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96  最後の一手

 





 リアトリス・スピカータは、意外なことにごく普通の家の生まれだった。

 貧しくもなければ裕福でもない農民の子供として生まれ、優しくも厳しい両親と姉に育てられ――しかし彼女には、他の子供と異なる点が1つだけあった。


『われはこーてーだ! 生まれながらにこーてーなのだ!』


 皇帝にまつわる童話を読み聞かせたわけでもなく、彼女自身がどこかで皇帝を見たわけでもない。

 だが、リアトリスは自分が皇帝であると信じきっていた。

 その強い意志は、両親ですらお手上げ状態になってしまうほどで、それは例え山賊に襲われ村が滅んでも、その後の一人旅で死の危機に瀕しても変わらなかった。


『我は皇帝になる、必ずだ。ゆえにここでは死なぬ』


 そして、彼女の信念は尽く現実となり、やがて旅の途中で出会った人殺し以外に生き方を知らなかった女と共に帝都に至り、前皇帝を破ってその座を奪い取った。

 それがリアトリス・スピカータが歩んできた人生の軌跡である。


「ろうそくのように小さな炎を灯し長く生きるより、激しく燃え上がり自身の存在を世界に刻み込んで散りたい。前世の我が、そう望んだのかもしれぬな」


 スペルヴィアの維持が困難になった彼女は、草むらでビオラに膝枕をしてもらいながら空を――そして泣きそうな伴侶の顔を眺めていた。

 ビオラの涙腺を震わすのは、リアトリスの死という事実というよりは、死を目前にしてもいつもと変わらない彼女を見なければならない辛さだ。

 本当は目を背けたい。

 けれど、これが一緒に過ごせる最後の時間だと言うのなら、記憶に全てを刻み込んで起きたい。

 対立する2つの願望のうち、彼女は後者を取った。

 この辛さごと記憶に残して、残りの人生を生きる糧にしよう、と。


「おぉ……空が光っておる」


 その時、エリュシオンから多数の光線が放たれ、王国のアニマを襲った。

 流星のような美しさと、世界の終わりを思わせる恐ろしさが同居したその光景を、ビオラとリアトリスは無言で見つめる。

 事実、それは比喩でも何でもなく、リアトリスにとっての世界の終わりを告げるトリガーでもあった。


「あれがミサキが言っておった光か。くっはは、何もかも予定通りだのう」


 水木はまず、自分の優位を示すために力を誇示しようとする。

 だが最初から奥の手は使わない、優越感を得るためである。

 自分が余裕を持った状態で、相手を超越する。

 それこそが、彼にとって重要な条件なのである。


「ねえリア、いっそここで、私たちが予定調和を崩してみる?」


 ビオラは岬のことになど興味はない、と言わんばかりに発言した。


「恐ろしいことを言うのう、ビオラは。心だけでなく、我の死に場所すら奪うつもりか?」

「だって、そうしたら何時間かぐらいは一緒に過ごせる時間が伸びるじゃない」

「そのために世界を見捨てるか」

「リアの居ない世界なんて、私にとっては無意味だもの」


 それは紛れもなく、ビオラの本音である。

 彼女は目を細め、視界を涙で潤ませながら、リアトリスの髪を指先で梳いた。

 交合より深い愛情表現だ。

 そしてビオラは世界を呪う。

 叶わないとわかっていて恋をさせて、届かないとわかっていて嘆かせて、失うとわかっていて焦れさせて。

 そんな世界に呪詛を撒かずにはいられない。


「くははっ、世界のために死ぬ我を”かっこいい”と讃えてはくれぬのだな」

「皇帝陛下にとって都合の良い私の方がよかった?」

「まさか、お前がお前だから我は惚れたのだ。ただ従属するだけの女になど興味は無いわ」

