第五話 なんで地上に来たの?
トールとレアニル。
師弟による刻印術勝負は決まった。
それから数日が過ぎ、王都へ戻ったレアニルは、いろいろと準備をしているらしい。
「もっとも、その前にこちらとの“話し合い”で身動きが取れなくなっているがな」
「師匠から、俺が妨害してると言われなければ、その辺は法に則って処分してくれていいんだけど」
「逆恨みされないと思うか?」
「……されないはずがないよな」
トールは珍しく素直に通信の魔具の着信を受け、ウルヒアから師の近況を耳にしていた。
「しかし、月か……」
「ウルも、リンとかアルフィのグループか」
「その分類には言いたいこともあるが……当然だろう」
ごく当たり前の常識的判断として、エルフの貴公子は断言した。いや、ウルヒアの懸念はその手前にある。
「問題は、当事者が可能だと信じていることだ」
「それ、俺も含む?」
「そうなるとだ」
トールの相槌は無視して、通信の魔具の向こうからウルヒアが憂鬱そうに言った。
「失敗した時のことが恐ろしい」
もちろんと言うべきか、ウルヒアはトールが失敗するとは思っていない。心配しているのは、レアニルのほうだ。
「トールは、結局は成功させるだろう。だから、影響がいろいろ出ても破滅的なことにはなるまい」
「悪い方向で信頼されている」
「日頃の行いだ」
準備して対処できる災害より、不慮の事故のほうが恐ろしい。そう、ウルヒアは主張する。
「月へ行こうというほどの刻印術。万一、それが暴走でもしたら、どれだけの被害が出ることか」
「師匠自身のことも、少しは心配してもいいんじゃねえ?」
「そこは自己責任だろう。この言葉は好きではないが、今回に関しては例外だ」
「じゃあ、止めるか? 俺としては、そっちのほうが楽でいいんだけど」
「それも難しいな」
まったく表情を変えず。
つまり、トールとリンにしか分からない程度の忌ま忌ましさを瞳に浮かべ、ウルヒアは続ける。
「レアニル師は、今回の勝負はエイルフィード神から直々に下された試練だと主張している。トールからは、聞いていない話だが。まったく、報告されていない情報だが」
「言ったら、信じてたか?」
「そういう問題ではないのだが、まあ、それもいい」
あっさりと、追及の手を緩めるウルヒア。兄妹揃って、トールには甘い。
「とりあえず、その家の所有権はトールで確定させた。それだけは伝えておこうと思ってな」
「国家権力つえええ」
確定させた。
なかなか日常で使う機会のない言葉だなと、トールは現実逃避気味に思った。
「あちらは、土地と家の譲渡は口約束だと主張したが、当然、それでも成立する。それでもまだわめくので、業務放棄の損害賠償などと相殺にしておいた」
「ウル相手に、勝ち目のない戦いを挑むとは」
師の無謀さに同情しか湧かない。
「レアニル師は、よほど勝ち目のない戦いが好きなのだろうな」
意味ありげにトールの瞳を覗き込み、ウルヒアはふっと笑った。
「そもそも、もはやそこは聖樹の苗木の御座所だぞ。仮にトールの物でなくなれば、国が接収するだけだ」
「……そういや、そうだったな」
エイルフィード神の出現で。なにより、カヤノ自身が可愛すぎて、国にとって特別な存在だということをすっかり忘れていた。
健康でさえいてくれれば、それでいい。
「ということを、リンにしっかり伝えてくれ。誤解の余地なく、明快にな」
「今回の通信の目的は、それか」
それだけではないだろうが、それが一番の目的だったようだ。確かに、レアニルへの対応を思い起こせば、重要度は分かる。
「まあ、そこはちゃんと言い含めておくけど……そもそも、なんで師匠を宮廷刻印術師にしたんだ?」
「弟子の言うことではないな」
「弟子の俺にすら言われていることの重要性を鑑みよう?」
刻印術師としての腕しか見ていないということなのであれば、まだいい。
「あれはあれで面白いから、なんて理由だったりしないよな」
「僕の先祖を信じろ」
「ウルはまず、自分の言葉を信じろ」
そこで、二人きりの通信は終わった。
「このあと、どうするかな……」
