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82  芽吹き

 





 梅野の死から時間が経過し、それでも何故か死んだはずの梅野が動き回っていると言う状況は、木暮と姶良から現実感を喪失させつつあった。

 何せ、周囲に聞いても口を揃えて”梅野を見かけた”と言うのだ、ならばそもそも彼の死自体が嘘だったと思いこむほうが楽だし2人にとって都合がいい。

 あの日は夢を見ていたのだ。

 2人がそう結論を出すまでに、そんなに時間はかからなかった。

 そして彼らは、少しずつ落ち着きを取り戻し、現実から目を背けて日常へと回帰していく。

 そんなの、僕が許すわけもないのに。


 皇帝の部屋から出た僕は、まっすぐに姶良の部屋に向かった。

 夕食まで若干時間のあるこのタイミングなら、まだ木暮は部屋に来ていないはず。

 軽くノックをして名乗ると、彼女はすぐに僕を部屋に入れた。

 これまですでに数回姶良の元を訪れており、すっかり警戒は解けたようだ。


「ごめんね、なかなか良くならなくて」

「いいよいいよ、ゆっくり治していこう。環境が変わるとどうしても体調って崩れるものだから」


 彼女たちの前で善人を装うのは、やはりとてつもない苦痛だ。

 けれど、彼女たちを取り巻く環境を自分が掌握しているんだ、という実感が、それ以上に大きな優越感を僕に与えてくれる。

 その歓びこそが、僕を突き動かす原動力だった。


「そういえばさ、この前、姶良さんと一緒に果物を食べたよね」

「うん……ミリーっていう果物だっけ、すごく美味しかったよ」

「気に入ってもらえてよかった、また持ってくるよ。けどさ、あの時に確か……この部屋に、ナイフを忘れていったと思うんだけど」


 姶良の体がびくんと反応を見せた。

 わかりやすいなあ、はは。

 でも、見て見ぬふりをする。今の僕は優しい上司だから。


「心当たり、ないかな。食堂から借りてきた物だから、失くしたって言ったら怒られちゃってさ」

「私は……知らない」

「あれえ、そうなんだ。おっかしいなあ、じゃあどこで落としたんだろう、食堂に帰る時かな」


 すこし大げさに演技しながら言うと、姶良は勝手に追い詰められていく。

 手は小刻みに震え、首筋には汗が浮かんでいた。

 そこで、もうひと押し。


 ガタンッ。


 部屋の外から聞こえてきた物音に、僕と姶良は同時に扉の方を見た。


「なんだろう、何か落ちたような音がしたよね?」

「……うん」

「見てくるね、ちょっと待ってて」


 僕は立ち上がり、扉を開くと、足元に落ちていたそれを拾い上げた。

 刃が鞘に収まった、小型のナイフだ。

 僕が姶良に果物をご馳走したときと同型の――というか、全く同じもの。


「あれ、なんでナイフがこんな所に?」


 そう言いながらナイフを姶良の方に見せつけると、彼女は目を見開く。

 僕と全く同じことを考えたんだろう。

 けれど、僕にとってはただの果物ナイフでも、姶良にとっては梅野を殺した凶器。

 受け止め方の深刻さは、僕よりも彼女の方がずっと深くて。


「っ!?」


 体調が悪いはずの姶良は素早い動きでベッドから這い出ると、こちらに駆け寄り、僕の手からナイフを奪い取った。


「はぁ、はぁ、はぁっ!」

「ど、どうしたの姶良さん、そんなに急に立ち上がったらまた具合が悪くなるよ? それにそのナイフ、僕が持ってきたやつだよね?」

「はぁ、はあぁ、はあぁぁっ」

「食堂に返さないといけないから、貰ってもいい?」

「だめえぇっ!」


 姶良は必死に叫ぶ。

 そして覗き見るようにちらりと鞘をずらし、刃を見ると――そこにべったりと付着する黒ずんだ血液を見て、また慌てて刃を隠した。

 青ざめた顔、絶望に満ちた表情。

 そうそう、いいよその表情。

 僕はそれを見るために、わざわざ六平を使ってナイフを外に置かせたんだ。

