第二話 ワシは、一頭の復讐の竜となってこの世界に再び舞い降りたのよ
長く宮廷刻印術師を務め、大陸に名を馳せたレアニルは自らを天才だと信じていた。
その自己評価は他者からの評価と等しく、疑う余地のないものだった。
遠野冬流という青年に出会うまでは。
客人と呼ばれる、異世界からの来訪者。この世界にはない知識や思想を有し、大陸に多大な恩恵と時に混乱をもたらしてきた存在。
しかし、初対面のトールはそんな大層なものとは思えなかった。
レアニルより身長は高いが、10分の1も生きていない子供に過ぎない。
王家からの直々の依頼でなければ、断っていただろう。
そして、結果論ではあるが、そのほうが混乱は少なかったはずだ。
弟子にとってしばらく経った頃、レアニルのトールへの評価は、『なかなか筋がいい』と素直な賞賛に変わっていた。
もちろん、彼女には及ばないという前提で。
それが決定的な変化を遂げたのは、トールが故郷の文字を刻印術に使えないかと言い出し……成功してしまった時だ。
「はあ? 見た事もない文字なのに、ルーンとして働いておるぞ。というか、本当に文字なのか、これ?」
「ああ。俺の国の……ってわけじゃないんだけど、俺の世界の文字だぜ」
彼女も、その『カンジ』なる表意文字を学ぼうとした。
しかし、文字の形をなぞることができても、そのバックボーンにまでは理解が及ばない。その文字の成り立ちを教えられても、本当の意味で、文字を掴むことはできなかった。
なぜか、弟子のトールはきちんとルーンを理解できているというのに。
そうこうしているうちに、絵心のある弟子は、絵とルーンを組み合わせる技法まで編み出した。
繊細な筆遣いに溢れるイマジネーション。それによってもたらされた、ルーンのイノベーション。
才能。
その違いをまざまざと見せつけられた。過去、彼女がそうしてきたのと同じように。
大したことではないと、謙遜ではなく本気で言う弟子の姿。それが、どれほど才を持たぬ者を傷つけるか身を以て知った。
「ゆえに、ワシはルーンの授け手たるエイルフィード神に祈願し、客人の世界へとリンカーネーションしたのよ」
「リンカーネーション……転生? 魂だけって、そういう……」
本来の意味での転生とは異なるかもしれないが、記憶を保ったまま、地球で学んできたらしかった。
「その節は、大変お世話になりました」
「うん。その向上心は、神サマとしても好ましいものだったからね」
だが、結果はエイルフィード神としては、いささか期待外れ。
その気持ちを飲み込むように、スプーンでカレーを運んで頬ばった。
「というわけで、弟子よ!」
相変わらず直立不動で首筋に刃を突きつけられている状態だったが、レアニルは師匠の威厳をみなぎらせて胸を張って言った。
「ワシはそなたの世界でカグヤと名を与えられ時を過ごし、なんかやたら求婚されて面倒くさかったので適当なことを言って戻ってきたぞ!」
「……は? カグヤ? かぐや姫?」
トールは混乱した。
混乱しないわけには、いかなかった。
「かぐや姫が師匠!? 月に帰るって、異世界が月? いや、そもそも千年も前じゃねえか」
「あー。やっぱり、時代ずれちゃったんだぁ。場所は近かったみたいだけど、難しいねぃ」
「ツッコミどころが多すぎて、ツッコミきれない! あと、いつまでカレー食ってんの!?」
ここまで盛大にずれるのであれば、やはり、魂だけであっても地球への帰還は難しい。そもそも、距離も数百キロずれている。
それは別にいいのだが、かぐや姫がレアニル。レアニルがかぐや姫という驚愕の事実に心が千々に乱れる。
「いやでも、あの底意地の悪さは師匠っぽいと言えば、師匠そのものか。師匠そのものだな」
「ご主人がなにに混乱して、その後、納得しているのかは分からないが……」
