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84  2匹の人魚と腐乱死体のアクアリウム

 





 長穂の死体はほどなくして発見され、その情報は瞬く間に帝都に広がっていく。

 遺書も見つかったのだ、”罪の意識に耐えきれず自殺した”と結論が出されるまで、ほとんど時間は必要無かった。

 僕は六平を使って、その情報をドア越しに姶良に伝えさせ――彼女は知る。

 自分に会いに来た長穂は、すでに死んでいたのだと言うことを。

 幻だと思いたくても、梅野を殺した時の血まみれのナイフ同様、手元には長穂から手渡された手紙も残っている。

 恐怖のあまり、彼女は布団に潜り込んだまま、動けなくなっていた。


 そんな姶良の部屋を僕が訪れたのは、午後になってからのことだ。

 ドアをノックしたのが僕だと気づくと、彼女はすぐさま部屋に招き入れた。

 なぜなら、今や僕は、彼女にとって唯一の味方(・・)だったからだ。


 人の心が受け入れきれない現実に潰されそうになった時、その人をどうやったら救えるだろう。

 僕は思う、逃げ道を作ってやることが一番なのだと。

 時にそれは宗教であったり、恋愛であったり、スポーツ、勉強、あるいは肉欲。

 しかし姶良には、別の選択肢を提示しようと思う。

 責任転嫁。

 耳元で優しく囁いてやるんだ、


「姶良さんは悪くないよ、きっと全て誰かが仕組んだことなんだ」


 ってさ。

 嘘は言っていない。

 木暮と姶良が関係を持ったこと、梅野の死、長穂の自殺、それら全ては誰か()が仕組んだことだから。

 それを聞いた姶良は、目を輝かせた。

 姶良のことだ、”そうか、その手があったか。私は悪くない、黒幕が別に居ると考えればそいつに責任を被せられる”とでも考えているんだろう。

 異様に口角がつり上がった不気味な笑顔を顔に貼り付けて彼女は言った。


「だ、誰なのかな……そこまでして私を追い詰めたのは、誰なの?」


 縋るように、僕に答えを求める。

 せっかく逃げ道を用意してあげたのに、それでもまだ、僕に責任を押し付けようとしているらしい。

 けどそこまで優しくはない。

 答えを出すのは姶良自身だ、最終的に全てを背負うのは、彼女でなくてはならない。


「僕にはわからないよ。姶良さんは、自分を恨んでる人に心当たりはないの?」

「私を……恨む……」


 心当たりは、あるはずだった。

 奪った、大事な物があったはずだ。

 そう仕向けたのが僕だったとしても、最終的に彼と関係を結んだのは姶良の意志。


「もしかして……いや、でも……」

「あるんだね、それは誰なの?」

「それは……それはぁ……」


 姶良は頭にはっきりと浮かぶ彼女(・・)の名前を言葉にすることを拒む。


「言わないとわからないよ、姶良さん」


 けれど僕はそれを許さない。

 重要なのは、姶良に言わせることだ。

 誰に誘導されていようが、その罪を背負うのは彼女自身で無くてはならない。


「り……梨里、ちゃん」


 葛藤の末、彼女はとうとう彼女の名前を言ってしまった。

 咲崎梨里。

 姶良によって木暮を奪われ、ストレスを溜めてしまった結果、声を失った少女の名を。


「そっか、咲崎さん。確かに、姶良さんに恨みを持っててもおかしくないね」

「……うん」

「こういうのはさ、直接話をした方が早いと思う。僕が咲崎さんを呼んでくるよ」

「えっ、待って!?」

「どうしたの、姶良さん」

「こ、怖いよ……何をされるか、わからないし」

「大丈夫だよ、僕も一緒に居るから。絶対に咲崎さんに手は出させない。それに、人気のない場所も用意するから、万が一話を聞かれることも無いと思うよ」

「白詰くん……」

「じゃ、行ってくるね」


 姶良に手を振って部屋を出る。


 それから、僕は咲崎の部屋に行くふりをして、20分ほど時間を潰した。

 そして、あたかも咲崎と話してきたかのようなフリをして、部屋に戻る。


「姶良さんっ、咲崎さんはもう話し合いの場所に行ってるから、一緒に来てもらってもいいかな」

「……わかった」


 しばらく動いていなかったから、姶良の体はふらついている。

 僕は彼女の手を握り、支えながら、部屋を出て、廊下を進み、階段を降り、城の地下へと向かう。

 ここの地下は人気はないし、蒸し暑く、じめじめとしている。

 明かりは廊下に吊るされた、やけに古ぼけたランプだけで、絶妙な薄暗さがこの空間の不気味さを加速させていた。


「ここ……どこ、なの?」

「今は使われていない、たぶん倉庫だと思う。ここなら兵も居ないし、大きな声を出しても誰にも気づかれない」

「こんな場所があったなんて……」


 僕も知ったのは、つい数日前のことだ。

 リアトリスに、誰も近づかず、使っていない部屋は無いかと訪ねた所、ここに案内された。

 その部屋には、扉が2つあった。

 別々の場所に、ではなく――おそらく何かが外に出ることを防ぐためなのだろう、2枚の扉が重なるように設置されていたのだ。

 今は一枚しか閉じられていないが、それでも金属で作られたその扉は、倉庫にしてはやけに重厚だった。


「この中に……梨里ちゃんがいるんだね」

「そうだよ、鍵は開いてるから入りなよ」


 姶良が扉を押し開けると、中からむわっとした空気が溢れ出てくる。

 そして開かれた薄暗い部屋の中で、彼女が見たものは――


「咲崎さん……?」


 うなだれた状態で壁に鎖で繋がれた、咲崎の姿だった。

 糞尿は垂れ流しの状態だし、水を与えられて居ないからか顔もやつれている。

 すでに24時間以上もそこで放置されているのだから当然だけど。

 部屋に足を踏み入れた姶良を見て、咲崎は目を見開く。

 そして体に残ったありったけの体力を使って、必死に叫んだ。


「だめよ奏っ、今すぐ逃げてええぇぇぇっ! 全部、やったのは白詰なのっ! 梅野を殺したのも長穂が死んだのもっ、全部白詰が仕組んでたのぉっ!」

「え、何が――」


 僕は戸惑う姶良の背中を蹴飛ばすと、素早く扉を閉め、鍵をかけた。

 ドンドンドンドンッ!