 どう? 現実に引き戻された気分は。

 最高に最悪だよね、吐きたいぐらいだよね。

 じゃあ、次はそれを木暮に見せよう。絶望を共有しよう。

 そして自覚するといいさ。

 梅野を殺したのは、私なんです、ってさ。


「姶良さんがそんなにそのナイフを気に入ったなら、僕も無理強いはしないよ。もし不要になったら返してね、食堂に戻さないといけないから」

「ふうぅ……ふううぅぅ……」

「さっきよりも顔色が悪いけど、大丈夫?」

「はっ……ぅ、大丈夫じゃ、無い。気持ち悪いから……寝るね。ひとりに、して」

「わかった、何かあったら僕か木暮くんを呼んでね」


 不自然なまであっさりと引き下がると、僕は部屋を出た。

 これで良し。

 ああ見えて、姶良は酷く自己中心的な女だ。

 姶良と咲崎は残された数少ない女子で、比較的うまく付き合っている、友人とも呼べる2人だった。

 だというのに、姶良は咲崎から木暮を奪ったんだ。

 男子受けの良い優しくておっとりとした少女――そんな仮面は、姶良を追い詰めていけば自ずと剥がれる。

 そうなった時、ヒステリックに喚く彼女を受け入れられるほどの器量は、木暮には無い。

 何せ、木暮は木暮だから。クラスの勝ち組にはなれなかった、中途半端な男だから。

 結果、2人は孤立する。

 頼れる相手が居なくなった時、もはや彼らは、哀れなモルモットでしかない。

 手のひらの上で好きに踊らせて、疲れ果てたら殺してしまおう。

 さて、まずは――




 ◇◇◇




 姶良と木暮の仲違いイベントは、僕の予想よりも早く、その日のうちに発生した。

 追い詰められ、限界を迎えた姶良は木暮を責めたてた。


『あなたがちゃんと死体を隠さないからこんなことになったんだ』


 対する木暮は、もちろん反論する。


『お前が殺したくせに、なんで俺がそんなことを言われなくちゃならないんだ』


 うん、正論は間違いなく木暮の方だ。

 しかし姶良は自分が正しいと信じることをやめない。

 口論は平行線、2人の意見は交わること無く――喧嘩はヒートアップし、木暮は部屋を飛び出した。


 翌日になっても木暮は姶良の部屋に行く様子はない。

 そして同時に、いつの間にか咲崎も姿を見せなくなっていた。

 今日も作業のために外に出た所で、浮かない表情をした木暮が僕に近づいてくる。


「あの、白詰さ。梨里がどうしてるか知らないか?」


 つい最近、咲崎と喧嘩した手前、直接聞きに行くことも出来ないのだろう。

 僕はすぐさま答えた。


「実は、昨日あたりから体調を崩してずっと寝てるみたいなんだ」

「梨里まで!? いや……そうだな、以前から辛い出来事があるとすぐに体調を崩してたし、そうなるのも仕方ないか」


 10割方、お前のせいだけどね。


「ただ体調を崩しただけだったら良かったんだけど」

「何かあったのか?」


 僕はうつむきがちに、まるで咲崎の身を案じているような表情を作りながら、低い声で言った。


「失声症。ストレスとかが原因で発症するらしいんだけど、一時的に声が出ない状態みたいで」

「そんな――梨里が、いつの間に!?」

「昨日だと思う。咲崎さんにとっては声が出なかった事自体もショッキングだったみたいで、部屋から出ようとしないんだ」


 木暮は悔しそうに歯を食いしばった。

 自分が原因だということに気づいているからだろう。

 しかし、それでも彼は咲崎に会いに行こうとはしない。

 姶良と肉体関係まで持った人間が、今さらどの面を下げて会いにいこうというのか。


「なあ白詰、無責任だってことはわかってる。でも……頼むっ、梨里のこと、見てやってくれないか!」


 深々と頭を下げて、頼み込む木暮。

 あの木暮が、僕を殴ったこともある木暮が、あろうことかその僕を信用して、頭を下げるなんて。

 馬鹿馬鹿しい、笑い飛ばしてやりたくなる。


「わかった、咲崎さんのことは任されたよ。その代わり、作業の方頑張ってね、木暮くん」

