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74  だから、少しの間だけさよなら。 - ZERO overtime

 





「はぁ……はぁ……はぁ……」


 プラナスは火照って汗塗れになった体を晒しながら、ベッドに体を投げ出した。

 あれから何度繰り返してきただろう。

 ただ素肌同士を触れ合わせただけでも脳が焼ききれそうなほど甘美なのに、”それ以上”を繰り返してきたプラナスの頭は、完全に蕩けきっていた。


「ふ……幸せそうな顔をしているな」


 足元から四つん這いで枕の方に戻ってきたアイヴィは、そのままプラナスに覆いかぶさり、頬を撫でた。


「こんなに幸せになれるなら、もっと早く……恋人になればよかった」


 もはや汚染は理性で抑え込めない段階にまで進んでいる。

 それでもプラナスは、アイヴィの本当に言いたかった言葉を読み取って、愛おしそうに頬を撫でる手を両手で包み込んだ。


「今まで待ったからこそ、こんなに幸せなのかもしれませんよ」

「ああ、そうか。そういう考え方もできるのか」

「変に悲観的になるより、前向きに考えた方がいいじゃないですか」

「そうだな、考えようによってはこの世に悲劇など存在しないのかもしれない」


 そう言うと、アイヴィはプラナスに唇を押し付ける。

 自然と2人は舌をつきだし、互いの口腔に滑り込ませた。


「ん、ふぅっ……」


 プラナスは舌の側面をくすぐられ。


「ぁ、ん……」


 アイヴィは舌の裏側を舌先で撫でられ、甘い声を漏らす。

 告白の日から、一時も離れずに愛し合っていた2人は、いつの間にか相手の好きな(・・・)場所を理解するようになっていた。

 例えばプラナスなら、他には首が弱かったり、尾てい骨のあたりを撫でると反応が良かったり。

 アイヴィなら、耳元で囁くとそれだけで体を熱くするし、意外とするよりもされる方が好きだったり。

 色々だ。

 ずっと付き合ってきて、それでもわからなかった新たな側面を、沢山見ることが出来た。

 まだ知らない部分だって沢山残っているんだろう。


 ちゅぱ――2人の唇が離れる。

 唾液が一瞬だけ橋を作ると、すぐに細くなって途切れた。

 それを見て、アイヴィは少しだけ寂しい気分になる。

 今のが、最後だと決めていたからだ。


「プラナス」

「はぁい」


 プラナスは、彼女に名前を呼ばれるだけでも幸せだった。

 胸がいっぱいになって、思わず泣きそうになるぐらいに。

 けれどそんな時間も、もう終わる。

 すでに数時間前に準備は済ませてあって、汗と色々な匂いが充満する部屋の床には、無造作に投げ捨てられた衣服と――頑丈なロープが転がっていた。

 首吊り自殺が一番楽だ。

 そんな情報を仕入れたのは、一体いつのことだったのだろう。

 確か何かの本だったと思うが、そのタイトルまでプラナスは覚えていない。


 汚染を消す方法は無い。

 アイヴィの死は、もはや確定事項だ。

 ならば、少しでも幸福な死を求めるのが、残り少ない時間を最も有効に活用するための方法だと、プラナスは考えた。

 その結果、導き出されたのが首吊りだった。


「プラナス」

「どうしたんですか、アイヴィ」

「プラナス……プラナス……」


 アイヴィの声が次第に震えていく。

 ただ名前を呼んでいるだけだというのに、名残惜しさが膨らんで、破裂して。

 もう、涙を我慢することはできなかった。


「触れるどころか、もう、名前も呼べないんだなぁ……」

「アイヴィ……」

