71 救いなき戦場 - ZERO the first volume
イリテュムを発現させた百合は、風の音に耳を傾け、気持ちを研ぎ澄ます。
隣にはスキュラーで手足を作り出したテネリタスが立ち、さらにその横ではアーケディアが鈍く光を放つ巨大なニッパ――パニッシャーを支えにしてしゃがんでいた。
その視線は一様に、北の空を向いている。
国境地帯から、帝都の通信施設に連絡が入ったのが2時間前。
上空をスペイス、グラディアート、ストゥーディウムの3機が通過したのが確認された。
まっすぐ帝都に向かっているのだとするのなら、到着時刻は間もなくのはずだった。
百合たち3人が立っているのは、帝都東区だ。
アヴァリティアとイーラは中央通りに、無法地帯のアニマ部隊と共に待機。
亡命してきた5人は、西区で多数の軍所属のアニマ、アニムスと共に敵の到着を待っていた。
残りの1人、六平は、戦闘は不可能だという判断により、住民たちと一緒に避難している。
東区は他の地域よりも若干高い位置にあるため、百合たちからはひと目で帝都の様子を見ることが出来た。
住民は誰ひとりとして出歩いていない。
帝都南側の地下に建設されたシェルターに一部が避難し、その他の住民たちはすでに都を出ている。
ここに居るのは、戦う覚悟を決めた人間のみであった。
「不謹慎だって怒られるかもしれないけど、こういうシチュエーションってドキドキしちゃうな」
フランサスはいつもと変わらず、無邪気さを隠そうともしない。
百合はそんな彼女のことを、少し羨ましいと思った。
その図太さがあれば、今の自分ほど苦しむことのかっただろうに、と。
「ドキドキしているのは私たちも同じですよ、意味合いは少々違うとは思いますが」
エルレアはいつもより少し暗いトーンで言った。
彼女も百合同様に、緊張に押しつぶされてしまいそうなのだろう。
エルレアも自分と同じ心境なのだと知り、百合は少しだけ安心する。
心なしか、体の軽くなったような気がする。
アニマが魂を反映した姿だというのなら、感情がその動きに影響されるのも当然のことなのかもしれない。
「よしっ、頑張らないと!」
百合が気を取り直し、気合を入れ直した――その時だった。
ウオオォォォォォォオオン……。
無機質な建物が雑多に立ち並ぶ帝都ラトプシスに、不吉なサイレンが響く。
町の中央にある通信施設の上部に設置された、大型の魔力駆動式のスピーカーから発せられた音だ。
そして北の遥か彼方、果てしなく続く青色の空に、3つの異物が現れる。
それぞれ右から橙、青、濃い緑をした、アニマの姿だった。
◇◇◇
「敵機を確認。奴らはオリティアでの勝利で調子乗っている、我々の力で現実を突きつけてやれ!」
帝都北側に待機していた、長距離攻撃に適した武装を持つアニマ部隊。
彼らは隊長機の言葉を聞き、各々形の異なる銃を構える。
続けて、その背後に並んでいた帝国製のアニムス――マフラムの小隊が、銃身の長いソーサリーガンを構えた。
「撃てえぇッ!」
ドドドドドドドォンッ!
隊長らしきアニマが合図をすると、全ての武装が一斉に火を噴く。
放たれた無数の銃火は、遠方より迫る3機のアニマに見事命中し、炸裂。
上空は炎と煙に包まれた。
「やったか!?」
隊長機が歓喜に叫ぶ。
そんな彼を見て、クリプトは露骨に舌打ちをした。
無論、その距離からして聞こえはしないが。
「阿呆が、あれは化物だと言ってあっただろうが。早く次の手を打たなければ――」
「キッシシシ、来たみたいだねェ」
キシニアの言葉とほぼ同時に、煙の向こうから3機のアニマがほぼ無傷で現れる。
そして一番左側のアニマ――吉成のアニマ”ストゥーディウム”が、長い砲身をした灰色の銃を構えて呟いた。
「これがオリハルコンの力だ――重力弾、グラベダド」
ヴゥン――
低く鈍い音と共に放たれたのは、深黒の球体だった。
速度はあまり早くない。
ゆったりと不気味に、帝都の北門へと近づいていく。
アニマたちはグラベダドを撃ち落とそうと弾幕を張ったが、びくともしなかった。
やがて黒球は帝都の地面にまで到達すると、一気に膨らみ、半球形になって辺りを覆い尽くす。
「ぐ、おぉ……なんだ、これ、は……」
グ、ググ……バキッ、ガギィッ!
