1 異世界召喚は失望とともに
エグい描写注意です、主人公が捕食に目覚めるのは5話から。
初日は1時間ごとに1話ずつ、5話まで投稿します。
弁当をトイレの床にぶちまけられ、それを食えと命令される。
もう吐き気を催すこともなかった。
僕は無表情のまま、捨てられたコンビニ弁当を見て立ち尽くす。
すると背中から蹴飛ばされ、僕は顔から床に捨てられた弁当に飛び込んだ。
痛い。臭い。汚い。
けれど僕は文句は言わない。
僕と彼らは同じ言語を使っているようで全く別の世界に生きる生物なんだ、だから抗ったって無駄なんだ。
「おら、とっとと食えよ」
「は、あぐ……」
髪を掴まれ、僕の額は潰れた弁当の具でべちゃべちゃになった。
トイレの臭いと混じって、吐瀉物のようでもある。
「つまんねーの、お前もうちょっと面白いリアクション取れねーの? 最初のびーびー泣いてたときの方がまだ可愛げがあったぞっ……と!」
「ぶっ、が、ひ……っ」
グチャ。
額に粘り気のある感触と、床に叩きつけられた痛みを感じる。
僕はもう泣かない。
泣いたって無駄だと知ったから。
どうせ誰も僕を救わない、どうせ反撃したって無駄。
できるだけ無駄なエネルギーを使わないよう、ただただ無関心を貫くしかない。
「おい折鶴、そろそろ授業始まるぞ」
「わかってるって磯べえ、まあミサキちゃんと遊んでたって言ったらミズキーも大目に見てくれると思うけどね」
「ま、俺たちは可哀想な白詰と遊んでやってる優しいクラスメイトだからな」
「違いない、あっはははは!」
何がおかしいのやら。
僕の髪を掴む折鶴と、近くに立っていた磯干がゲラゲラと笑った。
そしてそのまま、僕を放って教室へと戻っていく。
彼らがいなくなったことを確認すると、僕はゆっくりと立ち上がり、洗面台で顔を洗った。
昼食は、あとで人の居ない場所で食べるつもりだったのに。
でも、まさかその前の休み時間でこんなことになるなんて。
僕としたことが、油断してたな。
今までだって同じことは何度も繰り返してきたはずなのに。
僕がこんな目に遭っているのは今日に限った話じゃない。
そして僕をこんな目に遭わせるのは、折鶴と磯干の二人だけでもない。
僕――白詰岬は、他人から見下されるために生まれてきた生き物なんだと思う。
トイレで弁当を捨てられ、地面に叩きつけられるぐらいは日常茶飯事。
勝手にカバンを探られて財布を盗られたり。
返してほしいと懇願すると殴られたり。
そうでなくとも、放課後突然呼び出されて意味もなくボコボコにされたり。
靴は頻繁に失くなるから学校指定の靴はあまり履けず、生活指導の教師にそれを咎められて呼び出され、恫喝されることもしばしばある。
ちなみに生活指導の教師は磯干ととても仲がいい。
授業中、机と椅子がなくなっていて、ずっと立たされていることもあった。
担任は完全にあちら側の人間で、『どうしてノートを取らないんだ? それじゃ授業をサボっているのと一緒だぞ?』と僕を指差して笑った。
男子だけじゃなく、女子も同様に。
女子は何も無くても冷たい視線を向けてきて、ハサミで髪を切られたこともあるし、中学まで仲の良かった幼馴染を使って、罵倒されたこともある。
『私たち友達だよね? 友達だったら、同じ価値観を共有しないと』
『あ、あの……』
『あいつ気持ち悪いよね? 見てるだけで吐き気がするでしょ? ね?』
『わたし、は……』
『気持ち悪い、って言えよ。ほら早く。言わないと友達やめちゃうよ?』
『っ……き、も……い、です』
『ん―? きこえなーい』
『気持ち悪い、です』
『誰が?』
『み、岬……くん、が』
今でもその時のやり取りは鮮明に覚えてる。
目の前が真っ白になった、ぼろぼろと涙を流した。
その姿を見て、さらに気持ち悪いと罵倒された。
自慰を強要されて、それを動画で撮影されたこともある。
動画はクラス内で共有され、担任や生活指導の教師も脅すようにそれを僕に見せてくることがあった。
憎たらしいことに情報統制は完璧で、外部に漏れることはなかった。
……ただ、一度だけを除いて。
僕には姉がいる。とても優秀な姉だ。
高校3年、僕とは違ってみんなの憧れの的だ。
両親は劣等生である僕に興味が無かったけれど、姉はゴミクズのような僕にとても優しくしてくれた。
