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三十歳を超え、私は相変わらず人気占い師として活躍していた。天使の命令通りの事をやっているだけだったが、
ただ、心は全く楽しくなかった。いくらお金があっても明声があっても、自分の力で得たものではない。最近は、褒められれば褒められるほど、自尊心が擦り切ってきそうだった。
一言で言えば虚無感だった。元々私は人間を信用していないで、今はチヤホヤしてくる者も手の平返す光景が想像できてしまった。
この虚無感は都会での生活のせいかもしれない。原因はそこじゃないと思ったが、自然に囲まれた田舎暮らしでもすれば幸せになれそうな気がした。
こうして田舎に土地を買い、家を建てた。一人で暮らすには広すぎる二階建ての家にしてしまった。我ながら計画性はないと思ったが、仕事はどこでもできた。また、人気占い師など後から新しい人も生まれ、テレビや雑誌などに取材も減りつつあったので、ちょうど良かった。
家の周りは、野菜畑や田んぼ、梨畑も多かった。カルトの施設もあり、時々信者たちの顔も見かけたが、特に勧誘などはされなかった。ただ、信者たちの表情は、占いの客と全く一緒で気味が悪いぐらいだった。かくいう私も魔女のような表情をしているなど言われる事が多かった。職業柄、そっちの方が良いのかもしれないが、何となく違和感はあった。他の住民は老人が多く、麻美の事は知らない者ばかりで、過ごしやすくはあったが。
そんな時だった。朝、近所の野菜畑の周辺を散歩していた。
「あれ、貯金箱が壊れてる……」
無人の野菜販売所に行くと、お金を入れる貯金箱が壊れ、中身が持ち去られていた。この辺りでは無人で野菜を売っているところが、至るところにあった。
自業自得だと思ってまう自分がいた。こんな性善説で商売をたっているのが信じれない。確かにこの辺りの野菜は新鮮で美味しく、無人野菜販売所はよく利用していたが、内心は「田舎の人って無防備だなぁ」と蔑んでいた。
「あらー。お金なくなってるの?」
そこに一人の女性が入ってきた。たぶん、年は私と同じぐらい。田舎らしく、ダサいワンピースにサンダル姿、髪の毛は日に焼けて、少々痛んでいた。メイクもやっていない。頬はシミとソバカスだらけだった。
「さあ、こんま性善説でよくやってますね」
「まあ、そうね。でも、神様が見てるわ。盗んだ人が一番心が傷ついているかもしれないね」
なぜか女は悲しそうにしていた。しかも神様ってなに? この女も怪しい宗教でもやっているのだろうか。
「あ、わかる? 私、この田舎でキリスト教の牧師やってるのよ」
女はおおらかに笑っていた。
「へえ」
若干ひく。宗教のイメージは悪い。ただ、この女からは、妙に明るい雰囲気が漂っていた。妙に目も明るく、直視できない。占いの客にはあまりいないタイプだった。
「興味ある?」
なぜか女は私の目を覗き込んできた。その目は何かを見透かすようだった。そもそも何で自分の「怪しい宗教でもやっているのだろうか」という思考を知っていたんだろうか。なんだかりょっと怖くなってきた。この女の方が占いのような事ができるのか、気になってきた。
逃げようかと思ったが、腕を掴まれる。
「ごめーん。今、ちょっと人手足りなくて、っとっと手伝ってくれない?」
しかもなぜか教会の仕事を手伝うように言ってきた。断ろうとも思ったが、何故か断れない。それに、この女には興味もあった。何故自分の思考が読めたのか気になった。
こうして女に連れられ、教会の門をくぐった。私の家から歩いて数分ほど、教会の周りも畑だらけだった。ステンドグラスの大きな建物を想像していたが、普通の二階建ての家だった。ずっと家だと思っていた場所が教会だったと驚いた。見た目は全く普通の家と変わりない。聖人やマリア像もなかった。
「うちはカトリックじゃないし、プロテスタントの単立教会だからね。目立ったもんは何もないのよ」
「へえ」
キリスト教といっても、いろいろあるらしかった。二階の礼拝室という場所に案内されたが、天井が高く、窓も大きかった。窓からは夏の強い日差しも差し込んでいて眩しい。
だいたい学校の教室よりやや大きいぐらいの広さで、折りたたみの椅子が並んでいた。教壇た教卓もあり、余計に学校のようだった。一つ違うのはピアノが置いてある事ぐらいだろうか。ピアノはグランドピアノではなく、普通に黒いもので、アコーステックギターも置いてある。あと、壁にはイスラエルあたりの地図も飾ってあり、そこだけは学校とは違うが。
意外にもシンプルな教会の内部に驚きちつつも、女に言われながら電球を変えたり、床の掃除を手伝った。
「ありがとう。あなたの名前は?」
それが終わると、礼拝室の隣のある多目的室で、女と向き合って座った。この部屋は普段は面談、子供向けの日曜学校に使っていると言っていた。日曜学校とか意味がわからないが、子供向けの讃美歌の歌詞が壁に貼ってあった。「イエス様を信じると天国にいける」という歌詞が書いてあり、ちょっと引く。
「私は黒木麻美です」
「へえ、麻美さん。どうぞ、お菓子とお茶召し上がってね」
目の前のテーブルの上にはアイスティーやクッキーがあった。クッキーは皿に盛り付けられ、バターの甘い香りがする。おそらくこのクッキーは手作りだろう。毒でも入ってるかもしれないから、一応手をつけないでおく。