「そう。じゃあ、私は笑って送り出さないから。悲しみと怒りを込めたブッサイクな顔して、失敗しろ! って恨みながら見送るから」

「ビオラならそれでも可愛いと思うぞ」

「……そこは可愛い顔をしろって言ってよ」

「なぜだ?」

「可愛い顔を見たいならもっと一緒に居ろ、ってわがまま言えるから」


 女心は難しい、とリアトリスは「くはっ」と笑った。

 彼女は心地よい応酬にいつまでも浸っていたかったが、もうそろそろ時間だ。

 エリュシオンが次の攻撃を開始する前に、事を起こさねばならない。

 リアトリスはビオラの膝から体を起こし、立ち上がった。


「では行ってくるぞ、ビオラ」

「……行ってらっしゃい、あなた」


 嫌味のつもりだったのか、普段は使わない呼び方をするビオラ。

 それは結果的にリアトリスを喜ばせるだけだったが、確かに名残惜しさは増した。

 きっぱりこれでお終いにしよう、と決めていた彼女の決意を揺るがせる程度には。

 ……今度こそ最後だ。

 そう自分に言い訳をして、リアトリスはビオラに顔を寄せ、触れるだけの口づけを交わす。

 そしてすぐさま背中を向け、少し離れた場所で待機していた命の元へと向かった。


「待たせたな、ミコトよ」

「ぐすっ……ううぅぅ……っ」


 リアトリスに声をかけられた命は、ビオラ以上に泣きじゃくっていた。


「なぜお前が泣いておる」

「あんな、あんな別れぇっ……ビオラさんもぉ、絶対に、つらぐでぇ……!」


 当事者でも無いくせに、よほど感情移入していたらしい。

 呆れ笑いを浮かべながらも、ふと、リアトリスは思い出した。

 命と出会った時、なぜ彼女に母親の面影を見たのか。

 それは、命の甘ったるいほどの優しさを見たからでは無かったか。

 まさに、他人のためだけにボロボロ泣けるほどの優しさを。


「ミコトには礼を言わねばな」

「……ど、どうじで、わだじ、に?」

「郷愁だ」

「きょーしゅう?」

「解らぬのならそれで良い、ただ我が感謝しているということだけ理解してくれれば。我に久しく忘れていた感情を思い出させてくれた、それだけの話だ」


 同時に、結局自分も人間であるということを思い出した。

 そのおかげで、ビオラとの別れを、皇帝としてではなく、1人の人間として終わらせることが出来た。

 それは紛れもなく、命がリアトリスに与えた”甘え”のおかげだったのだ。


「さあ始めるぞ。いつまでも泣いている場合ではないぞミコト、我の花道をしっかりとその目に焼き付けてもらわねば困るからな!」

「……うん、わがっだ!」


 まだ涙声だったが、その目はしっかりとリアトリスの目を見ていた。

 覚悟は済んだ、ならばあとは実行するのみ。

 命は目を閉じ胸に手を当て、リアトリスは天に向かって手を伸ばし、それぞれのアニマの名を呼ぶ。


「一緒に見送ろう、ルクスリア!」

「共にらしく(・・・)終焉を飾るぞ、スペルヴィア!」


 2本の光が天に伸び、灰色の機兵と金色の巨人が平野に姿を現す。

 スペルヴィアはルクスリアに手を伸ばすと、その体を握り、自分の肩の上に乗せた。

 アニマを乗せてもその重量を物ともせず、スペルヴィアは平然としている。

 ルクスリアは肩の上をバランスを取りながら進むと、首に手を伸ばした。


「いいんだね、リアちゃん?」

「問いかけなど不要だ、ミコト」


 リアトリスの返事で迷いを断ち切った命は、ついにスペルヴィアの首に触れる。

 これにて、スキル知性を否定する愛(ロマンティクス)の適用は完了。

 あとは命じるだけである。

 岬とプラナスが彼女たちに託し、リアトリスの命を賭した、最後の一手を。


「リアちゃん、あなたにはこれから――エリュシオンに特攻してもらいます」


 あの巨大さだ、生半可な攻撃では太刀打ち出来ないのは明らか。

