第11話 保守用コマンド
出口を出ると、ライカが立っていた。
ユウリとセイラも、少し後ろにいた。3人とも、春山の姿を見た瞬間に表情が変わった。
ライカが駆け寄ってきた。
「よかった」
声が、少し掠れていた。
「本当に、よかった。ずっと出口で待ってて」
「……ご心配をおかけしました」
「個体は」
「……消えました」
ライカが一瞬、春山を見た。
「消えた、って」
「気づいたらいなくなっていました。空間が安定してから、出口まで歩いてきました」
ライカはしばらく春山を見ていた。
セイラの視線が、春山の上で止まった。眼鏡の奥の目が、何かを測るような動きをした。今日で何度目かわからない、あの目だった。
「そうですか」
ライカがそう言って、小さく頷いた。目がまだ赤かった。
「本当に、よかったです」
ユウリが春山に向かって、短く頭を下げた。言葉はなかった。しかしその動作に、何かが込められているような気がした。
無線から本田の声が流れた。
「春山さん、無事を確認しました。管理局への連絡は取り消します。今日の随行、お疲れ様でした」
「……ありがとうございます」
春山は回収袋を持って、計量所へ向かった。
計量所で今日の成果を提出した。
査定員が回収袋を開けた瞬間、手が止まった。
袋の中を確認して、もう一度確認して、それから春山を見た。
「……これ、全部Eブロックで拾ったんですか」
「そうです」
「イレギュラー個体のドロップが入ってますね」
「空間が安定してから回収しました」
査定員が端末に何かを入力して、また春山を見た。
「個体は、どうなりましたか」
「気づいたらいなくなっていました」
短い沈黙があった。
査定員は何も言わずに、計算を進めた。伝票を出力して、春山に差し出した。
31,400円。
「確認しました。ただ」
査定員が、少し声を低くした。
「イレギュラー個体の素材は、管理局への報告義務があります。今日の件は、スペクタクル社さんからも報告が上がるはずなので、後日管理局から確認が来る可能性があります」
「……わかりました」
「問題があるわけではありませんが、念のため」
「了解です」
春山は伝票を受け取って、計量所を出た。
後日、確認が来る。
その言葉が、頭の隅に残った。
軽自動車に乗り込んで、シートに背中を預けた。
しばらく、何もしなかった。
天井を見た。
右手がまだ、わずかに震えていた。
春山は右手を目の前に持ち上げて、しばらく見た。
後日、管理局から確認が来る。イレギュラー個体の素材を清掃員が持ち帰った。個体は「気づいたらいなくなっていた」。その説明で、管理局は納得するだろうか。
納得するかもしれない。空間が不安定だったという状況は、スペクタクル社の報告でも確認されるはずだ。個体が消えた原因について、清掃員を疑う理由は薄い。
しかし、薄いことと、ないことは違う。
セイラの視線が、頭に残っていた。あの目は、春山が「ただの清掃員」を見る目ではなかった。数値を見るときの目。対象を評価して、疑問符を立てるときの目。
「……目立ちすぎた」
春山は静かに言った。
今日の判断は、結果としては正しかった。しかし次回以降、同じことを繰り返せば、いずれ不審を持たれる。清掃員がイレギュラー個体を単独で撃破する。そんなことは、本来起きない。
隠す必要がある。
成果を隠し、能力を隠し、あくまでも「運良く生き延びた清掃員」であり続ける。それが、この先も続けるための条件だ。
前職でも、特定のバグの存在を上司に報告しなかったことがある。報告すれば大騒ぎになる。しかし実害がない段階で騒いでも、余計な工数が増えるだけだ。静かに把握して、静かに対処する。それが保守員の仕事だった。
今も、同じだ。
「……余計な注目を集めない」
呟いて、右手を下ろした。
ステータスウィンドウを展開した。
薄い光の膜が、ハンドルの前に浮かぶ。
【メニュー高速化】。
測定センターのモニターに映し出された、あのスキル名。戦闘には無価値な「ゴミスキル」扱い。「最速で絶望を確認できる」と笑われた、あの能力。
しかし今日、そのスキルが実戦で機能した。
なぜか。
前職でのある出来事が、頭に浮かんだ。
大規模なシステム障害が起きた夜のことだ。複数の部門のシステムが同時に固まり、通常の手順では復旧できなかった。上位の管理者権限を持つ同僚が、コマンドラインから直接システムに命令を打ち込んだ。通常のユーザーインターフェースを介さない、システムの深い層への直接介入。
その命令が通った瞬間、固まっていたシステムが動き出した。
「保守用コマンド」と、同僚は言っていた。通常のユーザーには使えない。管理者権限を持つ者だけが使える、特権的な命令だ。システムの通常の処理を飛び越えて、深い層に直接作用する。