「あなたは?」
「私? 私は小鳩光希です。あなたは? どっかで見た事ある顔なのよね」
光希はさらに私の顔を覗き込んできた。黒くて大きな目は、野生動物のように生命力が溢れていた。
私は占い師としてテレビや雑誌に出ていた。光希に自分の職業がバレるのも時間の問題だろう。先に占い師である事を告白した。
「え、あなた占い師だったの。そうなの」
なぜか光希は大袈裟に驚いていた。
「苦しくない? 誰かに命令されたりしてない?」
しかも眉間に皺を寄せ、心底心配しているような表情を浮かべていた。どういう事かさっぱりわからない。私は咳払いをする。もしかしたら、占い師に悪いイメージもあるのかもしれない。でもそれはお互い様。
私だってキリスト教に良いイメージはない。よく戦争をやってるイメージもあるし、正直、カルトとの差はわからない。
あの子供讃美歌の歌詞もなんか気持ち悪い。ムズムズして居心地が悪い。
窓が大きく光がいっぱい差し込む教会は明るく、場違いだと思わされしまった。天使の命令を受けながら、占いをしている自分は、褒められはしない。それだけはハッキリとわかってしまった。
「占って差し上げましょうか?」
「え?」
心の中で天使を呼び、その命令を待つ。なぜか天使はぜいぜいと息を荒げ、顔も真っ青だった。こんな天使は見たことが無いので、私は声を出しそうになった。
『くそ、何で教会、牧師のところにいるんだ』
特に、壁に貼ってある子供讃美歌の歌詞が苦手のようで、近づくのも嫌そうだった。
『まあ、いいさ。麻美、この女には、階段から落ちて足首を捻挫すると言え!』
なぜ天使が具合が悪くなっているかは謎だったが、とにかく言う通りにした。いつも通り。
「へえ、ありがとう。でも、その占いの言葉、イエス・キリストの御名によってキャンセルさせていただきますね」
「は?」
私が戸惑っているうちに、光希は何かを言った。
「占いの悪霊よ、イエス・キリストの御名で命じる。今すぐこの教会から出ていけ。二度と戻ってくるな。神様の身体である教会に侵入することは許さない!」
声自体は普通で、落ち着いていた。すると、天使は猛ダッシュで逃げていくのが見えた。
「ちょっと、あなた。今、何やったんですか?」
「大丈夫。私にはいくら占いをやっても当たりませんから。ふふ」
そう言ってバリバリとクッキーを噛み砕いていた。
何の事だかさっぱりわからなかったが、光希が階段から落ちて怪我をするような事はなかった。あの後、何度か光希に会い、天使と一緒に占いをしたが、なぜか一回も当たらず、「占いの悪霊よ、イエス・キリストの御名によって砕け散れ!」などと言われて終わった。
天使は光希にも教会にも行くなと言われた。確かに居心地が悪い場所だ。それでも光希に関しては気になり、天使の言うことを無視して教会に行っていた。
教会に行ったからと言って何をするわけでも無い。光希と一緒にお菓子を食べてお茶するだけだった。勧誘も何もされない。そもそも光希が自分の足で自ら向かっているのだから、自己責任の行動だ。何をされても自分のせいだ。
「麻美さん。クッキー焼けましたよ」
光希はお菓子作りが好きなようで、こうして一緒に食べる事が多かった。
「神様に感謝していただきます」
そう祈って食べている光希は、妙に楽しそう。幸せそうだった。
一緒に会話をするうちに、光希は自分の過去も話していた。キリスト教の牧師なんてやっているから、さぞ清い生まれなのかと思ったが、普通の家庭に生まれたらしい。ただ、二十歳の頃、失恋して手首を切ろうとしたところ、偶然手にした聖書を読んで救われたんだそう。
「こんな恋愛依存症な汚い女が、今も生きてこれたのはイエス様が助けてくれたから」
「へえ……」
そう語る光希は、目が耀き、妙に幸せそうだった。
「男の人に嫌われてもイエス様には愛されてたんだーって思うと、もうどうでもよくなったのね。人の目とか、恋愛とか、お金とか。自由にもなれたの。悪魔の奴隷から神様の子供になれた。光の子供になれた」
全く理解できない世界だったが、光希が幸せそうな理由はわかってきた。もしかしやら、当てにならない人間を信用していないのかもしれない。その気持ちだけは何となくわかった。
「聖書ってそんなにいいんですか?」
気づくと私もそんな事を言っていた。
「新改訳聖書がおすすめだよ。ただ、これは難しいのよ。翻訳小説を読み慣れている人だったら良いんだけど、普段本を読まない人はキッツイかも」
「普段、本ぐらい読みますよ」
ちょっとバカにされたみたいで悔しい。本当は本を読む事も少ないので見栄をはってしまった。光希だって頭は良くなさそうなのに、難しい本を読んでいると思うと、イラっともしてきた。
「じゃあ、この新改訳聖書あげる」
そも聖書は分厚く、辞書ぐらいあった。値段を見ると、六千円ぐらいする。
「頭良くて本好きだったら、全部読んでね。私も何度も通読してるから」
そこまで言われたら、一応読んでおこうか。別に読んだからと言って洗脳さる事もないだろう。海外の映画や小説を知るために聖書研究している日本人もいっぱいいるし。
「はい、どうぞ」
こうして光希からもらった聖書は、ずっしりと重く、何かの生き物のようにも感じてしまった。子猫一匹ぐらいはあるかもしれない。