衛士ペールと貧民街の狼
さて、次の日である。朝は明るくなり始める頃にコイーズ姉さんが起き出し、朝食の支度を始める。暫くすると街のあちこちで鐘の音が鳴り始め、それに連れてペールも起き出す。冷たい水で顔を洗って目を覚まし、空になっている水桶を両手にひっ掴んで外へ飛び出して行く。そしで朝食の用意が出来た頃、2つの桶に水を並々と汲んで、ペールが戻って来る。
そして朝食。何と今度も俺とネビルブの分まで有る。何だか申し訳無い気分になって来る。俺達が食事している間、コイーズ姉さんは弁当の用意をしている。包みが3つ…、え、まさか弁当まで? もう一宿一飯の恩義どころじゃ無い。こりゃあ、この姉弟には恩返ししない訳にはいかないな、と、強く思う。具体的に何をするべきかは全く思い付かないけど。
食事を終え、家を出たペールに付いて、昨日の衛士本部までやって来た頃にはようやく太陽が顔を出す。本部に着くなり掃除に取り掛かるペール、そうする内に他の衛士達も出勤して来る。都度手を止めて挨拶するペール。こういうの体育会系の部活で良く見たっけなぁ。
衛士と言っても拠点に張り付いて警備をする者と、街中を巡回する者と色々らしい。ペールは後者だ。5〜6人の小隊を組んで、担当エリア内を巡回する様だ。
点呼兼朝礼の後、ペールを含む巡回チームが出発して行く。これにこっそりついて行って見ていると、先輩達はずっと商店の店主あたりと話し込んでおり、その間に細かい路地等の見回りは下っ端達が各個でやらされている。そしてその内1人がペールだ。なるほど、昨日の状況はこれって事ね。
「この国では市民からの"タレコミ"が重要視されていると言う話でクエな。有用な情報提供者には報酬も出るんだそうで、まあ、国を挙げての告げ口合戦でクエ。」
「それは…、嫌だなぁ。」
そんな風に感想を漏らしながらも、ふと最初に奇妙に感じたこの国の人々の姿を思い出し、ああ、あれは他人の目が気になり過ぎての事だったのかと得心がいった。みんないつ誰に自分に不利益な情報を流されるも分から無いと戦々恐々としながら暮らしているのだろう。
そして今あの先輩衛士達はその情報を引き出そうとしているのだ…と、納得しようとはしてみた。でもなんか話し込みながらゲラゲラ笑ってる姿とか見るとなあ…、お茶とか出して貰って飲んでるし。
そうこうしている間にペール達新米ズが路地の見回りから戻って来ると、のんびりと次の地区へと移動を始める。
街の中央地区から始まった巡回は、昼前くらいには街の外縁を囲む外壁に達する。この辺りまで来るとかなりの貧民街で、先輩達はここでは住人と会話する事もなく、あからさまに大雑把に早足で歩き回ってとっとと切り上げようとしている。そんな中でもペールだけは注意深く周囲の様子を伺っている。
貧民街の住人は圧倒的に人間が多い。皆痩せ細って元気が無く、衛士達と目を合わさない様に下を向いている。
「いつ来ても鬱々としてるなこの辺は、さっさと次行こうぜ。」
一番年かさと思われる衛士がそう言って更に足を早めようとする、と、そこへペールが歩み寄る。
「隊長。」
「んん、何だペール?」
「何か、普段と様子が違います。」
ペールの進言に、隊長と呼ばれた年かさ衛士は面倒臭そうに周りを見回して、
「何処がだ?」
と、不機嫌な声で問い正す。やや気遅れした様子を見せるペール。
「どこが…とは言い切れないんですが、雰囲気、と言いますか…、普段ここの人々は我々に興味を示さないと言いますか、何も期待していない…という感じなんですが、今日は何か、僕等の存在が意識されていると言うか、何かを期待されていると感じるんです。」
ようやくそこまで説明するペールだが、隊長の反応は冷やかだ。
「それは何か、経験から来る勘ってやつなのかね? すごいじゃないかこの隊で一番新米のペール君。」
「いえ…何となく…なんですけど…。」
「馬鹿馬鹿しい、撤収撤収!」
つれなく宣言する隊長。が、その時俺も感じてしまった、隊長が撤収と号令した瞬間街の人々が明らかに落胆した気配を!