本来、グラベダドは重力球を放ち、着弾点に重力ドームを生成し、相手の動きを抑制するための武装である。
しかしオリハルコンにより武装が強化された結果――その重力は、敵を押しつぶすほどの威力にまで増大した。
出力、機動力の高いアニマたちは重力ドームから命からがら退避するものの、アニムスや貧弱なアニマは次々と膝をつき、強制的に地面に倒されていく。
「あれじゃ無駄に苦しませるだけだよ、次は私が行くから。融解弾ソール、えいっ!」
身動きの取れない部隊に向かって、鞍瀬のアニマ”スペイス”が、額のクリスタルから光り輝く球体を放つ。
グラベダドに似た軌道を描いて地表へと近づくが、その効果は全く異なる。
ソールは本来、その光で目をくらまし、熱で少しずつHPを削る武装である。
しかしオリハルコンの存在によって、ソールの威力もまた、凶悪化していた。
ジ、ジジジ――ゴオオォッ!
地表付近まで近づいたソールはふわりと静止し、高温の熱波を拡散、一瞬にしてあたりを火の海へと変えた。
その場に居たアニムスたちはその熱に曝され、やがてHPを失い、溶かされていく。
無論、重力の効果もまだ続いているので、彼らは潰されながら溶かされることとなった。
もっとも、|障壁(HP)を失ったアニムスの機体内はすでに数百度を超えており、兵はとっくに全身を焼かれて絶命していたのだが。
しかし、重力と熱波から逃れた数名の兵はすぐさま体勢を立て直し、上空のアニマに銃口を向ける。
ドゥンッ!
放たれたソーサリーガンは真っ直ぐにスペイスに向かい――嶺崎のグラディアートがかばうために前に出た。
両手に握られた一対の剣、右手のモラルタ、左手のベガルタ。
ベガルタはモラルタよりも若干小さい、その分だけ小回りがきくのだろう。
それらの剣で撃ち落とすのかと思いきや、彼は微動だにしなかった。
向かい来る銃弾。
このまま行けば、命中する軌道だ。
しかし着弾する直前――グラディアートが避けるまでもなく、銃弾は勝手に左右に逸れていった。
「ありがとう嶺崎くん、やっぱりオリハルコンってすごいね」
「ああ、オリハルコンは素晴らしい物質だ。この力のお陰で俺たちは戦えるんだ」
決してオリハルコンの力ではなく、グラディアートの持つ常時発動型スキル卑怯なる平等の効果なのだが、価値観の歪んだ彼らにそんなことは関係ない。
理屈がどうであろうと、全てはオリハルコンのおかげなのだ。
スペイスを守ったグラディアートは、地表に急降下し剣を振るった。
ズドォンッ!
見え透いたモラルタの一撃は空を切ったが、地面を叩き割り、衝撃波で前方のアニマを瀕死状態にまで追い込む。
「馬鹿な、避けたはずではっ!?」
ヘイロス・ブラスとの戦闘経験のあるキシニアはまだしも、一般の兵はまさか衝撃波だけでダメージを受けるとは思いもしなかっただろう。
そして、すかさずベガルタによるニ撃目が放たれる。
ガシャァンッ!
切られると言うより、砕かれると言った方が正しいか。
ベガルタの一撃をまともに受けた帝国のアニマは、破砕され、全身のパーツを盛大に散らせた。
「く、喰らええええぇっ!」
付近に居たアニマが、恐怖に声を震わせながら、ソーサリーガンを連射する。
マシンガンタイプの武装なのか、放たれる銃弾の数は秒間100にも達するほどで、直撃さえすれば相当な威力を発揮するはずだったが――
グラディアートは、やはり微動だにしない。
銃弾は、勝手に彼の体を避けてゆく。
「何で当たらないんだよおぉぉおっ!」
無駄だと理解しながらも、帝国軍のアニマはソーサリーガンを乱射し続けた。
ガシャン、ガシャン。
瓦礫を踏みしめながら、一歩一歩、敵へと近づいていくグラディアート。
「ひっ、ひいぃぃぃっ……」
腰を抜かし地面に座り込むアニマに対しモラルタを振り上げ、一閃。
それで粉砕する――はずだった。
「スキル発動、欲望は引力ッ!」
いつの間にか接近していたキシニアの声が響く。
グラディアートの体はスキルによって引き寄せられ、振り下ろした剣は何もない空間を切り裂いた。
「移動しただと? いつの間に!?」
戸惑う嶺崎に、キシニアは巨大な斧を振りかぶり、フルスイングした。
ガゴォッ!
