新しい街、新しい出会い
広大な森林地帯の上空、俺は今、鳥の背に乗って空の旅をしている。鳥…、もう結構長い事俺と行動を共にしているカラスに似た魔法生物、名をネビルブと言う。
「そろそろこの辺はビリジオンの領内に入ってるはずでクエよ、ボニー様。」
「ネビルブ、お前、その呼び方気に入っちまったのか?」
相変わらずどこかいつも面白がっている様な態度のネビルブの物言いが、傷心の今の俺には少し燗に障る。
「いやぁ、さすがにそこまで可愛らしいと、"将軍閣下"呼びがしっくり来ませんクワらな。」
と、悪びれる様子すら無いネビルブ。そう、今の俺は、ネビルブの背中に乗れる程小さくなっているのだ。手の平程度の大きさだろうか。
少し前、ドラゴンとサシの勝負をする羽目になった際、"巨大化"という《あらわざ》を使った。この時は期待以上の効果を得る事が出来、ジュニアとは言えドラゴンの撃退に成功した。但しそれによる魔力の消費は洒落にならず、満タンだった魔力が10分足らずでほぼすっからかんになってしまった。
訳有ってそのまま魔力を補充する機会無く旅立たねばならない流れとなった俺。戦闘による負傷の上に、せっかく俺を慕ってくれていた人々を裏切る形になったまま逃げる様にその場を去ることしか出来なかったという絶望感も有り、気力・体力・魔力全てが枯渇して一時はこのまま消えてしまうんじゃ無いかとまで思ったものだった。
が、ふと、有る考えが浮かんだ。今回巨大化して活動する為に、普段の何十、何百倍の魔力が必要になった訳だ。だったら逆ならどうなんだろう…と。つまり、体が小さくなれば、魔力のコストを格段に下げられるのではないか、と思い付いてしまったのだ。意識さえ混濁する中、よく考えもせずにその思い付きを実行に移して見る。
そもそも俺を含めた"魔物"と呼ばれる存在は、魔力を構成する要素、所謂"魔素"が物質化した肉で主に出来ているのだが、俺の場合はそれがほぼ100%だ。だから魔力を制御する作業の延長で、自分自身の"質量"を魔力に"解いて行く“と言う事をしようとしたのだ。
すると、まず着ていたものがスルッと脱げて落下していった。あっと思い、僅かながらに思い入れの有る服を拾いに行こうかと迷ったが、あえて切り捨てようと決めた。まあ、既に服と言うよりただのボロ布だったしね。
さて、身体を小さくして行くと、縮んだ質量の分がそのまま魔力として使える様になる事が分かった。お陰で全身に負っていた怪我やらダメージやらを一気に回復する事が出来、何なら行動に必要な当座の魔力を備蓄する事さえ出来た。思い付きで取った措置が大当たりだった訳だ。朦朧としていた感覚も元に戻り、こりゃいい、と調子に乗って身体を縮小して行ったら、ここまで小さくなってしまっていたのだ。
「また急に面白い事をなさるでクエな。」
半分呆れた様にそう言うネビルブが、気付けば俺より遥かに大きくなっていた。
小さくなった事で魔力コストは抑えられたが、飛ぶ速度もその分遅くなったので、寧ろ俺の方がネビルブにくっついて行った方が早いとなり、今のこの状況となった訳だ。
一番心配していた森の魔物の襲来も、エボニアム・サンダーで撃退出来る程度の魔力は確保出来たので安心となり、鈍行列車でのんびりの道行きという感じで旅を続けられる様になった。ただ、以前と比べ今はネビルブとの二人旅が、随分と寂しいと感じられる様になってしまったが…。
ネビルブの案内によれば、どの国の保護下にもない未開の森林地帯から、ビリジオンの管理の元にある、人が立ち入る範囲の森に入ったという事だ。ちらほらと人工物や、小さな集落が点在しているのも見かける様になった。瘴気が濃いめのせいか何とも言えず陰鬱な森で、青々として生気に溢れていたザキラムの森とも、無秩序で何が潜んでいてもおかしくないと思えるエボニアム国の森とも違う、暗くて色が無くて寂しげな、陰鬱としか言いようの無い森だ。集落の様子もちらりと見てみたが、お世辞にも活気が有るとは言えない。
やがて農耕地がチラホラ見かけられる辺りまで来ると、遠くにまあまあ大きな街が見えて来る。
「あれがビリジオンの首都か?」
「いえ、ミリードでは無く第二都市のキミリードでクエな。この国の街へこっそり潜入するのは中々骨ですグワ、カラス一羽くらいなら大丈夫ですクワな。」
なるほど、諜報に力を入れているだけ有って、セキュリティは万全って訳だ。俺が小さくなったのは怪我の光明かも知れないな。