 それが例えスペルヴィアであっても、通常武装では大したダメージを与えることは出来ないだろう。

 それこそ、全ての魔力を、たった一度の攻撃に込めなければ。

 かと言って、スペルヴィアには開戦時に披露した”ヤハウェ”以上の威力を持つ武装があるわけではない。

 ならば――強引に全ての魔力を使わせるしか無い。


「残る命と全ての魔力を機体の加速に使用し、スペルヴィアごと1つの弾丸となって、エリュシオンに衝突してください」


 命令が終わると、スペルヴィアはひとりでにふわりと浮かび上がった。

 ルクスリアはその肩から飛び降り、背中に向けて別れの言葉を告げる。


「じゃあね、リアちゃん」


 すでに体の自由が効かないリアトリスは、前を向いたまま言った。


「うむ、弟と仲良くな、ミコト。そして、どうか幸せに生きておくれよ――ビオラ」


 リアトリスが持つ全てが、力となってスペルヴィアに満ちていく。

 機体はいつしか淡い光に包まれ、前進を開始していた。

 最初はゆっくりと、次第に速度を増し、一定の加速度を維持してエリュシオン目掛けて一直線に突き進む。


「……ふ」


 ゴォォォ――

 巨大な機体が空を切る。


「く、ははっ」


 ゴオオォォォオ――

 風を越え。


「くは、くははははっ」


 ゴオォォオオオオッ――

 音を越え。


「くはははは、はははははっ!」


 ゴオオォォォオオオオオオ――!

 光すら越え。


「くっはははははははははははははァッ!」


 リアトリスは高らかな笑い声を響かせながら、高速でエリュシオンへと接近した。




 ◆◆◆




 エリュシオンの艦橋に、けたたましくアラームが鳴り響く。

 レッドランプが点灯し部屋中を赤く照らすと、椅子に座り、岬殺害の余韻に浸っていた水木は慌てて立ち上がった。


「何だ、何が起きやがった!?」

『全長50m程度の物体が接近しています』


 彼の問いかけに、機械音声が答える。

 エリュシオンは少人数での運用をサポートする人工知能が搭載されている。

 艦内の保守や各機関のメンテナンス、カスタム、さらには食事の用意までも、艦長、あるいは副艦長の指示に従い、人工知能が実行してくれる。


「近づかせるな、とっとと撃ち落とせ!」


 水木が指示すると、先ほどウルティオを撃破した不可視の弾丸がスペルヴィアに射出された。

 だが、その程度の損傷など今のスペルヴィアには無意味。

 肩に命中したことで一時的にバランスを崩すも、速度は全く落ちることなく――一定の加速度でスピードアップを続行する。


『威力不足と判断、副砲の使用を提案します』

「なら最初からそれを使えよ無能がッ!」


 突然の事態に焦りを覚える水木は、人工知能を怒鳴り散らす。

 岬が死んだことで完全に気を抜いていた。

 まさかその直後に、このエリュシオンに攻撃を仕掛けてくる無謀な人間が存在するとは。

 接近する物体がディスプレイに表示されると、水木はさらに驚愕した。


「まさか、あのバカでかいのがアニマなのかよ!?」


 スペルヴィアを初めて目にする者は、誰もが同じような反応を見せるだろう。

 さらに色も目立つし背中の光輪も派手だ、一度見てしまうと二度と記憶からは消えてくれない。


「破れかぶれで特攻を仕掛けたってことか。はっ、だがこのエリュシオンに届くわけが――」


 ドオォオオオン――!

 複数の副砲が命中、スペルヴィアは爆炎と煙に包まれ姿が見えなくなる。

 「はっ」と水木が鼻で笑う。

 所詮はこの程度だ、アニマ程度でエリュシオンの攻撃に耐えられるわけが――そう確信したからだ。

 だが、規格外がエリュシオンだけの専売特許ではない。

 ゴオオォオオオッ!