春山は目を細めた。
「……そういうことか」
ウィンドウの開閉を「異常な速度」で繰り返すことは、この迷宮における「停止と再開」の切り替えを連続して強制することになる。
停止、再開、停止、再開。
その切り替えの瞬間に、当たり判定の計算が追いつかなくなる。
0フレーム無敵の正体は、そこにあった。
これは、設計者が想定していない使い方だ。通常のユーザーは、ステータスウィンドウを「情報確認のツール」として使う。そこから先を考えない。
しかし春山には、前職の経験があった。システムの「設計の外側」を探す癖が、10年間で染み付いていた。
「……ウィンドウの開閉が、この迷宮への直接命令になってる」
ウィンドウを閉じた。
また開いた。
その瞬間の感触を、もう一度確かめる。
開閉の切り替わり。その一瞬に、確かに何かがある。世界がこちらを「認識し直す」わずかな間。通常の処理ではなく、もっと深い層への命令が走っているような、あの感触。
頭の中で、一つの考えが形になっていく。
この迷宮には、管理局がある。
ダンジョン管理委員会がある。彼らは毎日この迷宮の「保守」をしている。立ち入り禁止区画を設定する。不安定なエリアを閉鎖する。管理局の職員が調査に入る。それは確かに「保守」と呼べる作業だ。
しかし彼らが見ているのは、表面だけだ。
景色がぼやける、という報告が上がれば立ち入り禁止にする。個体が出現すれば危険区画として封鎖する。あくまでも「起きた現象」に対処するだけで、「なぜ起きたのか」を問わない。
問えない、と言う方が正確かもしれない。
彼らには、そのための道具も経験もない。
春山には、ある。
「……管理局は、運用担当だ」
春山は静かに言った。
運用担当者は、システムが動いている間は何もしない。異常が起きたとき、決まった手順で対処する。手順通りに動くことが、彼らの仕事だ。
しかし手順通りに動いても解決できない問題が、システムには必ず存在する。設計の深い部分に潜むバグ。表面からは見えない、根の深い歪み。
そこに踏み込むのが、保守員の仕事だった。
前職でも、春山はそういう仕事をしていた。誰も気づかない場所で、誰も触りたがらない古いコードを読んで、バグを探して、静かに対処する。報告書には書かない。記録にも残さない。ただ、正常に動かす。
「……俺は、この迷宮のプレイヤーじゃない」
ランクを上げて、魔物を倒して、素材を集めて、強くなる。それが探索者の仕事だ。
春山には、そちらの才能がない。
しかし別のことができる。
設計の外側を見る目がある。崩れていく場所を察知する経験がある。穴を見つけて、突く技術がある。
そして今日確認した。
このスキルは、表向きは「ゴミ」だ。しかしその本質は、通常のユーザーには使えない、特権的な命令だ。管理者だけが持つ、深い層への直接介入。
「……保守用コマンドだ」
呟いた。
誰かに言っても、理解されない。証明する方法もない。
しかし春山自身にとっては、今日の戦闘で十分な証拠が出た。
仮説は、証拠が揃ったとき、確信になる。
今日、確信になった。
エンジンをかけた。
43号線へ出ると、夜の渋滞がいつも通り待っていた。
ラジオをつけると、ニュースが流れていた。スペクタクル社が今日の探索成果を発表したという内容だった。
イレギュラー個体の出現と、空間の一時的な不安定化。しかしライカのパーティが冷静に対処し、無事に帰還した。コメンテーターが「さすがスペクタクル・スリー」と言っていた。
春山はラジオのボリュームを少し下げた。
冷静に対処した、という表現は正確ではないと思った。しかし訂正する気もなかった。
後日、管理局から確認が来る。
その言葉が、まだ頭の隅にあった。
来たら来たで、対処する。「気づいたらいなくなっていた」という説明は、嘘ではない。ただ、情報を省略しているだけだ。省略することと、偽ることは、違う。
それに、これ以上目立つ必要はない。
今日わかったことは、自分の中に収めておく。次回以降は、成果を分散させる。一箇所で大量に稼がない。怪しまれない範囲で、静かに動く。
前職でも、そういう仕事の仕方があった。
「……今日も、混んでるな」
標準語が、静かに車内に落ちた。
アクセルを踏んで、赤いランプの列に加わる。
保守員。
誰も呼んでいない。誰も求めていない。報酬も、感謝も、評価も、何もない。ただ、自分だけがそう確信している。
それでいい。
前職でも、深夜に1人でサーバーログを眺めていた。誰も見ていない場所で、誰も気づかないバグを潰していた。そういう仕事だった。
今も、同じだ。
場所が変わっただけで、やることは変わらない。
右手の腱に、まだ鈍い痛みがある。
春山はその痛みを確認するように、一度だけ握り直した。