「し…しかし…。」
隊長に対し少し食い下がる姿勢を見せたペールだが、ふと何かに気付いたのか、急に人々がいる方へ歩き出した。
「おい…、ペール!」
呼び止める隊長を振り切り彼が向かう先に1人の男がいる。一見他の住人達と服のみすぼらしさも、下を向いた姿勢も変わらない。が、一旦注意を向ければ色々と違和感が目について来る。そもそもガタイが良過ぎる。単に背が高いだけでなく、横にもガッチリしている、て言うかムキムキだ。顔色もいいし、1人だけ健康的過ぎるのだ。
「君は、此処の住人では無いね。」
ど直球なペールの追求の言葉。
「なな…何の事ですかね?」
怪しい男は平静を装って答える。そしてその"平静を装う"という行為自体が更に怪しい!
「あれは…と言うクワ、この匂いは…。」
何かに気付いた様子のネビルブ、突然潜んでいた物陰を出て、押し問答の最中のペールに向かって飛んで行く。何だ、何をやらかす気だ?
何だあの変なカラスは、と、ざわつく衛士仲間達。それらをものともせず、ネビルブは何やらペールに耳打ちをすると、さっさとこちらへ戻って来る。ネビルブが去った後、少し首を傾げながらペールが男にこう言い放つ。
「お前、何だか犬臭いな。」
と、その瞬間、それまで平静を装っていた男の表情が変わる。
「おいまさか、よせよ…。」
隊長はその言葉を放つ意味が分かっているのか、何やら狼狽え始める。何なんだ?
「犬臭い? 犬臭いと言ったか?…だぁれが犬だあぁっ!」
男が突然激昂し大声を出す。目は血走り身体中から殺気をみなぎらせる。そしてその姿を変え始める。筋肉質だった体が獣の様になり、全身からけものの毛が生え、顔は前後に伸び始め、犬科のけものへと変わって行く!
「オオカミ男⁈ 」
「俗っぽく言うとそうですクワな。ライカンスロープでは最も良く見かけるワーウルフですな。あいつらは犬扱いされると無茶苦茶キレるんでクエ。"犬臭いな"はキラーワードクエ。」
ネビルブが楽しげに解説してくれる。その間にもすっかり直立したでかいオオカミへと変貌していくあの男。街の人々は逃げ惑う。そんな中、剣を抜き臨戦態勢を取りながら後ずさるペール。
「あのど新人が、余計な事しやがって…。」
そう吐き捨てる隊長以下先輩衛士達はすっかり及び腰だ。
「オオカミ男ってそんなに強敵なのか?」
「知性の有るヘルハウンドって辺りですクワな。火こそ吐きませんグワ、あいつらは鉄製の武器では傷付けられないって特性が有りまして、まあ、準備もしていない下っ端衛士数人では歯が立たないでしょうクワな。」
「そもそも、オオカミ男って敵なのか?」
「場合に寄りけりでしょうグワ、こうやって人里にこっそり潜り込んでる様な奴は、まず間違い無く"人の味"を覚えてしまった輩でしょうな。住民の怯え方を見ると、もう何人か頂いてしまったのクワも。」
俺の質問に答えてのネビルブの情報は、こいつは放って置いたらダメな奴だと結論付けさせる。そうこうしている間にも、ペールが正体を表したワーウルフと切り結んでいる。相手は素手、とは言えペールの剣も奴には全く効かないので、奴の鋭い爪と牙の攻撃に晒され防戦一方、ジリジリ追い詰められている。
「あの馬鹿め、鉄の剣しか携行して無い今日の俺達にはワーウルフの相手なんて無理だってのに!」
「確か割と近くにワーウルフの集落がある筈、そこからはぐれて来たんでしょうか?」
「そうかも知れん、たまたま人間を食ったら美味かったんだろうさ。だがあいつらは俺達魔族は口に合わないらしいからな。放っておけば被害はこの貧民街の人族の中だけで済んだはずなのに、こうなっちまっちゃもうただじゃ済まんじゃないか、ペールの馬鹿めが!」
