97 さあ、ハッピーエンドを始めよう
沈黙満ちる艦橋に、最初に音をもたらしたのはソレイユだった。
「プラナスから聞いたよ、エリュシオンとは異世界の言葉らしい」
突拍子もない話を始めるソレイユに、水木は最初、無視を決め込んでいた。
「召喚魔法は聖典に記された禁呪の1つ。確かに禁呪は発動が難しい。けど、中でも比較的魔力の消費が少ない召喚魔法なら、1度ぐらいは発動されていてもおかしくはない、と彼女は考察していた」
主砲の発射を命じたはずなのに、一向にエネルギーは放出されない。
だが、前方のディスプレイに表示された、チャージ率を示すゲージは、ゼロになっていた。
「つまり、エリュシオンという言葉は、ミサキたちと同じ世界の人間からもたらされたと言うことになる」
全く状況を把握出来ない水木は、錆びたブリキ人形のようにゆっくりと首を回し、隣のソレイユを見る。
「何が言いたい?」
「皮肉だな、と。ふ、ふふっ、ふふふふっ、私たち2人は全く同じ。道化だ」
肩を揺らし笑うソレイユ。
「何か……したのか? てめえが、主砲に何か細工をぉっ!」
明らかに不審な言動を繰り返す彼女に、水木は疑念を膨らます。
「エリュシオンは、”死後の楽園”を意味するらしい。ふふっ、ふふふふふふっ、皮肉だ、何もかもが皮肉だ!」
「俺の質問に答えろよっ、おい聞いてんのかッ!?」
「私たちは舞台の上で踊る見世物に過ぎない。最初から最後まで、私の人生も、センイチロウの人生も――!」
「ソレイユウウウゥゥゥッ!」
水木はソレイユの胸ぐらを掴んだが、いくら凄もうと彼女は体を揺らしながら不気味な笑い声を上げるばかり。
虚ろな目は、目の前で般若のように怒る水木の姿は映していなかった。
空を――何も無い空を、ただただ見つめている。
「プラナスだよ、センイチロウ」
そんなソレイユが、ぼそりと呟いた。
「あいつか……あいつがやったのか? だが――エリュシオン、牢の様子を見せろッ!」
空中に半透明の画面が浮かび上がり、牢の様子を映し出す。
そこには、膝を抱えてうつむくプラナスの姿があった。
「やっぱりそうだ、プラナスは動いていない。捕らえられてからずっと牢でああやってじっとしてるはずだ!」
そう、動いていなかった。
……不自然なまでに。
「あ? 動いてない……だと?」
先ほどのスペルヴィアの特攻によって、船体は何かにしがみついていなければ立つのが困難なほどに揺れたはずなのに。
プラナスの位置は、全く変わっていないのだ。
あれは、何かが違う。おかしい。
水木が違和感に気づいた時、画面に変化が生じた。
座っていたプラナスに、ヒビが入る。
やがてヒビは全身に至り、そして彼女の体は、まるで灰のように崩れ落ちてしまった。
そこでようやく水木は気づいた。
ずっと牢に閉じ込められていると思っていたプラナスの姿は、彼女が魔法で作り出したフェイクだったのである。
「偽物なのか……? じゃあ、本物はどこに居るってんだ!? おい、お前知ってんだろ? 答えろよ、早く教えろよソレイユッ!」
「ふふ、エンジンルームに近く、広い場所が好ましいと言っていた。だから私は……ふ、へへ……フィロソフィカル・コンバータが置かれている演算室に、彼女を案内したんだ」
胸ぐらを掴まれながら、力なくへらへらと笑うソレイユ。
水木は用無しになった彼女を乱暴に地面に投げ捨てると、人工知能に命令した。
「エリュシオン、演算室を映し出せェ!」
――ヴゥン。
空中に新たな画面が浮かび、演算室の様子が表示される。
するとそこに映っていたのは、まるで水木に見られるのを待っていたかのようにこちらを見つめるプラナスの顔だった。
その姿を見て水木が真っ先に違和感を覚えたのは、”目”だ。
