第十一話 勝てよ
「トール」
「今、忙しいんだけど?」
「知っている。だからだろうが」
エルフの貴公子は、いつにも増して険のある顔でトールをにらみつけた。
トールの師、傍若無人を絵に描いたようなレアニルですら萎縮する王子の怒気。
通信の魔具越しとはいえ、それと同等の感情をストレートにぶつけられて、さすがのトールも引き気味になってしまう。
隠れ家の居間。リンたちは、一足先に外に出ている。というよりも、トールはウルヒアからの着信を待っていた。来なかったら、どうしようかと思っていたほどだ。
だから、こちらから切るわけにはいかなかった。なにしろ、通信代わりに押しかけられても困る。なんとか、ここで納得させなくてはならない。
「レアニル師の工房から、正体不明のなにかが飛び出した」
「まさか、月へ?」
「トールの家へだ」
「俺の家……か……」
めでたく、ここはトールの持ち家になっていた。きっと、権利書は王宮に保管されているのだろう。
改めてそのことを指摘されると面映ゆいが、今はそれどころではない。
「なにを作ろうとしてたのかまでは知らないけど、師匠とりあえず成功したみたいだな」
「僕は、今日行われるとは聞いていないぞ」
「騙して悪かったよ。すまない」
トールは下手なごまかしをしなかったが、それで情状酌量は得られなかった。
通信の魔具の向こうで、ウルヒアが眼光を鋭くする。
トールやリンでなくとも、容易く理解できるだろう。
怒っていた。
それも、かつてないほどに。
「僕は、一体なにが起こるか分からないと言ったはずだな?」
「聞いた」
「それなのに、僕に正確な情報を渡さないとはどういうつもりだ?」
「まあ、ウルに迷惑はかけないから。というか、迷惑かけないために隠れてやろうとしてるんだからな」
「恩着せがましく言われる筋合いはないが……」
ウルヒアは、ひとつの可能性に気付いたようだ。
怒りは消えてないが、少しだけ険が和らぐ。
「このやり方が、僕のためになると判断したんだな?」
「まあ、本当に信じてるんだったら全部説明しろよって話だけどな」
「そうでもない。言わないことで、伝わることもある」
トールの言葉に嘘がないことに気付いたのだろう。
ウルヒアの怒気が、急激にトーンダウンしていく。
「僕が関わらないほうがいいと言うのなら仕方がない。ただし、トール。その場合、どこまで僕がフォローできるかは分からないぞ」
「ウルに迷惑はかけないさ」
責任は、エイルフィード神に取ってもらう。これ以上の責任者は、世界広しと言えども存在しない。
むしろ、あの天空神がいる以上、責任が生じるような事態にはさせないというべきか。
とにかく、ウルヒアは関わらないほうがいい。肉体と精神の健康的に。
「秘密主義だな、まったく」
「悪いとは思ってるよ」
「リンとの距離を詰めていくのは、もっとオープンで構わないぞ」
「既成事実化するの止めろ」
「ご主人!」
ウルヒアに、トールやリンが分かる程度の笑顔が戻ってくる。
そのタイミングで、アルフィエルが息せき切って駆け込んできた。
「ご主人の自称師匠が騒ぎ出して、トゥイリンドウェン姫の笑顔が固まりつつあるぞ」
「……この場合は、ウルの責任の範囲だよな」
「リンのことは、最終的にトールが責任を取るべき案件だろう」
堂々と責任を押しつけ合う二人だったが、今動かなくてはならないのはトールのほう。
原稿ケースを持って立ち上がったトールへ、ウルヒアがトールやリンでなくとも分かる笑顔を向ける。
「勝てよ」
「勝つさ」
気負いも緊張もなく。完全に自然体で、トールは微笑んだ。
「さて、行こうか」
通信が切れたことを確認し、トールはダークエルフのメイドを伴って隠れ家を出ようとするが、早速その足が止まった。
理由は、アルフィエルの怪訝そうな顔。
「その『ご主人とウルヒア王子の間になにもないのは分かっている。分かっているが、しかし……』みたいな顔やめよう?」
「うむ。分かっているのならいいのだ。分かっているのなら」
「なんだろう? このなにを言ってもやぶ蛇感」
「それに、自分たちにはマッサージがあるのだからな」
「よし。早く行こう! リンが暴発したら面倒だしな!」
というわけで、トールはアルフィエルと一緒に隠れ家の表側へと出た。
リンだけでなく、カヤノにエイルフィード神。それから、グリフォンにユニコーンたちも勢揃いだ。きっと、グリーンスライムも沼から様子をうかがっていることだろう。
それに肝心の、小さな牛車を前に少し蒼冷めている刻印術の師もいた。
