第六話 哲学? この状況で哲学?
人生はいつだって突然だ。
この世界へ転移したときもそう。
リンと初めて会ったときも、前触れもなく土下座された。
アルフィエルとの出会いも、まったく予期しないもの。
状況は違うが、カヤノやエイルフィード神との出会いも唐突だった。
それは、偶然か。それとも、必然か。どちらに近いのか。
あるいは、偶然でも必然でも、人は運命と呼ぶのかもしれない。
だとしたら、トールは運命に従いたくなどなかった。
誰だって、そうだろう。
「ご主人、呼吸を整えて……。そう……リラックスするのだ……」
トールの部屋の干し藁のベッド。
どういうわけか、その端まで追い詰められているのだから。
突然で、唐突で、いきなり。
けれど、どういうわけかというのは嘘だ。理由は分かっている。
アルフィエルのマッサージが始まるところなのだ。とても、そうは見えなくとも、事実。
「いやいやいや。このシチュエーションでリラックスとか無理だから。一旦落ち着こう? というか、アルフィが一番息荒いじゃねえか!」
「そんなことはないぞ」
「だって……」
「そんなことはないぞ」
「……ごめんなさい」
思わず謝ってしまった。それくらい、今のアルフィエルには有無を言わせぬ迫力がある。必死でありながら、落ち着いているようで……。
トールは、気付いた。
「アルフィ、本気すぎだろ!?」
「当然だ。ご主人のためと言うことは自分自身のためであり、つまるところ、世界のためでもある」
「主語がでかすぎる!」
妥当な。当たり前すぎるツッコミ。
しかし、賛同者はどこにもいない。リンなど、感じ入ったように何度もうなずいてる。なぜいる。
「さ、上半身裸になってくれ」
「え? 脱ぐの?」
「今回はな」
「だだだ、大丈夫です。私は見ていませんから!」
「指の間、めっちゃ開いてるじゃねえか! 小学生か!」
ツッコミが追いつかない。
マッサージを受けるだけではなかったのだろうか。
「そうか。脱ぐのは嫌だったのか。すまなかった……」
「アルフィ、分かってくれ――」
「脱がせろという無言の命令を感じられなかった自分は、メイド失格だ」
「――てなかった!」
ツッコミが追いつかない。
しかも、ツッコミを入れても意味がない。
「分かった。脱ぐよ。脱げばいいんだろ」
「……よろしく頼む」
「なんで残念そうなんだ……」
この程度、プールで水着になるのと同じ。
そう念じている時点で自分をごまかしているのとも同じなのだが、トールは真実から目を背けた。それは、あまりにもまばゆすぎる。まるで太陽のように。
ついでに、アルフィエルたちからの視線からも目を背け、ひと思いにシャツを脱いだ。
特に鍛えているわけではないのだが、やはり現代日本との生活とは違うからか。それとも、日常的にカヤノを抱き上げているからか。細いがシュッと引き締まった姿態が露わになる。
やや色白な部分が気になる向きもあろうが、決して見苦しいものではない。若々しいみずみずしさに溢れていた。
「ほう……」
「へえ……」
「おっさんみたいなリアクション止めろ」
シャツをベッドの下に投げ捨てようとしたところ、リンがさささっと駆け寄って受け取り、すすすっと離れていった。
わけが分からない。
そして、わけが分からないと言えば、もうひとつ。
「脱いだからってわけじゃないけど、なんでベッドに雨避けシートが敷いてあるんだ?」
今となっては名前も思い出せないアルフィエルの自称兄の処理に使った物とは別だが、ベッドには必要のないアイテムだ。
マッサージのマットとして使うには、いささか場違い感がある。
「ご主人、惚れ薬とは、なんだろうか?」
「哲学? この状況で哲学?」
上半身裸でなにを聞かされるのだろうか。
わけの分からなさが加速して、トールは軽くめまいがした。こんなのエイルフィード神を喜ばすだけではないか。
「というか、なんで? なんで、ここで惚れ薬!?」
それは魂からの叫び。
しかし、残念ながらと言うべきか当然ながらと言うべきか。アルフィエルには通じない。通じるはずもない。
「自分はかつて、この成分を蒸留して本質に迫ろうとした……」
「危険物取り扱い注意っ」
「さすがご主人だ。確かに、危険物だった」
うむうむとアルフィエルがうなずく。
トールは、なにひとつ共感できず、無意識に肩の辺りをさすっている。マッサージがまだなら、シャツを返して欲しい。
「さすがにまずいと、自粛せざるを得なかったほどにな」
「それを、うちの地下で実験してたの……?」
一歩間違えたらバイオハザード。
アルフィエルのことは信頼しているが、それとこれとは話が別だ。
「しかし、自分は諦められなかった。いや、諦めたくなかったのだ」
「アルフィエルさん……。そこまで……」
「リン、なんでそこで尊敬の眼差し!?」
やたらと惚れ薬に可能性を感じていたようだが、そこまでとは思っていなかった。
思いたくはなかった。
そんなトールの思いを置き去りに、アルフィエルの告白は続く。
「そこで逆に考えたのだ」
「惚れ薬を捨てちゃっても良いさって?」
「それを捨てるなんてとんでもない」
捨てていたら捨てていたで問題だろうが、トールの不安はいや増すばかり。
「薄めたら日常的に使えたりしないかなとな」
「意外と普通のアイディアだった!」
普通だが常識的ではないのが、人類の哀しさを表現しているような気がしないでもなかった。
トールも、だいぶ混乱している。
「そこで生まれたのが、このぬるっとして肌を傷つけず塗ったら肌がつるつるになって気持ちよさそうな液体だ」
「ローションかよっ!」
アルフィエルに提供したコーラのペットボトルに入っている、透明の粘つく液体。トールも実物を見たのは初めてだが、用途ぐらいは知っている。元男子大学生なので。
「ローション。ふむ、初めて聞くがしっくりと来る名前だ」
いい名前だとアルフィエルはうなずく。
「香油の一種に近いと思っていたが、まったく新しい薬には新しい名前がいい」
トールは、ぶるりと身を震わせた。
悪寒か、期待か。それは、トール自身にも分からなかった。
実は、エイルさんとカヤノもいます。