グラディアートの横っ腹に、アヴァリティアの一撃。
いくらオリハルコンを纏ったアニマと言えど、踏ん張りきれない。
青色の機体は建物に衝突しながら吹き飛ばされていく。
背部のオリハルコン製ブースターから魔力を噴出しつつ姿勢を制御しようと試みる嶺崎。
だが、回復より先に次の攻撃が迫る。
いや――むしろ、自分から迫っていると言った方が正しいのか。
吹き飛ばされた先に居たのは、もう一体の青い機体、クリプトのアニマ”イーラ”だ。
「あの馬鹿力には及ばんが、その分は技で補おう!」
吹き飛んでくるグラディアートに向かって、大剣を振り下ろす。
「アペルティオー・フローリスッ!」
さらに剣の接触の瞬間、斬撃は分裂し、上下左右から同時に4つの刃が敵を包囲する。
ザシュウッ!
グラディアートにその攻撃を防ぐ手立てはなく、宙に舞い、地面に叩きつけられた。
だが、この程度で相手が倒れるはずがないというのは理解している。
クリプトの予想通り、グラディアートは何事も無かったかのように、すっと立ち上がりイーラとアヴァリティアを睨みつけた。
「抗うくせに、その程度なのかよ」
「言ってくれるねェ、餓鬼が。オリハルコンとやらに操られて調子に乗ってるのかもしんないけど、経験の差ってヤツを見せてやるよ、キッシシシ!」
「珍しく意見が合ったなキシニア。全くもってその通りだ、力の差など技で埋められるということを教えてやる!」
2人は同時に前に踏み出し、グラディアートに向かって駆け出した。
獲物のリーチは2人の方が上、しかも技と経験の差は歴然としている。
どうにかなる、どうにでもなる――そう高をくくっていたクリプトの視界から、グラディアートが消失した。
歴戦の勇士である彼の反応速度を超えたのだ。
「なっ――」
「なら俺が、埋められない差を見せてやるよ」
耳をくすぐるその声は、真後ろから聞こえた。
ベガルタによる素早い斬撃がイーラを襲う。
本能が危機を察知し、クリプトは大剣を体の側面に縦にして構えた。
ガイィンッ!
ぶつかり合う剣と剣。
力負けしたのは、イーラの方だ。
「ぐ、ぬおおおぉっ!」
吹き飛ばされる機体、手には痺れるような感覚。
ザザザザッ!
どうにか着地し、大剣を杖にしてブレーキをかける。
それを見て嶺崎は、偉そうに拍手をしながら挑発をした。
「今のを防ぐなんて結構やるじゃん、おっさん。きっとオリハルコンの素晴らしさを知ったらもっと強くなれるのに、残念だな」
「哀れだな、自我を失ってまで得た力に何の意味があると言うのか」
「自我ならある、見てわかるだろ?」
「あるように思い込んでいるだけだ。ミネザキとか言ったか? お前はとっくに死んでいるのだ、死んで自分自身を演じているだけだ」
「わからないおっさんだなぁ」
「死者と通じ合ってたまるものか、お前はらしく土に還れェッ!」
グラディアートへチャージを仕掛ける。
だが再びクリプトの視界から姿を消し――次はアヴァリティアの背後に移動した。
「キシニアッ!」
「キッシシ、来ると思ったよ――っとぉッ!」
アヴァリティアは背後に肘を放つ。
ガギィッ!