小さな体で、不機嫌そうに腕を組み。それでいて、会心の笑みは隠し切れていない。
「弟子ぃ、なにをしとったんじゃ。ワシは不戦勝など望んでおらんからな!」
「あ、トールさん!」
柵の向こうにいるドーベルマンへ吠えかかるポメラニアンのようなレアニルとは対照的に、振り返ったリンの笑顔は実にさわやかだった。
忠誠心に満ちあふれた柴犬のように、トールへ駆け寄っていく。
「師匠になにか言われても、気にする必要ないぞ。基本的には口先だけで無害だから。権力者にはなおさらな」
「コルァ、弟子ぃ! なにを本当のこと言うとるんじゃ、ワレェ」
「本当のことと認めていいのだろうか……」
アルフィエルが呆然とつぶやいた。どうも、まだレアニル慣れしていないらしい。わはっはと笑っているエイルフィード神とカヤノとは、これまた対照的だ。
「とりあえず、教育に悪いのでエイルさんとカヤノはいずれ引き離すとして」
「トールくん、こっちに流れ弾飛ばすの得意だよね!」
「ラー!」
意識を強引にリンへと向ける。
「せっかくの勝負なんだ。変な実力行使で決着つけちゃ面白くないだろ?」
「ですけど……」
トールがいさめているにもかかわらず、リンは珍しく納得しない。ふてくれたように、足下の小石を蹴り上げていた。
「まあまあ、その辺で。リンちゃんはね、《召喚》のルーンで招請できるような存在に、月まで行ける能力はないって言われて、ちょっと我を忘れかけただけなんだから」
「それは……。師匠、相当あおりやがったな……」
ここぞと、トールの浅慮さをあざ笑ったのだろう。
タネが割れていないのはいいことなのだが、リンを挑発されても困る。
「今は、いくらでも言わせておけばいいさ。俺の勝ちは揺るがないんだからな」
「余裕じゃの、弟子。じゃが、ワシが指摘したことは、事実以外のなにものでもないぞ」
調子に乗って挑発するレアニル。
いや、挑発ではない。トールの刻印術の師は、あれが素なのだ。
「そう……ですね」
都合良くレアニルの言葉は聞き流し、リンはトールへ輝かんばかりの笑顔を向けた。
「勝った! と思った瞬間にばっさりやったほうが、より深い絶望を与えられますもんね!」
「弟子ぃぃぃっっ」
「いや、師匠。これは俺に言われても」
「なに言うとるんじゃ。おのれは、トゥイリンドウェン姫の担当じゃろがい!」
「担当って、プロデューサーかよ」
リンを、どうプロデュースしろというのか。むしろ、必死にプロデュースしてこれだ。
「そうじゃ。弟子とトゥイリンドウェン姫の仲は、王都でもほぼ公認じゃったろが」
「ちょっと待った。おいこら師匠。俺、そんなこと初めて聞いたぞ」
「なるほど。そういうことでしたら、今回は不問としましょう」
「賄賂に弱いなっ」
別にリンとのあれこれを否定するつもりはないのだが、今はそれよりも気になることがあった。
「それより師匠。ちょっと変だな」
「なにがじゃ? ん?」
「その牛車みたいなので月へ行くつもり。つまり、自信作なのにまったく自慢しようとしないのはなんでだ?」
「ほーん? ま、凡俗にはこの《輝夜》の崇高さは分からぬじゃろうしの」
「それに、リンが剣を抜こうとしても、反則だとか騒ごうとしないし」
「……王族に、そんなことできるはずないじゃろ?」
一応、筋は通っている。
通ってはいるのだが、トールに見つめられ、レアニルは露骨に動揺した。
「そう言えば、ルールは先に月へ手紙を届けるってだけで、妨害の有無には触れてなかったよな」
「ひゅーひゅー。それは、一体全体、な、なんのことじゃ?」
「口笛がへたくそすぎる」
上手でも、この状況でごまかせはしないだろうが。
「となると、相手を攻撃する武器とか積んでやがるな?」
「そうか。手紙を届けるというルールである以上、手紙が失われでもしたら……」
アルフィエルのつぶやきに、レアニルの体がびくりと震えた。
「かぐや姫だと、月の使者を前にすると戦意喪失しちゃうんだったか……」
「ええいっ。証拠を出せ、証拠を!」
「じゃあ、神サマが事前にチェックしちゃおうかなー」
「ラー! しょーこ! はんにー! しょーこ!」
証拠と言い出すのは犯人の証拠。
カヤノが意外と鋭い指摘をし、エイルフィード神は楽しそうに手をわきわきさせる。
「そこは、もう、ワシを信じるのが良いのではないですかのー? ぴゅ、ぴゅー」
分かりやすくだらだらと汗を流しつつ、口笛を吹こうとして失敗するエルフがそこにいた。
これが、トールの師だった。
カヤノ、師匠より賢い子。