「ああ、わかった。ありがとう白詰!」


 ありがとう、か。

 どうしてこの男は、何もかもが僕の思惑通りだってことに気づかないんだろうか。

 と言うか、よくもまあ、仲間を1人殺して、埋めておいて、グループのリーダー面できるよね。

 その面の皮の厚さだけは、尊敬するよ。




 ◇◇◇




 僕の予定では、このまま木暮とも疎遠になった姶良を追い詰め、殺すはずだった。

 しかしその日の晩、予想外の出来事が起きる。

 考えてみればあり得る展開で、計画が狂ってしまったのは、見立ての甘かった僕のミスだ。


 要するに、姶良がなぜあんな男性受けの良い性格になったか、という話。

 彼女は根本的に寂しがり屋だった。

 あまりに寂しいので、常に誰かしら男子を隣に置いとかなければ我慢出来ない程に。

 考えてみれば、日本に居た頃から、彼女の隣には常に誰かしら男子が居た。

 その悪癖は異世界に来てからも変わることは無く――木暮を失った彼女は、その代わりの人間を求めたわけだ。

 つまりは、残る1人の男子、あの暗くて根暗で色の白い長穂を。


 長穂は元から姶良に気があったため、夜のうちに木暮と仲違いした彼女を心配して、部屋を訪れたらしい。

 その時、姶良の精神状態は限界に達していた。

 ナイフが戻ってきたことで、梅野の死を夢として片付けることも出来ず、木暮もいなくなり、誰も自分を慰めてくれない。

 弱っていく心、去来する寂しさ、連動して悪化する体調。

 追い詰められた姶良は、衝動的に――部屋を訪れた長穂を誘惑した。

 ぽっかりと空いた穴を埋めるために、好きでもなければ興味も無い、彼を利用したのだ。


 そして翌朝、正気に戻り自分のやってしまった事を後悔した姶良は、今や唯一の相談相手となった僕を自室に呼び出した。

 以前よりさらに顔色が悪くなり、頬もこけてしまった姶良は、年齢以上に老けて見える。


「私……昨日、男の人に襲われたんだけど、どうしたらいいのかな?」


 姶良は、その相手が長穂であるということを明かさない。

 もちろん、彼女は僕が百合やエルレア、お姉ちゃん、フランサス、そして時に六平を使って、事の一部始終の情報を集めていることなど知らない。

 だから、それが同意の上での行為であることは気づかれていないと思っているし、相手の名前を伏せた時点で自分が被害者になるつもりなのは明らかだった。


「迫られて、押し倒されて。怖くて怖くて、とてもじゃないけど逆らえなかったの」


 ほらね。

 そして彼女が長穂の名前を伏せたのには、おそらくもう1つの理由がある。

 それは、僕に責任を押し付けるため。

 長穂の名前を出せば、上司である僕は彼への罰を軽くしてしまうかもしれない。

 しかし、それが見知らぬ男性Aならば、容赦なく厳しく男を非難するだろう。

 長穂に対する罰が重いものになってしまった場合、言い出したのは白詰岬だ、私じゃない、と言うことにして自分を守ろうとしている。

 どこまでも小賢しく、醜い女だ。

 けれど僕は、あえてそれに乗ることにする。

 計画は変更。

 姶良は後回しにして、長穂を先に殺してしまおう、そう決めたから。


「大変だったね、姶良さん……」


 僕はこみ上げる吐き気を抑えながら、彼女を慰めるためにその体を抱きしめた。

 ……あとでシャワー浴びないとな。


「白詰くん……」

「辛かったよね、怖かったよね。か弱い女の子を襲うだなんて、とんでもないやつだ!」

「う、うん」


 あまりに大げさに僕が慰めるものだから、若干戸惑っているようだ。

 僕はそんなキャラじゃないって思われてるんだろうな。

 まあ、自分でもそう思ってるよ。


「城の警護兵に伝えに行こう」

「えっ、警備兵?」

「彼らに言えば、きっとその襲ってきた相手を監視してくれると思う。姶良さんが名前を伏せてるってことは、出来るだけ穏便に済ませたいんだよね? だったら、それが一番いいと思うんだ」

