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34  汚濁

 





「ここがあたしの家だぞ!」


 馬車から降りた僕たちが見たのは、想像していたよりもずっと立派な木造の住宅だった。


「すごーい、思ってたよりずっと大きい!」

「だね、むしろ1人で住むには大きすぎるぐらい」

「こんな家を女の子1人で作ったのか。ちょっと信じられないな」

「私は見えませんが、みなさんの反応でなんとなくわかります。素敵なお家なんですね」


 僕たちの反応を見て、フリーシャは「えへん」と胸を張った。

 マーナとガルムも「フン」と鼻息を荒くして、心なしか自慢げだ。

 家屋だけでなく、周囲もしっかりと整地されており、さらに家の裏にはそれなりに広い畑が広がっているそうだ。

 肉はマーナとガルムが狩りで採ってくる。

 そうやって、彼女はここで自給自足の生活をしているらしい。


「さあ、早く入れ。念のため用意しておいた布団があるから、4人は眠れるはずだ」


 何を想定してそんな数の布団を用意したのかはわからない。

 ただ、同年代とは思えないほど無邪気に振る舞う彼女を見ていると、なぜか胸が痛む。

 そばに誰もいない寂しさを、明るさで無理やり誤魔化しているように見えるからかもしれない。




 ◇◇◇




 フリーシャの家は、外見だけでなく内装も立派なものだった。

 そこそこ金持ちの人間が、別荘として使う木造のログハウス、と言うのが一番しっくり来る。

 家はもちろん、あらゆる家具や暖炉、釣り竿やランプにいたるまで手作りとのことで、それらを聞いたエルレアがいちいち褒め称える度に、フリーシャは自慢げに胸を張った。

 子供じみた理想を抱くエルレアと、子供のように無邪気なフリーシャ。

 波長が合う部分があったのかもしれない。

 気づけば僕の背中にはエルレアの姿は無かった。

 彼女はフリーシャの腕に抱かれながら、取り留めの無い会話をしたり、外の畑に連れ出されたりしていたのだ。

 その間、僕はと言うと家の中にあったハンモックに横たわっていた。

 隣には百合も密着して寝ている。

 もちろん、2人乗っても大丈夫かどうかはフリーシャに確認してある。

 普段からマーナとガルムと共に寝ているから、女が2人寝た所で全然平気なんだとか。


「これじゃ膝枕はできないねー」


 ぴたりと密着しながら、百合が嬉しそうに言った。


「気持ちいいことに変わりはないし、今日はこれでいいんじゃない」

「膝枕は今度ってことで……ふうぅ」


 なんだかんだで百合も疲れているようで、倦怠感を外へ追いやるように大きく息を吐いた。


「あの子、どう思う?」

「フリーシャちゃんのこと? どうって、悪い子では無いと思うけどな。私たちを泊めたのも、下心ってわけじゃなさそうだし」

「けど、人を殺すことを躊躇しなかった」

「うん……案外、岬と同じなのかもよ」

「僕と?」


 つまり、何かしらの復讐心を抱いていると。


「こんな場所で1人で住んでるんだもん、町を追い出されたんだよきっと。ご両親の姿も見えないし、人間に対して敵対心を持ってるのかも」

「だったら僕に味方してくれた理由は?」

「同じ匂いを感じた、とか」


 鼻を指差しながら百合が言った。

 匂い、か。

 確かに、長い間、獣たちと共に生きてきた彼女は、ひょっとすると常人よりも高い嗅覚を持っているのかもしれない。

 それは文字通り鼻の良さでもあれば、勘の良さとも言える。

 いわゆる野生の勘、ってやつだ。


「ひょっとすると、一緒に旅に付いてきてくれるかもよ? エルレアともうまくやってるし、岬も”面白い”と思ったんじゃない?」

「まあ、ね」

「む、乗り気じゃなさそうな返事」

「まだ会ったばかりだからなんとも言えないよ」


 エルレアの時とは違って、僕はまだ彼女の胸の内を読めていない。

 そういう意味では、エルレアよりもフリーシャの方が大人(・・)なのかもしれない。

 心が複雑なのだ。

 ただひたむきに純粋なわけではなく、どこか影がかって、闇を孕んでいるように思えてならない。

 確かに、彼女が付いてきてくれれば旅には大きなプラスになるだろうけど――

 今はまだ、保留としか言えなかった。




 ◆◆◆




 フリーシャに抱えられ家の周辺を案内されていたエルレアは、その終着点へとたどり着いた。

 畑のさらに奥、小川にかかった橋を越えた先にある小さな石碑。

 ここまでずっと笑顔を崩さなかったフリーシャが初めて真剣な顔になる。


「で、ここがパパとママのお墓だ」

「ご両親の……お墓?」


 それは各町にある墓地にあるような立派な墓石ではなく、そこらの大きな石を集めて作られた無骨なものだったが、これを作ることが当時のフリーシャにとっては精一杯だったんだろう。