「……すまない、ちゃんと決めたはずなのに。でも、怖いんだ。死ぬのが……いや、死ぬことではない、プラナスを遺していくことが、何より恐ろしい……!」


 目を見開きながら、アイヴィはプラナスの頬に触れていた手を、輪郭を撫でるようにしてゆっくりと首へと動かす。

 気づけば、もう片方の手もプラナスの首にかかっていた。


「なあプラナス、どうせ死ぬなら、私と一緒に死んでくれないか?」


 頬を引きつらせながら告げるアイヴィ。

 プラナスは、そんな彼女の馬鹿げた提案を、両手を広げ、微笑みながら受け入れる。


「いいですよ。それがアイヴィの望みなら、一緒に逝きましょう。その代わり、私のあとにちゃんと死んでくれないと、いやですからね?」


 一切の迷いなく言い放つプラナスを見て、アイヴィは自分が何を言っているのか、ようやく冷静に俯瞰することができた。

 さらに大粒の涙が頬を伝う。

 後悔した。

 後悔した。

 後悔した。

 死んでも明けぬ、後悔をした。


「う、うううぅぅぅぅぅうう……あああぁぁぁぁぁああ……!」


 アイヴィは首にかけていた手を解き、額をプラナスの顔のすぐ横に押し当て、泣いた。

 そんな彼女の頭を、プラナスは優しくぽんぽんと撫でる。

 死を目前にして取り乱すのは、人間として当然のことだ。

 狂って居ない限り、誰だって死にたくは無い。

 何かしら、たった1つだけでも、未練を現世に残しているはずだから。

 アイヴィがこれだけ苦しんでいるという事は、彼女の残す未練がそれだけ大きいということ。

 つまり、プラナスをそれだけ愛しているということで――

 嬉しい半面、本当は、プラナスも泣きたいぐらい悲しかった。

 と言うか、とっくに泣いていた。

 どれだけ幸福な死を求め、実行したとしたって、幸福な生にはどう足掻いても届かないのだから。

 出来ることなら、2人とも生きて、幸せになりたいに決まっている。


「ああぁぁぁぁあ……あ」


 その時、アイヴィの泣き声が突然止まった。

 枕からすっと顔をあげると起き上がり、死んだ目で、壊れた笑顔で語り始める。


「プラナス、オリハルコンは素晴らしい物質だ。私もようやくそれがわかったんだ」


 そこに居たのは、もはやアイヴィではなかった。


「オリハルコンは素晴らしいぞ、力が湧いてくる。私には魔法の才能がなかったが、これさえあればプラナスにだって勝てるかもしれないな。オリハルコンは素晴らしい物質だから」


 先程までの葛藤など全く無かったかのように、フラットな感情で言葉の羅列を続けるアイヴィの形をした何か。

 プラナスはそんな彼女を冷めた目で見ていると――ふいに、アイヴィの目に光が戻る。

 自我を取り戻した彼女は、悲しげな笑顔を浮かべて言った。


「プラナス、私を死なせてくれ」


 その言葉に、プラナスは柔らかな声で「うん」と返事をした。




 ◇◇◇




 天井に設置したフックにロープを引っ掛け、そして垂れ下がったロープの先端に人の頭が入る程度の輪っかを作る。

 ロープと首が触れる場所には、上等な布のハンカチが巻きつけてあり、体重がかかったときに痛くならないように保護してあった。

 アイヴィはゆっくりと近くに置かれた椅子に登ると、両手でぶら下がったロープの輪を固定する。


「本当に、いいのか?」

「何がですか」

「最後まで見届けると言ったことだ……辛いっ、だろう?」

「辛いですが……この前言ったじゃないですかぁ。私の全ては、プラナスのものだって。だから、生きてるアイヴィも、死んでるアイヴィも、全部私の記憶に収めておかなきゃならないんです」