泣けば慰めてくれたし、成績が上がれば褒めてくれる。
僕の唯一の心の拠り所、だった。
変わってしまったのは、その動画が姉の手に渡ってしまってからだ。
自慰中に、姉の名前を呼ぶように命令された。
言うことを聞かなければ、安全ピンで手の甲を刺していくと言われた。
怖かった、だからやった。
結果、この世界に僕の味方は一人も居なくなった。
だから、もう興味を持たないことに決めた。
期待しても無駄だから、僕を救ってくれる誰かなんてどこにも居ないから。
◇◇◇
ある日の体育の授業が終わり、女子は更衣室へ向かった。
教室に居るのは男子だけ。
そこに軽い足取りで現れたのは折鶴だった。
その手にはなぜか女子の制服が握られている。
「折鶴、それどうしたんだよ」
そう問いかけたのは、クラスにおけるカーストの上位に位置するいわゆる”勝ち組”の1人、1年にしてバスケ部レギュラーの座を射止めた広瀬団十郎だ。
「楠から借りてきたんだよ」
楠……それは僕の幼稚園からの幼馴染の名字だ。
フルネームは楠彩花、気弱な性格で、中学までは姉と同じく僕の味方だった。
「つまり、それを白詰に着せるってことか?」
「さすが磯べえ、鋭いわあ。つーわけでさ、着ろよミサキちゃん」
そう言って、折鶴は僕に彩花の制服を投げつけた。
吐き気がした。
けれど、僕に拒否権なんて無い。
僕は大人しく命令に従う。
そんな僕を見て、周囲の男子たちは「本当に着やがったぞ!」と嘲笑した。
着替えの途中で女子たちが戻り始め、ドン引きしながらひそひそと話し始める。
彩花も、1人だけ体操着のまま戻ってきた。
彼女の頬は引きつっており、目が合いそうになると露骨に避けられた。
着替えを終えて立ち上がると、男子たちの笑い声は更に勢いを増し、女子からは心無い声が降り注ぐ。
「変態」、「最悪」、「気持ち悪い」、「死ねばいいのに」。
まるで日々のストレスのはけ口にでもするように。
お前は人間じゃない、ただのゴミだと決めつけるように。
教室の前方の扉ががらりと開く。
担任の水木が教室に入るなり、女子の制服を纏う僕を見て言った。
「またお前たち面白そうなことやってるな、先生も混ぜてくれよ」
そう言って、笑ってこちらに近づいてくる。
悪意が渦巻き、蔓延している。
ここは、地獄だ。
ここから、何をされるんだろう。
殴られて、写真を撮られるのは当然として、今度はネットにばらまかれたりするのかな。
変態女装野郎とかタイトル付けられてさ。
何をされるにしても、僕に抗うことをはできないのだけど――
僕は諦め、体から力を抜いた。
その時だった。
僕の足元が光る。
いや、足元だけじゃない、教室全体の床に魔法陣めいた図形が浮き上がった。
図形が放つ光は次第に強くなり、やがて教室は白い光に包まれる。
「きゃああああぁぁぁぁっ!」
女子は叫び、
「何が起きてるんだよっ!?」
男子は困惑し――やがて視界どころか、何の音も聞こえなくなる。
真っ白の世界の中、声も出せず、身動きも取れず、水中をたゆたうような感触だけが全身を包み込む。
水の流れは僕をどこかへ向かって連れていく。
そして、目を開くとそこは――広い広い、ゴシック調の部屋の中だった。
広いだけじゃない、天井も冗談みたいな高さだ。
そこには、これまた冗談のような大きさのシャンデリアがぶら下がっていた。
絨毯は赤くふかふかで、靴で踏むのが申し訳ないぐらいだ。
周囲を見渡すと、僕と同じくクラスメイトたちが戸惑った様子で挙動不審な動きを見せていた。
「転移魔法は成功したようだな、プラナス」
赤い絨毯の終点、金色の玉座に腰掛けた偉そうなおじさんが、白い髭を撫でながら言った。
「はい、予定通り10代の異世界人を数十名召喚成功しました。中に20代の男も混じっていますが、保護者と判断し共に召喚しました」
玉座の右側に立つ眼鏡をかけた長髪の少女が言った。
「うむ、精神的支柱は必要だろう。良い判断だ」
「ありがたきお言葉」
戸惑う僕たちをよそに、落ち着いた様子で会話を交わすおじさんと少女。
会話が一段落すると、ようやくおじさんは僕たちの方に意識を向けた。