斧での反撃を想定していた嶺崎は、それを慌てて前腕でガード。
生まれた微かな時間を利用して、アヴァリティアはグラディアートの腹部を足の裏で蹴飛ばした。
開いた距離、それはすなわち斧の間合い。
「もらったァッ!」
斜め下から振り上げられるパラシュラーマの一撃。
完全に仕留めたはずだった。
「キニシア、上だ!」
クリプトの声に上空を見ると、そこには迫る魔力塊があった。
とっさに地面を蹴り、避ける。
「くそっ、亡命チームで抑えてるんじゃなかったのかい!?」
アヴァリティアの足元を抉ったのは、ストゥーディウムのソーサリーガンだ。
帝国兵と亡命した5人は必死で上空のアニマに攻撃をしかけていたが、その攻撃を完全に止めるには至っていなかった。
だが、意識をこちらに向けたせいか、ストゥーディウムにいくつかの銃弾が命中している。
その点だけは不幸中の幸いと言えるのかもしれない。
「よそ見をしてる暇なんて無いって」
千載一遇のチャンスを逃したイーラとアヴァリティアにグラディアートが猛攻を仕掛ける。
ブースターと圧倒的な機動力を利用し、視覚で認識出来ない速度で繰り出される立体的な連撃。
背後や頭上に来たかと思えば、次の瞬間には足元を、腹部を。
時になぎ払い、時に切り上げ、時に突き刺し。
バリエーション豊かな攻めに、2人はじわじわと追い詰められていく。
そもそも、一撃の重さが違いすぎるのだ。
2人が食らわせた渾身の一撃は、しかしグラディアートにとっては致命打にはならない。
一方でグラディアートの場合は、まともに喰らえばHPを半分ほど持っていかれる。
それが例え、四将であったとしてもだ。
余裕を見せ、立ち止まったグラディアートに向かって、イーラとアヴァリティアが獲物を大きく振りかぶる。
並のアニマなら容易く破壊してしまうであろう一振りを、彼は――
ガギィンッ!
モラルタとベガルタ、それぞれ片手で容易く受け止めてしまった。
まるで、避ける必要など無いのだと見せつけるかのように。
「正直、2人とも弱いよ」
全く余裕を崩そうとしない嶺崎。
クリプトとキシニアは、それでも帝都と自らのプライドを守るため、彼に立ち向かい続けた。
◇◇◇
一方、百合、エルレア、フランサスの3人は、上手く鞍瀬の注意を引くのに成功し、戦闘を開始していた。
誘い出すのは容易かった、テネリタスが高出力のテンタクルス・レイを放つだけであっさりと近づいてきたからだ。
元より、彼らは連携など考えていなかったのかもしれない。
オリハルコンの圧倒的な力があれば、そんな物は考える必要も無いのだから。
「赤羽さん久しぶりっ!」
以前と変わらず、明るい口調で話しかけてくる鞍瀬に、百合は無言でダガーミサイルを放った。
しかしそれらは全て、スペイスに着弾する前に爆発してしまう。
なぜかと言えば、それはスペイスが発動したスキルに原因があった。
私は太陽になれない。
スペイスの温度が上昇し、機体自体が融解弾ソールと同等の存在になるスキルだ。
本来はソール同様、少しずつ相手のHPを削るためだけの能力だったのだが、オリハルコンの力によって性能が引き上げられている。
スペイスは、今や近づくもの全てを燃やし尽くす、動く兵器と化していた。
「ひどいよ、いきなり攻撃してくるなんて。せっかくだし、死ぬ前に少しお話しようよ」
「何を?」
「オリハルコンについて」
再び放たれるダガーミサイル。
もちろん、今度もまた命中する前に爆発してしまう。
「もったいないなあ。死ぬ前にオリハルコンの素晴らしさを知っておくべきだと思っただけなのに、オリハルコンは素敵なのに、素晴らしい物質なのに」
「話が通じてないのに会話する必要なんて無いっての! フラン、やっちゃって!」
「りょーかいっ!」
まずは空を浮かぶスペイスを地面に引きずり降ろさなければならない。
ダガーミサイルが当たらないとなれば、それを可能にするのはテネリタスのテンタクルス・レイぐらいのものか。
だが百合は、あえて異なる選択肢を選んだ。
「残念だな。私、赤羽さんのこと尊敬してたのに……お話出来ないなら、溶けちゃえ! 融解弾ソー――」
「そぉおれっ!」
ドゴォンッ!
敵の攻撃よりも先に、背後に回ったアーケディアがパニッシャーでイリテュムの背中を叩き、上空に向けてふっ飛ばした。
向かう先はもちろん、スペイスだ。
「熱さで脳みそまで溶けちゃったの? そんなことしたって無駄死にするだけだよ」
鞍瀬の言う通りだ。
スペイスに近づくにつれ、イリテュムの機体は徐々に溶けていく。
表面がただれ、骨格がむき出しになり――そう、障壁があるはずなのに、あまりに簡単に。
「ヴァニタスッ!」
どこからともなく声が聞こえてきた。
ドオオオォンッ!
