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吸血鬼のミュージックコントローラー  作者: 朱田 秀隆
吸血鬼のミニッツワルツ
10/13

4.痛みは我慢できるけどかゆいのはきつい

 日が昇れば眠りに落ちる。

 その眠りは人間のそれより強制的で、日が昇れば電源でも切れるよう力が抜ける。


 それが吸血鬼の眠り。


 だからこそ、日中の吸血鬼は無力だ。

 だが、まどかは眠れないでいた。


 蒸し暑くて寝苦しいというのはもちろんある。でも、それ以上に


「かゆい!」


 首とか脇の下とか。

 股関節とか膝の裏とか。

 それからおっぱいの下辺りとか。

 もう、服に触れてるありとあらゆるところがかゆかった。


 七十年以上生きてきて、それなりに痛い思いもしてきた。

 だから、痛みはという感覚には慣れ親しんでいる。


 だが、かゆみは別物だ。

 我慢するというほど覚悟を決めるには緩やかで、だからといって無視出来るほど軽い物でもない。



 もう服の上からかけるところは服の上から。

 でも、そんなんじゃ我慢出来なくなって、ズボンやらシャツやらの内側に手を突っ込んで、がしがしとかきむしる。


「なんで、こんな……」


 ブラのカップを少し上にずらしておっぱいの下辺りをかきながら、だるさを押して起き上がる。

 昼間起きているなんて、もう何年もなかったが、力が出ないのは想像通り。恐ろしい倦怠感が両肩を押しつけてくる感覚は、あまり愉快ではない。


(それにしても、なんでこんなにかゆいんだろう)


 そう思って周りを見る。

 いつもならパンツ一丁でソファにごろ寝なのだが、昨日の晩は「犬もいるしなぁ」なんて、なんとなく和室に布団を敷いて寝た。

 隣には犬がいて、左手側があったかい――季節がら、暑いとしか言いようがないのだが。ともあれ、いつもと違うのはそれくらい。

 昨日と変わったところはほとんどない。


 脱ぎ散らかした服を嗅ぎまわられるのが気になって、放りっぱなしになっていたのを片づけたおかげできれいになっているのはいつもと違う。

 でも、片付いて綺麗にしたのにかゆいというのは道理に合わない。


 だとしたら理由はなんなのか。


(それにしても、かゆい……)


 もうろうとする頭をフル回転させながら、日光を遮断しているから昼なお暗い部屋の中をぼんやりと見回す。

 部屋の中に原因になりそうなものは見当たらない。

 そもそも、ハウスダストだなんだにやられるくらいなら、隙間だらけの壁から自然の猛威が入り込んでくるこんなボロ洋館に住んでいられる訳がないのだ。

 だとすれば、家に原因はない。


 なら、なにが原因だろう?

 考え込んでいる内に、長くてうっとおしい。でも、寝癖でそれなりの形を保っていた髪が、少しずつ力を失ってはらりと目の前に落ちてきた。

 それをかき上げようと無意識に左手をあげると、そこに原因はあった。


 顎を載せていた手をどけられた犬が、もぞもぞと動く。

 眼の辺りまで上げた左手で、なにか小さいつぶつぶが動き回っているのが見えた。


 昨日までは、確かに部屋の中に――少なくとも、まどかの髪の毛の中から出てくることはなかった生物。


(……のみ、かぁ)


 血流がなく、体温も死体のそれと大差ない――つまり、室温と同等程度の吸血鬼は、蚊など吸血生物に刺される事はない。

 あるとしても、かゆみの原因であるアレルギー抗体が存在しない以上、かゆみを引き起こす可能性はゼロなのだ。

 だが、衣服と皮膚の間を跳ね回る、その皮膚刺激がかゆみを引き起こす事はある。


「あー、もう!おい、君。起きなさい!」

「ぶふ」


 だるだるに余った肉を引っ張って、寝こけている犬を無理やり起こして。そのまま、たるんだ皮膚をびよーんと引き伸ばして、毛皮の中をかき分ける。

 そこには恐ろしい世界――小さな生物の一大集落が広がっていた。


「……すごいびっしりいるじゃないですかぁ」

「ひーん」


 哀れげに喉を鳴らし、見上げてくる犬に少し罪悪感を覚えながら。でも、泣きたいのはこっちだよって心の中で弱音を吐きつつ、だるさに萎える身体に「えいやっ!」って無理やり力を入れて立ち上がった。


 どうしてこんなのと一緒に寝てたのか!

 なんて、驚いたり自分に腹を立てたりしても後の祭り。


 布団も着ている服も、なにもかもにへばりついた大量ののみがそこらじゅうを跳ね回っているのは地獄絵図そのものだった。

 戦時中、入浴――というより、夜間灯火の制限で、不潔極まりなかった頃、しらみにたかられて以来のぞわぞわとした感覚が、腰から背中に駆け上ってくる。


「お風呂に行きますよ!」

「……」


 昼間に風呂なんて、吸血鬼になってから六十年経つが一度もした事がない。

 そもそも、まどかの入浴サイクルにしてみたら、週に一回でいい方。下手したら月に一回くらいしか入らないことだってある。


 それでも、いま。この瞬間は、非常事態だ!


 そう思って、犬の首輪に手をかける。それと同時に犬は身体を地面に伏せると「うー」と唸り声を上げた。


「この。抵抗して!」


 夜なら、力づくで連れて行く事も出来ただろう。

 だが、日の上っている時間のまどかは、十四~五歳という外見相応か、それ以下の力しか出せなかった。


 犬の方もそれに気づいたのか、今度は逆にまどかをぐいっと引っ張る。


「あ、わわ!」


 胴長短足のくせにものすごい力――それから、まどかの非力のせいでもあるのだが。とにかく犬は首輪をつかんだままのまどかをもう一度布団にひきづりこむと、お腹を枕にもう一度眼を閉じ、眠ろうとする。


「あふ」


 と大きな口であくびをすると、ゴムパッキンみたいになった口の端っこがびよーんと伸びた。


(この、馬鹿犬め!……って、あれ?)


 お腹の上にのっただるだるの顔の端っこに、なんだか毛皮が途切れてるところがあるのは気のせいなのか。

 いや、気のせいなんてなかった事に出来るような面積じゃない。


 それは紛れもなく、皮膚病だった。

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