大学院生×女子高生 前編
――……わかっていたのに。改めて目にすると駄目だなぁ。
歪む視界に映し出されているのは、腕を組みながらこちらに背を向けて歩いている男性と女性の姿。
男性の左手首には、今朝は着けて居なかったはずなのに真新しい時計が輝いている。
二人は時折顔を近づけ何か話したり、微笑んだり。
仲睦まじい風景だ。
何百人という生徒や教授等が在籍している大学の構内では、さも珍しくない。
けれどもその光景に心臓が氷の鎖で雁字搦めにされているかのように苦しくてしょうがない。
真兄さん……やっぱり彼女居たんだ……居そうだなとは思ったけれども、そんな話聞いた事無かったから、もしかしたらって思っていたんだけどなぁ……
兄さん達に見つからないようにさっと傍にあった木の陰に隠れ、私は手にしているその紙袋を抱きしめた。
周りは塗装された道。そしてそれに沿うように花壇や垣根など自然溢れる造りをしており、すぐ傍の公舎が影を作り太陽の光から私を守ってくれている。
「来なければよかった……」
私はさっき抱きしめてしまった紙袋の中をのぞき込む。
その中にはラッピングされた掌よりも大きい塊が。
その外側はぐしゃりと歪んでいるけれども、きっと中身は無事だろう。
ケースでガードされているから。
これはバイト代を溜めて購入した時計だ。
先ほどのカップル……男性の方に渡そうと思っていた誕生日プレゼント。
彼は渡部真と言って、お隣に住むお兄さん。私と四つ上の十九歳で、この大学に通っている。
両親があまり家に居ない私は、お隣のお世話になる事が多々あった。
そのため必然的に仲良くなり、その行きつく先が恋心だった。
でも年が離れているから、きっと妹のようにしか思っていないのかもしれない。
そうは頭では分かっていたけれども、なかなか諦めずにいた。
そしてこの春に私が高校生に上がり、多少は大人として少しは相手して貰えるかなぁと淡い期待を抱いたのは言う間でもない。
真兄さんの誕生日にプレゼントを渡して、一緒に告白しようと思ったらその前に玉砕してしまったようだ。放課後までの嬉々としていた気分が嘘みたい。
――相手の女性綺麗だったなぁ。私と違って大人だった。しかも、時計無駄になっちゃった。
比べなければいいのに比べてしまい、私の思考はどんどんと底なし沼へと引きずられてしまう。その時だった。
「花音……」
という呟きが風に乗り耳に触れたのは。
それに俯きかけた顔を上げると、そこに居たのは一人の男性だった。
顔立ちが整っていて、モデルのよう。日本人特有というよりは、彫が深めで外国の人みたい。髪はアッシュブラウンで、瞳はグレーっぽい。
その鍛え抜かれた体がスーツのラインから見て取れる。
彼が抱えているのは真っ赤に色づく薔薇の花束。薔薇と共に何か入っているのか、所々キラキラと輝きを放っている。
「なぜ……っ!」
その男性は真兄さん達の後ろ姿を憎らしく見ていたかと思うと、体を半回転させ、真兄さんとは反対方向へ。
そして足を進めると、たまたま近くにあったゴミ箱へと花束を捨てようと、そこへ腕を伸ばし始めてしまう。
それに私は慌てて駆け寄り、彼の腕にしがみ付き阻止。
だって折角綺麗な花なのに!
