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グリッチワーカー~歪んだ理のその先で、独り世界の綻びを繕う~  作者: かんぱく


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第29話 オーバーレイ・プロトコル

スペクタクル社の会議室は、解析室より小さかった。

窓がない。長テーブルに椅子が6脚。壁際に給湯器と紙コップ。

管理局の調査員が2人、向かいに座っていた。スーツは違うが、顔つきが似ている。書類を持って、どこかの誰かを詰める仕事に慣れた顔だ。

本田が春山の隣に座っていた。


「では、改めて確認させていただきます」

調査員の一人が口を開いた。手元に書類がある。セイラが提出したログの写しだろう。


「Hブロック第2区画において、魔物の行動が全方向で同時停止した。清掃員である春山さんは、その時間帯に瓦礫の陰にいた。これは事実ですか」

「そうです」

「その時、何か特別な行動を取りましたか」

「いいえ。包囲されたので、邪魔にならない場所に避難していました」

「スキルの使用は」

「ステータス画面を開きました」

「それはなぜ」

「包囲されたとき、パニックにならないよう自分のバイタルを確認するためです」


調査員がペンを走らせた。

「魔物の停止について、何か気づいたことは」

「一つだけ」


春山は少し間を置いた。

「瓦礫の多い場所でした。あの辺りは特に、地形が歪んでいるような感覚がありました。座標がズレているというか。そこに魔物が集中したとき、空間がその重さに耐えきれず、一時的に時化たような状態になったんだと思います。私はそう解釈しています」

「座標のズレ、というのは」

「清掃員の感覚です。長くダンジョンにいると、稀にそういう場所がわかるようになる。うまく説明できませんが」


調査員が相棒と目を合わせた。春山の説明を、どこに分類するか計算している顔だ。

手元のログと照合しているはずだ。春山は会話を続けながら、頭の中で差分を確認した。セイラが提出したログに何が書いてあるか、全部は把握できない。

しかし「魔力場の乱れなし、魔物側の異常なし」という本田の言葉が事実なら、ログには「原因不明」としか記録されていないはずだ。「座標のズレ」という説明は、その空白を埋める言葉として機能する。反証のしようがない。

整合性さえあれば、真実である必要はない。

「清掃員の経験則、ということですね」

「はい」


本田が口を開いた。

「弊社の随行配置と事前のリスク評価にも、管理不足がありました。清掃員を高難易度エリアに同行させる際の安全基準について、改めて見直します」

本田が頭を下げた。

調査員の表情が少し変わった。スポンサー企業の統括マネージャーが頭を下げている。これ以上の追及は、摩擦のコストが利益を上回る。そういう計算が顔に出ていた。


「……わかりました。今回の件は、ダンジョンの挙動異常として記録します」

書類にスタンプが押された。

報告書が受理された。世界は、また正常に回り出す。




コンテナに着いたのは、夜の10時過ぎだった。

シャッターを開ける。14番の袋は、棚の奥に押し込んだままだ。

近づくと、音がしている。昨夜と同じノイズだ。低く、不規則に。変化はない。


春山は折り畳み椅子を広げて、14番袋の前に座った。

昨夜と同じようにステータス画面を開く。高速で開閉する。スロットの表示が滲んで、0と1の羅列が一瞬だけ見えて、消える。

5分で、指の付け根が痛くなった。

10分で、目が追いつかなくなった。


画面を閉じて、手を握った。関節がひりついている。格ゲーで長時間アケコンを叩いたときと同じ感覚だ。しかしあのときは慣れれば痛みが薄れた。今回は速度の問題ではなく、情報量の問題だ。

0.2秒で流れる膨大なバイナリを、人間の目で読み取ることはできない。


前職で同じ問題に直面したことがある。サーバーのリアルタイムログは流れが速すぎて、目視では追えない。あのときは専用の解析ツールを使った。フィルタをかけて、必要な情報だけを抽出して、可視化する。

今は専用ツールがない。あるのは標準のメニュー画面だけだ。

春山は椅子に座ったまま、天井を見た。

コンテナの鉄板の天井。街灯の光が、隙間から薄く差し込んでいる。


標準機能で、できることを考える。

メニュー画面にできることを、一から並べる。

アイテムの確認。スロットの操作。検索。ソート。辞書登録。ウィンドウの位置調整。透過率の設定。複数枚の同時展開。

透過率。複数枚。


春山は画面を開いた。

ウィンドウを1枚目として固定する。透過率を設定する。その上に2枚目を重ねる。重ね方を調整する。

前職で、複雑なデータを解析する際に、情報の性質ごとに透過度を変えた複数のレイヤーを重ねて、必要な数値だけを浮き上がらせる手法を使ったことがある。一枚一枚は断片的な情報でも、精密な座標で透過的に重ね合わせれば、ノイズの奥にあるパターンが視覚化される。同じことをメニュー画面でやる。