「警備兵って、男の人だよね……」

「女の人も居るし、口も硬いから大丈夫だよ」

「その、警備兵さんに襲ってきた相手の名前を教えたら良いの?」

「うん、きっとそれで伝わるはずだよ。今すぐ行こう、今の僕なら紹介できるから」


 反論の隙も与えずに、僕は姶良の手を引いて部屋を出た。

 あまり抵抗が無い所を見るに、彼女も長穂への罰としては妥当だと考えているんだろう。

 彼女にとって重要なのは、長穂が罰を受けることではない。

 自分が被害者になり、みなに同情されることなのだから。




 ◇◇◇




 姶良が警備兵に長穂の名前とその罪状を伝えると、彼らは姶良を守り抜くことと、情報を漏らさないことを約束した。

 そして姶良は安堵の表情を見せ、僕にお礼を言うと自室へと戻っていった。


 ――そしてその日のうちに、長穂が姶良を犯したという情報は、城中に瞬く間に広がっていった。

 夕食の時間を待つこと無く噂は城に広がりきり、やがて城外――帝都にまで伝搬していく。

 無論、噂は姶良の耳にまで届き、彼女は大いに戸惑った。

 どうして、絶対に誰にも言わないって約束したのに、こんなに広まってしまったの、と。


 長穂が歩くと、ひそひそと誰かが噂をする。


『あの人、女の子を襲ったんですって』


 長穂が歩くと、誰かが舌打ちをして吐き捨てる。


『あいつ女を犯した男のくせによく歩き回れるよな』


 長保が歩くと、何者かに肩を捕まれ殴られる。


『おい強姦魔、とっとと城から消え失せろ!』


 彼にとっては、意味不明な事態だろう。

 なぜ自分が罵られなければならないのか、なぜ自分が殴られなければならないのか。

 何もかもがわからない中、1つだけ心当たりがある。

 昨晩、姶良と寝たこと。

 けれどあれは姶良から誘ってきてやったことのはずだ、自分が強姦魔呼ばわりされる謂われなんて――

 と言い訳をしても誰も信じない。

 長穂はもはや、満場一致で悪人だった。

 事実などどうでも良いことで、圧倒的に悪人になってしまった彼が裁かれるまで、噂を知った人々は彼を蔑み続けるだろう。


 翌朝、食堂に向かうと、誰もが長穂から距離を取り、離れた場所から噂をした。

 珍しく近づいてきた人がいると思うと、熱いスープを頭にぶちまけられる。

 長穂は泣いたが、誰ひとりとして彼に同情する人間は居なかった。


 その後、外に出て作業を始めると、やはり誰かが噂をしている。

 そして子供が近づいてきたかと思うと、彼にそこそこ大きな石を投げつけた。

 石が側頭部に命中すると、肌が切れてしまったのか、流れた血が髪に絡み、こめかみを濡らす。

 長穂は崩れ落ち、涙を流しながら体を震わせたが、誰も助けには来なかった。

 ……僕を除いて。


 僕は心配するフリをして長穂に近づいた。

 ポケットからハンカチを取り出し、傷口に当てる。


「長穂くん、大丈夫?」