「私の名はレグナトリクス王国の王、レクス・レイ・ヴァシレウスだ。まずはこちらの非礼を詫びよう、突然に説明もなく連れてきてすまなかった」
「連れてきたとは、どういうことですか?」
一歩前に出て、おじさんに詰め寄ったのは、文武両道の天才、桂偉月だった。
頭脳明晰、運動神経抜群、顔も良ければ性格もいい。
僕に対するいじめにも加担することはなく、時折折鶴たちを諌めることすらあるような、完璧な人間だ。
突然の出来事に困惑していた担任の水木を含めた生徒たちは、冷静さを失わない桂を見て少し落ち着きを取り戻す。
「察しておる者も居るやもしれぬが、ここは異世界だ。おぬしらはこの国を救うための勇者として召喚されたのだ」
異世界、その言葉を聞いてクラスメイトたちがざわつく。
にわかには信じがたいことだけど、集団幻覚にしてはリアルすぎる。
確かに僕たちはついさっきまで教室に居た。
そしてみんなが僕を指差して笑っていたはずなのだから。
「異世界などありえません、夢物語ですね」
「信じられんのもしょうがない、だがそれ以外に説明する方法が無い」
「仮に事実だったとして、僕たちを拉致した理由はいったいなんだと?」
「拉致ではない、召喚だ」
「言葉遊びをするつもりはありません、拉致した理由を聞かせてください」
さすが桂、王様相手にも引けを取らない迫力だ。
「論より証拠、まずはおぬしらの体に宿った”アニマ”を見るのが早かろう。アイヴィ、この者たちを訓練所へと連れてゆけ!」
「はっ、畏まりました!」
王の傍らに居たアイヴィと呼ばれた女性が前へ出て、僕たちの方を見た。
「レグナトリクス騎士団の団長、アイヴィ・フェデラだ。見知らぬ土地に戸惑う気持ちもわかるが、まず私についてきてほしい。自分たちのアニマを見れば、この世界に呼ばれた理由もわかるはずだ」
何が何やら理解できないことばかりだ。
とりあえず、まずは彼女についていくしかないのか。
案内され、僕たちは玉座の間を後にする。
それにしても……ああ、やだな。
こんな格好、あんなタイミングで異世界に飛ばされるだなんて。
体が重い。
事態がうやむやになったのは喜ばしいことだけど、この世界の人たちは僕を見てどう思うだろう。
「なあ」
誰かに肩を叩かれる。
振り向くと、そこには折鶴がいた。
彼は僕の目をみて一言、
「あんた、誰だよ」
と言った。
誰、って。
まさか異世界に来てまで、そんな低レベルな行為を続けるつもりなの?
「僕は、白詰だけど?」
当然のようにそう返したとき、僕も自分の異変に気付く。
あれ……なんか、声が、高いような。
そういえば、体もやけに重いし、他にも――そう、手のひらの形とか、視線の高さとか、変わってる。
髪も肩まで伸びてるし、じゃあ顔も?
「は……白詰? は、ははっ、そうか、白詰か! はっははははははははっ!」
戸惑っていると、突然に折鶴が笑い出す。
女装した僕を見たときと同じように、悪意のこもった笑い声で、ゲラゲラと。
「おいみんな、見ろよ!」
彼の声に釣られて、クラスメイトたちの視線が僕に集中した。
「こいつ、白詰だってさ! 気合い入れて女装してんのかと思ったら、本当に女になってやがる! あっははははは!」
女に? 僕が?
まさか、どうしてそんなことが――
けれど確かに声は高くて、体の感触も違って、あるべきものも無いような気がして、何より……胸が、あった。
顔は見えない、けど折鶴がすぐにわからなかったってことは、こっちも女性らしく変わってるんだろうか。
「名実ともにミサキちゃんだなァ、ははっ、あはははひゃはははっ!」
僕を見る折鶴の瞳に、悪意に混じって微量の情欲が宿っているのに気付く。
全てに関心を無くしていた僕は、久方ぶりに酷い嫌悪感を覚えた。
自分の大事な人や尊厳だけでない。
まさか、性別というアイデンティティまで失ってしまうなんて。
女装していたから、召喚されたときに女と間違えられたとでも?
そんな下らない理由で性別まで変えられるなんて、そんな、馬鹿げた話があっていいはずがない。
吐き気がする。
寒気がする。
人だけでなく。
世界だけでなく。
運命の神様まで、僕を見捨てるのか――
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