第31話 エネルギーという名の死骸
また数日後、コンテナに来た。
辞書登録は2,400件を超えていた。RGBの変換パターンを中心に積み増した結果、画像データの解凍精度が上がっていた。前回は空白だらけだった格子が、今日は8割以上埋まる。
14番袋に向けてウィンドウを展開する。
2枚目、3枚目、4枚目と重ねる。フィルタを当てる。
最初のブロックが解凍された。
台所だった。
白いタイル張りの台所。シンクの上に、洗い物が積んである。窓から光が差し込んでいる。午前中の光だ。カウンターの上に、コーヒーメーカーと小さな植木鉢が並んでいる。
誰もいない。
しかしそこに誰かが住んでいることは、積まれた洗い物と植木鉢が示していた。
次のブロックを解凍した。
夕方の道だった。
住宅街の細い道。電柱が並んでいる。アスファルトが夕陽を受けてオレンジに染まっている。道の端に自転車が1台、鍵をかけて停めてある。
人影はない。ただの道だ。
次。
食卓だった。
4人掛けのテーブルに、食器が並んでいる。茶碗、箸、小鉢、汁椀。4人分。まだ食事が始まる前の状態だ。テーブルの中央に、煮物の入った鍋が置いてある。
次。
海だった。
防波堤の上から撮った海。水平線が遠い。空は曇っていて、海の色は暗い灰色だ。防波堤に、誰かが腰かけている。後ろ姿だけで顔はわからない。一人だ。
春山は手を止めた。
画像を5枚、解凍した。
台所、夕方の道、食卓、海。
どれも、何の変哲もない風景だ。事件が起きているわけでも、特別な何かが写っているわけでもない。前回の公園と同じだ。誰かの日常の、ただの断片だ。
しかし5枚を並べると、人間の生活の輪郭が見えてくる気がした。
台所のコーヒーメーカーと植木鉢は、朝の習慣だ。夕方の道の自転車は、帰り道の記憶だ。4人分の食卓は、家族の食事だ。防波堤の後ろ姿は、一人でいる時間だ。
全部が同じ人物の記録かどうかはわからない。しかし14番袋の中には、こういう画像が何枚入っているのか。
春山はブロックの総数を確認した。
数百単位では効かない。
密度からすれば、1,000枚を超えている可能性がある。あるいはそれ以上かもしれない。魔石1個の中に、1,000枚以上の画像が詰まっている。
春山は椅子の背にもたれた。
天井を見た。
14番袋は、5袋分を圧縮した袋だ。中には魔石が大量に入っている。その1個に1,000枚以上の画像が入っているとすれば、袋全体では数万から数十万枚の画像が封じ込められていることになる。
そしてコンテナの棚には、14番以外にも19袋ある。
春山が一人で抱えている数だけで、それだけの量だ。
南港のダンジョン全体で採掘される魔石の量を考えれば。世界中のダンジョンから出る魔石の総量を考えれば。
数字が、頭の中で積み上がっていった。
春山は画面を閉じた。
コンテナを出たのは、夜の11時過ぎだった。
43号線を走っていると、沿道のコンビニの看板が目に入った。魔石灯だ。南港周辺では、電灯の代わりに魔石を使った照明が普及している。消費量が少なく、安定しているからだ。
コンビニの看板が、橙色に光っていた。
春山は信号で止まった。
看板を見た。
魔石灯の光は、白熱灯より少し暖かい色をしている。夜の道を照らす、穏やかな橙色だ。
その橙色の中に、誰かの台所が入っているかもしれない。
誰かの夕方の道が、入っているかもしれない。
4人分の食卓が、入っているかもしれない。
防波堤で一人海を見ていた誰かが、入っているかもしれない。
信号が青になった。
春山はすぐにアクセルを踏まなかった。
後ろから車が来て、クラクションを鳴らした。
アクセルを踏んだ。
走り出しながら、沿道の光を見た。
コンビニの看板。街路灯。ガソリンスタンドならぬ魔石充填所の光。居酒屋の赤ちょうちん型の魔石灯。工場の外壁に並んだ作業灯。
街が、光っていた。
その全部に、誰かの記憶が入っているかもしれない。
街を照らしているのは、エネルギーではなく、誰かが生きた証かもしれない。
春山は前を向いて、走り続けた。
感傷的になっているわけではない、と思った。
データはデータだ。フォーマットに沿って構造化されたビット列が、別のフォーマットに変換されて出力されているだけだ。画像に見えるのは、変換の結果に過ぎない。
しかし、その変換の結果が、台所で、道で、食卓で、海だった。
エンジニアとして、データの中身を無視することはできる。ログの中身を読まずに処理することもできる。しかし今夜見たものを、ただのビット列として扱い続けることが、自分にできるかどうかは、わからなかった。
前職で一度だけ、顧客の個人情報が入ったファイルを誤って開いたことがある。名前、住所、家族構成、医療記録。本来見るはずのないものが、画面に映った。すぐに閉じた。その後、そのファイルの処理をするたびに、ファイル名がただの番号であっても、中身が人間であることを意識した。
今夜から、魔石は同じになった。
手に持てば、中身を意識する。
南港の計量所に通常品として持ち込んできた魔石が、いくつあるか。神戸のブローカーに売った高純度品が、いくつあるか。その全部に、こういうものが入っていたかもしれない。
春山はハンドルを握ったまま、その考えを頭の中で一度転がして、横に置いた。
転がし続けても、何も変わらない。
変わらないが、知らなかった頃には戻れない。
阪神高速の入り口を通り過ぎて、43号線をそのまま南へ向かった。
遠回りになるが、今夜は高速に乗る気になれなかった。
街の光の中を、低いエンジン音で走り続けた。




