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魔法

 鏡の向こう。

 愕然とした表情でペタペタと自分の顔を触っている美少年。

 その動きは今自分がしている動きと同じ。


「ってことは、やっぱりこれが俺なのか…?」


 先ほどの女性は、自身のことを母親だと言った。

 鏡に映る自分は、なるほど女性と同じ髪色をしている。

 タケルの口からは大きなため息が漏れ出た。


「転生…は少し違うか。憑依?」


 受け入れがたい現実にこめかみがズキズキと痛みを訴える。

 タケルはこめかみを抑えながら、再び長いため息をついた。


「…いつまでも、くよくよしてばかりいられないな」


 切り替えの早いことは自身の美徳だとタケルは思っていた。

 踵を返して、元居た部屋へと戻る。

 部屋に入ると同時に、女性に抱きしめられた。


「タケル…どうしたの急に部屋を飛び出して…。心配かけさせないでよ」


 背中に食い込んだ指先は痛みを伴う者だったが、震える肩を見て振りほどく気分にはならなかった。

 逡巡した後、俺は女性の、恐らくはこの体の母親の背中へと手を回した。


「何でもないよ母さん。ごめん、心配をかけて」


 その言葉、口調は驚くほどにしっくりきた。

 多分だけど、この体の元主は母さんと呼んでいたのだろう。

 女性がタケルの胸に顔をうずめて嗚咽を漏らす。

 少しの間、タケルは優しくその背中を撫で続けた。


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 今世…と言っていいのかわからないが、現在の身体の母親はナタリア・アンドールという名前らしい。

 そして、タケル・アンドール。

 それがこれからの俺の名前だ。


 ナタリア曰く、俺は一週間近く眠っていたらしい。

 医者にも見てもらったらしく、医者からはもう助からないと言われていたそうだ。

 なぜそんなことになったのか。

 倒れる俺を最初に発見したのはナタリアで、風呂場で俺を見つけた。

 浴槽の横で座り込み、腕を真っ赤に染まった湯船に浮かべていた…らしい。

 俺…いや、タケル・アンドールが何をしようとしていたのか、考えるまでもないだろう。


「お前、自殺しようとしたのか」


 翌日、タケルはベランダに腰かけ、上りゆく朝日をぼんやりと見つめながらそう呟いた。

 しようとした、という表現は間違っているかもしれない。

 確かに、タケル・アンドールという存在はいなくなってしまったのだから。

 その身体に、別の人間の意識が入り込むというイレギュラーがあっただけで。


「あー、くそ」


 タケルは後頭部をがりがりと搔いた。

 今後のこととか、前世のこととか、考えるべきことはいくらでもあるのだが、何一つ考える気にならない。

 だってそうだろう?

 いきなり異世界に来て、さあ頑張りましょうとはならないだろうよ。


「まーでも、この身体で、この世界で生きていくしかないよな」


 すぐに切り替えられることはいいことだ。

 自分の一番の長所。

 だって前世の自分は死んでしまったのだから。

 元の世界に戻れるはずもない。

 自分の今際の際、自分をぼろ雑巾のように弾き飛ばしていったトラックの後ろ姿だけは鮮明に覚えている。

 命の消えゆく感覚、蝋燭の火がどんどんか細くなっていく感覚を、鮮明に覚えている。

 俺は、間違いなくあの時死んだ。


「タケル―、ご飯にしましょ」


 階下から呼ぶ声が聞こえ、タケルは部屋へと戻る。


「それにしても、前世と同じ名前とか、凄い偶然だな」


 前世の名前も(タケル)だったから、呼ばれ慣れているのは助かることだ。

 その分作為めいたものは感じるが。


 タケルは二階の自分の部屋を出て階段を下りる。

 下の階では、ナタリアが作った朝食がすでに並べられていた。


「タケル…あのね?」


 タケルが席に着くと、ナタリアが申し訳なさそうな、悲しそうな表情で、僅かに顔を俯かせながら声をかけてきた。

 タケルは首を傾げる。


「どうかしたの、母さん?」


「あ、あの…冷静に聞いてほしいんだけど、これ」


 そう言ってナタリアは一枚の紙を、タケルに手渡した。

 紙の見出しには、他よりも太い字で"卒業式"と書かれている。


「これ…」


 タケルは目を下へと滑らせていく。

 なるほど、どうやら通っている学校の卒業式の案内のようだ。

 自分は学校に通っていたらしいということから驚きなのだが、問題はその日付だった。


「母さん、見間違いじゃなければ、これって今日じゃない?」


「え、ええ…そうなの」


 ナタリアは、何かに怯えるように頷いた。

 何にそんな怯えているのだろうか。

 そう考えていると、ふと、自分の手首にまかれた包帯が目に入った。


「あ…」


 その瞬間、頭の中でピースが繋がった。


 年頃の男子が自殺しようとするまで思いつめる理由なんて、あまりないと思う。

 そしてその原因となる場所なんて、それこそ家か――、


「学校…か」


 ナタリアを見ていると、ナタリアが原因で自殺に踏み切ったとは考えづらい。

 となると、原因は学校にあるのだろう。

 だからこそ、これほどまでにナタリアは辛そうな表情をしているのだと、タケルは気づいた。


「い、行かなくてもいいのよ?タケルのしたいようにすればいいわ」


 ナタリアは安心させようとするような笑みを浮かべ、タケルの顔を覗き込んだ。

 その行為が、俺の推測をさらに確信に近づけた。


「心配しないで母さん。俺、行くよ」


「…そう。本当に、無理はしないでね」


 もう少し何か言われるかと思っていたが、ナタリアはすぐにタケルの意見を受け入れた。

 その様子を見てわかったことがある。


(…タケルの意思を遮ることが怖いんだな)


