2
広大な敷地、後者の片隅にひっそりと佇む文芸部は、月曜日と火曜日の週二回活動している。
主な活動は文化祭で頒布する部誌の作成、である。今年の文化祭、僕にとっては高校初、人生初の文化祭、をすでに終えた今現在は特にやることもなく、ゆったりとした時間が流れている……はずなのだが、そうもいかない。今日は月に一度の短編講評会の日である。
短編講評会、といっても大して大仰なものではなく、この部活の部長で、なおかつ唯一の先輩である、神無桜良が編集者顔負けの厳しさをもって、僕が書き上げた短編を評価してくれるのだ。
何ともありがたい話である。決して皮肉ではない。半分は。
先輩は、文芸部の部長でありながら、小説家志望ではなく、編集者志望らしいのだ。
そんな先輩は僕に諭すような口調で語りかける。
「君は、『神は自分の姿に似せて人間を作った』という言葉を知っているかい」
「え、ええ。確か聖書の言葉ですよね?」
僕が恐る恐る答えると、先輩の表情が僅かに緩む。どうやら間違ってはいないようだ。
「ああ。正確には旧約聖書に書かれているんだがね。あくまでこれは私の解釈なので、鵜呑みにされても困るんだが……、」先輩は丁寧に言葉を紡ぐように、一度言葉を切る。「神とは霊である、とも書かれている。つまり、私たちの容姿が神に似ている、という話ではないことはわかるね?」
話の方向性は見えないが、そういうことなら僕にもわかる。
「人間が神に似ている、正しくは似せて作られたのは、いや、創られたのは霊、すなわち平たく言えば精神、ということになる」
「どうして、聖書の話をしているんです?」
たまらず訊いてしまった。さっきから一切話が見えない。
そんな僕を先輩は諭すような口調で軽くいなす。
「まあまあそんなに慌てないでくれよ。私が言いたいことはもうほとんど見えている。……話を戻すが、私たち人間の精神は神に似ているのだ。神とはすなわち創造主。そう、万物を創造せし者なのだよ」
今ここで進化論が云々などと切り出せば、話の筋を読めない愚か者として後々まで貶められるのは免れないだろう。
「創造主に精神が似ているからこそ、私たち人間は何かを創造することに喜びを得るんだ。芸術然り、国家然り。国家だって人間が創ったものだからね」
こういう話を聞いてると、毎回この人の頭のキレに関心せざるを得ない。
「私たち、いや君はこの文芸部に所属している以上、文章を創造することに喜びを感じているはずなんだよ」
「まあ、そうですね」
僕が少なからず楽しみながら短編を書いているのは紛うことなき事実だ。もちろん、楽しいだけじゃないけれど。
「しかし、君が書く短編にはその喜びが一切、表現されていないんだよ。前々から言っていると思うが、君には確かに才能がある。私が保障する」
先輩の言葉は迫力と、そして、説得力に満ちている。この先輩に出会って初めて言葉の力を実感した、と言っても過言ではない。
「高校から文章を書き始めて、ここまで書ける者はそうそういない。それは事実だ。だが、君の文章は、言葉は熱意に欠けているんだ。読者に何かを伝える、という熱意に。だからどうしても君の文章は浅くなってしまう。これは、君自身も感じていることなんじゃないかな?」
確かに、その通りだと思った。何も言い返せない。
「だから、君に宿題を出そう。幸い明日は活動日だ。期日は明日の活動開始時でいいね?」
期日を忘れてしまわぬよう、念のため手帳に書き込む。
「テーマは私だ。神無桜良という人物を表現してくれ。文字数は問わない。自由に書いてくれ。わかったね?」
僕は同意を伝えるために小さく首肯する。
先輩を、神無桜良という人物を……表現する。自分の言葉で、表現する。
僕は今かつて体験したことのないような高揚感に包まれていた。
高揚感と一種の緊張とが綯い交ぜになった奇妙な感情に襲われた僕が、この夜、文章を書くこと以外手につかなかったのは言うまでもない。