 炎の中から姿を表す、ボロボロになりながら、それでも質量を維持したままのスペルヴィア。


「馬鹿な――今のを耐えた、だと!?」


 装甲の至る部分が砕け、腕は千切れかけ、足はねじ曲がっている。

 それでもスペルヴィアは止まらない。

 意識を失うほどの苦痛がリアトリスを襲っていたが、大量にぶちまけられた脳内麻薬が彼女に痛みを忘れさせていた。


『くっははははははは! はははははははは! 征け、征け、征けえェいッ! リアトリス・スピカータの偉大なる勇姿を世界に刻み込め、スペルヴィアアアァァァァッ!』


 水木の耳に届く、皇帝の笑い声。

 その瞬間、彼はエリュシオンに搭乗して以降初めて――恐怖という感情を抱いた。

 絶対的な力さえあれば、他人に屈することなど絶対にない。

 常に自分は他人の上に立ち、あらゆる生物を見下すことが出来る。

 そう思っていたのに――彼の理想は、砕け散る。

 そして湧き上がる、屈辱、憎悪。


「ど、どうにかしろっ、あいつを止めろっ、エリュシオンッ!」


 慌てて命ずるが、もう遅い。


『――対処不可能です艦長、衝撃に備えてください』


 人工知能があっさりと白旗を上げた。

 ギリッ。

 水木は強く歯ぎしりをしながら、肘置きを握る力に手を込める。

 本来なら体を固定するベルトもあるはずなのだが、エリュシオンに絶対の自信を持っていた水木はそれを使っていなかった。

 椅子の後ろに居たソレイユは、しゃがみこみ、椅子に抱きつき備える。

 そして――


 衝突。

 スペルヴィアが内包する魔力の全てが爆ぜる。

 肉体を自壊させながら、それでもリアトリスは笑う。

 薄れ行く意識の中で、帝国の繁栄と、愛しき人の幸福を祈りながら。


 外の景色を映し出すディスプレイが、真っ白に染まる。

 水木もソレイユも、緊張のあまり呼吸すら忘れていた。

 あらゆる音が消え去った静寂がほんの須臾(しゅゆ)程度に場を支配し――直後。

 体が浮き上がり天井に叩きつけられる程の衝撃が、艦橋を襲った。


 椅子に抱きついていたソレイユはともかく、肘置きを掴んでいただけの水木の体は激しく揺れ、今にも振り落とされそうだ。

 揺れは最初をピークに徐々に沈静化していったが、完全に静まるよりも水木の握力が限界を迎え、彼は椅子から落ち、頭部を強打する。


「ぐっ、くっそ……!」


 冷たい床に倒れ込んだ水木は、手探りで支えとなる壁を探し、それを頼りに立ち上がった。


「ひぃ、ふぅ……」


 肩を上下させながら、呼吸を整える。

 ソレイユはどうやら無事だったようで、そんな彼の姿を無表情に見つめていた。


「んだよクソが、クソが、クソがクソがクソがッ! 舐めた真似しやがって。帝国か? 帝国のアニマだったのか!?」

『アカシックレコードよりデータ照合――特徴合致。当艦に衝突したアニマの名はスペルヴィア、操者はリアトリス・スピカータ。インヘリア帝国の皇帝です』


 自分の顔が濡れていることに気づいた水木は拭い取る。

 そして確かめるように手のひらを見ると、そこにべとりとこびりついたのは、赤い血だった。

 額の皮膚は薄く、出血しやすい。

 怪我自体は大したものではなかったが、”帝国の皇帝のせい”で”自分が血を流した”という事実は変わらない。


「たかが皇帝風情が、あんなちっぽけな国でふんぞり返ってる女なんぞが、俺に傷を負わせたのか! 艦の主であるこの俺にぃぃィィィッ!」


 それは、彼の自尊心を傷つけるに十分過ぎる出来事だった。

 拳で何度も何度も壁を叩き、水木は怒りを露わにする。


「エリュシオン答えろ、主砲は撃てるか!?」

『主砲に被害はありません、艦長。船首周辺に若干の損傷を確認しましたが、すでに自己修復を開始しています』


 スペルヴィアの全てを賭しても、エリュシオンに与えられるダメージはその程度である。

 撃墜などもってのほか、考えることすら愚かだ。

 それでも――誰かの命を犠牲にしてでも、そうする必要があった。

 その必要性を知る者は、すでにプラナスしか残されていないが。


「はっ、はは……はひひひひゃはははははっ! そうか、そうかよ、主砲は問題ないんだな?」


 人工知能と会話する水木の瞳には、狂気が宿っていた。

 彼は命令する。


「この力で支配してやるつもりだったが、もう世界なんてどうでもいい! エリュシオン――主砲の発射準備を開始しろッ」


 なぜエリュシオンは封印されたのか。

 その真の答えを知るのは、現代より遥かに高い技術を誇り、この戦艦を作りあげ、そしてナノマシン・グラティア――現代に於いて”魔力”と呼ばれる存在をも作り出した、古代の人々だけである。

