幼き思索 ――「形なきスキル」の目覚め
受験を間近に控えた高校三年生です。
最近は、現実のノートよりも、心の中のノートに書くことの方が増えました。
「思考具現」というのは、そんな自分の頭の中で形になった断片のひとつです。
目の前の現実と、見えない心の風景。
そのあいだに、確かに息をしている“何か”を描けたらと思っています。
生まれた瞬間の記憶は、曖昧な光の中に溶けている。 柔らかな布の感触と、温かな腕に抱かれたときの安心。それと同時に、どこか別の景色が頭の奥で瞬いた。夕暮れの教室、窓際の席。笑い合う誰かの声。 けれど、その誰かの名前を思い出そうとすると、霧がかかったように遠ざかる。 ――あれは夢だったのだろうか。
そんな曖昧な記憶を抱いたまま、俺は再び赤子として世界に生まれ落ちた。 周囲の言葉はまだ意味をなさない音の連なりだったが、感情の波は手に取るように伝わる。優しさ、焦り、希望。母の腕の震え。 言葉より先に、俺は“感じる”ことから始めた。
月日はゆっくりと流れ、歩くことを覚え、喋ることを覚えた。 この世界には“魔法”というものがあるらしいと知ったのは、庭で母が洗濯物を干している時だった。 空を見上げて呟いた言葉に、風が応じるように吹いた。 「ねえ、ママ。いまの、なに?」 「風よ。わたしたちを守ってくれる、大切なちから」 母の声は、どこか祈りに似ていた。
その時、俺の中で何かがちり、と弾けた。 ――“ちから”。 その響きが、ぼんやりしていた意識の奥を刺激した。 俺はなぜか、知っている気がしたのだ。力というものの形を。 努力、知恵、意志、選択。 この世界の「ちから」は、もしかして……そういう抽象的な“概念”を形にすることではないのか?
それからの日々、俺は親の目を盗んでは、いろいろな「実験」をした。 庭に転がる小石を拾い上げ、じっと見つめる。 頭の中で「回れ」と念じる。 当然、最初は何も起きなかった。 けれど、何度も試すうちに――ある日、小石が一瞬、わずかに震えた。
その瞬間、世界の音が変わった気がした。 「……今の、俺?」 思わず呟くと、小石は静かに止まり、ただの石に戻る。 けれど確かに、何かが動いた。“思考”が形を持ち始めた感覚。 俺はそれを「思考具現」と呼ぶことにした。
「思考具現」は、頭の中で明確なイメージを描くほどに力を持った。 “動け”ではなく、“回転する”と意識すれば小石はわずかに回る。 “跳ねる”と思えば、地面から一寸ほど浮く。 ただし、それ以上は続かない。力が途切れると、石はすぐに落ちた。 まるで、世界が俺の想像を試すかのように。
何度も挑戦するうちに、俺は気づいた。 自分の体が熱を帯びると、集中力が上がり、イメージが鮮明になる。 “考える”こと自体が、この世界での筋肉のようなものなのだ。 ならば鍛えればいい――そう思って、俺はひたすらに考え続けた。
“風とは何か”“動くとはどういうことか”“力はどこに宿るのか” そんな哲学のような問いを、幼い頭で繰り返した。 答えは出ない。けれど、思考を重ねるたびに“形のない何か”が少しずつ輪郭を帯びていく感覚があった。
2歳になる頃、俺の世界は少しずつ広がった。 家の裏手にある木立の中。 そこで俺は、“光”を見た。
日差しの隙間に、淡く光る粒が漂っている。 ふと指を伸ばすと、その粒が吸い込まれるように俺の手のひらに集まった。 ほんの一瞬、掌が温かくなった。 「……これも、“ちから”?」 思考を集中させると、掌の光はわずかに揺らいで、消えた。 けれどその感触は、心の奥に確かに残った。
その夜、夢を見た。 遠い昔、机に向かってノートに数式を書き殴る自分の姿。 “理論”と“結果”を結びつけようと、焦る声。 ――あれは、俺?
目を覚ますと、頭の奥で声がした。
スキル【思考具現】ランク1→2に上昇しました。
見えたのはほんの一瞬、淡い光の文字だった。 現実と夢の狭間に浮かぶような感覚。 その日を境に、俺は「転生してきた」というぼんやりした記憶を、少しずつ取り戻していった。
名前も、顔も、すべてが霞んでいるけれど――確かに前の世界があった。 そして俺は、その世界で“考える力”を信じていた。 努力して、理屈で、夢を叶えようとしていた。 その想いが、“思考具現”という形で今世に宿ったのだとしたら。
それはきっと、俺自身への救済なのだと思った。
3歳のある日。 俺は、庭の隅で枯れ枝を拾っていた。 “燃える”を思い描く。 頭の中で、火の概念を組み立てる。 燃料、酸素、熱。 “燃える”とは、エネルギーが形を変えること――
次の瞬間、枝の先端がふっと赤く灯った。 小さな火。 驚きで息を呑む俺の指先を、熱が舐める。 慌てて手を離すと、枝は地面に落ちて、煙を上げた。
胸が高鳴った。 怖い。でも、嬉しい。 世界の仕組みの扉を、初めて自分の手で開いたような気がした。
その日の夜、母が言った。 「最近、あなた……ときどき遠くを見るような目をするのね」 「そうかな」 「ええ。まるで、何かを思い出そうとしているみたい」
俺は少し笑った。 「……思い出してるんだよ」 母は首を傾げた。 「なにを?」 「まだ、言葉にならないもの」
その答えに母は小さく笑い、俺の頭を撫でた。 「あなた、きっと大物になるわね」 その言葉が、妙に胸に響いた。
――こうして俺は、“何者かになろうとしている”幼児としての時間を過ごした。 ただの子供のふりをしながら、誰にも知られず、自分の中の“概念”を磨いていく。 まだ世界の形は見えない。 けれど確かに、俺の思考はこの世界に影響を与え始めている。
光、風、火。 形なき力が、俺の想像を待っている。
そして、心の奥で静かに囁く声がする。 ――お前の“救い”は、まだ始まっていない。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
この作品は、現実の延長線上に“もし心の動きが形を持てたら”という発想から書きました。
目に見えない思考や感情が、誰かの世界を少しでも照らせたなら、それがいちばんの報いです。
次に書くときは、もう少し彼の「想い」が外の世界に届くように描いてみたいと思っています。




