その男は火を起こす 100万年前の出来事
ある所に一人の男がいた。
男は必死に、何時間も枯れ木を擦り合わせていた。
それを始めた切っ掛けは、風で擦れ合う木の枝から発火するのを見た事だ。
木の枝同士を強く擦り合わせると、表面が熱くなる事を知った男は、ここ何日も試行錯誤を繰り返していた。
そして、日の昇る頃に始め、太陽が真上に来る頃、遂に火を起こす事に成功する。
目の前の小さな炎を眺め、汗だくになりながら感動と達成感に包まれていると、なんの前兆もなく、男の目の前に人の頭ほどの球体が浮かんだ。
何かが移動した音も、そこに現れたという気配もなく、静かにそこへ存在しているその球体は黄金に光り輝いている。
先程まで、何も無かったはずの場所に現れた球体を見た男は、困惑した。
しかし、初めて見る色や形のその物体に興味を惹かれて、恐る恐る手を伸ばす。
指先が球体に触れた瞬間、男の頭に何かが流れ込んできた。
『チカラヲ……アタエル』
男は困惑するが、球体は意思を伝え続ける。
『フヤシ……ヒロガリ……ススメ』
男の世界には、言葉というものはまだ無かった。
しかし、球体が伝えてくる意思はなぜか朧気ながら理解できた。
男はその球体の存在に疑問を抱くと、それは答える。
『……アレダ』
その意思は、男の視線を空に見上げさせた。
そこには煌々と輝く太陽があった。
その眩しさに目を細め、正面に向き直ると、その球体はすでに消えていた。
男は呆然と球体があった場所を見つめるが、そこには最初から何も無かったかのようであった。
男はもう一度太陽を見上げる。
しかし、今度は眩しさを感じることなく、その輝く太陽を見続けられた。
そして、彼の途方もなく長い人生が始まる。
火を手に入れた男は、生活の中でそれを使い生きるようになる。
火は、工夫次第で色々な使い方が出来た。
食べ物を焼き、外敵から身を守り、夜を恐れず過ごせるようになった。
火を作り出し操る事のできる男は、気付けば集団の長となり、その集団を率いた。
その中で、子供を作り、孫が産まれる頃に、男は死を迎えようとしていた。
その時代の寿命といってもいい年齢で、病魔に侵された苦しみの中、男は思い出す。
あの時、不思議な物体から伝えられた意思。
『フヤシ……ヒロガリ……ススメ』
男はなんとなくそれを成した気がするが、よくはわからなかった。
死に対する恐怖はあるが、終わりを受け入れ、静かに目を閉じた。
——次に男が目を開けると、そこは見知らぬ場所だった。
今まで住んでいた住居ではなく、見知らぬ人間が側で寝ており、何より自分の体が今までの自分のものではなかった。
病魔の苦痛は無く、身体が軽く、大きさは子供のように思えた。
そして自分の記憶以外の記憶と経験がある。
呆然としながら住居の外に出ると、そこには雪が降り積もっていた。
男は雪を見たのが初めてであった。
しかし、もうひとつの記憶では当たり前の景色であったので、雪が冷たいものであることを知っていた。
ふたつの記憶があることに混乱していたが、男の中で、死とはこういうものなのだろうと思い、徐々に落ち着いてきた。
住居の中に戻り、そこで寝ている人々を見て、自分の家族だとあらためて認識する。
もう一度自分の寝床に戻り、目をつぶり眠りに付く。
こうして男の新しい生活が始まった。
新しい生活の中で、男はまた火を起こす。
その集団の中では、まだ火を使うことは知られていなかった。
最初は警戒されたが、使い方を見せると次第に重宝がられるようになった。
過去の長を務めていた記憶も役に立ち、男は自然とまた集団の長となっていた。
そして、男は子供を作り、家族を増やし、年を重ねて死んだ。
そしてまた、新しい体に生まれ変わる。
男は何度も死に続けた。
狩りで、病気で、不注意で、餓死で——。
その度に、姿も、持っている記憶も違う子供の体と新しい場所で、男は火を起こし家族を増やし続けた。
男にとって死というのは、ただ新しい体と場所でやり直すだけのことだった。
そんな人生を何度も繰り返す中で、ある時、見覚えのある場所に生まれ変わった。
それは、最初の人生で生きた場所。
そして、男が初めて火を起こした場所であった。
その集団は、火を生活の中で当たり前のように活用し暮らしていた。
自分が知っている家族はもういなかった。
しかし、自分が伝えた火の起こし方や使い方など、生きていた証がそこにはあった。
そしてなにより、自分の子孫であろう人々がそこには生きていたのだ。
そして男は空を見上げ、あの時と変わらずに煌々と輝き続ける太陽を見つめた。
男はその後、何度も転生していた。
その中で、気付いたことがいくつかあった。
自分は男にしか転生しないこと、そして人は普通、死んでも過去の記憶を思い出さないこと。
自分のように、何も知らない幼子が突然色々なことをできるようになる者など、一人として存在しなかったのだ。
それと、生まれ変わった時に、今までより体が小さい種族になる事が増えた。
大人になっても、前の種族より小さく力も弱かったり、体毛が薄かったり、顔が比較的平坦になる種族だった。
その代わり、物事を覚えやすかったり、何かを作る時の作業がしやすい体を持っていた。
骨格も変わり、自身の鳴き声も出せる種類が増えて、集団生活において人を呼び寄せることや、危険の伝達などがしやすくなった。
それは劣化ではなく、適応だったのだろう。
狩りの時に使う武器も、ただのとがった木を使っていたのを、石と木を組み合わせたものに変わった。
手で投げるだけだった石も、簡易な投石器によって強く遠くへ投げられるようになった。
体毛が薄くなったことにより、狩った動物の毛皮を着ることも覚えた。
毛皮の加工も、大きな体よりも小さな体のほうがやりやすい。
そして一番の変化は、狩猟以外での食事の確保が出来るようになったことだ。
海が近ければ魚介を採り、川があれば川魚や水辺の生き物を捕えた。
山があれば木の実や果物を摘み、キノコを見つけ、狩りに頼らず食糧を確保する術を学んでいった。
男は次第に狩猟の危険を避けつつ、より安定した生活へと適応していった。
食べられる物かそうでない物は、自分が率先して口にし、周りに伝えることで、ある意味安全に食料を増やして行けた。
自分なら死んだところで、また他の場所に生まれ変わるだけだから。
こうして何度も繰り返し転生していたら、いつの間にか体の大きな種族に転生することは無くなっていた。
男の死因の一番の理由は寒さであった。
火を覚えたことで、ある程度の寒さでは命は繋がれたが、それでも極冬の凍てつく波には耐えられなかった。
長く続く氷河期が訪れると、種族は次々と息絶えた。
狩猟に出られず、食料を確保できず、衰弱し、凍死する。
皮膚を守るために死んだ者の皮を剥ぎ、皮として利用することも、その肉を食べる事も、生存のためには当然の選択だった。
転生の度に、彼は何度も家族の死を目にした。
その度に、あの意思が頭をよぎる。
『フヤシ……ヒロガリ……ススメ』
自身の奥深くに刻まれた言葉。
その意思を強く思い、男は生き続け、そして死に続けた。
寒さによる種族の絶滅が迫る中、いつも通りの転生した瞬間、男は気付く。
寒さを感じない。
外に出て吹き荒ぶ吹雪の中で、凍えることなく立っていられる自分を不思議に思った。
それはまるで、体の中で炎が燃えているかのようだった。
それが、種族の進化の兆しなのか、あるいは自分だけの新たな力の発現なのか。
男はまだ、知らなかった——。