「そういう、ものか?」

「ええ、そういうものなんですよ。少なくとも、私にとっては」


 出来るだけ悲しさを中和しようと、明るい口調で話すよう2人は心がけていたが、そんなことが出来れば苦労はしない。

 現在進行形で、2人の顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。

 それでも別れの時はやってくる。

 アイヴィはアイヴィのまま死ぬことを選んだ。

 すでに、気を抜かなくとも、気づけば汚染された自分が表に出てくる、そんな状態になっていた。

 プラナスから離れれば、その瞬間に二度と今のアイヴィが戻ってくるととはないだろう。

 そう確信していた。


「なあプラナス、きっと私が死んだらわかることだと思うんだがな」

「どうしたんですか?」

「レスレクティオのことだ。ずっと、不思議に思っていたんだ。どうして魔力を持たない私が、プラナスを差し置いて、アニマ使いになれたんだろう、って」

「才能ですよ」

「違うんだよ、プラナス。オリハルコンを摂取してから、私の体には魔力が満ち始めていた。私は、私自身(・・・)のアニマに目覚めつつあったんだ」

「どういう、ことでしょう」


 プラナスも知らない事実を、アイヴィは知らせようとしていた。

 今はまだ仮定でしかないが、この事実と共に感謝の言葉を伝えなければ、死んでも死にきれないから。


「レスレクティオは、プラナスのアニマだったんじゃないか?」


 何を言い出すのかと思えば、とプラナスは苦笑いを浮かべた。


「私自身のアニマが目覚めるたびに、元からあった力が隅に追いやられていくのを感じる。気のせいじゃないんだ、たしかに今、私の中には2つの力が同居している」

「でも、そんなことしたつもりは――」

「ずっと一緒に居たんだ、プラナスが私を守ろうと思って、いつの間にか与えていたのかもしれない」


 信じられなかった。

 プラナスは今まで、一度だって自分の中にアニマの存在など感じたことは無かったからだ。

 しかし、ここでアイヴィが嘘を言うとも思えなかった。


「守っていたのは、私ではなかった。私はずっと、プラナスに守られていた」

「そんなことありませんっ、アイヴィはずっと私を守ってくれました!」

「ありがとな、プラナス」

「アイヴィ!」


 抗議の意味を込めて名前を呼んでも、アイヴィはてこでも動きそうにない。

 アイヴィ自身がそう信じ込んでしまった以上、プラナスが何を言っても無駄なのだろう。


「じゃあ、逝くよ」


 時間はあまりない。

 プラナスは妥協し、まだ言い足りない文句をぐっと飲み込む。

 言うべき言葉は、別にあるはずだから。


「っ……あの、アイヴィ」

「ん?」

「愛しています、永遠に」

「……ああ、私もだ。愛しているよプラナス」


 静かに、しかしはっきりと言い放ったアイヴィに、プラナスはうまく返事できず、大きく首を縦に振った。

 部屋に沈黙が満ちる。

 互いの呼吸音だけが静かに響き――アイヴィは震える足で、椅子を蹴り飛ばした。

 ガタンッ。

 木製の椅子が床にぶつかり、転がる音が、部屋に反響する。


 ギィ……。


 ロープがアイヴィの顎のラインに沿って食い込む。

 一瞬だけ苦しそうに、首をかきむしるような仕草を見せると、最後は諦めたように腕から力を抜き、視線だけをプラナスに向けた。

 頸動脈が締められ、アイヴィの顔はみるみるうちに赤黒く変色していく。

 意識を失うまで、わずか数十秒。

 がくんと力を失った体は、もう二度と、アイヴィが目を覚まさないことを証明しているようであった。

 ほどなくして全身の筋肉が遅緩し、ありとあらゆる体液、排泄物をその体は垂れ流すだろう。

 しかし、いくら醜くなろうと、最後まで見届けると決めた以上、プラナスは目を逸らしたりはしなかった。


「アイヴィ……アイヴィいぃ……っ」


 しばし彼女の名前を呼び続け、何かを耐えるように強く強く、血が滲むほど強く拳を握っていた。

 それから少し経って、若干ではあるが気持ちが落ち着いた頃。

 目を閉じながら、胸に手を当てる。

 確かにそこに、感覚があった。

 レスレクティオ――アイヴィがずっと使ってきた、アニマの存在が。


「はは……本当に、私の力だったんですね」


 それでも、アイヴィがプラナスを守ってきた事実に変わりはない。

 これは返ってきた力ではなく、アイヴィがプラナスに与えた力なのだ。

 そう思うと、今よりずっと強くなれるような気がした。


 プラナスは床で倒れている椅子を拾い上げると、微かに揺れるアイヴィの体の前に置く。

 そして椅子を登り、至近距離で死体を見つめた。

 目は限界まで見開かれ、排泄物としての涙がどろりと零れる。

 口も、でろんと舌を出した状態でだらしなく開き、唾液を垂れ流していた。

 プラナスは体温の無い頬を撫でると、唇の近くに軽くキスをする。

 その後、椅子を降り、死体に背を向け――部屋を出ていく。


「大丈夫、またすぐに会えますから」


 扉に手をかけ、そう呟いた。

 それは、あの世のアイヴィに伝える言葉であり、自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。






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