「なんだ、お前!」
「待って下さい。捨てないで! そんなに綺麗なのに……」
「関係ないだろ」
「あります! そんな勿体ない」
どうやらキラキラ光るものは、スワロフスキーで作られた花だった。
それが数か所薔薇と共に束ねられている。こんなに拘っているものならば、きっとお花屋さんだってアレンジに時間かかったはずだ。
「持って帰ってどうするんだよ? 不要だろうが」
「なら、私が貰います!」
「はぁ?」
「だって貰ったいないじゃないですか。それに確かに持って帰って飾るというのもあれですし……」
見る度に傷口抉られてしまうというか、なんというか。
探るようにその人を見れば、肩を落として嘆息を漏らしていた。
「勝手にしろ」
「あっ、ありがとうございます」
許可が下りたので、私はそれを抱えるように胸に抱きしめたが、意外とがさばる。
そのため若干視界が狭まり、肩にかけていた鞄はずり落ちかけてしまっていた。
それを直そうと体を動かすけれども、ますます動きが活発になり悪化して肘まで鞄の取っ手が。
「……家、この辺りなのか?」
「いいえ。ここから電車で三十分ぐらいの所です」
そう告げれば、何故か頭を抱えられた。
「送ってやる」
「いいえ、大丈夫です」
「その恰好で帰るつもりなのか? そもそもお前、高校生だろ? その制服は浅見学園か。なんでこんな所にいるんだよ。季節外れのキャンパス見学か?」
「あの……その……」
もしかしたらば、私の姿は見えて居なかったのかもしれない。
彼と同じ視線の先を同じ感情で目撃していたのを。
それもそうだろう。この人も私と同じでサプライズでやってきて失恋しているのだから。周りが見えなかったのも不思議ではない。
「それ、男物だよな?」
そう言って彼が目線を向けたのは、私の右手首辺り。
それは真兄さんへと渡そうと思っていたプレゼントが入った紙袋下げられていた。おそらくそこに記されているメンズラインのショップのロゴを見て言っているのだろう。
「はい。でも、もう必要ないみたいです。真兄さん、新しい時計していましたから」
いつも時計をするのを忘れるからと、腕時計を付けないタイプ。
スマホで時間を見ているためか、時々忘れて時間がわかんなくてさとか、夕食の時間にこぼしている時があった。
だから時計を選んだのだけれども、彼はもう忘れる事はない時計を貰ったから必要ない。
きっとあれはあの恋人からのプレゼントだろうから――
「真兄さん?」
「お隣のお兄さんです。さっき貴方が見ていた女性の隣に居た……」
「花音の隣にいたあいつか!」
そう叫ぶと、彼は顔を険しくさせている。
すみません……傷口抉って……
「お前、もしかして失恋したのか?」
「そうですね……わかっていたんですけど……真兄さん素敵な人ですから」
「そうか? 俺の方が断然良い男だろうが。何故、花音の相手があいつなんだ!?」
「え?」
たしかにこの男性はカッコいいと思う。でも自分で言う人は初めて目撃した。
「まぁ、自信ないよりは自信ある方が断然良いと思います」
「なんだ、急に」
「いいえ」
私が首を左右に振れば、その人は怪訝そうな表情を前面に押し出している。
「六条院聖」
「え?」
「俺の名前に決まっているだろうが!」
「あっ、私は三原琴乃です。高一です」
「俺は院生だ。六条院の」
「嘘……」
「なんで嘘つくんだよ? 学生証見せるか?」
「だってそこって、すごく偏差値高いんですよ? 政治家とか官僚とかも輩出したりしていますし。あれ……六条院?」
この人の名字も六条院。という事は……――
あぁ、そうか。それでかぁ。
「コネですね」
「断言するな! んなわけないだろうが。ちゃんと自分の頭で入ったに決まっているだろう。お前、何気に失礼だな。それに学校経営は祖父と叔父だが、父親は会社経営だからあまり関係ない」
「すみません。見た目で判断しました」
「まぁ、いい。慣れているからな。結構軽そうに見られるの。ハーフだから仕方ない」
たしかにチャラそうに見える。
でもそれがハーフだからかと問われれば、否。
雰囲気だと思う。そう正直に口にするのを躊躇うぐらいに、彼は本気で思っているのが伝わった。
「さっきの女性、花音さんっていうんですか?」
「なんだ、知らないのか。あいつはアパレルメーカーで有名な神戸グループの重役の娘。蝶よ花よと皆に愛されて育てられたお嬢様だ」
「えっ……」
それを聞いて私は絶句した。
そこは子供服から紳士服まで幅広く経営している老舗の会社。
しかも最近はブライダルの方の新規事業参入と、新聞やニュースを騒がせている。
「――……っ」
あまりにもレベルが違いすぎる。
比べてもしょうがない事なのは頭では分かっているけれども、涙が零れてくるのが止まらない。やっぱりお姫様には王子様が現れるのだろう。
ならば、私に現れるのは誰――?