確かに町をぐるりと囲む高い壁のあちこちに物見台が設置されており、ゲートでの出入りのチェックも厳重。幾つか見える町の上空を飛び回っている物は、空からの外敵を警戒する役目を負わされた魔法生物の類だろう。その内の一匹、翼の生えた小鬼みたいなのがこちらに近付いて来る。俺はネビルブの陰に身を潜める。そいつはただのカラスと判断したか、特に何もせず飛び去って行く。ネビルブも実際は魔法生物なのだが、見た目はただの少し青みがかった体色のカラスなので、ペラペラ喋ったりしない限り怪しまれる事も無いだろう。
俺達は難なく街へと進入し、やや高めの建物の屋根に着地して町の様子を伺う。やはりどうにも活気は感じない町で、閉め切られた窓が並び、人通りも多く無い。その少ない通行人も、ずっと下を向いて人と目を合わさない様に歩いているか、やたらキョロキョロと周りを伺いながら足早に歩いて行くかのどちらかで、道端で立ち話に興じるご婦人も、遊び回る子供の姿なども見掛ける事は無かった。情報収集はちょっと骨かも…、等と、漠然と考える。
「酒場とかで話でも聞きますクワ?」
「う〜ん、この"なり"じゃな。第一今は真っ昼間だ。」
人々の雰囲気が、昼から酒場で騒ぐような様子では無かったし、そもそも俺が酒場という場所に慣れていない、こちとら中身は未成年である。一度無理に情報を取りに入った酒場で大人の真似をしてだだ滑りした経験も有る。
そこで、敢えて人気の無い裏路地へと入って行く。すると目論見は当たり、正に今年配の男性が一人、ごろつき風の一団に引きずり込まれようとする場面に遭遇する。刃物で脅され、金品を要求されている年配の男。どっちに肩入れする? 心情的にはおじいちゃんの方だが、一応目的は情報を得る事だ。おじいちゃんにしろごろつきにしろ、情報源としては余り期待出来ないかなあ…とか考えていると、
「お前等、何してる⁈ 」
突然そう叫ぶ声。見れば、衛士らしき出立ちの男が駆け付けて来る。内心ほっとしたのも束の間、やって来るのが明らかに新品の制服を着た、年若い、と言うか子供の様に見える少年衛士1人だったのを見て再度不安になる。単なるチンピラとは言えごろつき共は4人、全員少年衛士より背も高い。一瞬怯んだごろつき共だが、衛士を見た印象は俺と同じだった様で、居直って武器を構え迎え撃つ態勢を取る。その顔には薄ら笑いまで浮かべている。それを見て、少年衛士も剣を抜き、横にして持つ。
そしてどちらからとも無く戦端が開かれる。少年衛士は訓練は受けている様で、ただの喧嘩自慢の素人相手に1対1なら遅れは取らなかったろうが、やはり多勢に無勢。何なら1人はおじいちゃんを捕まえたままなので1対3の戦いでは有るが、どう見ても劣勢だ。相手に大怪我を負わせない様気を遣っているのも部が悪い一因の様だ。て言うか、どう見てもピンチじゃん! 自分の実力を把握していればこうなる事は予想出来ただろうに、何で応援も呼ばずに突っ走った? 正義感に駆られた? でもこんなのは蛮勇だ! 等と考えれば考える程"それ俺の事じゃん!"という思いも湧いて来て、何だか無性に腹が立ってきた。
既に敗色濃厚な少年衛士に対し、ごろつきの1人が剣を振りかぶる、その剣に向かい、超控えめのエボニアム・サンダーを放つ。
「おわっ!」
たまらず剣を取り落とし、何が起きたのか分からない風のごろつきA。この機を逃さず反撃に転ずる少年衛士。
「何やってんだよ!」
それでも未だ数の優位が有るごろつき共、残った2人で前後から挟み撃ちに襲い掛かる。その後ろの奴の持つ短剣に、サンダー。
「ひあぁっ!」
そいつも思わず短剣を取り落とす。残ったのは正面の1人、そいつは牽制役だった様で、少年衛士の打ち込みをまともに受ける事が出来ず、腹打ちを食らって昏倒する。そのまま痺れた手を押さえたままの2人のごろつきを同様に昏倒させる。おじいちゃんを抑えていた残りの1人は慌てておじいちゃんを放り出して逃げようとしていたところを、ここへ来てようやく駆けつけてきた年かさの衛士達に取り押さえられる。一応応援は呼んでたんだ、待ち切れなかった様だけど。
「ご苦労さん、ペール。こいつ等は俺達が本部までしょっ引いて行くからお前は被害者のご老人を家まで送って差し上げろ。」
「分かりました!」
どうやら先輩らしい年かさの衛士達の指示に素直に従う少年衛士…ペール君。早速へたり込んでいるおじいちゃんに声を掛けている。その間にさっさとごろつき共を引き連れて帰って行く先輩衛士達。おいおい、ペール君少し怪我もしてるんだぞ、て言うか、これ絶対あの先輩達が自分等の手柄にしてしまう気だろ!
