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グリッチワーカー~歪んだ理のその先で、独り世界の綻びを繕う~  作者: かんぱく


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第34話 パッチの当たらない明日

その日の随行は、Hブロックの第3区画で終わった。

出口へ向かう通路を歩いていた。ライカが春山の隣に来た。配信は終わっている。カメラのライトが消えている。ユウリとセイラは少し先を歩いていて、2人の会話は聞こえない距離だ。


「あの、少し聞いてもいいですか」

「どうぞ」

「春山さんって、怖くないんですか。ダンジョン」


春山は前を向いたまま答えた。

「怖いと思ったことはないです」

「そうなんですか」

ライカが少し考えた。

「私はずっと怖いんですよね。慣れてきたとは思うんですけど、無くなりはしなくて」

「探索者でも怖いんですか」

「探索者だから怖いのかもしれないです。ちゃんと見えてるから」


春山は少しだけライカの方を見た。

「見えてる、というのは」

「危なさが、ちゃんと分かるってことです。Hブロックに来るたびに、次はどうなるかわからないなって思う。先週みたいに全方向から囲まれたら、次は本当に終わるかもしれない」

「終わるかもしれない、と分かっていて来ているんですか」

「来ますよ」

ライカがあっさり言った。


「来なかったら配信できないし、配信できなかったら意味ない。それに」

少し間があった。

「この世界って、面白いじゃないですか」


春山は答えなかった。

ライカが続けた。

「魔法があって、ダンジョンがあって、魔石でいろんなものが動いて。私が子供の頃にはもうこれが普通だったんですけど、普通のはずなのに、全部が不思議で。倒した魔物が煙みたいに消えたり、傷が魔法で一瞬で塞がったり。子供の頃から当たり前だったけど、たまに、これって誰かが作ったゲームなんじゃないかって思うんです」

「……そういうものですか」

「春山さんはそう思わないんですか。なんでこういう世界なんだろうって」


春山は少し考えた。

正直に答えれば、思っている。思っているどころか、その問いを追いかけてコンテナに通い続けている。

しかし春山の出した答えは、ライカが期待しているものとは違う方向を向いている。


「思いますよ」

春山は続ける。

「ただ、私の答えはあまり面白くないと思います」

「どんな答えですか」

「この世界が今の形で続く保証は、どこにもない、というものです」


ライカが少し黙った。

「……それは、どういう意味ですか」

「ダンジョンが生まれてから50年以上経ちます。この仕組みがいつ始まったのか、なぜ始まったのか、誰も知らない。誰も管理していない。ライカさんが『不思議』と感じているもの、たとえば魔物が煙のように消えたり、傷が魔法で一瞬で塞がったりする現象、あれは私には不思議に見えないんです。おかしく見える」

ライカが少し眉をひそめた。

「おかしい、というのは」

「設計通りに動いていない、ということです。誰も気にしていないだけで、ずっとそういう状態が続いている。そういうシステムは、いつか止まります」

「止まったら」

「どうなるかは、わかりません。ただ、バックアップがあるという話は聞いたことがない」


ライカがしばらく黙って歩いた。

前を歩くユウリとセイラとの距離が、少し開いていた。出口の光が、通路の先に見え始めていた。

「……怖い話ですね」

「そうですか」

「春山さんは、怖くないんですか。そう思っていて」


春山は少し考えた。

怖いかどうか、という問いに正確に答えようとすると、難しい。

あのコンテナで、移行先のないデータは消えると思った。今の世界もその例外ではないと思った。それは怖い、という感情なのかもしれない。

しかし怖い、という言葉が示す感触とは少し違う気がする。


「怖いというより」


「確認したい、という感じです」

「確認?」

「止まるのか、止まらないのか。止まるとしたら、いつ、どこから崩れるのか。確認できるなら、確認しておきたい」

「確認して、どうするんですか」

「わかりません」


正直な答えだった。

確認した後に何ができるかは、まだ見えていない。報告書を書く相手がいないという問いは、まだ答えが出ていない。

しかし確認しないまま動き続けることが、春山にはできなかった。それは前職から変わらない習性だ。


ライカが少し笑った。

笑い方が、普段の配信のときと違った。カメラの前の笑い方ではない。何かがおかしい、というより、何かが意外だった、という顔だ。

「春山さんって、面白いですね」

「そうですか」

「うん。怖い話するのに、全然怖そうじゃない」

「怖そうに話す必要がないので」

「そういうとこが面白い」




出口に着いた。

外の空気が入ってきた。南港の、潮と工場の混じった空気だ。ユウリとセイラが先に出て、装備の確認をしている。セイラが端末を操作しながら、こちらを一瞥した。

一瞥の後、視線が一瞬だけ止まった。春山の手元ではなく、春山そのものを見ている目だった。

清掃員が清掃員らしくない何かを持っているとき、数字を扱う人間が示す、静かな引っかかりの目だ。すぐに端末に戻った。

春山は清掃用具を整えながら、今日の作業を頭の中で締めた。

回収物の確認。区画の状態。次回の優先事項。

ライカが隣で空を見上げていた。南港の低い空だ。工場の煙突と倉庫の屋根が並んでいる。

「ねえ、春山さん」

「はい」

「この世界が止まらないように、誰かがこっそり壊れたところを直して回ってたりしないんですかね」


春山は空を見なかった。

手元の作業を続けながら、答えた。

「いたとしても、気づかれないと思います」

「なんで」

「その仕事は、うまくいっているときは誰にも見えないので」


ライカが少し考えた。

「……それって、春山さんの話ですか」

「さあ」


春山は用具をまとめて、駐車場の方向へ歩き出した。

ライカが後ろで何か言いかけた気配があったが、聞こえなかったことにした。

軽自動車に乗り込んで、エンジンをかけた。

その仕事は、うまくいっているときは誰にも見えない。

それはずっとそうだった。前職でも、今も。

見えなくていい。

ただ、動いていればいい。

アクセルを踏んで、43号線へ向かった。


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