 息子の自殺現場など、母親にとっては一生のトラウマものだろう。

 きっと、ナタリアにとって、タケル・アンドールは爆弾なのだ。

 また刺激を与えて爆発してしまわないよう、腫物でも触るように扱っているように見える。


 そんな家族の在り方を見て、流石にタケルにも思うところはあった。


「母さん、本当に心配しないで。僕は大丈夫だから」


 タケルは努めて優しい笑みを浮かべて、ナタリアに笑いかける。

 そんなタケルを見て、ナタリアは両手で顔を覆った。


「タケル…、うう、ごめんね…」


「はは、母さん、昨日から泣いてばかりだね。もっと笑ってよ」


 タケルはナタリアの背中に手を置いて、優しくさする。

 次第に落ち着きを取り戻したナタリアは、赤らんだ目で、それでも楽しそうに微笑んだ。

 きっと、これが普段のナタリアなのだ。


(この笑顔は俺に向けられているものではない)


 だけど、これぐらいの親孝行はしてもいいだろう。


「ありがとうタケル…。さ、ご飯食べてしまいましょう。冷めないうちに」


 そう言ってナタリアはタケルを促す。

 タケルもう頷いて、目の前の食パンに手を伸ばした。


「うん、美味しい!」


 香ばしく焼き目のついた食パンに、上に乗せられてトロリと溶けたチーズが非常によく合う。

 どうやらこの世界の食文化は地球によく似ているらしく、昨日の晩御飯もシチューだった。

 そこは地味に嬉しかったポイントだ。


「ふふ、いっぱい食べてね。テレビでもつけましょうか」


 ナタリアがそう言って、机の上に置いてある木の棒に手を伸ばした。

 一方が細く先の方が丸くなっているような形状をしている木の棒だ。

 長さは三十センチぐらいだろうか。

 昨日からなんでそんなものがあるのか謎だった。

 ナタリアがその木の棒を手に取ると、部屋の隅に設置してあった鏡に先端を向けた。

 するとその鏡面に、明らかにこことは別の場所の映像が映った。


「え!?ごほ、ごほッ!?」


「まあ、タケル大丈夫!?」


 突然むせ始めたタケルを見て、ナタリアは慌てて立ち上がった。

 タケルは涙目になりながらナタリアを手で制す。

 ナタリアが心配そうにこちらを見ているが、タケルにはそれどころじゃなかった。


(な、なんだ今の!?)


 何の変哲もなさそうな木の棒で、テレビが、いやテレビと言っていいのか謎だが映像がついた。

 初めて見るものに、タケルは思わず興奮を抑えきれない。

 改めて流れている映像に目を向ける。


『―ガガ、えー、ジーク選手に向かって数多の魔法が襲い掛かっていますが、流石というべきか、その一切を寄せ付けませんね。防御魔法一つとっても超一流です』


 どうやら何かの競技中らしい。

 実況と思われる人の声が聞こえる。

 何を話しているかさっぱりわからないが、その中の一つの単語が頭の中をぐるぐると回る。


 "魔法"


 地球じゃファンタジーの中でしか聞かない空想の産物。


 映像の中では、一人の青年にフォーカスが当たっていた。

 どこかから、その青年に向かって炎が渦巻く球体が迫る。


「危ない!?」


 思わず叫んでしまったタケルとは違い、青年はその球体を冷静に一瞥すると右手を掲げた。

 その手には、先ほどナタリアが使ったものと似たような、これまた木の棒が握られている。

 青年は掲げた木の棒を空中で滑らせる。


(何を、しているんだ…?)


 光が線となり、円となっていく。

 青年は木の棒の先端で、空中に絵を描いた。

 その軌跡は消えることなく光の線となって残り続け、やがて一つの意味を成す。

 タケルはそれを、前世で見たことがある。


「…魔法陣だ」


 青年の口が何かを呟いた。

 この映像では音は拾っていないらしく、何を言ったのかわからない。

 驚くべきことは、その直後に起きた。


 少し青ばんだ透明な板が空中に突如現れ、炎の球体と激突したのだ。

 その衝撃が青年の髪を揺らす。

 しかしそれだけだ。

 透明な板に阻まれて、炎の球体は虚空へと消えていく。


 再度、青年は空中に軌跡を描き始めた。

 先ほどまでとは違う文様。

 恐るべき速さで、別の魔法陣が出来上がっていく。

 顔より大きな魔法陣が、僅か数秒で、形を成す。


「…きれいだ」


 その流麗なフォームが、目に焼き付いて離れない。

 いっそ芸術とすら呼べる技巧が、脳みそを擽ってくる。

 青年の口が開かれる。


「…は、はは」


 現れたのは青色の龍。

 その場にいたら、思わず頭を垂れてしまいそうになるような巨大な龍。


「…これが、魔法」


 背筋が震えた。

 いつの間にか、立っていた。

 足から力が抜け、どさりと背もたれに体を預ける。


「は、はは、ははははは」


「タケル!?どうしたの急に笑い始めて!?…え、は、早く元に戻って~!!」


 狂ったように笑い始めたタケルにナタリアは驚いたような声を上げ、タケルが正気を取り戻すまで、おろおろとしながらタケルの肩を揺すり続けるのだった。



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