 しかし、想像は容易だ。

 ウルティオを撃破した不可視の弾丸でもなく、一瞬で王国のアニマを壊滅状態に陥れた副砲でもなく。

 エリュシオンの真価は、その主砲にあった。


『注意喚起。当艦の主砲を使用した場合、多数の人命が失われ、自然環境に多大なる影響を与える可能性があります。それでもよろしいですか?』

「とっととやれよ」

『射線上に存在する地域、及びその周辺区域において以後数千年から数万年の間、人類が生息することは不可能になります。それでも――』

「うるせぇなァ、艦長の俺がやれって言ってんだよ、誰がどうなろうと知った事か!」

『かしこまりました、それでは主砲発射シーケンスを開始します』


 注意事項など、水木は聞いていなかった。

 まあ仮に聞いていたとしても、同じ返事をしただろうが。

 世界を滅ぼす可能性がある――それは冗談でも何でも無い。

 エリュシオンが搭載する動力源が生み出すエネルギーを用いれば、主砲を数発放つだけで世界は崩壊させることができる。

 そんな物騒な代物を持つ戦艦を、ほんの数人の力で運用出来てしまうのだ。

 まっとうな理性を持つ人間なら、封印しようとするのは当然のことだろう。

 いや、むしろ――破壊するべきだったのだ。

 ”いつか使うときが来るかもしれない”、そんな欲望が”封印”という妥協を生み出し、そして後世に多大なる影響を与えてしまった。

 封印が存在しなければ、それを解くためのオリハルコンは生まれなかったはずなのだから。


『無限円環エンジン、フルドライブ。フィロソフィカル・コンバータにエネルギー注入開始。主砲発射シーケンス進行状況……10パーセント……20パーセント……』


 再び椅子に座り直した水木は、口を歪めながらディスプレイに表示されるチャージ状況を見つめる。


『30パーセント……40パーセント……』


 水木は中々上昇しないゲージに苛立ち始めたのか、貧乏ゆすりを始めた。

 彼の靴裏が硬い床を小刻みに叩く。


『50パーセント……60パーセント……』


 この段階で発射しても、帝国を含むその射程範囲内にある国家は全て滅びるだろう。

 だが水木はそれを望まない。

 狭量な彼は、自分に傷をつけた帝国の存在すら許容出来ないのだ。

 潰すのなら、完膚なきまでに。


『70パーセント……80パーセント……』


 ソレイユは無表情でディスプレイを見つめる。

 彼女の胸を満たすのは、空虚。

 視線こそ水木と同じ方を向いているものの、その目に映る光景が同じものかどうかは怪しいものだ。


『90パーセント……』


 エネルギーのチャージが完了すると、エリュシオンの艦首が変形を始める。

 艦橋のある上部がせり上がり、開いた部分から、巨大な砲台が姿を現す。

 ガシャンッ、ギギギギ……ガゴンッ。

 砲台が動きを止め、固定されると、


『……100パーセント』


 艦橋にそんな機械音声が響く。

 ついに――準備は整ってしまったのだ。


『主砲発射シーケンス完了しました。最終的な発射命令の権限は艦長にのみ与えられています。命令をどうぞ、艦長』


 機械音声のアナウンスを聞いた水木は、立ち上がり、ソレイユの方を見た。


「これで世界が滅びたらさ、残る人類は俺とソレイユだけになる」

「……ああ」

「運が良いよなぁ、ソレイユも。つまりはアダムとイヴってやつだ。俺としても女が1人も居ないとつまんねぇから、一緒に神にでもなろうぜ?」