「うぅ……ぇ……」
「ちょっ、おい! 泣くなって!」
唇を噛みしめて声を殺そうとするけれども、なかなか心が落ち着かない。
「……しょうがないな」
急に今まで腕にかかっていた重みが消え、手に何か自分の体温以外を感じる。
ふと顔をそちらへ向ければ、自分の手が誰かに握りしめられていた。
そしてさらに視線を上へと向ければ、不機嫌そうな六条院さんの姿が。
彼の左手にはあの花束がしっかりと握られている。
「行くぞ?」
「え?」
戸惑う私を余所に、彼に引きずられるようにしてその場を後にした。
+
+
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「なんで空いてないんだ!」
「お休みと書いていますよ」
「そんなの見ればわかる! 何故俺がわざわざ来てやったのに休んでんだよ!?」
「……なんて理不尽な」
数十分後、気私達はとある店の前に居た。
あの後車に乗せられて、連れて来られたのがここだった。
そこはヘンゼルとグレーテルの世界にあるお菓子の家風の建物で、その前にはイーゼルに乗せられたミニ黒板が置かれてあり、そこに『本日お休み』と白字で書かれている。周りも花々やハーブが植えられてあり、ますますメルヘンチック。お店のオーナーさんがこういうのが好きなのかもしれない。
店のある場所も市内から山道を車で三十分ぐらい登った先にある、自然に囲まれた場所だから。
「ここ、なんのお店なんですか?」
「ケーキとか、アイスとかいろいろ」
「そうなんですか。中身もこんな風に可愛いんですか?」
「あぁ。家具や雑貨はイギリスのアンティーク。あの人の趣味全開の店だ」
「あの人……?」
「ここは俺の母親が趣味でやっている店なんだ。お菓子作りが趣味で、人に食べさせて喜ぶ顔が見たくて始めたらしい。俺達家族は甘いものがあまり好きではないから、基本的に食べないからな」
「あの……どうしてここに?」
「あぁ、泣いていたから甘い物でも食えば収まるかと思って。でも、もう泣き止んだな」
そう言って六条院さんは、口元を緩めている。
甘いもので泣き止むって……もしかして子供扱いされているのかな?
でも、その気遣いが嬉しい。
「ありがとうございます」
「別に。俺も久々に来たかったからな」
「お菓子作り上手なお母さんって羨ましいですね。うち、両親あまり家に帰宅しないので……」
「仕事が忙しいのか?」
「どうなんでしょうか」
私の両親は家に帰って来ない。ただ定期的に通帳にお金の振り込みがあるだけ。
一年前に二人共それぞれ好きな人の所へ行ってしまった。私を捨てて。
それでも学校のお金や、生活費を入金してくれるだけ幸せなのだろう。
最初はさみしかったけれども、今ではすっかり慣れてしまった。
「真兄さんの両親に私の事を託したまま、音沙汰がないんです。ただ、真兄さんのご両親……おじさん、おばさんの元には連絡はあるみたいですが……」
「なんだ、それ。お前は親に連絡しないのか?」
「電話番号は知っていますが、何を話していいのかわからないからしません。それに真兄さんの家が気にかけてくれて、助けて貰っていましたので。中学までお隣で食事とかも摂っていたんです。さすがに高校生に上がってから、バイトもありますし一人で食べるようにしていますが」
「お前……」
どうやら失恋で心が弱くなっていたらしい。こんな話までするつもりなかったのに。
「なぁ、お前今から時間あるか?」
「え?」
顔を上げれば何故かにやりと笑われた。
「――猫と戯れないか?」