「ボクじゃない、ボクじゃないんだ……」

「あの噂のことだよね、僕はわかってるよ」

「本当に?」

「うん、信じてる。長穂くんは酷いことなんてしてない、ただ、ちょっと気持ちが空回りしちゃっただけなんだよね」


 僕の言葉に、長穂は絶句した。

 ああ、この人すらボクを信じていないのか――と絶望し、目に涙を浮かべる。


「長穂くん、動いちゃだめだよ。ちゃんと傷の治療をしないと」

「違う、違うんだっ! ボクは何もしていない、ボクは悪くない、全部何かの間違いでっ……!」

「うん、うん、わかってる。わかってるから」

「白詰くんは何もわかってないいぃッ!」


 両目から涙を零しながら、両手を強く握り、ありったけの声で彼は叫んだ。

 響いた声に、周囲の人々は一斉に長穂の方を見た。

 氷よりも冷たい視線が突き刺さる。

 いくつも、いくつも。


「やってないんだよぉっ! なんで信じてくれないんだ、ボクは、ボクはぁっ!」

「長穂くんっ!」


 そして耐えきれなくなった長穂は、掠れた叫び声をあげながら、どこかへ走り去ってしまった。

 そんな彼の背中を見て一言。


「はは、順調に壊れてるな」


 僕は消えた長穂を追うこともせず、踵を返し、軽い足取りで百合やエルレアが作業している場所に向かった。

 元からメンタルがあまり強くない長穂のことだ、限界を迎えるとしたら、明日あたりか。




 ◇◇◇




 その日の夜、食事を終えて、城から出て外の空気を吸っていると、フランが姿を現した。


「お隣あいてますかっ?」


 無邪気にそう問いかける彼女を見て、人殺しだと思える人が一体どれほど居るだろう。

 僕ですら、未だに信じられない。


「見ての通り、空いてるよ。なんでわざわざ聞くかな」

「予約が入ってるんじゃないかと思って。ユリとか、エルレアとか、ミコトとかっ」


 今の予約は入ってないけど、たぶん部屋に戻ったら百合が待ってると思う。


「あ、今誰かのこと思い浮かべてたでしょ」

「百合だよ」

「へー、今日の夜伽の相手はユリなんだぁ」

「よとっ……ったく、フランはどこでそんな言葉覚えてくるんだか」

「キシニアと一緒に居るとね、どうしても無法地帯(ローレス)のおっさんたちの下品な言葉が聞こえてくるから」


 存在自体が情操教育によろしくないような連中だ、フランはその中で育ってきたから歪んでしまったのか。

 いや――どうにも僕は、彼女はもっと根本的な問題があるように思える。

 歪むでのはなく、スタート地点から間違っているような。


「そういやさ、ずっと気になってたんだけど」

「んー?」

「フランはなんで僕のことを気に入ってくれたの?」

「それ、前にも言わなかったっけ。あれでも納得できないなら、具体的はわたしにも説明出来ないよ。強いて言うなら、好きな匂いがするから、かな。わたしは好きって思った人に、好きって思ってもらえるような行動をしてるだけだから」

