私は、無力だ。(2)
家の門の手前まで来たところで、蓮は足を止めた。
・・・何だろう?何か嫌な感じがする。蓮はコクリと唾を飲み込み、そっと門を開く。一歩足を踏み入れたところで、彼女の動きは止まった。
「・・・な・・・に?これ・・・!?」
目を見開いた彼女の視界に映ったのは、地面に横たわる道場の生徒たち。彼らは皆血に塗れ、あちこちに切り離された腕や足、上半身、頭などが散らばっており、本来の生徒数より多く感ぜられた。
「どういうことっ!?何が起こって・・・」
突然の異常事態に、頭がうまく回らないでいる連の耳に、女性の叫び声が聞こえた。家の中からだ。
「!?母さんっ・・・」
母の叫び声を聞いた蓮は玄関前の屍を飛び越え、急いで家の中へと駆け込む。
「うっ・・・」
ガラっと扉を開けた瞬間、むせ返る様な生臭い匂いが鼻を刺激した。彼女は顔を顰めながらも母がいつもいる台所へと進んだ。目の前に見えている台所からは明かりが漏れている。
―信じたい。みんな無事だと。これは全部私の夢で、起きたらいつも通りの日常が始まる。そう、これは全て私の見ている悪夢なんだ。
必死に希望を持とうとする蓮の脳裏に、先程踏み越えてきた生徒たちの無残な光景がよぎる。
「そんなことない。そんなこと、あるわけがないっ」
何かを振り払うように頭を振って、蓮は台所へ入った。
「母さんっ!だいじょ・・・」
中へ入った蓮の目に飛び込んだのは、一箇所に群がる人の形に似た、化物だった。彼らはグチャグチャと音をさせながら、何かを食べている。
―何を・・・?と思った彼女のつま先に、コツンと何かが当たった。ぎこちなく足元を見た蓮は、目を見開く。そこには、蓮の母親の首が転がっていたのだ。どうしても信じられなかった蓮は、もう一度化物が群がっている方を見る。彼らが食い千切っているものの服装を確認して、絶望した。あの服は確かに今日、母が着ていたものに間違いない。
―嘘だ・・・ありえない。こんなこと、あるわけがないっ!人を食うなんてっ・・・!!?
蓮は震える足で後ろに下がるが、うまく足が動かなかったため躓いて尻餅をついてしまった。音を聞きつけた化物どもがこちらを振り向く。彼らは母の血肉でねっとりと濡れた口をガバリと開け、蓮に襲い掛かるって来た。
「ひっ・・・!?」
すぐに立ち上がれなかった蓮は咄嗟に、いつも持ち歩いている竹刀を袋に入ったまま盾がわりに使った。竹刀ごしに、真っ赤に染まった牙が目に映る。蓮は何とか化物を薙ぎ払い、急いで立ち上がった。化物たちが蓮を見てグルグルと喉を鳴らしている。蓮はさっき彼らが群がっていたところを見る。母だったはずのものは、グチャグチャに食い千切られ、ただの肉片となっていた。
「―っ・・・」
蓮はそれから目をそらし、台所から走って逃げた。化物たちは逃げた蓮を追いかける。蓮は走りながら、竹刀を袋から取り出した。
「はあ、はあ・・・父さんと、兄ちゃんはどこにっ・・・」
二人は無事なのか。もう、それしか考えられなかった。彼らがこの時間いそうな場所は、おそらく道場。とにかく、蓮は道場へ向かった。
道場へ向かう途中、何度も化物と出くわした。蓮は竹刀で化物を払いのけながら目的地へ突き進む。しかし、こんな竹刀などでは化物を払いのけるだけで殺せはしない。どうすればっ・・・。
道場に着いた蓮は勢いよく扉を開けた。
「―うそだ・・・」
目の前の暗闇を見つめて、彼女は二度目の絶望を味わった。道場の中には、五体の化物と横たわる二人の姿がある。父と、兄だった。化物共は動かない二人に群がろうとしている。
「やめろ――っ!!!」
頭に血が上った蓮は、気付くと化物の群れに飛び込んでいた。彼女は、竹刀で力の限り化物を叩き、突き、薙ぎ払う。しかし、時間が経てば経つほど化物が合流し、追い詰められた。後ずさる蓮は、ちらりと背後に血塗れで倒れている二人を見て、堪えきれない憎悪と悔しさに唇をギリっと噛む。そんな彼女の目に、ふと光るものが見えた。・・・刀だ。父の手に鬼瓦家の家宝、鬼切が握られていた。本来、これは兄が父より継承されるはずのものだった。蓮は動かない父の手を解き、鬼切を握る。
「・・・父さんと兄ちゃんを、お前らなんかに食わせはしないっ!私がお前らを殺すっ・・・」
そう言って、蓮は刀を構えると、化物に向かって走り出す。
「ああああああああっ!!!」
彼女は憎悪に満ちた眼差しで、刀を振るう。