コイーズの受難、そしてボニーの死
家族寮へと戻ると、そこにはミント嬢がいた。彼女の強い希望が有ってお招きしたそうだ。ペールが女の子を連れて来たと珍しくテンションの高いコイーズ姉さん。一方まだ知り合ったばかりの女の子をどう扱ったらいいのか分からずペールは落ち着きが無い。姉のはしゃぎっぷりにも当惑気味だ。うん、お前の気持ちは良っっっく分かる!
「ごめんなさいねぇミントさん、まだ越して来たばかりで片付けが済んでいなくて…。」
片付ける程物は無いのだが、掃除も同時に進めていたので置き場所が定まっていない感は有る。食器や寝具を除き、ほとんどの荷物が未だこのリビングに置かれたままだ。
「いえー、こちらこそごめんなさい。今日からたった2人の教室仲間ですしー、どうしても親睦を深めたくてー。あたしの方は女子寮なんで来てもらう訳に行かないし、急にご迷惑かとも思ったんですけどー。」
「いいのいいの、ずっと2人だけの生活だったけど、最近ちょっとずつ賑やかになって来て嬉しいの。お茶のおかわりはどう? なんなら夕ご飯も食べてく?」
社交辞令で無く本当に嬉しそうなコイーズ姉さん。因みにお茶菓子はミントの手土産の様だ。
「食事は寮で出して貰えるんで大丈夫でーす。初日から外食だと何だこいつって思われそうなんでー。へえー、家族寮ってこんな感じなんだー。」
相変わらずぽーっとした感じで部屋を見回すミント。何が珍しいのかけっこうキョロキョロしている。
「大した物、無いだろ?」
部屋の隅にまとめられた小荷物類を見ているミントに向かってペールが言う。その会話を膨らますセンスの無さ、モテないぞ。
「そんなに女子寮と違う?」
コイーズ姉さんが会話を展開出来る方向に軌道修正する。
「女子寮はー、もっとずっと狭いです。一部屋だしキッチンも無いですー。」
だがミント嬢の答えは割と素っ気ない。
この後もポツポツ会話は有ったが親睦を深めに来たはずのミント嬢は部屋を見回すのに夢中で会話は盛り上がらず。センスの無い弟の分まで1人で頑張ったコイーズ姉さんだが、それに対するミントのノリはどうにも悪く、会話は余り弾む事の無いまま日没前にはミント嬢は帰って行った。彼女を送って行くペールを見送りながら、
「何だか…、疲れる子ね。」
ボソッとつぶやくコイーズ姉さん。ふと見ると、ネビルブがこっちに目配せを送っている。そっちへ寄って行って話を聞くと、
「あの娘、ちょっと手癖が悪いかも知れないでクエ。」
とか言い出す。
「今日一度だけリビングにあの娘1人になった瞬間が有ったでクエ、姉さんがキッチン、ボニー様はその手伝いで出ていた間に、ペールもトイレへ行った瞬間が有って、あの娘、ペール達の小荷物を物色し始めたんでクエ。アタシの事は眼中に無かった様でクエ。」
「え、何かくすねてったのか?」
「それが結局特に何も盗らなかったクエ。盗るものも無かっただけかもしれませんグワ。唯一彼等には不似合いな程立派なヒスイのペンダントが有って、あの娘もじっくりと眺めてましたが、最後は元の場所に戻してましたでクエ。」
何だ、何がしたかったんだ? うん、やはりあの子にはちょっと注意しよう。
それはそうとちょっと気になってしまった俺は、ネビルブとふざけ合ったはずみの振りをして盛大に小荷物の中に突っ込んだ。小物入れが目論見通りひっくり返り、ぶちまかった小物類の中に件の緑色の宝石が有った。
「ああ〜、御免なさいっ!」
慌てた顔をしながらぶちまけた小物を片付ける、そしてその緑の宝石を手に取る。ペンダント・トップになった結構大振りの緑の宝石、俺は詳しく無いがヒスイって言ってたっけ。透明度が高い石の中央に何かの紋章が浮かび上がって見える…。と、いつの間にか俺の後ろにいたコイーズ姉さんがスッとそれを取り上げて抱え込む。
「ごめんね、これはちょっと大事な物なんだ。」
そう言って少し哀しげな笑顔を見せるコイーズ姉さん。
「大事ってのは分かる。言っては何だが、日中あなた1人になってしまう此処に置いておくには立派過ぎる物だと思えるんだが。」
ちょっと不用心である、という警告も込めて俺がそう告げる。
「それはそうだよね。でも、お母さんの唯一の形見であるこのペンダントは手元に置いておきたくて…。仕舞い場所は後でもう少しマシな所を考えなきゃね。」
「母親は…、割といい家の出なのか?」
ペンダントが由緒ある物に思えたので、ちょっと不躾な質問をする俺。
「いいえ、父も母も平民の、普通の家庭よ。でもお母さんは王城に勤めてたりしたし、お父さんもペールと同じく衛士で、お城勤めだったわ。このペンダントはその頃にお母さんが何かのご褒美に頂いたものだそうなの。」
