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55  檻の中で抗う者たち

 





 岬たちがクリプトと共に帝都に向かったのとほぼ同時刻、王都カプトにて。

 日も暮れ始めたころ、仕事を終えたアイヴィは城を出て、宿舎の自室へと戻ろうとしていた。

 仕事と言っても、最近は国防大臣のエノープス、大司祭のギリド、そしてレクス王の3人が楽しそうにオリハルコンについて語り合うのを、ただ傍観しているだけだ。

 それはそれで――いや、むしろだからこそ、アイヴィの心は日に日にすり減っているのだが。


 アイヴィは騎士団長を任される身。

 それは実力、人格だけでなく、強い愛国心が認められたと言うことでもある。

 そんな彼女も、もはや受け入れるしかなかった。


「この国はもう……終わりだな」


 信じたくはなかった。

 しかし、それを証明しているのは他でもない、自分自身の記憶である。


 宿舎に足を踏み入れると、ちょうど入り口で部下と遭遇する。


「団長、お疲れ様です」

「っ……あ……ああ、お疲れ様、レイナ」


 レイナの声を聞いて、アイヴィは体をびくっと震わせた。

 瞳には恐怖が浮かんでいる。

 王や閣僚たちに関してはもう諦めがついた。

 しかし身近な人間の変貌を、彼女はまだ受け入れきれていないのだ。

 特に明るくて人懐っこかったレイナの変わり果ててしまった姿は、アイヴィの心に大きなダメージを与えていた。


「今日もオリハルコンは素晴らしい物質ですね、団長はどう思いますか? オリハルコンは素晴らしい物質だって思いませんか?」

「そう、だな」

「そうですよね! よかったぁ団長もオリハルコンは素晴らしい物質だって理解してくれているんですねっ!」


 レイナは赤らんだ頬に手を当てながら早口でまくし立てる。

 アイヴィはそんな彼女の姿を、頬を引きつらせながら見ていた。


 汚染は、日に日に悪化しつつある。

 人々は常に気分が高揚し、気性は荒くなり、そして会話も成立しなくなる。

 その姿はもはや、人とは別の生き物だ。

 そして異変は精神だけでなく、肉体にまで及び始めていた。


 レイナの話を聞き流しながら、自室の前までやってきたアイヴィ。

 なぜ辛い時間に限って長く感じてしまうのか。

 宿舎の玄関から自室までの道のりが、アイヴィには3倍にも4倍にも感じられた。

 しかし、そんな地獄ももう終わり。

 ドアノブに手をかけ、レイナに別れを告げようとすると――


「団長、もっとお話しませんか?」


 彼女は強い力で、アイヴィの手首を握った。

 それも、アニマ使いですら振り払えないほどの握力で。

 レイナは戦闘においては素人だ、アイヴィの技をもってすれば手を離させることは容易だったが、恐怖を感じるには十分すぎるほどの脅威だった。


「すまない、まだ仕事が残っているんだ」

「平気です、オリハルコンは素晴らしい物質ですから」


 会話が成立しない。

 手も離してくれない。

 このままでは、アイヴィが首を縦に振るまで逃してくれないだろう。

 悩みに悩んで、下唇をかみしめて、実力行使に出ることを決めた。


「きゃあっ!?」


 その場で素早く足を払い、バランスを崩させ、その隙に握った手を振りほどく。

 転げながらも足首を掴もうとするレイナ。

 アイヴィはその手も蹴り払うと、扉を少し開け、体を隙間に滑り込ませた。

 そしてすぐさま扉を閉めると、鍵をかける。


「いったた……酷いですよ団長、こんなことするなんて」

「仕事があると言っただろう、離さないレイナが悪いんだ」

「仕事なんてどうとでもなりますよ、もっと私とお話しましょうよ団長。私、伝えたいことが沢山あるんです」


 ガチャ、ガチャガチャ。

 ドアノブを回しながら、レイナは扉越しに語りかけてくる。


「ちっ」


 まだ諦めないのか――アイヴィは思わず舌打ちをした。

 それは、もはやレイナの事を同じ騎士団の仲間だと認識していないということを意味していた。


「団長、団長ぉ、どうして? どうして話を聞いてくれないんですか? おかしい、オリハルコンは素晴らしい物質です。こんなのおかしいじゃないですか団長!」


 ガチャッ、ガチャガチャガチャッ! ドンドンドンッ!