ただただ文句を言い募る隊長達だが参戦する姿勢はまるで見せない、ヘタレ共め! とか言ってる場合では無くペールがピンチだ。もうワーウルフの攻撃を結構食らって傷だらけだし、動きも精彩を欠いている。さすがにバレるだろうけど仕方ない、エボニアム・サンダー発射! こっちを意識すらしていない相手に雷撃はあっさり命中する。一撃で仕留める事も可能だったが、不意打ちで決めてしまうのに抵抗が有ったのと、ペールの功績にならないと意味が無い様な気がして、驚かせる程度に留めた。だがこの成り行きに又もざわつく先輩衛士達。
「魔法攻撃は普通に効く様だが、武器での攻撃は全く駄目なのか?」
実ダメージを与えて来ないペールを無視し、こちらの方へにじり寄って来ようとするワーウルフから隠れながらネビルブに質問を重ねる。
「ライカンスロープを傷付けるには銀製の武器ってのが一般的ですグワ、魔力を纏った武器でも大丈夫な筈でクエ。」
「魔力…を? ペールの剣に纏わせればいいんだな。」
ネビルブの助言を受け、俺はスイッと飛んでワーウルフの頭を超えペールの元へ、そして彼の剣に触れ、魔力を流し込む。剣を破壊しては元も子も無いので、剣の分子の波長と同調させるイメージで…。刀身がボウッと光を放ち始めたのを見て、こんなものかな?と、ペールの元を離れ、今や完全に俺だけをロックオンしているワーウルフを牽制する、そしてその隙を逃さずペールがワーウルフに斬りつける。
「ぐああぁっ⁈ 」
やった、剣への魔力注入は成功していた様だ。ワーウルフへの攻撃が通る様になったのを確認し、俺は一旦ネビルブの元へ。それをやや呆れ顔で迎えるネビルブ。
「武器への魔力付与なんて割と難しい魔法技術だと思うんですグワ、サラッとやってのけましたな。」
「え、そうだった?」
そういうものだったんだ。で…出来ちゃったんだから仕方ないじゃん!
さて、ペールの渾身の剣撃にばっさりいかれたワーウルフは目を白黒、しかし直ぐに怒りに我を忘れた目になって、今度はペールに襲い掛かる。改めて防戦一方となるペール、しかし先の一撃が結構深手であった様で、ワーウルフの動きは徐々に散漫になって行き、ペールの反撃を2撃目、3撃目と連続して喰らい、そして遂にどぉっ…と大地に倒れ伏し、動かなくなった。間を置いて湧き起こる歓声、街の住民達がペールを褒め称える。
「有難う若い衛士さん! アイツに脅されて、何も言えなかったんです。」
「こいつ、俺の女房を食いやがったんだ。ちきしょう!」
「私の子供も1人食われた。ざまあみろよ!」
「あんたのお陰でここもましになるよ、有難う衛士さん、そこの妖精さんもな。」
だから妖精さんじゃ無いってば、そんなに可愛く無いだろ。
住民達に讃えられて照れ臭そうなペールだが、一方で白けたを通り越して苦々しい様な表情の先輩達。
「ペール、帰るぞ、帰って報告書だ!」
隊長が促して衛士隊は歩き出し、ペールは慌て付いて行く。死闘を終えて傷だらけの部下への労いの態度すら無い。
「ときにペール、俺は何も聞かされてないんだが、何だそれは。」
隊長が俺とネビルブを指し示して責める様に問い掛ける。
「えっ…と、これは…その…。」
答えに詰まるペール。そこで、
「俺達はペール様に支える召喚魔で御座います。私はボニー、こっちはネビルブと申します。お見知り置きを。」
俺はペールの肩の上で慇懃に挨拶する。
「召喚魔だと? お前、召喚魔法が使えたのか!」
「ええ…、まあ。」
言い淀むペールに被せて俺が口を挟む。
「ペール様は誰に師事するでなく独学で召喚魔法を身に付けたのです、言わば天才なんで御座います。」
そう言って胸を張る俺、視線を泳がせながら頷くペール、更に面白く無さそうな隊長。
「その件の事も後で報告書を出せよ!」
それだけ吐き捨てる様に言うと、貧民街を背に、本部に帰る道をとっとと歩き出す衛士隊一行。慌てて付いて行くペールに、今はピッタリと付き従う俺とネビルブである。