そう、思い出語りを始めるコイーズ。俺はまた黙って聞き役に徹する。
「父母が2人共生きてた頃はそんなに悪い暮らしじゃなかったと思う。でも、ある日お父さんが仕事中の事故で亡くなったって言う知らせが突然入って、お母さんはなぜかお父さんの元に駆け付ける事もせず夜逃げ同然で家を出る事になったの。お父さんの元上司だったブロンゾさんがその時も手配して下さって、3人で逃げる様にキミリードに移り住んだわ。なぜお父さんの死に顔すら見られず私達が故郷を追われなければいけないのか、まだ子供だった私だけどそこは疑問だった。でも私とペールを逃す事を優先して別行動になったお母さんがいつまで待ってもキミリードの転居先に来てくれる事は無くて、その頃になって私達家族が何かとんでも無い事に巻き込まれてるんだって自覚したの。」
正直そこまで問い詰めたい訳じゃ無かったんだけど、話し始めたコイーズはもう吐き出さずにはおれないという勢いでここまで打ち明けてくれた。色々と抑え切れず、目には涙が溜まっている。俺は随分信用されたんだなあと感じると同時に、聞いてしまった責任感の様なものに駆り立てられる。
「最初は私が働かなきゃって思ってたんだけどブロンゾさんに大反対されて、だからペールが成長して働き始めてくれるまで両親が残してくれたものを売りながら何とか生活していたわ。でもこのペンダントだけは、絶対に手放してはいけないし、人にも見せない方がいいってお母さんに言われていて、結局これだけが手元に残ったの。ひょっとしたらまだ何処かでお母さんは生きてるんじゃ無いかって期待していたんだけど、あれからもう5年、さすがに受け止めなきゃって思ってる。」
彼女はまだ涙を貯めながらそう続ける。俺に語ると言うより自分に言い聞かせているかの様な、そんな言い方に感じた。
と、丁度この辺で戻って来たペールが姉の涙を見て狼狽する。
「な、な、どうしたの姉さん?」
「えへへ、ボニーちゃんに愚痴を聞いてもらっちゃった。」
そう言って少し悪戯っぽく笑うコイーズ。ボニーちゃん?
「愚痴だって? 姉さんが? 俺聞いた事無い…ってひょっとして俺に対しての⁈ 」
「あはは…、違うよおっ。」
泣き笑いのコイーズ、何かが弾けてしまったかの様だ。どうしていいか分からずひたすらおろおろするペール。
「コイーズ姉さんも溜め込んでいたものが有ったのさ。心配無いよ。」
そう俺が言ってやるのだが、
「何だよお前、何でそんなに訳知り顔なんだよ!」
と、少し不服そうだ。ひょっとして、やきもちか?
「でもそうか。姉さんだって愚痴りたい事ぐらい有るよな。何で俺じゃ無いんだよって思わなくも無いけどさ。それでも、聞いてやってくれてありがとうな、ボニー。」
と、最後にはそう礼を言ってくるペール。やっぱりいい家族だよなあ、俺にはその方が羨ましいよ…。
次の日になり、研究室へと出掛けて行くペールだが、俺は今日は留守番だ。
「今日は姉さんとじっくり話をしてやってくれ。」
というペールのたっての願いでコイーズの話し相手になるという役目を仰せつかったのだ。
ペールによれば、昨日の夜はコイーズが最近にしては随分明るい表情だったという。急な引越しから始まって、未だ片付けも済んでない内の急な来客、それも女子、しかも余り会話も成り立たないと有って、いよいよ溜まっていたストレスが爆発したのでは無いかという事で、彼女の溜め込んでいる物を吐き出させる必要が有るだろうとなった。そしてそのガス抜き役に俺が任命されたという訳だ。俺、同世代の女の子との会話なんてほとんど経験無いんだけどなあ。
情報共有の為ネビルブはペールと一緒に行かせる事とし、俺は張り切ってコイーズに話し掛ける。取り止めの無い話を次々と繰り出す。だが、どうも受けはイマイチ。ペールの会話センスの事などとても言えないポンコツぶりを露呈する。
結局俺が喋るより、彼女自身が話している時の方が会話が弾んでいる事に気付き、俺は聞き役に徹する事にした。家事や片付けもので結構忙しそうにしている彼女に付きまとって、たまに手伝いの手を出したりしながら彼女の話に相槌を打つ、これがベストだったのだ。
彼女からは色々と苦労話を聞かされた。ガリーンが実権を握った頃合いから、国全体で無駄に外出をする者はめっきり減ってはいたが、それにしてもコイーズは表に出させてもらえなかった。ペールが母の買い出しに付き合わされて出掛ける時でも、彼女は留守番だったのだ。
その分家の中の事は王城のメイドであった母親の指導の元一通りこなせる様になり、10才を超える頃には既に完璧だった。お陰でペールと2人きりの暮らしが始まった時もその点は困らなかったそうだ。それでもいきなり生活の主導を担う事となり、戸惑ったし不安だったし寂しかったと吐露された。