赤くなっている。腫れている。潤んでいる。
無表情でいけすかない女だったはずのプラナスに一体何があったのか――と、水木は首をかしげた。
「おいプラナス、んな場所で何してやがる!」
最初からドスの利いた声で威圧的に話しかける水木。
そんな彼に対し、プラナスは笑顔でこう返す。
『数日ぶりですね、ミズキ。元気にしていましたか?』
「そう見えるかよ?」
『いいえ、見えませんね。最高に最悪の気分でしょうね』
切り札だと思っていた主砲が不発に終わった。
自分の操り人形だと思っていたソレイユに裏切られた。
その2つの事実は、水木をかつて無いほど苛立たせている。
「ああ最悪だよ、今すぐてめえを犯してバラしてやりたいぐらい最悪の気分だわ」
『うわあ、いかにもあなたらしい品性に欠けた脅しです。とても怖いです』
プラナスは白々しく言った。
挑発を続ける彼女に、水木は耐え難い屈辱を感じる。
『ですが残念ながら――あなたには、これからもっと最悪の気分になって頂きます』
そして彼女は、さらに水木を挑発した。
もはや彼が苛立とうがどうなろうが意味など無い、とでも言うように。
『ところでミズキ、主砲のエネルギーチャージは完了したんですよね』
「ああしたよ。お前が細工さえしなけりゃ、この世界は滅びたはずだったんだ!」
『世界が滅びるとかそんなちっぽけなことはどうでもいいんですよ、心の底から。もっと重要なことを見落としていませんか?』
「あぁ? 他に何かあんのかよ」
『エネルギーチャージは終わったんですよ? そして、蓄積されたエネルギーは解放された』
「回りくどいんだよ、結論だけ言え!」
ミズキに急かされ、プラナスは『やれやれ』と首を振ると、簡潔に結論を述べた。
『そのエネルギー、どこに行っちゃったんでしょうね?』
本来なら、一番最初に疑問に思わなければならないことである。
世界を滅ぼすほどのエネルギーが、雲散霧消するようなことがあり得るだろうか。
どこに消えたのか。
何に使われたのか。
水木が結論に辿り着く前に――プラナスは言った。
『あなたに紹介したい人が居ます』
水木は困惑する。
何を言っているのか、ついに追い詰められて錯乱でもしたのか。
エリュシオンの搭乗者は3人。
艦橋の水木とソレイユで2人、演算室のプラナスで1人。
なら、他に、一体誰が居るというのか。
「ふざけたことを言ってねえで――」
プラナスは、水木の言葉を遮って言った。
『私の恋人、アイヴィ・フェデラです』
彼女がその名を告げると……その隣に、アイヴィが現れる。
「は……?」
水木は言葉を失った。
見間違いでもない、幻覚でもない。
確かにそこには、プラナスと肩を寄せ合い、触れ合う、アイヴィ・フェデラの姿があったからだ。
「なん……だよ、これ。なんで、アイヴィは死んだんじゃなかったのかよッ!? は、はは、わかった、わかったぞ、まだ偽物なんだな? 牢に仕掛けてあった人形と一緒だ!」
『あんなこと言ってますけど』
『誰だって似たような反応をするだろう、私だってまだ理解が追いついていないぞ』
『理屈はあとで説明しますから。とりあえず今は、あれに夢でも幻でも偽物でも無いと思い知らせるために、一言どうぞ』
『そう言われてもな……話すことなどあまりないのだが』
声がする。
アイヴィの声が。
それを聞いてもなお、水木は自分の目と耳を信じることが出来ない。
『久しぶりだな、ミズキ』
「本当に、本当にあのアイヴィなのか?」
『ああ、私だ』
返事をするアイヴィを見て、水木の顔から血の気が引いていく。
「んでだよ……死んだんじゃなかったのかよぉ!」
『そのはずだったんだが、不思議なものだな』