 レイナは繰り返しドアノブを弄り、さらには扉を激しく叩き出す。

 アイヴィは扉を背に座り込む。

 恐怖ゆえか、背中にはじっとりと汗が滲んでいる。

 戦場でも、あのキシニアと交戦した時ですら、ここまで強い恐怖を感じたことは無かった。

 見知ったものが、当たり前の日常が、形を保ったまま変質させられていく様というのはこれほどまでに恐ろしいものなのか。

 アイヴィは目を閉じる。

 思い浮かべるのは、大切な親友で、最近は甘えっぱなしのプラナスの姿。

 その笑顔を思い浮かべるだけで、まだ自分の日常は残っているのだと実感出来る、心が安らぐ。

 彼女までもが汚染されていれば、アイヴィの心はとっくに壊れていただろう。

 ひょっとすると、自らオリハルコンを体に取り込んでいたかもしれない。


「ねえ団長、オリハルコンについてもっとお話しましょう? 素晴らしい物質です、ねえ、素晴らしい物質です? 団長、団長、団長!」


 さらに激しさを増す音。

 そして――

 ガチャガチャッ……バキィッ!

 背中の方から聞こえてきた破砕音に、アイヴィは体をびくっと跳ねさせた。


「あ……壊れちゃった」


 急に冷静になったレイナは、落ち着いた様子で言った。

 どうやら、ドアノブが周囲の木を砕きながら、壊れてしまったらしい。


「ごめんなさい団長、修理の人を呼んでおきますね。緊縮で経費も大変なのに……オリハルコンは素晴らしい物質だからどうにかなるかな……」


 そんな独り言を呟きながら、レイナはようやく部屋の前から離れていった。


「はあぁぁぁ……」


 アイヴィは大きく息を吐き、自分の膝を抱え込み顔を埋める。

 ただ音がしない、それだけで心が癒やされていく。

 オリハルコンを取り込んだ人間たちは、汚染が進むと同時に身体能力も向上していく。

 それはおそらく、彼女たちの体がアニマ使いに近づいているからだろう。

 つまり、じき王都の――いや、王国の人間全てが、アニマ使いに変わっていく。


「この国はもう終わりだ。けど……私たちに、逃げ場なんてあるのだろうか。ああ……プラナス、早く来ないかな……」


 仕事が終わったあと、夜になるとプラナスがアイヴィの部屋を訪れるのが慣例になっていた。

 今はただ、彼女の顔を見たい。

 アイヴィの崩れそうな心を支えるものは、もはやプラナスだけだった。




 ◇◇◇




「はぁー……」


 一方、城の中にあるプラナスの研究室。

 ラボと隣接するその部屋では、プラナスがオラクルストーンとにらめっこしながらため息を付いていた。

 ヘイロスが出撃したという情報を伝えてから、岬からの返事が無いのだ。

 その情報をプラナスがアイヴィから得たのは、桂が出撃してから数時間後のことだった。

 いくらオリハルコンのおかげで出力が向上しているとは言え、さすがに数時間で帝国に付くことはあるまい……と考えていたのだが。


「あの音、絶対にエンカウントしちゃったんだろうなあ……」


 連絡が途絶える直前、オラクルストーンから聞こえてきた声。

 あれは紛れもなく桂のものだった。

 さほど優秀ではないアニマであるサブティリタスが、背部ブースターを付けただけで、暴走とは言え途方もない強さを発揮したと聞いている。

 つまり、ヘイロスほど優秀なアニマがオリハルコンの力を使えば――それがどれほどの脅威か、プラナスには想像もできなかった。


「ああもう、考えてたって仕方ないですね! 今はアイヴィの顔をみて癒やされるべきです! ええ、そうに決まっています!」


 プラナスはやけくそ気味に言うと、早々に荷物を片付け、ラボに顔を出して研究員たちに挨拶をすると、城を出てアイヴィの待つ宿舎へと向かった。


 宿舎は不気味なほど静かだ。

 仲間のうち半数以上が死亡してしまった召喚者たちは、すっかり意気消沈し、今では訓練に参加する者も一握りしかいない。

 しかも、リーダー格であった桂が幽閉され、やっと出てきたと思ったらオリハルコンの汚染の餌食になり、挙げ句の果てには実験台として出撃させられてしまったのだ。

 もはや、彼らの心の支えになる物は何一つとしてない。

 だがその中にあっても、唯一変わらない人間が居た。


「よう、プラナス」


 宿舎の廊下の奥から近づいてくる男――水木仙一郎だ。


「ミズキ……今日もいけすかない顔をしてますね」

「お互い様だろうが。で、桂はどうなってんだ? 出撃したって話は聞いたが」

「アイヴィ曰く、彼も汚染されていたそうですよ」

「背部ブースターのテストから辛うじて帰還したかと思えば、診療所で面会謝絶の監禁状態。挙句の果てには怪しげな粉を飲まされて洗脳されてモルモット扱いか。悲惨な人生だな、日本に居りゃ、召喚なんてされなけりゃ――勝ち組人生が約束されてたってのに」


