
すぐにいつもの勢いを取り戻し、正面から抱きついた。
「ラー!」
「ふふっ。客人に託して正解でしたね」
聖樹の苗木を抱き留める、幼気な地母神。
トールはそれを書き残そうと無意識に手を動かし……紙もペンもないことに気付く。一瞬表情を歪め、代わりに記憶へ残すことにした。
「改めて、感謝を。地上へ降臨したのをいいことに、お姉さまは監視の目を防いでしまい、こちらからはなにをやっているのかまったく分からなくなってしまったのです」
この召喚は、渡りに船だった。
そう、黒髪で白いトーガを身にまとった幼気な女神は目を伏せた。
「神サマにもプライバシーはあるよ?」
「それは、問題を起こさない人に与えられるものです」
「あるぇー?」
案の定、問題児認定されているらしい。
当然の処置ではあるが、エイルフィード神はショックを受けていた。図々しいことに。
「カヤノ、少し放してください」
「ラー!」
その間に、マルファ神は、お供え――エイルフィード神が来てからの出来事をマンガに仕立てた原稿を恐ろしい速度で熟読していく。些細なことだが、まさに神業。
「なるほど、見事なものです」
「お目汚しでした」
「そんなことはありません。お陰で、お姉さまの素行はよく分かりました。本当に……本当に……」
「あるぇー? これもしかして、神サマお説教される流れ?」
「お姉さま……。それ以外のなんだと思っていたのです?」
「もちろん、マーちゃんも一緒に地上でお休みするのかなって」
幼気な童女の姿をしたマルファ神が、衝撃を受けたかのように固まった。神の聡明な頭脳が、その可能性を検討する。
「……それは無理です」
唇を噛みしめ、童女――マルファ神は言った。まるで、血を吐くように。
「もしかして、この世界の女神ってみんなちょろいんだろうか?」
「ふふっ、トールくん。果たして、女神だけかな?」
「自爆テロやめろ」
それは、あまり深く考えたくない命題だった。
「くっ。あの辺の権限を委譲して、アウトソーシングしたらあるいは……?」
「お手数ですが、この手紙を届けていただけると助かります」
なぜか残留する算段を立て始めた幼地母神へ、トールは一通の手紙を差し出した。
さっさと帰ってもらいたいとか、そういうわけではない。決して。
それを目の当たりにし、マルファ神の瞳に理性が戻る。
「もちろんです。お礼にもなりませんが、この後すぐ月にいるリュリム姉さまへ届けましょう」
月の女神であるリュリム。
その居城は、当然、月にあった。
「この原稿も一緒に」
「……え?」
今、ものすごく不穏なことを言われた。
「これ以上の長居は良くありませんね」
「ちょっ、まっ」
待たなかった。
いや、それが限界だったのか。
「それでは、また」
簡単な別れの言葉を残し、マルファ神は消え失せた。いなくなってしまった。
「すごいなご主人!」
「さすがです、トールさん!」
「ラー!」
「う~ん。トールくんが困ってるから、ここはプラマイゼロだね」
様々な好条件が揃っていたとはいえ、地上に女神を降臨せしめたこと。
そして、トールのマンガが神々の間で回し読みされること。
その特大の慶事を受けて、リンが、次いでアルフィエルが駆け寄って、抱きついてくる。もちろん、カヤノも。
「マジか……マジか……」
呆然と、そのすべてを受け入れるトール。
予想外の展開に、もはや、ダブルエルフとカヤノの為すがままだった。
「マジかは、こっちの台詞じゃぞ、弟子ぃぃぃぃぃっっっぃぃっ」
牛車の前で、レアニルが叫んだ。
「おまっ、なっ、なんっ、なんなんじゃワレェっっっっっ」
目を白黒させながら、全身を痙攣させるレアニル。エイルフィード神の判定など必要ない。負けを認めるしかない状況。感動とは別の意味で、言葉にならない。
刻印術師の脳裏に、様々な記憶と思いが駆け巡り……。
がっくりと、膝を屈した。
空気を読んで、アルフィエルがリンを引きはがして後ろに下がる。この場はトールに任せるという意思表示。
確かに、トールが対応するしかないのだが、完全に貧乏くじでもあった。
「月に手紙を届けると聞き、正攻法しか思いつかなんだ。これが、ワシの敗因であり限界ということなんじゃな……」
「いや、妨害は全然正攻法じゃないけどね?」
その正論は、当然と言うべきか師匠には届かなかった。トールも、反射的に突っ込んでしまっただけ。まともな反応は求めていないようだ。
