第27話 偽りの鑑定眼
Hブロックの出口を抜けると、空が広かった。
南港の空は低い。工場の煙突と倉庫の屋根が水平線を埋めていて、どこを見ても空の面積が狭い。それでも、地下から出た直後の空は、いつも少し広く感じる。
ライカたちとは出口で別れた。
「お疲れさまでした。今日もありがとうございます」
ライカが頭を下げた。配信はすでに終わっていた。カメラのない顔は、現場にいるときより少し幼く見える。
「春山さんのおかげです。本当に」
「仕事なので」
「そうですか。でも、助かりました」
ユウリが無言で一礼した。セイラは端末に視線を落としたまま、顔だけ上げて春山を一度見た。何も言わなかった。
駐車場に戻る前に、スペクタクル社の無線機が鳴った。
「春山さん。今日の映像を確認しました。少しお時間をいただけますか」
本田の声だった。
梅田まで、43号線から阪神高速で40分だ。
案内されたのは、前回と同じ解析室だった。
3面の巨大モニター。今日は中央のモニターにも映像が映っていた。第2区画。魔物が全方向で固まった瞬間だ。春山が瓦礫の陰にいる時間帯、カメラの角度が切り替わっている。ドローン映像を何度も巻き戻した跡がある。
本田が窓際に立っていた。前回と同じ立ち位置だ。
「来ていただいてありがとうございます」
「用件を聞かせてください」
「座ってください」
テーブルを挟んで、2人が向かい合った。
本田がモニターを指した。
「今日の第2区画です。魔物が全方向で同時に停止した。ログには、魔力場の乱れも魔物側の異常も記録されていません。原因が特定できていない」
「そうですか」
「あなたが瓦礫の陰にいた時間と、停止のタイミングが重なっています」
春山はモニターを見た。
瓦礫の陰での動作は映っていない。春山がわざわざ死角に入ったのはそのためだ。本田が手元に持っているのは「停止のタイミング」という状況証拠だけで、春山が何をしたかは見えていないはずだ。
ログに記録されていない、と本田は言った。しかしセイラは端末に何かを入力していた。あの記録が本田に上がっていないとすれば、セイラが意図的に止めているか、あるいは本田がそれを知った上でこの場で白を切っているかだ。どちらかはわからない。
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「今日の映像を、管理局に提出しますか」
本田が少し止まった。
「……していません」
「今後も?」
「状況によります。ただ、現時点では提出する理由がない」
「では、話します」
「聞かせてください」
本田の目が、わずかに変わった。責めようとしている目ではない。春山がこれから何を言うか、それが使えるかどうかを、静かに測っている目だ。
「私のスキルは、ステータス画面の高速操作です。それ自体はご存知の通りです。ただ、操作の精度が上がるにつれて、副次的に見えるようになったものがあります」
「副次的に」
「素材の質のムラです。ウィンドウを高速で開閉すると、周囲の地形が一瞬だけ歪んで見える。正確には、座標がズレているような感覚というか。稀に、ゴミを仕分けているうちに視覚情報がバグる、という感じです」
「……続けてください」
「今日の瓦礫の陰で、周囲の地形のムラが特に激しいのが見えました。あの区画は、座標の歪みが偏っている場所がある。そこに魔物が密集したことで、空間がその重さに耐えきれず、一時的に時化たような状態になった。私はそう解釈しています。狙ったわけではなく、ムラの激しい場所に逃げ込んだら、たまたまそうなった」
嘘だ。
座標の歪みなど見えない。「空間が時化る」という言葉は、前職の保守で使っていた「サーバーの応答遅延」を現場の言葉に焼き直したものだ。ただ、この世界の論理に沿って組み立てれば、こういう言葉になる。
本田が少し考えた。
「興味深い説明です」
「そうですか」
「ただ、その説明が正確かどうかは、わかりません」
春山は返事をしなかった。
本田がタブレットを置いた。
「座標のムラが見えるというのは、空間系の鑑定に近い能力です。あなたのスキルは登録上、ステータス画面の操作系です。副次効果としてそのような知覚が発現するというのは、否定はできませんが前例がない」
「そうかもしれません」
「一方で」
本田の声のトーンが変わった。
「今日の結果は事実です。全員が生還した。第4区画まで到達した。それも事実です」
「はい」
「プロセスは問わないと、私は言いました」
「言いました」
「その言葉は、今日も有効です」
沈黙があった。
本田が少し身を乗り出した。
「一つ聞かせてください。座標のムラが見えるということは、希少素材や未発見の資源がある場所も、事前に察知できるということですか」
来ると思っていた。
「不確定要素が多すぎて、実用的ではありません」
春山は間を置かずに答えた。
「稀に、かつ不完全にしか見えません。今日のように、極端にムラが激しい場所では感知できることがある。ただし、狙って再現できる精度ではない。資源探索に使えるような代物ではありません」
本田が少し目を細めた。査定する目が、一瞬別の色になった。それが疑いなのか、納得なのかは判断できなかった。
「……了解しました」
本田が春山を見た。何かを考えている顔だった。しかしそれが何かは、読めなかった。納得した顔ではない。かといって、疑っている顔でもない。受け取ったものを、どこに置くかを静かに決めている、そういう顔だった。
本田が立ち上がって、窓の外を見た。梅田の高層ビル街が、夕方の光の中に並んでいる。
「管理局から、今週中に書面での照会が入る予定です。Hブロックでの異常事態の記録として、関与した全員に対して」
「……私にも来ますか」
「来ます。ただ、弊社経由で回答を統一することができます。スペクタクル社として、Hブロックの地形的な特性による一時的な挙動異常と記録する。あなた個人への照会は、形式上のものになります」
春山は少し考えた。
「それは、あなたにとってどんなメリットがありますか」
「春山さんに管理局の記録が蓄積されると、今後の随行がやりにくくなります。それは私にとっても不都合です」
合理的な説明だった。嘘ではないだろう。しかし本田がそれだけの理由で動くとも思えなかった。観察を継続するための投資か。今の春山を手放さないための、実務的な判断か。
どちらでもいい。管理局の照会が形式的なものになるなら、それで十分だ。
「……ありがとうございます」
「いいえ」
本田の声は、感謝を受け取る温度ではなかった。
「次の随行は来週の予定です。詳細は後日ご連絡いたします」
「了解です」
春山は立ち上がった。ドアノブに手をかけ、足を止める。
「一つだけ」
本田が振り返った。
「今日の話は、ライカさんたちには伝えないでください」
「……理由を聞いてもいいですか」
「余計な期待をさせると、仕事がやりにくくなります」
本田が何かを言いかけて、止めた。
「……了解しました」
ビルを出て、駐車場に戻った。
古びた軽自動車のシートに背中を預け、一度だけ深く息を吐く。
嘘には、整合性が必要だ。
前職でも同じことをしていた。障害報告書に書く原因は、必ずしも本当の原因ではなくていい。「この説明であれば上が納得する」という形式を満たせば、調査は打ち切られる。問題は再発しないことであって、原因を完全に解明することではない。
エンジンをかけた。
駐車場を出て、阪神高速へ向かう。窓の外に、梅田の高層ビル街が流れていく。スペクタクル社のビルが、後ろに遠ざかっていく。
「……嘘も、保守のうちだ」
独り言が、静かに車内に落ちた。
43号線は、夜の渋滞が始まっていた。