するとスペイスに接近していたイリテュムが、上空で爆ぜる。
「えっ、何!?」
至近距離で爆風を浴びたスペイスは、よろけながら腕で顔をかばうような仕草を見せる。
「エルレア、今ッ!」
「はいっ、テンタクルス・レイ!」
手の形を模していた右腕が変形し一本の棒となり、その先端から束ねられた触手が光線を放つ。
一本一本の光線は細くか弱いが、束ねることでその威力は増大し、背部ブースターに損傷を与えるに至った。
上空でさらにバランスを崩すスペイス。
そこにトドメと言わんばかりに、アーケディアが助走をかけ、建物を踏み台にして跳躍。
熱波によるダメージはあったが、数秒ならば問題視するほどではない。
「しまった、後ろ!?」
「遅いよヤクチューのお姉さんっ!」
オリハルコンによって感覚が拡張された影響なのか、どうやらアーケディアの姿を鞍瀬はすでに捉えていたようだ。
だが、捉えた所で反応が遅れれば意味はない。
バギィイッ!
振りかぶったパニッシャーはスペイスの背中に直撃。
「きゃあああっ!」
鞍瀬は叫びながら、のけぞった状態で地面に叩きつけられた。
「ふっふーん、やっと四将らしい活躍ができたって感じじゃないっ?」
「はい、さすがですフランさん」
「そうでしょそうでしょー?」
地面に降り立ったフランサスは、明らかに調子に乗った仕草を見せた。
とは言え、この程度で戦闘不能になるオリハルコン搭載機ではない。
むしろ、ここからが本番である。
スペイスが叩きつけられた周辺は、彼女自身が放つ熱によって火の海と化す。
ゆらりと揺らめく炎、熱によって歪む景色、その中でゆっくりと立ち上がる、百合たちより一回り大きいアニマ。
「オリハルコンは素晴らしい物質だから、これぐらいなんともないよ、赤羽さん」
負け惜しみでも何でも無く、スペイスの動きから一切のダメージは感じられなかった。
「融解弾ソール」
鞍瀬は落ち着いた様子で、そう静かに宣言する。
スペイスの額が光ったかと思うと、その光は前方に向かって進行を始め、ちょうどエルレアとフランサスの間に静止する。
エルレアは自らのHPを見て戦慄した。
その数字が、夥しい速度で減少しているのだ。
フランサスも同様だったのか、2人は慌ててソールから距離を取る。
無論、移動しながらもエルレアはテンタクルス・レイを放ち牽制するが――
「ソール、ソール、ソール」
スペイスは額から何度も何度もソールを撃ち出す。
「連続で撃てるなんて!?」
エルレアは驚愕の声をあげた。
そして、空中で静止。
ヴァニタスを発動するまで隠れていたイリテュムの周辺にもソールは浮かび、徐々に逃げ場は失われていく。
「ソール、ソールッ、ソォルッ、ソォォルッ、ソオオオォォォルッ!」
撃ち出す度に鞍瀬のテンションが上っていく。
オリハルコンの影響だろうか、上ずった声で繰り返し叫ぶ彼女の姿は、あまりに異様だった。
「スキル発動、独り歩きする嘘!」
ダガーミサイルが通用しないのなら、と百合は分身を作り出し、特攻させヴァニタスで自爆させる戦法を採る。
これが彼女にとっての最大火力。
それでも、スペイスは自爆など一切恐れず、まるで存在すら目に入っていないかのようにマイペースにソール設置を繰り返す。
周辺を明るく照らし、焼き尽くす光の珠は、未だ初撃の分すら消えていない。
「あっつうぅいっ! いつまで残ってるのこれぇっ!」
フランサスも近づいてからの攻撃を試みるものの、ソールで移動経路が限られていること、そしてスペイス自身も熱を放っている事が原因で、なかなか近づけない。
その間にもさらに熱源は増加し、3人の動きは制限されていく。
戦いの経験が浅い鞍瀬でも、その軌道を予測できるほどに。
「ユリっ、危ない!」
「っ!?」
ついにスペイスが動いた。
跳躍してイリテュムの目の前に迫ると、無造作に腕を振る。
近接武装も何も無かったが、熱を放つ機体はそれだけで凶器である。
後方に回避したイリテュムだったが、触れずとも傍に居るだけでみるみるうちにHPは減っていく。
距離を取ろうにも、性能差は圧倒的。必死に逃げた所で離れるわけがなかった。
「あっははははは! すごいでしょ? ね? ネ? これがオリハルコン、オリハルコンの素晴らしい力っ、オリハルコンは素晴らしい物質です! ですよぉっ、ああはははははははっ、ヒイィィィっ!」
その笑い声は、明らかに狂人のそれだ。
高熱に曝されながらも、百合は寒気を感じていた。
あんな風になってまで、力なんて欲しくない。
私は私のままで強くなりたい、と。
このままでは埒が明かない。
そう頑丈ではないイリテュムがHPを失うまであまり時間は残されていないのだ、百合は賭けに出た。
短剣――ミセリコルデを両手に握ると、あえて前へ踏み出し、攻撃を仕掛ける。
逃げ一辺倒だと思いこんでいた鞍瀬は、攻勢に転じたイリテュムに対応しきれない。
「せえぇいっ!」
近づくほどにHPの減少は加速する。
肉を切らせて骨を断つつもりで、百合がスペイスに向けるのは渾身の突き。
ガギィッ!