「ワシがすべきだったのは、物事の本質を掴むこと。それに、柔軟な発想を持つことじゃったんじゃな……」
「まあ、そうだね。トールくんはちょっと極端すぎるけど」
「俺は、俺ができることをやっただけなんだけど……。今後は、もうちょっと慎重になろうかな……」
今回の勝負は、トールの精神にも多大な爪痕を残すこととなった。
ある意味で、痛み分け。
しかし、これで手打ち……とならないのが、トールの師の師たる由縁だった。
「ふっ、弟子よっ。これで勝ったと思うなよぉ!」
「今の流れで、なんでそうなるんだよ!?」
「まだまだワシは若い。やり直しは、いくらでもできるからの!」
「かぐや姫になって、やり直してきたばっかりだろうが!」
エルフ基準でも若くはない。
本当に若い人間は、そんなことを言わない。
その言葉を飲み込めたのは、最大のファインプレーだった。
「ご主人。話の途中ですまない。ワイヴァーンだ」
後ろに控えていたアルフィエルが、トールの隣まで移動し、空の一点を指さす。
言われなかったら気付かなかっただろう、黒い点が確かに見えた。
「ウルのやつ、結局来たのかよ」
「ううん。誰も乗ってないみたいだね」
エイルフィード神の言葉に、トールは首をひねる。
「まさか、野良ワイヴァーンが襲ってきたってわけじゃないよな?」
「クラテール!」
「ぐるぅ」
リンの対応は早かった。
グリフォンへ華麗に飛び乗ると、そのまま、近付いてくるワイヴァーンへとエンゲージ。
空中で何事かやり取りした後に、ワイヴァーンと一緒にグリフォンが帰ってくる。
「トールさん、ウルヒア兄さまからのお手紙でした!」
「なんだ……?」
受け取ったトールは、中身を改めて絶句する。
「師匠、一体なにやったんだよ……」
「なんじゃ。ワシは、刻印術の極限に挑んだだけじゃぞ」
それは、簡単にいってしまえば収監状だった。
ウルヒアからエアニルに宛てた。
「師匠。なんか、借金の形に働かされるらしいぞ?」
「はああぁっ、なんじゃそれ!? まったく聞いておらんぞ!?」
ひったくるようにトールから手紙を受け取ったレアニルは、読み進めていくつれて痙攣と発汗の度合いが酷くなっていく。顔色など、紙のようだ。
「まさか、霊樹の素材がここまで高額だとは……」
「あの牛車、霊樹製だったのかよ。そりゃ高えよ」
ダークエルフの国、グラモール王国が誇る霊樹。アマルセル=ダエアの聖樹と並び立つ、ダークエルフにとっては神にも母にも等しい存在。
高いというよりは、値段もつけられないというのが正確かもしれない。
「でも、いくらウルだって説明も契約もなしに、こんなことはしないだろ。師匠も知ってるはずじゃ?」
「ワシはなにも知らんと言うとるじゃろうが。ただ、中身も見ずに書類にサインはしたがの」
「それだよ! 外泊許可証じゃねえんだから、気軽にサインするんじゃねえよ!」
いくら酒を飲んでいて親友が相手でも、外泊許可証だと早とちりしてサインをしてはいけない。これは、日本では義務教育レベルの知識だ。
「というわけで、このワイヴァーンに乗ってウルのところへ出頭しろってさ」
トールの勝利を信じていたウルヒアだったが、万が一が存在することも理解していた。そのときに備えて、レアニル自体をどうにかする手はずを整えていたらしい。
「ぐぬぬぬぬぬ……。休憩たったの一時間で一日八時間も働かされるじゃと? 休みは週に二日だけ? ワシは奴隷じゃないぞ!?」
「あれ? それは別に普通じゃない?」
むしろ、ホワイトではないだろうか。
そう不思議そうな顔をするトールへ、リンとアルフィエルが気の毒そうな視線を向ける。いや、向けていられず伏せた。
代わりに、エイルフィード神がトールの肩を叩いた。慈悲に満ちた表情で、優しく。
「八時間労働って、これ以上働くと体に良くないから規制しようっていうラインであって、最低これくらい働かなきゃって基準じゃないんだよ?」
「エイルさんに諭された……」
この世の終わりだ。
「勝ったのに。釈然としねえ……」
争いは虚しい。
「パー! げーきだす!」
「うん。ありがとう……」
そして、愛は強い。
そのことを身を以て知ったトールだった。
地母神が幼女なので、この世界では幼女にバブみを感じるのは一般的なことです。