1枚目、14番袋のスロットを表示。バグった状態のまま、生データを出力させる。

2枚目、辞書登録を経由させる。


辞書登録。

春山は立ち上がって、車に戻った。グローブボックスからメモ帳を取り出した。昨夜、0.2秒の間に見えたバイナリの断片を、帰宅後に書き留めておいたものだ。先頭のパターン、区切りのビット数、繰り返しの構造。不完全だが、輪郭はある。


コンテナに戻って、辞書登録を開いた。

バイナリをそのまま打ち込むことはできないが、16進数に変換すれば標準の文字入力で打ち込める。メモ帳の断片を手がかりに、16進数へ変換しながら入力する。対応する意味を登録する。先頭の固定パターンはヘッダと登録する。一定間隔の区切りはセパレータと登録する。繰り返し出現するパターンには仮の番号を振る。


地道な作業だった。前職でサーバーの設定ファイルを手打ちで書いていた時間と同じ感触だ。速くはない。しかし積み上げれば形になる。

1時間で、300件を超えた。

指が疲れた頃に、ウィンドウの組み立てに戻った。

2枚目のウィンドウに辞書を紐付ける。

1枚目の生データが表示される位置に、2枚目をピッタリ重ねる。透過率を調整して、1枚目が2枚目の下に透けて見える状態にする。

3枚目を追加する。

検索窓を開く。特定のパターンが出現したときだけハイライトされるよう、条件を入力して固定する。3枚目を1枚目と2枚目の上に薄く重ねる。

赤い下敷きを重ねると、隠れていた文字が見える。子供の頃の理科の実験を思い出した。原理は同じだ。フィルタを重ねることで、見えなかったものを見えるようにする。

4枚目、5枚目と追加しながら、ズレを調整する。1ミリのズレが、情報の読み取りを狂わせる。ウィンドウを空間の座標に固定した。袋も、床にガムテープで印をつけた位置から動かさない。物理的な精度が、解析の精度に直結する。

春山は14番袋に向けて、高速開閉を再開した。

スロットの生データが1枚目に流れる。

辞書を経由した2枚目が、パターンを変換する。

3枚目のハイライトが、特定の構造を浮かび上がらせる。


流れが、変わった。

カオスだった羅列が、区切りを持ち始めた。ヘッダと登録したパターンが、繰り返し先頭に現れる。セパレータが一定の間隔で入る。その間に挟まれたデータブロックが、塊として見えてくる。

意味はまだわからない。

しかし構造は見えた。


「……これなら、いける」


声が、静かなコンテナに落ちた。

前職でサーバーの深いところに入り込んで、ログの構造がようやく見えてきたときと同じ感触だった。全体の地図が見えた瞬間の、乾いた手応え。

春山はウィンドウの配置を固定した。

次に来るときのために、各枚の位置と透過率をメモ帳に書き留めた。辞書登録の続きも必要だ。今夜登録できたのは全体の一部に過ぎない。構造の全容を読むには、もっと多くのパターンを埋める必要がある。


端末が鳴った。

本田からのメッセージだった。

「来週の予定を送信しました。Hブロックの再調査です」


春山は画面を見た。

フィルター越しに流れるバイナリと、届いた実務の連絡。

どちらも、処理しなければならない仕事だ。本来なら、生活を維持するための実務が最優先される。だが、幸いにして蓄えはある。これまで管理局の目を恐れて手を付けずにいた資産だが、本田が後ろ盾となった今、多少の融通は利くはずだ。


だが、清掃員としての日常を捨てるつもりはない。ダンジョンに入らなければ得られない生データがあり、現場にいなければ見えない予兆がある。何より、この「実務」という隠れ蓑が、今の春山には必要だった。

解析は実務の隙間でやる。ただし、その隙間を作るためのリソースは、惜しみなく投入するつもりだ。




ウィンドウを閉じた。

5枚の淡い光が、順番に消えた。

シャッターを下ろした。

工業地帯の夜道に出ると、港の方角から風が来た。潮の匂いが混じっている。空は曇っていて、星は見えない。

軽自動車に乗り込んで、エンジンをかけた。

14番袋の音は、シャッターの向こうで続いているはずだ。

次に来るときまで、鳴り続ける。


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