「まあ、ここには2人の体はないんだけどな」

「どういうことですか?」

「パパとママはテームの町で処刑されたんだ。何か悪いことをしたわけでもないのに、お前は悪いやつだって勝手に決めつけられて」

「そんな……」


 エルレアはそれきり、何も言えなかった。

 ここに来てフリーシャが嘘をつくわけがない、つまり彼女が話していることは事実ということになる。

 信じたくなかった。

 けれど、信じざるをえなかった。

 自分の信じる善意を否定する存在を。


「あたしのママは、アニマ使いでもあり、魔物使いでもあったんだ。動物と心を通じ合わせ、力を分け与えるスキルを持ってたからな」

「心を……」


 彼女の足元に擦り寄る2匹のシルバーウルフ。

 エルレアに彼らの姿を見ることはできなかったが、その存在が野生のシルバーウルフと異なり、優しく暖かな物であることは肌で感じ取っていた。


「もしかして、フリーシャも同じスキルを持っているのですか?」

「よくわかったな、やっぱりエルレアは頭がいい。その通り、あたしもママと同じスキルを持っていて、だからママは幼いあたしにマーナとガルムを与えてくれたんだと思う」

「ずっと一緒に育ってきたんですね」

「うん、今じゃ唯一の家族だ」


 唯一、という言葉がエルレアの胸に突き刺さる。

 じくりとした痛みは、岬から与えられる痛みとは別の方向から彼女の心をえぐった。


「でも、ママはそのスキルを持っていたばっかりにみんなに嫌われた。お前が魔物に人間を襲わせてるに違いないって、滅茶苦茶なことを言って。むしろママは魔物に人間を襲わないように説得してた。本当は、人間が魔物を狩るから、身を守るために魔物は人間を襲うのにな」


 エルレアは魔物の命のことまで考えたことはなかった。

 仕方のないことだ、この世界において魔物は人間に害をなす存在であり、駆除すべき対象なのだと、善悪も関係なしに決まっていることなのだから。

 世界の摂理を疑う者など居ない。

 フリーシャのように、幼い時から魔物と共に育ちでもしない限りは。


「パパはそんなママを守った。幼馴染だって言ってた、昔からずっと守ってきたんだって。けど……結局、2人とも殺されてしまった」

「どうしてそんな酷いことを……」

「どうして? エルレアは不思議なことを言うんだな」


 フリーシャは一切の悪意も無く、それが一般常識であるかのように言った。


「気持ち悪いからだ。理解できない物は気持ち悪い。それが1人なら嫌われるだけで済む。けど2人になれば、3人になれば、人数が増えれば増えるほど”気持ち悪い”って気持ちは膨れ上がっていく。そしてそれが一定以上になると、人間は――そいつを排除するんだ」