「そこにいる君も有難う、助かったよ!」
ペール君が俺の居る方に向かってそう声を掛けて来る。おっと…、やっぱバレてたか。こいつ意外と見てるんだな。
「余計だったか? でもあの先輩達が駆け付けるの、たぶん間に合わなかったぞ。」
物陰から姿を現しながら、俺がそう答える。
「うん、先輩が応援を連れて来るまで見張ってるだけのはずだったんだけど、つい…って、しゃべるカラス? いや、しゃべってるのはその上の君か。」
「ま、アタシもしゃべるクエどな!」
ネビルブが得意顔で言う。
「なな…何なんだ君等は、しゃべるカラスと…、妖精…にしては可愛いげが無いな。小悪魔か?」
そりゃ小さいとは言えごつくて黒くて尖ってて、可愛くは無いだろうさ、はっきりおっしゃるなあ。
「俺達は有りふれた魔法生物さ、フリーのな。」
うまい事言いくるめたぞとばかりドヤ顔の俺だったが…、
「魔法生物? 有りふれた? フリー⁈ 」
全く腑に落ちない顔のペール。あれ?…。
「…ちょっと、言い付けられた仕事で大きいミスをしてしまって、前の主人の元をお払い箱になってしまったんでクエ。今は路頭に迷って行く所が無いという身の上でクエ。」
ネビルブがやや呆れ顔でフォローしてくれる。後で分かった事だが魔法生物というのは結構稀少な存在の様で、"フリーの"魔法生物がその辺をふらふらしているなどほぼ考えられないらしい。てへへである。
「まあ、そういう訳で行くとこ無いんだけど、付いて行っていいかい?」
極力軽い感じでそう俺が提案するが、さすがに考え込むペール少年。返事を待ちながら彼を改めて観察して見ると、魔族の様では有るが少し人間に似た風貌をしており、表情を読んだり年齢を予想したりし易い。年は元の俺と同年代か、少し下にも見える。ガタイもいいとは言えず、ごろつき共が一目で舐めてかかったのも頷ける。
「まあ、付いて来るのは構わないけど、養ってやる余裕まではないぞ。」
「食いぶちだけなら自分等で何とかするから大丈夫さ。」
間を置いての彼の返答に対し俺がそう言うと、まあそれならと了承され、俺達は彼に付いて行ける事になったのであった。
この後彼は言われた通りおじいちゃんを家まで送り届けると、更に街を巡回しながら、やがて中心部辺りにある無骨な感じの建物に戻って行く。これが衛士達の本部なのだろう。さすがに警備も厳重なので、中まで潜り込むのは諦め、窓から中を覗くに留める。
ペール君、帰るなり、傷の手当てもそこそこに、早速雑用に奔走している。良く働くなあ…と言うか良く働かされてるなあ。
やがて日が落ち、夕食の支度の煙がそこここから立ち昇る頃合いになると、衛士達もチラホラと帰宅し始める。やがては宿直部屋らしき一画を除き全ての部屋から人気が無くなり、更に、少し時間が経ってからやっとペールが私服に着替えて外に出て来る。俺達が寄って行くと、
「ああ、待っててくれたのかい? さっきの件の報告書を作ってて遅くなってしまったんだ。」
「ああ…って、俺達の事を書いたのかい?」
「いや、暴漢共を取り押さえたのは先輩方って事になってるんだ。君達の事には触れていない。ごめんよ。」
案の定、手柄は何もしなかった先輩衛士達のものか、でも報告書だけは書かせてる、随分ブラックな職場だこと。
「まあ、俺達の事はおおっぴらじゃない方が有難いからいいさ。先輩達は、きびしいのかい?」