アルフィエルたちは、外で収穫をしている。トールも手伝おうとしたのだが、師匠との勝負があるからと断られたのだ。
そのタイミングでウルヒアからの着信があり、見送るほかなかった。
「とりあえず、様子を見に行くか」
息抜きが必要だ。トールは、軽く背伸びをしてから通信の魔具を棚へ適当にしまった。
手伝わせてくれるか分からないが、様子を見に行く分には構わないだろう。もしかすると、カヤノとかエイルフィード神とかリンのストッパーが必要な事態になっているかもしれない。
「おや、ウルヒア王子との話は終わったのか」
「アルフィ、早かったな」
しかし、外に出ようとしたところで、その用事自体が消滅してしまった。
戻ってきたアルフィエルは、かごに、野菜を満載にしている。
「今日も、随分と大漁……いや、豊作だな」
「誉められているぞ、カヤノ」
「ラー! ひっっさーざわ!」
必殺技。つまり、野菜を育てるのは得意だとカヤノが言った。
そのカヤノも、いつものシンプルなワンピースの胸に、大きめのサツマイモをいくつか抱いている。どうせ消えるのに、衣装鞄で新しい服を着てくれずトールはちょっと寂しい。
「エイルさんも一緒で、大丈夫だったか?」
アルフィエルからかごを受け取りながら、トールは小さな声で確認した。当初は手伝おうとしても断られていたが、最近は男の矜持を鑑みて立ててくれている。
「それが……」
「やっぱ、なんか問題が……」
「問題だよ! 本当に、ゆゆしき問題だよ!」
遅れて家に戻ってきたエイルフィード神が、収穫物を満載にしたかごを振り回しながらぷんぷんと苦笑している。その後ろに付き従うリンは、困り顔だ。
「……一体なにが?」
トールは、エイルフィード神本人ではなく、アルフィエルへ視線を合わせて尋ねた。より確実な情報を求めて。
「なにか特別な要因があったのかは不明なのだが……」
「エイル様が畑に入ると、お野菜のほうが勝手にかごの中へ入っていったんですよ!」
「……は?」
「嘘ではないぞ。嘘のような光景だったが」
「お釈迦様か……」
いや、それより酷い。
トールは、収穫体験をふいにされてぷんぷんとお怒りな天空神へと向き直る。
「ねえ、エイルさん?」
「言わないでっ」
「なんで地上に来たの?」
「そこから!? トールくんドS! でも、そういうところも、イイネ!」
エイルフィード神はうなだれながら、ぐっと親指を立てた。放置しても大丈夫だろう。
「ああ、リン。ウルが言ってたけど、この家と周辺の土地は正式に俺の物になったってさ」
「本当ですか!?」
「ウルのやることだから、間違いないだろ」
「良かったです。トールさんに嘘をつかずにすんで」
エルフの末姫が、イノセントそのものの笑顔を見せる。言葉と表情は一致しているはずなのに、違和感しかなかった。
「実力行使はともかく」
「アルフィ、可能性を残すような言い方は止めよう」
「あとは、ご主人が完膚なきまでに勝利すれば、完全になんの問題もなくなるな」
腕を組み、うむうむとうなずくアルフィエル。
「当然だが、できる限りのサポートをするぞ。ご主人、なんでも言ってくれ」
「え? サポート?」
「ないのか? そんなはずはない。なにかあるだろう?」
「特には」
いつも通りでいいと言うトールに、アルフィエルは目に見えて落ち込む。いつもの薬草ではなく野菜に植え替えたのも、応援する気持ちの表れだったのだろう。
「パー! めー!」
そんなトールの足を遠慮なくぽんぽん叩いて、カヤノが抗議する。これにはトールも言葉につまるが、かといって、ないものはない。
「いやでも、ほんといつも通りでいいんで……」
「神さまが思うに、マッサージとか、してもらったらいいんじゃない?」
「それだっ」
「いや……。うん、それでいいです」
足を叩き続けるカヤノ。
無言で期待に満ちた視線を向けるリン。
ニヤニヤと見守るエイルフィード神。
そして、きらきらと瞳を輝かすアルフィエルに、トールは抗する術を持ち合わせていなかった。
次回、マッサージwith懐かしのアイテム(前編)。




