第九話 とりあえず、俺の心臓に悪いから起きよう?
「ところで、ご主人。なにか、自分に変わったところはないか?」
「アルフィに?」
「う、うむ」
トールが贈ったイヤリングに手をやりつつ、アルフィエルは視線を彷徨わす
挙動不審だ。
でも、可愛らしい。
これは期待を裏切れないなと、トールはアルフィエルを観察する。
「しかし、変わったところって……」
褐色の肌に白い髪。すらりとした長い手足。リンと同じく長い耳。
細身でありながら、エルフとは明確に異なる蠱惑的なプロポーション。
クラシカルなメイド服に身を包んでいるが、その魅力は隠しようがない。
ダークエルフはアルフィエルしか目にしたことはないが、全員が彼女のように目を引くわけではないはず。
つまり、いつも通り。いつも通りだ。
切り株のテーブルの前。すぐ隣に座るダークエルフのメイドへ、不躾なぐらい無遠慮な視線を送り……。
「あ、少し前髪切った?」
「うむ。今朝、整える程度に自分でな……って、違う。いや、違うわけではないのだが、そこではない!」
「正解したのに、なぜか怒られている……」
「切ったと言っても、ほんの少しだぞ? なぜ、そんな些細なところに気付くのだ! 気付いてくれてありがとう!」
「どっちなんだ……」
褐色の肌にもかかわらず、一目で分かるほど頬を染めアルフィエルが拗ねた。滅多に見れない新鮮なリアクションに、トールは得した気分になる。
「要するに、なにが言いたいかというとだな」
「うん」
「自分のことを、す、好きになったのではないかと言いたいのだ」
「そこは変わらないけど」
トールは即答した。
「変わらないのか」
「変わらないな」
トールに迷いは見られない。
「そうか……」
アルフィエルは気付いた。
「うむ……。うむ……」
気付いて、より一層顔を赤くする。マッサージの時にも、ここまで照れてはいなかった。
思っていた通りではないが、悪くない。決して悪くはない。そんな顔だ。
「では、自分のマッサージの技は、トゥイリンドウェン姫へ伝授することとしよう」
「え? なんでそんな流れに?」
「もちろん、オペレーション・ダブルエルフの一環だ」
「その作戦、初めて聞いたんだけど!?」
しかも、ほぼ確信を持って内容が分かってしまうところがあれだ。
「自分の手応えとしては、あと少しで第一段階達成だぞ」
「めっちゃ気になるけど、リンがマッサージとか、いろんな意味で大丈夫?」
「大丈夫な……はずだ。信じよう。信じることからすべては始まる」
「信じたいけどさぁ」
リンにもみほぐされるのが嫌とは言わないが、そもそもきちんとトールに触れられるのかという疑問が残る。
「もっともだが、ご主人に料理を振る舞うこともできたのだ。この調子でステップアップしていけば、いずれ閨でも平気になるはず」
「閨」
そこはもうちょっと、違う段階を踏みたいなと思うトールだった。
「それ以前に、ちょっと今朝リンから避けられていたような気がするんだけど」
「そうだったか?」
リンが挙動不審なのは珍しくないので目立たないが、今朝は明らかにおかしかった。
実は、あのマッサージの後からなのだが、前後不覚に陥っていたトールは気付けない。
「ふむ。トゥイリンドウェン姫なら、外に行ったぞ。気になるなら、直接話をしてみたらどうだ?」
「……そうするか」
トールは伸びをしてから立ち上がった。
別に、体が固まってしまったというわけではない。癖だ。体は、怖いぐらい快調だった。
「頼んだぞ、ご主人。自分の夢は、トゥイリンドウェン姫と一緒にアレするところだからな」
「そこは、もうちょっと表現を考えよう?」
無駄かもなぁと思いつつ、それでも言わずにいられなかったトールは、一人で隠れ家を出る。さすがに、家を出てすぐにリンと遭遇というわけにはいかなかったが、畑には愛娘が埋まっていた。
「カヤノ、今日も元気そうだな」
「ラー!」
最近、夜は一緒に寝ているため、昼間は土に埋まっていることの多いカヤノだった。植物としては正しい姿のような気もするが、そもそも植物は移動したりしない。
「ところで、リンを見なかったか?」
「ラー! リン、あっち!」