「それが、キシニアさんと僕だったってこと?」

「うん、2人のことは、人殺しと同じぐらい大好き。だから2人が人殺しをするともっと大好き!」


 嘘偽りのない素直な言葉に、僕は思わず頭を抱えた。


「どうしてそんな困った顔をしてるの?」

「もしも、だけどさ」

「うんうんっ」

「王国との戦いが終わったあとに、戦いのない場所でのんびり暮らしたいって言ったら――フランは、ついてくる?」

「……戦いのない場所? そんなの、この世にあるの?」

「絶対にとは言えないけど、縁遠い場所ならあると思うんだ」

「そこに、わたしが?」

「もちろんユリやエルレアも、お姉ちゃんだって連れてくつもりだけどさ」


 それは、復讐が終わりに近づくにつれて徐々に現実味を増してきた、未来の話だった。

 復讐は過程に過ぎない。

 重要なのは、全ての重荷(クラスメイト)が消えたあとの、未来の過ごし方。

 その幸福のために、僕は彼らを殺している。


「んー……戦いが無いってことは、人を殺すことも出来ないんだよね」

「でも僕はそこに居る」

「お姉さんは、わたしもそこに連れて行くつもりなの?」

「退屈だって言うんなら無理強いはしないよ」

「お姉さんはどうして欲しい?」

「……ついてきて欲しい、かな。付き合いはそんなに長いわけじゃないけどさ、好きって言ってくれる人と一緒に居たいとは思う」

「一緒に居たい、かぁ」


 フランは言葉を噛みしめるように反芻した。

 一緒に居るという言葉、それは彼女にとって何か特別な意味でもあるのだろうか。

 彼女は大きく息を吸うと、珍しく憂鬱な表情を浮かべて、空を見上げながら語った。


「わたしね、善悪の彼岸(インヴィジブル)ってスキルを持ってるでしょ? あれって、ある日、急に目覚めたの。お外で遊んでて、家に帰ったら、わたしは誰にも気づかれなくなってた。大好きなパパとママも、誰も」


 それは、今よりも幼かった頃の話。

 今でも十分幼いというのに、その当時のフランにとって、両親にすら気づかれないという孤独は、あまりに過酷なものだったろう。


「話しかけても、触っても、誰も気づかないの。攻撃したら気づいてくれる、なんて条件、あの時のわたしにわかるわけもないから。でも、わたしはわたしに気づいて欲しかったから、その行動は少しずつエスカレートしていった」


 僕は小さく相槌を打ちながら、彼女の話を聞き続ける。


「パパは、アニムスの整備士だったんだ。そんなパパに気づいて欲しかったわたしは、高い場所から大きな工具を落として、パパの背中にぶつけた。これだけ痛ければ、きっと気づいてくれるはずだ、って」


 幼いフランは、死なんて知らなかった。

 無知ゆえの残酷さ、それが悲劇を生んでしまったのか。


「それはアニムス用の工具だった。人にとっては大きいけど、アニムスにとっては小さな、銀色の、物を潰すために使うモノ。わたしのパパを殺した凶器。名前は、パニッシャー」


 それは、普段彼女が持ち歩いており、またアーケディアが主武装として使っている、あの工具のようなものだ。

 いや、結局本当に工具だったってわけか。

 アニムス用ならば、あの大きさも納得できる。


「でもね、そのおかげで、パパは最後の最後にわたしを見つけてくれたんだ。パパの最後の言葉は、『やっと会えた、ありがとう』って。わたしは嬉しかった、ずっと気づいて欲しかったパパがわたしに気づいてくれたんだから」


 だから、父親の次は――


「だからわたしは、ママも殺した。パパを殺した時と同じ工具で、背中から撲殺した。そしてママも『ありがとう』って言ったから、わたしはそれからずーっと同じことを繰り返したんだ。人を殺すのはいいことだ、そうパパとママが教えてくれたから」


 そうして、幼き殺人鬼は誕生した、ってことか。

 おそらくだけど、キシニアと出会うまでの間、フランはひたすらに無差別に人を殺し続けたんだろう。

 だからこそ軍の目に止まり、そしてキシニアによって捕らえられた。


「でもね、最近はちょっと違うような気がしてた。キシニアと出会って、一緒に過ごして、違和感が生まれて。そしてお姉さんに出会って、何度もお話して、それで……その違和感が、何なのかわかったんだ」

「それは何だったの?」

「パパとママは、死ぬ前に、”ありがとう”だけじゃなくて、”ごめんなさい”とも言ってたの。『一緒に居られなくてごめんなさい』、そしてその後に、最後に会ってくれてありがとう、って。パパとママがわたしに伝えたかった大事なことって、本当は”ありがとう”じゃなくて、”ごめんなさい”だったんだ」


 フランの殺人癖の根源にあるものは、両親を求める寂しさだ。

 それを埋めるために両親を手にかけ、そして人を殺し続けた。

 誰にも気づかれない少女の、精一杯の自己主張。


「一緒に居られなかったら、ごめんなさい、なんだね。一緒に居たい、って言ってくれる人の隣にいることが、一番大事なことなんだよね。別れがあったから”ありがとう”があった。でも、別れが無いならそれに越したことはない。そして今、わたしに一緒に居たいって言ってくれる人がいる」