何より彼が驚いたのは、彼女と会話が成立したことである。
これでもう、ただの幻覚だと断ずることが出来なくなってしまった。
認めなければならない、確かに今、演算室にアイヴィが生きているということを。
そして爆弾を投下するように、彼女はさらに衝撃的な言葉を発した。
『ミズキのおかげで、こうして蘇ることができたよ』
――ミズキのおかげで。
その言葉が、彼の頭に何度もリフレインする。
なぜ、自分の名前がそこで出てくるのか。
自分は一体、何をやらかしてしまったのか。
『続きまして――』
混迷する思考がまとまるより早く、プラナスは”次”の紹介を始める。
『ユリ・アカバネさんです』
名前を呼ばれ、画面に現れたのは、笑顔の百合だった。
『水木先生、お久しぶりです』
「赤羽……百合……」
服を纏っていないのか、彼女はアイヴィからローブを受け取って体を隠している。
「死んだ、はずじゃ……いや、死んだんだ、死んだはずなんだよォっ!」
『岬から聞いてたんですね。私も死んだと思っていたんですけど……何ででしょうね、気づいたらここにいました』
そんな都合のいい事があるものか、と水木は声を荒げる。
「ふざけるなっ! 気づいたら? 死んだんだよ、お前は死んだんだよ! 普通は死んだら二度と生き返らないんだぞ!? なのに、1人だけじゃなく2人も……んなこと、あるわけがないだろうがあぁぁぁぁぁっ!」
降りかかる理不尽に怒り狂う水木だったが、現実は変わらない。
いくら叫ぼうとも、百合の姿は消えないのだ。
『そうは言われても、私――』
『あっははははは! すごいっ、すごいですよユリっ! 見てくださいっ、今なら私、何だってできる気がするんですよぉっ!』
『ちょ、ちょっとエルレア落ち着いてって! 嬉しいのはわかるけど大事な話の途中なのー!』
百合の声を遮る、見知らぬ少女の声。
それはやけにハイテンションで百合に絡む、エルレアであった。
どうやら彼女は演算室を走り回り、そしてあたりをぐるりと回っては、百合にべたべたと触れているようだ。
水木は彼女が何者か知らなかったが――岬の関係者だろう、とすぐに想像できた。
『手足があれば、ミサキに縛られ放題ではないですか! しかもっ、復活したのは手足だけでなく処女膜まで――』
『そういう話は無し! 今は無しだから! 気持ちはわかるし私もびっくりしたけど、色々と刺激が強すぎるから、ね!? あ、あははは、ごめんなさい先生、騒がしくって』
「あ、ああ……」
呆気にとられる水木。
そして百合もまた、アイヴィと同じ言葉を彼に伝える。
『とにかく、今の私にわかるのは、私とエルレアが蘇ったのは先生のおかげだってことだけです。ありがとうございます、水木センセイ』
百合は優しい語調でそう言ったが、水木には、彼女が浮かべる笑顔に幾分かの悪意が込められているような気がしていた。
そこで百合はフレームアウト。
再び画面に映るのはプラナスだけとなる。
「わけ、わかんねぇよ……どうなってんだ? お前、何をしたんだ……!?」
『えー、続きましては』
プラナスは水木の困惑に一切耳を傾けず、マイペースに司会を進行する。
ここまで来たら、何となく流れはわかる。
まだ黒幕が残っているんだ。
今までずっと粘ってきたくせに、やけにあっさり死んだとは思っていた。
百合だけが蘇っておいて、あいつが蘇らないわけがない。
そう予測していた水木を――
『アヤカ・クスノキさん』
――プラナスは、見事に裏切った。
その名前を聞いた瞬間、水木は胸を押さえ、よろめく。
心臓が鷲掴みされたような痛みが走り、あまりの苦しみに水木はいっそ死んでしまいたい、と弱音を吐いた。
「こんな、こんなことが……あるのか……?」