カヤノは、アホ毛で川のほうを指し示した。埋まっているので、手が自由に動かせないからだが、ちょっと可愛かった。
「器用だな……。ありがとう、カヤノ」
「ラー!」
カヤノに見送られ、トールは川へ歩みを進める。リンとアルフィエルのスケッチを描いた、忘れられない……とまでは言わないが、それなりに思い出のある場所。
リンは確かに、その川にいた。
川底に並行に……横たわって。
「……リン!? なにやってんの!?」
「トールさん? どうしたんですか? 見ての通り川に打たれているだけですが」
溺れているのかと慌てて駆け寄ったトールに、リンは横になったまま平然と答える。
「滝じゃねえのかよ」
「滝はなかったので、川の流れに身を委ねていました」
水死体一歩手前だ。
「とりあえず、俺の心臓に悪いから起きよう?」
「そういうことでしたら」
起き上がったリンの手を引き、川から出たところでトールはリンの額に《乾燥》のルーンを描く。
一瞬で、エルフの末姫は元通り。トールは、ほっと息を吐いた。
「で、滝行はいい……良くないけど正否は置いといて、なんであんなことを?」
「え? そこはリンのやることだからな……って、不問に付されるものだとばかり思っていたんですが!?」
「喋らないで済むと思ってたのかよ」
さすがにトールがあきれた視線を向けると、顔の前で指を絡めてもじもじしつつ、リンは口を開く。
「そのなんと言いますか……。トールさんの声を聞いたり、お顔を目にするとですね。なんと言いますか、昨日のことを思い出してしまいましてドキドキが収まらなくて変な気持ちになってしまうので、こうして心を落ち着けていたのです」
「その前に風邪引くだろっ」
どうやら、リンにはちょっと刺激が強すぎたらしい。
その上、なぜそんな気持ちになったのか理解できず、もやもやしていたのだろう。
「思春期か? 思春期かぁ……?」
正確にエルフの思春期がいつからいつまでかは分からないが、精神的な成熟も人間とあまり変わりはなさそうだ。
だとしたら、リンはちょうど思春期に入ったと言えるかもしれない。
いや、エルフ全般の生理的な問題ではなく、リン個人の問題だろうか。エルフの末姫の中で、なにかが覚醒してしまったということもあり得る。
つまり、性的嗜好の芽生えが起こった可能性があった。
「よし!」
トールは説明を放棄した。
目覚めさせてしまった当人が絡むわけにはいかない。これはウルヒア案件であり、下手にトールが絡むと火傷では済まなくなる。
ウルヒアが駄目でも、リンの姉たちがどうにかしてくれるだろう。なお、その際のとばっちりは考えないものとする。
「こういうときは、もっと別の楽しいことを考えよう」
「なるほど。もやもやを吹き飛ばすわけですね! でも、楽しいことですか? 私の人生で楽しいことなんて……?」
「そこは引っかかるところじゃねえから」
ある。絶対に、いくらでもある。
「そうだな……。師匠との勝負が終わったら、リンのお願いをひとつ聞こうじゃないか」
「お願い! なんでもですか!?」
チャンスが来ると、貪欲に攻めてくるリンだった。
「もちろん、俺が認めた内容だけだが」
「ああ……。そこは重要。とても重要です。縛りがないと、逆に難しくなりますからね。さすがトールさんです!」
「まあ、付き合いも長いからな……」
貪欲に攻めてくるわりに、ものすごく些細な内容を指定する可能性もあるため、下限を定めるという意味でもトールの承認は重要だった。
「えへへ……。トールさんにお願いですか……。いろいろ考えているだけでお腹がいっぱいになりますね……」
「嬉しそうでなによりだ」
とりあえず、目先を変えることには成功したようだ。
それにくらべたら、エルフの王族としてはどうかと思うような顔になっていることぐらいは些細なことだ。
だが、その直後。リンの表情がきりりと引き締まる。
「トールさん、気付きました。気付いてしまいました……」
「リンが、ちょっとシリアス……だと……?」
「このまま100年ぐらい悩み続けたら、私はずっと幸せなままです」
「お手軽すぎだろ!?」
リンらしい。
リンらしいのはいいのだが、哀しくなるから止めて欲しかった。
気づいたら、リンが川で寝てました。