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ep.9

 鐘が鳴っていた。


 鋳鉄の音が、王宮に響きわたる。

 それは祝福ではなく、通告だった。

 ──本日、ロルデナ家に関する正式な審問が執り行われる。


 王宮中央大議堂。

 審問の場として使われることなど滅多にない、灰色の石で組まれた空間。

 高窓からは冷たい陽光が差し込み、床には王家の紋章。

 円形の議席には重鎮たちの顔が並び、ざわめきも呼吸も抑えられていた。


 その中央、深紅の敷物が敷かれた壇上に、主役が一人、姿を見せる。


 ステファニア・ロルデナ──

 死んだはずの女が、再びその名を以って現れた瞬間。

 議場が、凍りつく。


「まさか……」

「偽者では……」

「いや、あの目……」


 誰かが呟いた。

 誰かが背を向けた。

 誰かが黙って額に手を当てた。


 ベルティーナ・ロルデナは隅の椅子に腰掛けたまま硬直していた。

 母は扇を握る手を止め、父は隣の重鎮に何かを囁こうとしたが、声が出なかった。


 そして、壇上から彼らを見下ろす存在──王子ポルフィリオは、無表情のまま着席していた。


「本日の審問においては、ステファニア・ロルデナ殿を第一証人とする」

 司式官が宣言する。

 誰も異を唱えない。

 もはやこの場で正しさに背くことは、政治的にも命取りだった。


 わたくしは、一歩、壇の中央へ進む。


 声は出さない。

 出す必要など、まだない。


 いずれ、全員の声を、奪うつもりで来ているのだから。


 王族の使者が手渡した証拠文書が読み上げられていく。

 メリセラの遺した日記の複写、侍女の証言録、王室記録庫から出された削除済み帳簿の回復文書──

 一枚ごとに、空気が締めつけられていく。


「……ロルデナ家に対する証言と物証は、十点以上確認済み。

 そのうち三件は、王家直属の監査役による記録と合致いたします」


 王子が、ようやく口を開いた。


「ステファニア・ロルデナ。本件において、あなたは何を以って真実と主張しますか」


 わたくしは、彼を見た。


 目は冷たく、けれどほんの僅かに、かつてのあの火刑台とは違う色をしていた。


「真実とは、すでに証明されておりますわ。ここに集められたのは──裁くためです」


 誰かが息を呑む音がした。


「本日、わたくしは──命を以って、彼らを焼き尽くす覚悟でここに立っています」


 言い切った瞬間、室内の温度が下がったように感じたのは、気のせいではなかった。


 証人席に最初に立ったのは、初老の女性だった。


 背筋は少し曲がり、質素な服装。

 けれどその目だけは、炎を宿していた。


「……メリセラ様は、亡くなられる数日前にこう仰っていました」


 老侍女は震える声で語る。


『階段のことで、ベルティーナのことは絶対に責めないで。あの子はまだ、わたしの背中を見ていたい年頃だから』


 会場に、空気の裂け目が走る。


「それをお伝えできなかったことを、いまも悔いております……っ」


 老侍女が涙をぬぐった。

 誰も彼女を笑えなかった。

 それが嘘であれば、もっと派手な嘘をついたはずだと、全員がわかっていた。


 二人目は、王宮の記録係だった男。

 眼鏡をかけ、几帳面な語り口。


「事故後に処分されたとされる記録は、私の原本からの写しでした。

 上司の命で破棄命令を出されましたが、不自然に思い、写しを私室に保管していたのです」


 男が提出した文書には、メリセラの死亡日、階段の構造変更の記録、そして不審な時間の照明記録が記されていた。


「階段上の照明が、事故当時、誰かの手で点灯・消灯されていたことが、王宮の魔力記録に残っています」


 つまり、誰かがいた。

 偶然の転落ではなく、意図を持って誘導された可能性。


 三人目は、かつてメリセラと学びを共にした貴族令嬢。

 白手袋を外し、震える指で証言する。


「……あの日、舞踏会を終えて、彼女と一緒に出るはずだったのです。

 でも、妹と話してくると背を向けたのが、最後でした。

 彼女は──何かを察していた顔でした」


 誰もが黙って聴いていた。

 誰もが心のどこかで、知っていたのだ。


 メリセラの死は、ただの事故ではなかった。

 姉を殺したのは、誰か一人の手ではなく、

 沈黙した者、目を逸らした者、都合のよい未来に乗った者──

 この場に集う、全員の共犯だった。


 わたくしは、最後の証言者の席に座る男を見た。

 ロルデナ家に献品を届けていた、下層商人の息子だったという。


 彼は、顔を上げずに言った。


「……あの日の朝、メリセラ様が、僕にそっと言ったんです。

 誰も、わたしのことを悲しまないかもしれないけれど、あなたは知っていてね、と」


 涙がこぼれた。


 そして、誰も口を開けなかった。

 沈黙だけが、真実の音を響かせていた。


 証言が終わったあと、しばしの沈黙があった。

 誰もが、口を開けなかった。


 ステファニア・ロルデナ──

 死んだはずの女は、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

 その目は、もう人間のそれではなかった。


「……これで、満足かしら?」


 誰にともなく呟かれたその声が、地の底から響いた。


 ふざけてるのかしら?


 これで、終わり?


 わたくしが、どれだけの苦痛と、痛みを経て、ここへ来てるのか、おわかりない?


「全て焼き尽くします、と言ったでしょ?」


 静かに笑った口元が、やがて震え──


「違う……足りない……足りないのよ……!」


 爪が割れる。

 足元の床石に、亀裂が走る。

 空気が軋む音が、議場全体を包み込む。


「足りないッ……ッ足りないッ足りない足りないアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 絶叫が爆ぜた瞬間、ステファニアの身体から、黒と金が混ざり合うような光が吹き出した。


 椅子が吹き飛び、壁が崩れる。

 証言台が真っ二つに裂け、天井の紋章が爆ぜるように砕けた。


 髪は風に逆巻き、衣は破れて炎をまとうように変質する。

 その姿は、もはや人ではなかった。


「我が身は裁き。汝らに与えられた猶予は、此処で絶つ──!」


 神が授けたはずの力が、暴走していた。

 否、授けられたのは選択肢だけだったのだ。

 彼女はそれを、呪い、として選んだ。


 議場の左右から逃げ惑う貴族たちの悲鳴が響く。

 天井が崩れ、光が遮られ、瓦礫が落ちる。

 火が噴き、魔力の奔流が空間をねじ曲げる。


 ロルデナ侯爵は叫び声を上げて逃げようとしたが、足がもつれて転げ、

 母は耳をふさぎ、床を這いながら「赦して」と繰り返した。

 ベルティーナは立てず、歯をカチカチ鳴らしながら涙と失禁で崩れ落ちていた。


 ステファニアの瞳は、もうそこを見ていなかった。

 見ているのは──かつて自分が焼かれた火刑台。

 そこに立っていたすべての者だった。


「焼いてやる……ッ! 一人残らず……灰にしてやるんですの……ッ!」


 その手が、天を仰ぐ。


 魔力が集中する。

 空間が軋み、崩れ、周囲のあらゆるものが赤く染まっていく。

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