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吸血鬼のミュージックコントローラー  作者: 朱田 秀隆
吸血鬼のコインランドリーブルース
3/13

3.裸になっても心は錦です

クリスマスになってもパンツだブラジャーだと……。

いかがなものなんでしょうかね、ほんとに。

 サキソフォンの太い音色は心の中に眠っている憂鬱をかき鳴らす。

 ラジオを通して少し音の割れたメロディ――ブルースは、心がかさついているほど深く染み渡る。


 有線放送もなく、オーナーが選曲したであろうジャズのスタンダードナンバーを集めたCDが鳴り響く店内にかっちゃかかっちゃか、ごうんごうんという規則的な音だけが響き渡っている。

 その音はある意味でスウィングしているなとまどかは思うのだ。


 かれこれ十分。

 先客の洗濯は終了し、いまはまどかの洗濯物も乾燥工程に入ってかちゃかちゃと音を立てている。


 洗濯機の中でくるくる回る自分の衣類をぼんやりと眺めながら考える。

(ブラジャーも洗っとけばよかったな)

 如何にそういったことに頓着の薄いまどかといえども、店内に防犯カメラはあるし、道路側がガラス張りになっており誰か通れば見られてしまう状況でおっぱい開陳という訳にはいかない。

 通常ならば。


 だが、先ほどからおっぱいの下側――ブラジャーのカップが当たる少し上辺り。 下乳とでもいう辺りが猛烈にかゆい。

 ブラウスの上からブラジャーを左右にずらして掻いてみてはいたものの、それが一向に治まらない。

(これ、絶対ブラジャーのせいだよねえ……)

 先ほど、変な歌を脳内で歌いながら左右に揺れていた辺りから、かゆくなってきてはいた。

 当初、おっぱい開陳に対するためらいとかゆみの天秤はつりあっていたのだが


「駄目だ、かゆい……」


 ものすごい勢いでかゆみの重さが増していく。


 大変ゆゆしき非常時である(少なくとも、まどかにとっては)。

 あまりのかゆさにまどかは、誰も来ない時間があまりに長かったせいか、それとも尋常でないかゆみのせいか、一時の恥を忍んでもいいかもしれないと思い始めていた。


「よし、このブラも洗おう!」


 決意を一度口に出してみる。

 いけるかもしれない。


「洗うぞ!」


 力強く自分に対して宣言。

 ブラウスのボタンを上の二つだけ残して外し、前をはだける。

 少し日に焼けて黄色を帯びた元は白いブラジャーはどう見てもみすぼらしい ――中身はそこそこ(自称)だからいいのだと自分を鼓舞しつつブラウスの袖から腕を抜き、ポンチョでも着ているみたいな格好のまま背中のホックを外して完了。


(これでおっぱいのかゆみにもおさらばだ!)


 吸血鬼から変質者。

 変質者から露出狂。

 女性としてどうなのかと思う一線を一時間ほどの間に着々と踏越え、ノーブラノーパンの吸血鬼に成り下がったまどかは、それでもなんとなく意気揚々としていた。


「あ、どうも」


 と男性がコインランドリーに入ってきたのに気づくまでは。


「こんばんわ……あ、あの、お気になさらず」


 などと言ってはみたものの、薄汚れたブラジャーを片手に持って、おっぱい半分出して、そこをかきむしっている状態のまどかを見た青年は明らかに動揺していた。

 フレームの太い眼鏡をかけた細身の青年は、結構長い時間まどかの方を見て、持っていた金属製のアタッシュケースをごとりとローテーブルに置くまでたっぷり四十秒。


 まどかが外したブラジャーを、家から履いてきたぼろぼろの、トイレでしかはかないようなゴムサンダルの脇にぽとりと取り落とすその瞬間まで、闖入者であるちょっとだぶついた薄い紺のスーツを身につけた痩せ型の青年と、まどかの間の微妙な空気は張り詰めたように店内に満ちた。


「あ、あの、落ちましたよ」


 その沈黙をはにかんだように笑い、ブラジャーを指差した青年が破る。


「あ、はい」


 まどかはその声に跳ね上げられるようにブラジャーを拾い、速やかにゴミ袋に叩き込む。

 それから、青年に背を向けてブラウスのボタンを留める。

(もしかして、見られてなかったのかも)

 だとすれば、我慢しよう。


「あの、先っぽまでは見えてないですから大丈夫ですよ」


 と思った矢先の青年の返答に、あまり我慢する必要がなくなった。


「すみません、お見苦しい物をお見せして……」


 と恐縮するまどかを他所に、青年は洗濯機から女物の下着を取り出し、金属製のアタッシュケースに収めていく。

(この人のなのかあ)

 世の中には色々な趣味の人がいる。

 七十年生きてきたまどかはそれを熟知していたので、彼が女性用の下着を身につける人物だとしても、特段の感想はない。


 ただ、そういう可愛い下着を趣味で身に着ける男性より、自分のパンツがぼろぼろなのを思うと、吸血鬼の身でありながら、明日の朝日を全身全力で拝みたい気持ちでいっぱいになる。


 とりあえず、この間の悪い空気をどうにかしないといけない。


「あ、あの。 可愛い下着ですね。 いつもつけているんですか?」

「あ、いえその」


 まどかの問いに、青年は明らかに動揺し、顔を真っ赤にしてうつむいている。 明らかにばばを引いたという手応え。


(きいちゃいけないことだったの!?)


 とどうしようもない沈黙が店内に充満しつつあるところで、駐車場からドアを乱暴に閉める音が聞こえた。 その音に跳ねあげられるようにびくっとした青年は、アタッシュケースをこれまた乱暴に閉めると


「このことは秘密にしといてください!」


 と、猛烈な勢いで去っていった。


 まどかがその様子をぼんやり眺めていると、洗濯終了のブザーが高らかに鳴った。

服を着たままブラジャーを外す方法はともかく、男子のやっていたズボンをはいたまま水着を着るっていう技能は本当に謎でした。

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