ペールが成長し、この頃にはキミリードの衛士本部に転属となっていたブロンゾ氏の誘いを受けて衛士隊に入隊して、生活基盤も出来、ペールの衛士隊勤め中心の生活リズムにも慣れて来たところに、今回突然降って湧いた転居騒動。一体何から逃げ隠れしているのかも未だに良く分からないが、命すら危うい危険に晒されているのだという事は肌で感じていたという。
本当になぜこの姉弟にばかりこんな悲惨な境遇が降り掛かって来ているのか、その理不尽に怒りすら覚えてしまう。そしてそんな理不尽の根底にこの国が内包する闇の部分が大きく関係している、と、思えてならないのだ。
さてこの日の昼、俺達のストレス発散作戦が功を奏し、すっかり上機嫌になったコイーズが用意した結構気合の入った昼食をいただいている時に、異変は起こった。数名の何者かが足音を忍ばせて部屋の前にやって来て、ドアの鍵を開け始めた。所謂ピッキングの類の方法でこじ開けている様だが、ほとんど音もさせない手際は素人では無いだろう。俺の耳で無ければまず気付かなかった。そしてこれは明確な敵対行動だ。
「姉さん、コイーズ姉さん。」
今はゆったりと食後のお茶を飲んでいるコイーズに俺は小声で話し掛ける。
「どうかしたの、ボニーちゃん?」
さすが何度も怖い目に遭っているコイーズは俺の声の調子に何かを感じ取り、すぐさま身を引き締める。
「何者かがドアの鍵を破ろうとしている。複数人だ。素人じゃ無い。」
簡潔に状況を伝える俺。コイーズの表情にも緊張が走る。とは言え何が出来る? 部屋に隠れる場所など無いし、窓の少ない構造が災いし、裏口はおろか逃げ道すら無い。迎え撃つか⁈…、いや、それより…。
バタンッ!
遂に鍵が破られ、数人の顔を隠した暴漢が一気に押し入って来る。悲鳴を上げるコイーズ、恐怖からというより人を呼ぼうとしての行動だろう、すると刃物を抜き放つ先頭の暴漢。
「来るなー!! 」
俺はそいつの前に無造作に飛び出し、手を広げて制する。が、暴漢は躊躇無くそんな俺を手にした刃物で斬り払う。
「ぎやあー!」
きりもみしながらはらはらとコイーズの手元へ墜落する俺。
「ボニーちゃん!」
思わず受け止めて俺を心配するコイーズの喉元に先程の刃物が突き付けられる。
「それ以上騒ぐな! コイーズ嬢…、で、間違い無いな?」
暴漢に問い掛けられ、頷くコイーズ。
「一緒に来ていただく。」
そいつがそう言うと、ややガタイのいい暴漢がひょいと彼女を抱え上げ、そのまますぐに回れ右、部屋を荒らす事も無く一気に撤収する。独身寮と違い研究所と別棟になっている家族寮は外部からの出入りがやや容易だ。唯一の関門の通用口守衛所は既に暴漢の仲間に制圧されている。悠々とそこを通り、正面に留めてあった馬車にスルリと乗り込み、即出発する暴漢一味、実に鮮やか。
「ボニーちゃん、ボニーちゃん!」
完全に動かなくなった俺を手の中で揺さぶりながら呼び掛け続けているコイーズ、それを横からひったくるさっきの暴漢。
「何するの⁈ 」
「…へへへ、可哀想に、小さいナイトさん、もう死んでるぜ、息もしてなきゃ心臓も止まってる。」
そう言うと、俺の体をコイーズに放って返す暴漢A。慌てて受け止め彼を睨みつけるコイーズ。
「なぜこんな酷いことを、私を何処へ連れて行く気⁈ 」
「これから我々の主人に会って貰う。そいつみたいになりたくなきゃいい子にしてな。」
再び刃物を取り出しコイーズに向けて凄む暴漢A。
馬車は特別製の様で外から中が見えない様になっているのだろう、当然中から外もほとんど見えない。しかし音でどんどん街中へ向かっているのが分かる。こんな暴漢共のアジトが街中? 何とも違和感が有る。そうこうする内馬車は何かの施設の門から招き入れられた。門番らしき者の姿がちらりと見えたが、その出立ちは明らかに見慣れたこの国の衛士の制服と同種のものだ。そして馬車から降ろされたコイーズは、留置場の様な場所に連れ込まれ、監禁される。その時にかの暴漢Aがコイーズがずっと抱え込んでいる俺の体を取り上げようとしたが、コイーズは頑なにこれを拒み、諦めさせている。
「そいつはもう死体だって言ってるだろうに、勝手にしな!」
そう言い捨て、一旦去っていく暴漢達。
かくして留置場に1人になったコイーズ。この上まだ彼女に試練が降り掛かると言うのだろうか⁈ 彼女の手の中で冷たくなっていく俺は、本当にもう死んでしまったのだろうか⁈ まあ、さっきから状況説明をしている俺は誰だ? て言う事では有るのだが…。
ー第五話 終了ー