「そんなことはっ!」

「無いなんて誰にも言わせない。だって、それでパパとママは殺されたんだからな」


 エルレアの抱く理想は、フリーシャの現実にいとも簡単に砕かれる。

 説得力の差は歴然としていた。

 そして何より、フリーシャの声のトーンが一切変わらず、おそらく笑顔のままであることがエルレアにとって一番の衝撃だった。

 それは議論の余地すらないということを意味する、いくらエルレアが語りかけようとおそらく彼女の思想は揺るがない。


「エルレアは、きっと素敵な人たちと出会ってきたんだな」

「どうして、そう思うのですか?」

「優しい顔をしているから。目も見えなくて、手足も無いのに、それでも優しくしてくれる人たちに恵まれたってことだろう?」

「違います。私が手足と目を無くしたのは……スキルを使ったから、ですから」

「スキル?」

「互いの了承さえあれば、体のパーツを自由に交換できるスキルです。病を肩代わりすることもできました。私はそれで何人もの人々を救ってきたんです」

「じゃあ順番が逆なのか。手足を失っても優しくされたんじゃなくて、優しくされたから手足を失ったんだな」


 それは違う、と否定しようとしても、言葉が喉で止まってしまう。

 圧倒的な説得力の前に、言った所で無駄だと、心が敗北を認めているからだ。


「自分の体を捧げるなんて簡単にできることじゃない。もし家族なら、場合によってはできるかもしれない。けど……」

「最初に、右腕を事故で仕事が出来なくなった父に渡しました。次に目を妹に渡して――」

「他の手足は?」

「遠方から私の噂を聞いて、親に連れられてやってきた子供に」


 エルレアの事を聖女と呼び出したのは父親だ。

 失われた右腕を治した、どうだうちの娘はすごいだろう、と町中に吹聴して回った。

 それだけじゃない、生まれつき目の見えなかった2つ下の妹にも光を与えた。

 やがて彼女の噂は町の外にまで広がり、その力を目当てに手足を失った者たちがやってくるようになった。


「それで、エルレアは幸せだったのか?」

「もちろんです。父も妹も以前より笑うようになり、家の中も明るくなりました。それは私にとっても幸せなことですから」

「それは不思議な話だな」

「なぜそう思うのですか?」

「失った右腕を娘に押し付けて、光の無い世界を姉に押し付けて、どうしてその家族たちは笑えるんだ? もう大人になった娘のトイレの世話までしなきゃならないのに、なんで幸せなんだ?」

「え?」


 考えたこともなかった。

 考えようともしなかった。

 思えば、正常に動く体のパーツ数は変わっていないのに、いやむしろ減っているのに、どうして幸せは増えていったのか。

 エルレアは疑問の答えを知らない。

 けれど、フリーシャの言葉があっさりと核心を突く。


「それじゃあまるで、家族の幸せに、エルレアは関係ないみたいじゃないか」


 指摘されて、エルレアは背筋が凍る思いだった。

 家族の中にありながら、犠牲になっても誰も気にしない存在。

 そんなもの、家族ではなく――生贄(・・)とでも呼ぶべきではないだろうか。


「それに、本当に家族が大事にしてくれるなら、どうしてエルレアはミサキたちと旅をしてるんだ。家族は死んだのか?」

「いえ、生きています。故郷(イングラトゥス)で今も生活しているはずです」

「だったらなおさらどうして」

「さらわれて、売られたんです。少し前までは見世物小屋に居ました」

「……そう、か」


 岬と違い、フリーシャはエルレアがさらわれた一件について、ほとんど触れようとはしなかった。

 彼女の顔が青ざめているのを見て、これ以上指摘するのは良くないと思い止めたのだ。

 しかし、その選択がエルレアにとってプラスに働いたかと言われると微妙な所だ。

 気を使われているような気がして、余計に辛くなってしまうから。


「むー……せっかくだし、もっと楽しい話をするか。うん、それがいい!」

「そう、ですね。でしたら、ここでの暮らしの中で起きた、楽しかった出来事を聞かせてもらえませんか?」

「楽しい出来事か。じゃあまずは、寝ぼけたマーナがガルムを私だと思いこんで甘えた話から」

「ワフッ!」


 マーナが不機嫌そうに吠える。

 どうやら本人にとっては忘れてしまいたい過去のようだ。


「む、ダメなのか? じゃあガルムが――」

「ガウッ!」


 ガルムも不機嫌そうに吠える。

 言い切る前に、フリーシャが何を話そうとしているのか察しがついたらしい。


「まだ何も言ってないのに……」

「ふふふ、何だっていいですよ。きっとフリーシャの話なら、何を聞いたって新鮮で、楽しいと思いますから」


 フリーシャはエルレアに思い出話を語りながら、その場を後にした。

 楽しげな笑い声が響く。

 しかしエルレアは、そんな笑顔の裏で苦悩していた。


 岬や百合、ラビー、そしてフリーシャとの出会い。

 それら全てが、今までのエルレアという生き様を否定する。

 変わることは無い、むしろ自分が相手を変えてみせると、強く決意したつもりだった。

 けれど――その強さを支えてきた価値観そのものが、揺らぎ始めている。


 きっとこの世界は、本当は優しさに溢れているはず。

 偶然出会えなかっただけで、誰もが互いに傷つけあいたくないと願っているはず。

 今のエルレアには、これまで悪意に晒されてきた人々――フリーシャや岬が、そして自らの価値観を信じられなくなった自分が、優しい人々と出会えることを、祈るしかなかった。






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