ディリオン王国前史6
新たに王となったサラールは迫り来る敵軍との戦いの為に戦線構築に奔走した。
先ずは兵力確保であるが、サラールは大規模な徴兵・召集と共にクラウリム駐留軍の撤退を以て対応した。
クラウリム駐留軍はクラウリム地方への影響力・権益保持の為に配置されており、事ここに至っては最早無為に置いておいても意味はない。またそれ相応の兵力であるとはいえクラウリム勢と単独で当たるには寡兵に過ぎた。
クラウリム駐留軍の指揮官はサラールその人で、即位と共に当地から離れる必要があった。サラールは現状を正確に認識しており、駐留軍を撤収して兵力の喪失を避けたのだ。
また大規模な召集は単に兵力を集めるという目的だけでなく、ヒルメス死後反抗的な機運を見せる大貴族達に対し人質として機能させ、その活動を抑制する目的もあった。ハルト地方最大の貴族マーサイド家などは既にして不穏な動きを見せ始めており、放置すれば外患と結託して内部から王国と攻めかねなかったのだ。
事情と目的はどうあれ、ディリオン軍は6万人もの兵を集めた。ハルト地方の政権が召集した軍勢としては空前の規模で、先のヒルメス治世下の戦争時も上回っていた。ヒルメスが築き上げてきたディリオン王国という土台が有効に機能している事のこの上無い証明であると言えるだろう。
王サラールはこれら大軍勢を各地に振り分けた。
南、即ち大国ライトリムと明確に王位を狙っているドリアス勢に対してはサラール自身が3万の兵と。東のバレッタへは次弟ヘイスティングと1万5千人の兵を抑えに投入した。北のクラウリムと西の海軍衆へは末弟ガディリウスに旧クラウリム駐留軍を中核に1万人の兵を与えて守りを固めさせた。更に王都には後詰め兼監視として5千人の兵士を残し、重臣カスティオ家のバグレイに後事を託した。
戦力振り分けからも察せられる様に、当面の最大の危機はドリアスを支持する南のライトリム王国である。ライトリム王国はハルト地方の支配を巡ってディリオン王国成立以前から衝突している仇敵であり、近隣で最も強大な国である。土地の豊かさではハルト地方には一歩譲るとはいえ、長い伝統とそれに裏打ちされた統御技術を持つ大いなる敵手だ。ヒルメス治世の戦いでは辛くも勝利を納めたとはいえ此度も同様の展開を得られるとは限らない。
新暦438年、態勢を整えたサラールは先んじて国境近くのフィステルス市に布陣し、迫る敵軍を迎え撃った。ディリオン軍3万人とライトリム・ドリアス軍3万4千人の衝突は激戦となった。血みどろの戦いは何時果てる事もなく続くかと思われたが、ホラント家のトランスが奮戦の末に敵陣を突破してライトリム王ベネタスを負傷させ、これを機としたディリオン軍の全面攻勢でライトリム軍を遂に撤退に追い込んだ。
ライトリム・ドリアス軍を撃退したサラールは軍勢の一部を引き連れ返す刀で北上、弟ヘイスティングと合流し東から接近するバレッタ軍に攻撃を掛けた。ウルビカス山の麓でディリオン軍・バレッタ軍双方共に2万人が交戦した。サラールは弟ヘイスティングとの巧みな連携でバレッタ軍を打ち倒し、こちらでも勝利を収めた。
バレッタ軍を撃破したサラールはその勢いのまま前進し、要衝ガラップを包囲した。ガラップはハルト=バレッタ回廊を制する重要拠点で、バレッタ方面からの攻勢を跳ね返すには是非とも確保しておきたい城塞であった。
だが幸運の女神は常に一方にばかり微笑む訳ではない。
新暦439年初頭、不運な事に、サラール王がガラップ包囲中に突然に死去してしまったのだ。
死因は不明で、戦傷死とも病死とも暗殺とも言われている。余りに突然の死とディリオンの実子という不仲な兄弟の実例のせいで未だに兄弟達による暗殺説さえも囁かれている。
王を失ったディリオン軍はガラップの包囲を解いて後退した。
ここで立ち止まる訳にはいかず、何れにしても新たな指導者の元に結集し再び立ち上がらなくてはならなかった。
しかし、幸先は暗くは無かった。王足るに相応しい者はまだ二人、次弟ヘイスティングと末弟ガディリウスが残っているのだ。