 内側から姶良が必死に扉を叩く。


「なんで閉めるの!? なんで梨里ちゃんは鎖で繋がれてるの!? ねえ白詰くんっ、答えてよ、教えてよぉっ!」


 この扉、かなり部屋を密閉しているはずなんだけど、まだ辛うじて声は聞こえる。

 けれど二枚目の、さらにごつい扉を閉め、鍵をかけると、今度は扉を叩く音すら全く聞こえなくなった。


 さて、この部屋――リアトリス曰く、前々代の皇帝が作った、非常に悪趣味な部屋らしい。

 彼はこの部屋を、”水槽”と呼んでいたそうで、非常に無駄なことに、当時の技術の粋を集めて作られているんだとか。

 何がそんなにハイテクなのかと言えば、秘密は咲崎と姶良を閉じ込めた部屋の隣にあった。

 僕は早速、隣の部屋に入ろうとすると……廊下の向こうから、百合が姿を現す。


「あれ、どうしたの?」

「やっぱりここだった。咲崎さんと姶良さんを殺すんだよね、だったら一緒に見てもいい?」

「もちろん! 一緒に楽しもっか」


 僕は彼女の手を握り、今度こそ隣の部屋に入った。

 無骨な石造りのその部屋は、入って右側の壁が一面ガラスになっており、隣の処刑室(・・・)の光景を見ることが出来た。

 もちろん、向こうからも僕たちの姿が見えるし、パイプみたいな道具を使っての会話も可能。


『ひっ、いやああああああああぁぁぁぁあっ!』


 今は、ちょうど扉からの脱出を諦めた姶良が、梅野の腐乱死体を見つけて叫んでいるところだった。


「なんで叫んでるの、姶良さん。梅野くんを殺したのは姶良さんじゃない」

『な、何でこんな所に……大地くんが隠してくれたはずじゃ……』

「なんでだろうねぇ、不思議だねぇ。あ、ちなみにそっちの木箱には長穂が入ってるよ」

『どうやって……そんなこと……』

『帝国の人たちは、みんなあいつの味方だったのよ。帝国に亡命してきた時点で、私たちは詰んでたのよ』

『そんな……そんなのって……』


 姶良が崩れ落ちる。

 そのまま具合が悪くなってしまったのか、口元をおさえたかと思うと、嘔吐してしまった。

 密閉されたあの部屋じゃ、梅野と長穂の死体だけで酷い臭いだろうしね。

 あと咲崎の排泄物も混ざってるはずだし、咲崎自身がよく平気な顔できるなって尊敬するよ。


「ねえ岬、このあとどうするの? まさか放置しておくだけ?」

『その声、まさか赤羽……?』

「久しぶり、梨里。今日は一緒に梨里のこと殺しに来たの」

『頭おかしいわ……どうかしてる』


 咲崎はガラス越しに百合のことを睨みつけた。

 鬼のような形相を向けられて、百合は困ったように苦笑いを浮かべながら、こっそりと僕に耳打ちをした。


「と言うか、アニマを呼び出したら、ここから逃げられるんじゃないの?」

「僕も思ってたんだけど、追い詰められてそこまで頭が回ってないんじゃないかな。それか、王都の時の癖で町中でアニマを呼び出すって感覚が無いのかもね」


 まあ呼び出したとしても、このタイミングで城を壊したんじゃ処刑は免れないだろうけど。


「それじゃ、そろそろ始めるよ。咲崎さん、姶良さん、何か言い残すことはない?」

『言い残す、こと?』

『私たちを殺すつもりなのね。はっ、こんな所に閉じ込めて殺すなんて、陰気な白詰がやりそうなことだわ。あんた、そんなんだからいじめられてたのよ!』


 僕がこんなんになったのは、異世界に来たからなんだけどな。

 じゃあ日本に居た頃は、どんな理由で僕をいじめてたんだろう。


『人殺しは幸せになんてなれない、あんたには絶対に報いが――』

「はいはい、そういうのは長穂の時で聞き飽きたから」


 月並みな言葉しか言わない咲崎に飽きた僕は、部屋に設置してあったレバーを引き下げた。