短剣の先端は、確かに相手の胸部に命中した。
「あは、全然痛くないよ、赤羽さん」
鞍瀬は憐れむように言った。
わかっていた、非力なイリテュムではオリハルコンを装備したアニマにダメージは与えられないと。
それでも、生き残ると決めた以上は、戦わなければならない。
ダメージを与えられていないわけではないのだ、少しでも、自分ができることをやらなければ。
百合は余裕でこちらを見下ろすスペイスに、振り返りながらスカートブレードで斬りつける。
ザザザザザッ!
腰回りに付けられた無数の刃が、スペイスの装甲を裂いていく。
ミセリコルデより威力は高い、だがそれでも、鞍瀬は「ふふっ」と余裕の笑みを浮かべていた。
「叩き潰しなさい、スキュラー!」
そこに、右腕の触手を巨大な鈍器に変形させたテネリタスが援護に入る。
ヒュオッ――ドゴォンッ!
上から振り下ろされる大質量のハンマーを、スペイスは容易く片手で受け止めた。
手応えはある、だがそれ以上に敵の機体の方が強固だ。
「ぶっ壊れちゃえええぇっ!」
さらにアーケディアが接近し、パニッシャーでスペイスの側頭部を狙う。
ドオォンッ!
命中、響く衝撃音。
しかし当たったのは頭ではなく、スペイスがまっすぐ伸ばした腕である。
グラディアート同様、技ではなく力で圧倒する。
渾身の一撃が片手で止められてしまうようでは、その差を経験で埋めることは難しかった。
「はあああぁぁぁぁぁああっ!」
だが、両手が塞がった今、イリテュムの攻撃を防ぐ手立てはない。
百合は繰り返しミセリコルデで切りつけた。
キィンッ、ガンッ!
他の2人に比べて軽い音、些細と呼ぶ他無い低い威力。
ガッ、カキンッ!
それでも、それでも、少しでも役に立てればと、自分たちを守ってエクロジーに残ってくれた岬に報いることができればと、何度も何度も斬りつける。
「はっ、はあぁっ、あああああぁぁっ!」
そんな百合を、鞍瀬は冷たく嘲笑する。
「赤羽さん、ぜーんぜん痛くない」
「っ――!」
スペイスは両手で抑えていたスキュラーとパニッシャーを掴むと、同時に投げ飛ばした。
「きゃあああぁっ!」
「ひゃあっ!?」
叫びながら宙を舞うテネリタスとアーケディア。
そしてゆっくりと、自分を斬りつけるイリテュムの方を向いた。
「オリハルコンってすごいよね。学校では私より赤羽さんの方がずっと上だったのに――今じゃこんなに、ちっぽけに見える」
スペイスは腕を振りかぶると――
ゴッ!
拳が、イリテュムの腹部に突き刺さった。
オリハルコンによって増強された圧倒的な出力は、イリテュムの障壁を貫通する。
衝撃とともに、百合は鈍い痛みを感じた。
「お、ごっ……」
吐き出されるうめき声。
ゴオオォオオッ!
そしてイリテュムは高速で後方へと吹っ飛び、回転しながら何度かバウンドし、本来ならありえない方向に足を曲げながら、地面に倒れる。
「あ……ぁ、ひ、ぐぅぅぅぅぅ……っ」
呼吸すら困難なほどの激痛が、百合の左足を襲う。
「あははっ、はははははっ、あっははははははははははは!」
燃え盛る戦場に、正気を失った少女の叫び声だけが響いていた。