 意地の悪い笑みを浮かべながら水木は言った。

 まるでプラナスを、”お前のせいだ”と責め立てるように。

 しかし彼女はひるまない。


「文句なら計画のために、禁呪の情報を私に伝えた王に言ってください」

「禁呪?」

「大昔の世界で使われていた、それはもう強力な魔法群のことですよ。聖典に情報が記されているんです。王国が追い込まれたんで戦力増強のために王が大司教に頼み込んで、異世界からの転移魔法の知識だけ譲ってもらいました。で、それを私が使ったと」

「聖典ってそんなやばい物だったんだな」

「まあ、すごい魔法と言っても、この世界で扱える魔法師は私ぐらいですけどね。みんなアニマにばっかり頼って、魔法の知識を持っていませんから」


 高い魔力を持つ人間は、そのほとんどがアニマ使いになる。

 アニマ使いは、いちいち面倒な演算が必要な魔法など使う必要はなく、ゆえにアニマ使いが増えるほどに魔法という技術は廃れつつあった。

 そんな中、他のアニマ使いと比べてもかなり高い水準の魔力を持つプラナスは、紛れもなく世界でも有数の魔法師なのだ。


「ところで……ミズキはどうして聖典のことを知っているんですか?」


 考えてみれば、それは妙な話だ。

 プラナスは水木に聖典のことを話した覚えはないし、アイヴィもプラナスと水木が手を組んで以降は接触していないはず。

 となると、彼の味方はそう多くない。

 情報源は果たして――と疑惑の目でプラナスが水木を睨みつけていると、彼はポケットに手を突っ込んで、手のひらに収まるサイズのカードを取り出した。


「聖典って、これだろ」

「何を言っているんですか、聖典は本ですよ? そんな薄っぺらいカードなわけが……」

「押したら目次みたいなのが出て来るんだが?」


 水木が人差し指でカードの表面に触れると、空中に文字の羅列が映し出される。


「これは、古代文字……じゃあ本当に聖典……?」

「ひっははは、どうだ、すげえだろ?」

「でも、どうやってこれを!? 聖典はグラティア教が大事に保管しているはず!」

「アニマ使いの力を使えばちょろいもんだよ、まあ3人ぐらい犠牲になったけどな」

「あなた、まさか――」

「いやあ、弱った人間から消費してくってのは鉄則だよな。どうせ生かしておいたって役立たずだからな。利用すんのは簡単だったぜ? ま、元から減ってたんだ、今さら3人減った所で問題ねえだろ」

「自分の生徒を囮に使ったんですか!?」


 憤るプラナスに、水木はむしろ誇らしく笑って見せた。


「まずは感謝しろよ、聖典を手に入れてやったんだぞ?」

「読めもしないくせによくもまあそこまで強気になれますね、ここで私があなたと手を切ると言えば、それはただのおもちゃに成り下がりますよ?」

「じゃあお互いに落ち着くべきだな」


 この男に善性など期待するだけ無駄だ。

 プラナスは軽く息を吐き、気持ちを落ち着けると、水木の持つ聖典に手を伸ばした。

 水木は案外あっさりと、聖典を明け渡す。


「聖典の情報量は膨大です、解読には少々時間がかかります」


 解読と言っても、プラナスは古代語翻訳のスペシャリストでもある。

 多少の意訳は含むだろうが、その場で、本を読むように読み進めることができるはずだ。


「ちゃあんと俺にも教えてくれよ? オリハルコンを蹴散らす方法とか、さらに強い力の在り処とかさァ」

「ええ、そういう約束ですから。ギブアンドテイクの約束を違うつもりはありません」

「なら善し」

「と言うか、あなたは大丈夫なんですか? 聖典が失われたとなれば、グラティア教が総力をあげて捜索しているはずですよね」


 聖典の名は伊達ではない。

 本来、本拠地の奥に、誰にも触れられない状態で封じてあるような代物だ。

 それを盗み出したとなれば、その黒幕である水木に捜査の手が伸びるのも時間の問題のはず。

 だが水木に危機感は一切なかった。


「罪は他人に押し付けとけばいいんだよ、心配することはない」

「そのあたりの工作は得意そうですよね」

「ひひっ、白詰の時も上手く行ったからな。ま、うちの生徒がもう1人ぐらいは犠牲になるかもしれないけど、問題ないだろ……ふぁーあ……眠いし、俺は果報を寝て待つことにするわ、じゃ」


 水木はあくびをしながら、その場を離れ自室へと向かう。

 プラナスは手にした聖典を懐にしまいながら、彼の背中を心底軽蔑した目で睨みつけると、踵を返しアイヴィの部屋へと向かった。






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