 ガコンッ!

 すると、処刑室の天井の一部がずれ、穴が開く。

 ちょうどこの部屋の上には水路が通っていて、そこに流れる水が自然と落ちてくる仕組みらしい。


『水っ!?』

『くっ……白詰っ、白詰えぇぇぇぇぇっ!』


 滝のように流れ落ちる水は、ほんの10秒ほどで2人の足元を水浸しにした。

 それでも水は止まらず、膝、太もも、腰とみるみるうちに部屋が満たされていく。

 部屋に放置されていた梅野の死体は浮き上がり、揺れながら姶良の体にまとわりついた。


『いやああぁぁぁっ! やだっ、やだっ、気持ち悪いっ、あっちいってよぉっ!』

『奏、落ち着いて! 落ち着いて脱出できる場所を探すの!』


 姶良の体に近づくのは腐乱死体だけじゃない。

 まるで死してもなお欲望が尽きないかのように、長穂の死体の入った木箱も姶良に近づいていく。

 水に濡れた影響か、箱からは赤黒い血液のようなものがにじみ出ていた。


「すごいねこの部屋! 前の皇帝さんの気持ちがちょっとわかるかも」


 百合は僕に腕を絡めながら、楽しそうに言った。

 もっとこう、どす黒い喜びを満たすために2人を殺すつもりだったんだけど、百合と腕を組んでいるとまるでデートみたいだ。

 こういうの、水族館デートって呼んで良いのかな。


『が、がぼっ、かな、でっ……!』

『梨里ちゃんっ! あ、あぁっ、鎖を、鎖を解かないとっ!』


 胸元まで水が溜まってくると、腕を鎖でつながれた咲崎の顔が沈み始める。

 彼女は必死に顔を動かして酸素を確保しようとし、姶良は鎖を解こうと手を伸ばすものの、外れるわけもなく。


『ごぼっ……ぐ、ご……ぉ……』


 完全に沈んだ咲崎は、声も出せず、空気の泡を吐き出すだけになってしまった。


『りりちゃ……り、り……うぅぅ……やだ、やだっ、死にたくない、じにだぐないよぉおおおおっ!』


 もはや呼吸すらしなくなった咲崎は、おそらく死んだんだろう。

 友人を失った姶良は、水だか涙だかわからない液体で顔をぐしゃぐしゃにしながら、泣き叫ぶ。

 さらに必死に泳いで窓に近づいたかと思うと、拳で窓を叩きながら喚いた。


『だずげでええええぇぇぇぇっ! お願いっ、おねがいじまずぅっ! わだじ、わらひぃ、うううぅぅぅぅっ!』

「姶良さん……」

『しろづめぐううぅぅんっ!』

「どう思う、百合。助けてあげる?」


 レバーを上げれば水は止まるだろうし、排水口を開けば水も引く。

 もう咲崎は手遅れだろうけど、姶良だけは助かるかもしれない。

 あえて百合に尋ねると、彼女は笑いながら言った。


「殺そうよ、別にいらないし」

『あ……ああぁぁあああ……』

「だってさ。じゃあね、姶良」

『うわあああ――がぼっ、げえぇ……あぁぁぁあああっ! だずげでっ、だれかっ、だれが……ぼっ……ぶはっ、はっ、ああああぁぁあああっ!』


 もがき苦しむほどに、彼女の体は水に沈んでいく。

 水を飲み込んでしまう呼吸すらままならず、呼吸ができなければ体は思うように動かず。

 どちらにしたって、じきに部屋の天井まで水が満ちるわけで。

 もはや、彼女に生きる術は残されていなかった。


「こんな光景、なかなか見られないよね」

「うん……死んで欲しかったやつらが、4人も浮かんでる。こんな素敵な光景が見られるなんて、日本に居た時は想像もしなかったよ」


 百合が僕の肩に頭を載せた。

 それから少しして、姶良はもがくのをやめ、息絶え、水の底へと沈んでいく。

 そして梅野と長穂の死体と絡み合いながら、しばし濁った水の中を漂っていた。






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