警戒しつつ黙って聞いていたアルフィエルが、念のためといった調子で確認する。
「もしかして、地下に体が保管してあったのだろうか?」
「うむ。帰ってすぐに、弟子と雌雄を決することができるように厳重に隠しておいたのじゃ」
「なるほど」
話が一段落したと判断したリンが、剣を持ったままひとつうなずいた。
「よく分かりました。気持ちは、分からないではないです」
「おお、姫さま!?」
「でも、トールさんの命を狙うのであれば話は別です」
リンの目は、完全に据わっていた。
処刑人ですらない。どちらかといえば、屠殺業者に近い瞳だった。
「いや、復讐って言っても殺すまでじゃないんじゃ?」
「ふっ、甘いの。師匠と弟子の関係など、もはや些末時。ワシは、一頭の復讐の竜となってこの世界に再び舞い降りたのよ」
「グリーンスライムさんは、食べてくれるでしょうか?」
「もしや、死体の処理の話しになっとる!?」
「師匠が、無駄に挑発するからでしょうが」
トールは、軽くため息をついた。フォローが必要だろう、さすがに。
「リンも、俺のためだっていうのは分かってるから、落ち着いて……。いや、この上なく冷静で落ち着いてるけど、殺害以外で頑張ろうな」
「はい!」
トールに対しては、素直なリンだった。
「ご主人、話をするつもりなら急いだほうが良さそうだぞ」
「……ああ。それで、師匠。刻印術師の腕の優劣って、どうやってつけるつもりなんだ?」
「はっ。怖じ気づいたか、弟子よ」
片目でリンをちらちらと確認しつつ、トールにはあくまで尊大に接するレアニル。あるいは、それは師としての最後の矜持なのかもしれなかった。
どちらにしろ、トールからすると近所の生意気な小学生が背伸びしているぐらいの認識。目くじらを立てるようなことではない。
「刻印術師が二人――戦闘じゃろう」
「いや。刻印術って、別に戦いの技じゃないじゃん?」
もちろん、戦闘に利用できる刻印術も存在する。トールに実戦経験はないし、その前にリンやアルフィエルが片を付けてしまうので使う機会もなかったが、心得はあった。
けれど、単純に術をぶつけ合ってそれで勝ち負けを決めるというのは短絡過ぎるのではないか。
「それなら、極端な話、毒を盛っても同じ結果になるわけだし」
「そうですね。私をトールさんの刻印術で強化して勝ったとしたら、それはトールさんの勝利ですし……って、待ってください! トールさんがルーンを刻んだ剣を持っているこの私がこのまま首をはねたら、やっぱりトールさんの勝ちで試合終了なのでは!?」
「リン、ステイ」
「はい!」
トールに対しては、素直なリンだった。
たまに暴走もするが。
「そもそも、毒を用いても、自分がいる以上ご主人の有利は揺るがないがな」
「うん。そう言われると思ったけど、あくまでもたとえだからね?」
「カレー……。もう少し食べたいけど、どうしようかな……」
「いくらでも食っていいから、ちょっと黙ってて!?」
フフリと成り行きを楽しそうに観察するエイルフィード神にため息をつきつつ、トールは改めて師を見下ろす。
「もちろん、俺よりも遙かに長い人生経験を持つ師匠が、気付いていないはずも、考えていないはずもないけど」
「ふははははっ。無論、無論じゃよ。そんな蝦夷のように野蛮なことを言うはずなかろ? もちろん、ちゃんと考えてあるわい。ちゃんとな!」
そう言いつつ、上下左右に目を泳がせる。
「うーつき? めー」
嘘つき、ダメ。
カヤノに剛速球を投げつけられ、レアニルは視線を彷徨わすこともできなくなり、固まる。
どうやら、本当に戦いを付けるつもりで戻ってきたようだった。
かぐや姫にするか、北条政子もしくは日野富子に憑依転生するか、ちょっと悩みました。