そう呟こうとも、彩花が画面に登場する現実を変えられない。
視覚がその姿を捉える。
脳が理解する。
現実が、水木を追い詰めてゆく。
『こんにちは、先生』
前の二人と異なり、彩花の表情は冷めきっていた。
汚物でも見るような目で、画面の向こうに居る水木を見ている。
「彩花、なのか」
『はい、私です』
「本当に……彩花、なのか?」
『はい、間違いなくあなたが殺した楠彩花ですよ、先生』
黒髪が揺れる。
細められた目は、心臓を射抜くように、水木に継続的な鈍い痛みを与える。
『本当は声も聞きたくありませんが、一応、言っておきますね。私を生き返らせてくれてありがとうございます、先生』
画面の向こうに居る少女たちがこぞって口にするその言葉の意味を、彼はまだ知らない。
何が、自分のためだと言うのか。
自分が何をしたというのか。
それを知る人間の名を――水木は、肺の空気を全て吐き出すような声で呼んだ。
「しろ……つめ。白詰ェ……! 白詰ええぇぇぇぇェッ! わかってんだよ、全部お前の仕業なんだろ!? そこに居んだろうがッ! 隠れてねえで、出てきやがれえぇぇぇぇッ!」
剥き出しの感情をぶつける水木に対し、少女はひょっこりと顔を出す。
岬だ。
彼女は、まるで挨拶でもするように言った。
『どうしたの、水木。そんな死人みたいな顔色をして』
死人に死人扱いされるなど、悪夢でしかない。
明らかに水木を見下した笑みを浮かべる岬に対し、水木は鼻息を荒くしながら噛み付く。
「てめぇが、やったんだな?」
『やったのは水木だよ。ああ、僕も言っとくね。ありがとうございます、水木センセ』
「ふっざけんじゃねぇえぇぇぇぇぇええええェェェェェッ!」
水木は怒りに任せ、握り拳で強く壁を叩いた。
「あるわけねえだろうが、死人が蘇るなんて。しかも5人も!? んなこと、んなことがあっていいわけがねえんだよ! ありえないんだよ、全部、全部、全部ぅ!」
正論を吐いているのは、間違いなく水木だ。
死人は蘇らない、それが世界の摂理。
ひっくり返すためには、摂理を裏返すだけの力が必要となる。
『ここで可哀想なミズキのために、私が解説してあげましょう』
岬の隣に、再びプラナスが顔を出す。
『確かに現代に存在するあらゆる技術、魔法では死人を蘇らせることはできません。ですがそれを可能とする手段が、この聖典には記されている』
そう言って、プラナスは1枚のカードを水木に見せつけた。
それこそが、水木が王都の教会より盗み出した聖典そのものである。
彼自身が盗んだものなのだからもちろん見覚えがあったし、プラナスの言っている”手段”にも心当たりがあった。
「禁呪、か」
水木も、禁呪に関してはプラナスとの会話で何度か話題に上げたことがある。
――曰く、人の命を操ることが出来る。
――曰く、魂を弄ぶことができる。
確かにあの時、彼と彼女はそう話していた。
『禁呪、天国の門』
プラナスは得意げにその名を告げる。
『それが、アイヴィ、アカバネさん、エルレアさん、クスノキさん、そしてシロツメさん――以上5名を蘇らせた魔法の名です』
「待てよプラナスッ! 以前、お前はこう言っていたはずだ、”禁呪は机上の空論だ、使い物にならない”ってさぁ!?」
『肝心な部分を忘れていますよ、ミズキ。私はこうも言っていたはずです、禁呪を発動出来ないのは、消費する魔力量が足りないからだと』
「だったら!」
できの悪い生徒に呆れるように、「はぁ」とため息をつくプラナス。
それでも折角の機会だ、このまま理解させずに終わるのも惜しい。
プラナスは人差し指を立てると、ネタバラシを開始する。
『ミズキ、ここで答え合わせです。私の問いかけを覚えていますか?』