俺がそう聞くと、少し暗い顔になるペール少年。
「僕は平民の出でね、家も余り裕福では無かったし、今はもう親だっていない。衛士仲間の中で、立場がいい方とは言えないかな。」
なるほど、私服で出て来た彼は、全くその辺を歩いている一般人と変わらない。そして彼が歩いて行こうとするのは所謂貧民街の方向だ。良い家が立ち並ぶ中心街の方へ帰って行った先輩達とは格差が有るのかも知れない。
貧民街の入り口くらいに有る集合住宅の1つに入って行くペール。そして居並ぶ簡素なドアの1つを開く。
「お帰りペール。」
奥から女性の声。母親…は、いないって言ってたよな?
「ただいま姉さん、急だけど、今日は客がいるんだ。」
なるほど、姉ね。そう言えばちょっと似てるかな。ペール君自身どちらかと言えば可愛い系の顔立ちだが、そのまま女性のお姉さんは結構可愛いと思う。ただ余り活発そうな感じはしない。貧しいからというのも有るかも知れないが、それだけでは無さそう。とりあえずペールの陰から顔を出す俺達。
「まあ、カラスさんと、妖精…さん?」
はいはい、妖精にしては可愛げ無いですよ。俺はペールの肩の上で彼女に一礼する。
「俺達は、はぐれの魔法生物でして。俺がボニー、カラスの方がネビルブと申します。」
「実は今日仕事でちょっと荒事が有ってね。その時彼らが手を貸してくれたんだ。」
そうペールが説明すると、姉の顔が少し青ざめる。
「荒事って…、危ない仕事だったの? 少し怪我してるじゃない。」
「いやいや、かすり傷だって。取り締まりの時に油断しちゃって、じゃなきゃ怪我なんてしなかったさ。」
慌てて取り繕うペール。いや、あれは結構危ないところだったと思うぞ。まあこのお姉さんがかなり心配性で、ペールが気を遣っている事は分かった。
「そんな事よりご飯にしようよ、お腹ペコペコだよ。」
「…ええ、そうね。支度は出来てるわ。もう冷めちゃったけど。」
この日はこのまま少し質素な晩餐となる。俺とネビルブの分の食事もお姉さんが出してくれたので、遠慮がちに御相伴に預かる。質素では有るがしっかりと手の込んだ料理が並ぶ。肉体労働の弟を思ってか、量も充分だ。もう夜食に近い様な時間で、確かに料理は冷めてしまっている。でもこんなに食べる人への愛情たっぷりな晩御飯は、人間だった頃でさえ覚えが無い。小さいのに良く食うねとか言われながら、確かに体のサイズ以上の量を食べたと思う。お陰で魔力もかなり貯められた。
食事しながら話をしていて分かった事だが、ペールの姉、コイーズは、余り体が丈夫では無い事も有り、ほとんど外に出る事が無い様だ。ただでさえ女性の社会進出などという考え方すら無い社会に有って、体の弱い彼女が働ける様な当てもなく、姉と弟二人きりの暮らしは未だ少年であるペールの衛士勤めが支えているという状態の様である。
まあ贅沢は出来ないが、暮らし向きは此処ではましな部類で有るらしい。この風呂無し、キッチン別のワンルーム、8畳くらい?の部屋に小さなダイニングテーブル、部屋の隅には古めかしい2段ベッド、必要最低限の物だけという生活の場で、姉弟2人でつましく暮らしている様だ。
その夜は特に他に何も無く、俺はベッドの上の段、ペールの横で眠らせて貰う。睡眠は俺には絶対必要な訳では無いが、今は魔力を温存しようと思った。ネビルブはベッドの柱の上である。そうして、ここビリジオンでの1日目が終わる。