 正直、僕はそこまで深く考えて発言したわけじゃない。

 だからちょっとばかし罪悪感はあるけれども、結果的にフランが僕の申し出を受け入れてくれるのなら、まあいいのかな。


「人殺しは楽しいし、機会があればまだまだやりたいけど、お姉さんが一緒に居たいって言ってくれるなら、それが一番良いと思う。たぶん、わたしにとって一番幸せな選択だと思う」

「じゃあ、答えはイエス、ってことでいいのかな」

「うんっ、戦いが終わってわたしとお姉さんが生き残ってたら、だけどね。賑やかで楽しい生活になるんだろうな! あ、もちろんわたしにもえっちなことしてくれるんだよね?」

「いや、まだそれは早いから」

「えぇー! 実の姉に手を出すくせに?」


 うっ、そこを突かれると痛い。

 とは言え、まだ手は出してないし、さすがにこんな小さい子にいかがわしい行為をするわけにもいかないし。


「もうちょっと大きくなったらね」

「ちぇっ、エルレアがすごい声出してたから、わたしも興味あったのに」

「……聞こえてたの?」

「たまたま部屋の前を通ったら、丸聞こえだったよ? あんまりしゃおんせーは高くないらしいから、気をつけた方がいいよ、お姉さん」


 それは嬉しい忠告だ、今夜も同じ過ちを犯す所だった。

 あー……でもなあ、百合も結構声が大きいし、特に今日は久々だから盛り上がりそうだし。

 まあ、場合によっては割り切る必要もあるのかもしれない。


「あとさ、お姉さん。あの亡命してきた6人を殺そうとしてるんだったよね?」

「ん? そうだけど」

「お姉さんがウメノってやつに変装してるトコ見たけど、じゃあ本人はもう死んでるってことなのかなっ」

「死んでるよ、あえて仲間に殺させたから」

「で、アイラって女とナガホって男が死にそうな顔してるのも、お姉さんの仕業なんだね?」


 手を腰の後ろで組みながら、小悪魔のように笑うフランに僕は徐々に追い詰められていく。

 別に彼女になら全部話したって構わないんだけど――ちょっと嫌な予感がするな。


「もちろん、全員殺すつもりだからね」

「見たところ、アイラとナガホはもう大詰めみたいだから、わたしも無理にはとは言わないよ。でも、残り3人はまだ余裕があるよね?」

「残り2人ね、1人はもう死んでるから」

「あ、そうなんだ。じゃあ2人の、そのどっちかでいいから、わたしにも手伝わせてよっ」


 ……やっぱりそう来たか。


「やっぱり殺せる機会があるなら殺したいし、お姉さんと一緒なら絶対に楽しいもん! ね? 手伝うだけでもいいからっ」


 まだ計画に余裕があると言えばあるんだけど。

 六平の殺し方はもう決めてるし、となると木暮か。

 フランが入る余地なんてあるかな……まあ、どうにかなるのかなあ。

 僕が頭を悩ませていると、フランががしっと僕の体にしがみついて、駄々をこね始めた。


「あいつらにはわたしの姿が見えてないんだし、絶対にうまくやるからっ! ねーねー、いいでしょー?」


 まるで姉に物をねだる妹のように、フランのわがままは続く。

 実際、戦いが終わった後に一緒に過ごすとなれば、妹みたいなポジションに落ち着くんだろうし。

 かわいがってやりたいと思ったからこそ、誘ったわけで。

 多少の無理は生じるけど……仕方ない、聞いてやるか。


「わかった。ただし、とどめを刺すのは僕の仕事だから、殺さないように加減してよね」

「やったぁーっ! さっすがお姉さんだよ、大好きっ、ほんと大好きっ!」


 調子がいいんだから。

 それでも、まんざらでも無いっていうか。

 顔がニヤついてる僕も、相当調子がいいやつなんだけどさ。






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