「あぁ? 主砲のエネルギーがどこかに消えたって――」
水木は言葉を途中で止めた。
気づいてしまったのだ、そのカラクリに。
「主砲の、エネルギー……が」
『あ、水木やっと気づいたんだ。意外と鈍いんだね』
『ええまったくです、あれで教師を名乗っているのだから笑えますよね』
それでも納得出来ない様子の水木に向かって、プラナスは人差し指を立てたまま語る。
『聖典に記されていたエリュシオンの情報から計算すると、蘇生できる人間は5人まででした。アイヴィ、クスノキさん、そしてエリュシオンに殺される予定だったシロツメさんの3人は埋まっていましたから、残りは2人。それがアカバネさんとエルレアさんだったわけです。あと、一応補足説明をしておくと、ナノマシン・グラティア――つまり私たちの言う”魔力”と、エリュシオンは同じ時代の産物です。なので似た技術を用いて作られています。特にフィロソフィカル・コンバータを通して生まれたエネルギーは魔力にその特性が非常に似ていまして、だからこそエネルギーの流用が出来た、ってことなんですよ。わかりましたか、ミズキ』
それでも、聖典に記されている術式と比べ、多少の演算と魔法陣の改造は必要だった。
だが、幸いなことに、王都からフォディーナに到着し、今日に至るまでの間、時間はそれなりにあった。
プラナスにとって、禁呪を改造するには十分過ぎる時間が。
……と、彼女は長々と話したが、そのほとんどは水木の耳に入っていないようだ。
「主砲……が。俺の発動した主砲が……だから、”ありがとう”って。だから、”俺が、蘇らせた”って――!」
水木は自重で絶望の沼へと沈んでゆく。
体から力が抜け、地面にへたり込み、膝立ちの状態で手を投げ出し、俯いた。
「じゃあ……帝国の皇帝が突っ込んできたのも、プラナスが簡単に捕まったのも、ソレイユに出会ったことも、何もかもこの瞬間のために……俺が、俺自身の手で、あいつらを生き返らせるためだけに、やったってのか……?」
微かに聞こえる水木の呟きを聞いて、岬は頷いた。
まさにその通りである。
重要なのは、水木にそのトリガーを引かせることだった。
彼が償うべき罪は、岬を虐げたことだけではない。
彩花を殺した。
その罪は、彩花の命を取り戻すことでしか精算出来ないのだ。
取り戻した上で、凄惨に、殺す。
それこそが――岬が望んだ、最後にして最上の復讐手段であった。
『唯一不満なのはさ、なんで僕が女のままなのかってことなんだけどね。エルレアが手足を取り戻したなら、僕も男に戻っていいんじゃないの?』
『捕食しすぎて復元点がわからなくなってるんじゃないですか? これ以上望むのはさすがに贅沢ですよ』
『ま、そりゃそっか。百合が居て、エルレアが居て、そして彩花が居る。脱出したらお姉ちゃんが居て、フランが居て、ラビーも居るんだからね。これ以上の幸せなんてないよ』
水木の耳に届くのは、幸せそうな少女たちの声。
誰も彼もが、そこに居る6人全てが満たされていた。
「ざけんな……」
水木は腹の奥底から、呪詛のように言葉を吐き出す。
「ふっざけんな……なんで白詰なんかが幸せになってんだよォ!? 底辺なら底辺らしく死んどけよ、生きてても不幸に地面を這いつくばっとけよおおおぉおぉっ! おかしいだろ!? なんで白詰ごときが笑って、俺が苦しまなくちゃならねえんだよ。そんなの許されないだろ? ありえないだろ? 認めらんねえだろうがァッ!?」
そんな彼の言葉を聞いて、岬は素直に感情をさらけ出した。
『ははっ』
――笑う。
『あはははっ』
――あざ笑う。
『ははっ、水木、それ何? 嫉妬? 自分が幸せになれないからって、嫉妬してんの?』
――見下し、あざ笑う。