「それも、いいかもな」

「だろ? ほらこっち来いよ。俺と一緒に、世界の終わりを始めるんだ」


 ソレイユは水木が差し伸べた手を取ると、2人で艦橋の前方へと移動した。

 それでも、相変わらずソレイユの表情は変わらない。

 ただ無表情に、意味もなく前方を見ているだけ。

 しかし、そんなソレイユの状態に、他人に興味の無い水木は気づいていなかった。

 結局のところ、女であれば誰でも良かった。

 ちょうどその役割に、純粋で騙されやすく、心の弱いソレイユが合致した、というだけで。


「白詰といい、帝国といいさぁ、無駄に抵抗するからこんなことになるんだよなァ。大人しく従えば良いんだよ、身の程を知ればいいんだよ。どいつもこいつもそれを弁えない、だから追い詰められる」


 思い返すのは、彼が死の淵に追い詰めてきた数々の人間たち。

 彩花や岬はもちろんのこと、それ以前の――

 岬と同じように生徒たちと一緒になって自殺した、気の弱そうな男子生徒。

 自分に気があるような素振りを見せたから一度だけ抱いて、期待させておいて捨てた女子生徒。

 仲間と一緒に酒に酔わせて犯した、大学生の女。

 微妙にリアリティのある噂を流して、少しずつ追い詰めた同僚。

 他にも色々と――なぜか(・・・)誰もが抗おうとする、自分を恨もうとする。

 不思議だった。

 なぜ上位の生き物である俺に反抗しようとするんだ? と水木は本気で考えていた。


「だけど、そんな気分の悪ぃ世界ももうおしまいだ」


 反抗する者の居ない世界を作る。

 誰もが自分を崇め、上位の存在だと認めるしか無い世界を。

 失敗したらまた消せばいい。

 消しゴムは自分の手にある、白紙の世界に書き記すペンもまた。

 権利はある。

 準備もできた。

 あとは――実行を、宣言するだけだ。


「ひひっ……さあ、さあ! エリュシオォンッ!」


 高ぶる気分、上昇する体温、汗ばむ体、高鳴る鼓動。


 ――ああ、世界を壊すってのは……こんなにも、俺を最ッ高な気分に高めてくれるものだったんだな!


 これまでの人生で感じたことのないエクスタシーを全身に浴びながら、水木は右腕に力を込め指を蠢かせると、その手を勢い良く前に突き出した。

 そして告げる。


「主砲、発射しろぉぉおおおおおおおおッ!」


 声を掠れさせながらの、絶叫。

 人工知能はそれを艦長による命令と判断。

 無限円環エンジンによって生成され、フィロソフィカル・コンバータにより変換、チャージされたエネルギーの一斉放出が始まった。


 ついに終わる。

 全てが終わる。


 水木の手で、間違いなく彼自身の手によって、トリガーは引かれたのだ。


 水木の全身が粟立つ。

 顔に満面の笑みを貼り付け、腕を痙攣させながら、彼のヴォルテージは最高潮に達した。

 無表情を貫いていたソレイユにも変化があった。

 微かに、頬が引きつったかのように、一瞬だけ口角が上がったのだ。

 そして、次の瞬間――




 カチッ。




 艦橋に、乾いた音が鳴り響く。

 いつまで経っても、世界を滅ぼすほどのエネルギーは放出されず。

 ……エリュシオンの主砲は、未だ沈黙したままだった。






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