『それ、ははっ……! 他人が幸せになってるのを見て”おかしい”ってさ。水木、今の自分がどんな風に見られてるかわかる? 今の水木ってさ、今まで見てきた他の誰よりも――』
――心をへし折るように、見下し、あざ笑う。
『惨めだよ』
パキッ、と。
水木は、自分の心が折れる音を聞いたような気がした。
今までずっと見下してきた岬から見ても、今の彼は、死体に集る蛆虫よりも低俗である。
その自覚があった。
岬に言われ、自覚はさらに強固なものとなった。
何よりもプライドを重んじる彼にとって、自分が岬より下だと認めることは、アイデンティティの崩壊に等しい。
すなわち、人格の死である。
「あ、あああぁ……ああぁぁぁああああああ……!」
ガン、ガン。
水木はまるで土下座でもするように、頭を床にぶつけ始める。
『はは、あはははは……!』
そんな憐れな彼を見て、岬は笑った。
「俺は……俺はああぁぁぁっ!」
やがて額から血が流れ始めても、水木はそれを止めようとしない。
むしろもっと強くぶつけようとしている。
『あはははははっ、はははははは!』
そんな悲惨な彼を見ても、岬は笑った。
「あああああああああぁぁあああっ、ああああああああ!」
『はははははっ、あっははははははははは!』
「うわああっぁあぁあああぁっ! あぐっ、う、うううぅゥゥゥぅっ!」
『はっひひひひひっ、ふく、くはっ、ははははははははははは!』
「あー! あー! ああがあがああああぁぁぁあああああぁぁぁぁあッ!」
『はヒャヒャヒャははは! はっ、はひっ、ふふふ、くひゃはははははははは!』
艦橋と演算室に、2人の苦悶と嘲笑のユニゾンが轟いた。
勝者と敗者を、明確に分けた瞬間である。
「許さねぇ……許さねぇぞ、白詰えぇぇぇぇぇぇえええええッ!」
『ふふ、僕は最初から許されようだなんて思ってないよ』
「黙れエェッ! 殺してやる、殺してやる、今度こそ生き返れないように全員その場で殺してやるッ! エリュシオォンッ! 演算室の連中を始末しろッ! 消せ、消せ、消せ消せ消せ消せえええぇぇぇエエェェェッ!」
口から飛沫を撒き散らしながら、狂乱し、命令する水木。
その声を聞き届けたエリュシオンは、演算室に大量の機械兵を生み出し、そしてその様子を映し出していた画面を消去した。
これ以上の会話を続けては、艦長の精神が維持できないと人工知能が判断したのだ。
「へ、へへ……これで、終わりだ……あいつら、死んで、終わりなんだよ……へ、ひひっ……」
「だから、道化だと言ったろう?」
ソレイユは、立ったまま水木と演算室のやり取りを聞いていた。
同情もしなければ、慰めようとは思わない。
プラナスに見せられた資料により、人生の全てを否定された彼女は、水木に対して残酷な現実を、無感情に垂れ流し続ける。
「見合わない力など手に入れるべきじゃなかったんだよ、センイチロウは」
「お、お前が……」
「物事の裏には常に思惑が存在する、それをもっと早くに気づくべき――」
「お前さえ、裏切らなければああああああぁぁぁぁぁぁっ!」
水木はソレイユに掴みかかり、押し倒した。
そして馬乗りになると、今度こそ全力で首に手をかける。
「裏切りやがって、女の分際でっ、俺を、この俺を! 性処理ぐらいにしか役に立たなかったくせによぉ、肉便器の分際で生意気なんだよおおぉオッ!」
「あ、ぐ……」
苦しむソレイユだが、腕を振り払おうとはしない。
まるで死を受け入れているようだ。
いや、それどころか――彼女の口元には、笑みが浮かんでいる。
「は、ぁ、は……いい……の、か?」
「何がだッ!」
水木が声を荒げた、まさにその瞬間の出来事だった。
ガシャアァァァンッ!
艦橋を、スペルヴィアが特攻した時以上の揺れが襲う。
水木とソレイユの体は揺れに耐えきれず転がり、壁に叩きつけられた。
「……っ、つぅ……なんなんだよ……何もかも、何なんだよおぉっ!」
「ふ、ふふ、さすがにエリュシオンも、内側からあんな化物に暴れられたら、ひとたまりもないらしい」
「化物……?」
「ウルティオだよ、センイチロウ。忘れたの? 演算室に居るのはアニマ使いだってことを。機械兵じゃ殺せない、それどころか――」
”言うな”と水木は強く願ったが、ソレイユには彼の思惑などどうでもいいことだ。
なにせ、自分の命すらどうでもいいと思えるほど、生きる気力が失われているのだから。
「じきに、エリュシオンは墜ちる」
それが、次に水木に襲いかかる理不尽である。
いや、積み上げられた謀略の結果だ、理には敵っているのだろうが――だとしても、水木にとって理不尽であることは間違いない。
「逃げろっていうのか? 俺に、この俺にッ!」
「私と一緒に逝くっていうんなら、ここで首を締めて殺してくれてもいいけど?」
「ぐ、ぐ……く、くっそおぉぉぉおおおおおおおッ!」
拳に血が滲むような強さで壁を殴りつけると、水木は艦橋の出口へ向かって走った。
もちろん、ソレイユはそのまま置いて。
自動でドアが開き廊下に出ると、再び大きな揺れが彼を襲う。
よろめき、壁を支えにしながら何とか転倒を防ぐと、人工知能に命じた。
「脱出路をナビゲートしろッ!」
『かしこまりました、艦長。この廊下を右に進んでください』
壁に寄りかかりながら、機械音声の指示に従って艦内を進む水木。
急がなければ――エリュシオンの内部はリアルタイムで破壊されており、複数あったはずの脱出ルートはすでにいくつかが使用不能な状態となっていた。
『次の曲がり角を左に、その先を右に進んでください』
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
体に力が入らない。
頭がくらくらする、足元も覚束ない。
流れる血のせいか、貧血に近い状態に陥っているのだろう。
ボロボロになりながらエリュシオンの廊下を進む彼の脳裏に浮かぶ言葉は、ただ1つだけ。
――こんなはずじゃなかった。
ひたすらに、そう繰り返している。
「他人を陥れるのは、俺の役目だ」
こんなはずじゃなかった。
「白詰は、最高に惨めな死に方をするんだ」
こんなはずじゃなかった。
「誰にも負けない、最強の力を手に入れるんだ……」
こんなはずじゃなかった。
「世界の全ては……俺のものになるはずなんだ……」
こんなはずじゃなかった。
「俺は……俺は……」
再び、強い衝撃。
水木は吹き飛ばされ、肩と側頭部を壁に強打する。
「ぅ……」
もはや激昂する体力すら、水木には残されていなかった。
そのままずるりとへたり込むと、一時は動かなくなってしまう彼だったが、弱々しく震える足に力を込めて立ち上がった。
「……あいつは、白詰は、必ず俺を殺しにくる」
足を引きずりながら、少しずつ、だが確実に脱出口に近づいていく。
「その時に……殺してやる。返り討ちだ」
その目に宿る殺意の炎は未だ尽きず。
岬を虐げてきたことも、彩花を殺したことも、彼は一切反省していないようだ。
いや、そもそもそれを罪だとは思っていない。
これだけの報いを受けても尚、自分こそ上に立つのに相応しい人間であり、底辺を殺すのは自分の当然の権利なのだと信じているのだから。
「まだ終わっちゃいねえぞ、白詰ェ……ひゃひっ、ひは、ひははははっ……!」
墜ちゆく艦に、男の引きつったような笑い声が響いていた――